【第一部完】千と一の氷の薔薇【更新未定】

海野璃音

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五話

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 エミリオが目を覚ますことなく、一週間が経った。飲食も、排泄もせず、ただ昏々と眠り続けている。
 あの日の翌日、落ち着いたエルネストからハンスが聞き出した話では、「今の兄さんは、魔力を消費しながら、幸せな夢の中で生きている状態です。心を守る為の一種の防衛魔法や心を癒す為の治癒魔法だと、言われていますが……深く傷ついた心が治る前に魔力が尽きて死亡する事がほとんど……。番がいる場合は、魔力の譲渡で目を覚ます事がありますが、何年も目覚めないΩに、絶望したαが眠ったままのΩと心中してしまう事が多く、回復した例はわが国でも、数える程度しかありません」ということらしい。
 エルネストの話の通り、エミリオの魔力は少しずつ減り続けていた。もとより戦争で消費していた魔力の事を考えると、エミリオの魔力の残量は多くない。エルネストは持って一ヶ月だろうと話していたらしいが私は諦めるつもりはなかった。

「エミリオ」

 毎朝、眠るエミリオの手を取り、僅かな魔力を分け与える。持ちえる属性が真逆ゆえ、あまり多くの魔力を与えられぬのがもどかしい。しかし、魔力を分け与えるたびに白い肌に朱が差し、それが無駄でなかった事を知る。

「エミリオ」

 私の運命。お前の見る夢の中に私はいるのであろうか。……いや、いるはずがない。だが、お前が目覚めるその手伝いだけでもさせてくれ。目覚めた後、私が許せぬのなら、私の目の前から消えてもいい。どこかで幸せにいきてくれるのであれば……私は自身の罪を許せる気がする。
 目覚める気配のないエミリオの頬を撫で、その手に一輪の薔薇を持たせる。私の魔力で出来た氷の薔薇。溶けることのないそれは、万が一に私が死んだ時、エミリオの命を繋ぐ為の物。魔力を分け与えるようになって、毎日新しいものを作っては、エミリオへと贈っていた。
 五つの薔薇を胸の前で抱えるエミリオは棺に納められた死者のようにも見える。薔薇や花でなければそうは見えなかっただろう。だが、できうるだけ、エミリオの周りを美しいもので飾りたかった。
 防衛の為の無骨な砦に花や宝石など用意する余裕はない。だが、私の魔力で作れる氷であればいくらでも作ることが出来た。万が一の備えにもなりうる氷の薔薇は、僅かに冷たいものの、エミリオを守る思いを込めて作ったからかエミリオを害する事はない。私の作った薔薇を胸に抱くエミリオは、本当に美しかった。

「……また夜に」

 穏やかな寝息をたてるエミリオに後ろ髪を引かれながらも自室を出る。廊下側に繋がる執務室の鍵を開け、机に着くと見計らったかのように扉が叩かれた。

「入れ」
「失礼します」

 許可を出せば、ハンスが入ってくる。エルネストに付けているが、朝と夕に一度ずつは顔を出す。ずっと側に居ればいいものを律儀な奴だ。

「おはようございますヴィルヘルム様」
「ああ……。……エルネストに変わりはないか」
「体調の方は落ち着いてきました」
「そうか」

 あの日、ハンスが連れ帰った後、エルネストは熱を出したらしい。元より衰弱していた体に心労が祟ったのだろう。それでも兄であるエミリオの為に出来る事をハンスに伝えたのだから兄思いの弟のようだ。

「それで、エルネストから一つ希望がありまして……」
「……聞こう」
「昼間はエミリオ殿の側に居たいとのことです」

 まあ、予想できる希望ではあるな。

「なるほど……私はエミリオを動かすつもりはないが……その場合、私と顔を会わせる事になるがいいのか?」
「それについてはエルネストも織り込み済みでしょう」

 あとは、私の許可が出るかどうかと言うわけか。本来であれは、エミリオ以外自室に置いておきたくはないのだが……。

「わかった。私が執務室にいる間だけ許可しよう。」
「ありがとうございます。エルネストがエミリオ殿の側に置いていただけるのなら私も通常の業務に戻れるので嬉しいです。ヴィルヘルム様のことも気になって仕方がなかったんですよ」
「私の事はいいから、さっさとエルネストを連れて来い」

 執務室からハンスを追い払い、入れ違いに入ってきた部下から書類を受け取る。最初の書類は補給部隊からのものだった。
 そこには軍糧が半分を切ったとの報告が記載されている。この私の率いる軍の数は現在、砦と外の野営地も合わせて三万。殆どの兵は帝都に返すとしても私直属の部隊とあわせて千の兵は防衛の為に砦に残る事となる。それに加え、王国軍の捕虜は二百。今の軍糧では冬を越すのは難しいであろう。帝都に補給の要請を送っているが冬が訪れるまでに間に合うだろうか。また、冬になるまでに薪も集めなければ凍死者も出る可能性もある。残す者の数を減らすべきか……防衛を考えて残すべきか……頭の痛い問題だ。
 日々処理しても減らぬ書類に悩まされながら、書類を片付けていく。机に積まれていた一束を終わった頃、ハンスがエルネストを連れて執務室へ戻ってきた。

「……失礼します」

 一つ頭を下げ、エミリオの居る自室へと入っていくエルネスト。穏やかな緑色の瞳に宿るのは憎悪か、嫌悪か。どちらも慣れているとはいえ、エミリオに似ている顔に睨まれるのは少し堪える。あれは、どれだけ戦場で会おうと、あのような瞳をすることはなかったからな。……あれの瞳は、いつも悲しみと嘆きに染まっていた。エミリオも……エルネストも……あんな目をさせたのは私だ。……償える日はくるのだろうか。私が帝国の人間である限り、許される日が来るとも思えないが。

「ヴィルヘルム様。お疲れなのでは」
「ああ……気にするな。少し考えていただけだ」
「それならいいのですが……」
「それより、ハンス。捕虜の扱いの件なんだが……」

 心配するそぶりをするハンスの言葉を流し、捕虜の扱いについて相談する。今、この砦には特別な扱いをされている捕虜が二人居る。言うまでもなくエミリオとエルネストの兄弟だ。
 αである私がΩを二人囲っていると思われる状況ゆえに、兵士の間でも口さがない者はいらぬ噂を立て、あの愚か者共のこともある。状況はあまりいいと言えなかった。
 わずかでも、噂を軽減する為に捕虜全体の扱いも考えていかねばならない。現状も悪いと言えるほどではないが、素行の悪い者を監視役から外すなり、Ωの捕虜への抑制剤の配布なども見直したい所だ。

「身から出た錆とはよく言ったものだな……こうも面倒なことになるとは」
「私としては、ヴィルヘルム様も人間だったのだなと安心していますけどね」
「……どういう意味だ」

 眉を寄せ、ハンスを睨むが効果はないようでハンスは言葉を続ける。

「随分と人らしくなったものですから。経緯は喜ばしいものではなかったかもしれませんが……ヴィルヘルム様が心を寄せる事が出来る方が出来たというのは何よりも嬉しい事です」
「お前は私のなんなんだ……」
「副官です。誰よりも忠実な」

 呆れたように呟いた声にハンスが真面目な声で返してくる。視線を向ければ、その表情は真剣そのもので、私の迷いを見透かしているようだった。

「……そうか」
「はい」
「……本国へ返す兵を見直す。付き合ってくれるか」
「もちろんです」

 ハンスの持ってきた名簿を元に、兵の選別を行う。本来、砦に残すべき数は千。だが、信用できぬ者を置くより、最低限の信用できるものを選ぶべきだ。最悪、私の部隊だけでも残ればいい。捕虜の問題もあるが、それは後々片付ければいい事だ。
 時間は淡々と過ぎていく。私にとって、人生の岐路が刻々と迫っていた。
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