【第一部完】千と一の氷の薔薇【更新未定】

海野璃音

文字の大きさ
上 下
4 / 15

四話

しおりを挟む
 砦での一戦が終結し、二日が経った。
 あの日、エミリオを抱きしめたまま浴室から上がり、寝台に寝かせた。本当は側に付いていたかったが戦の処理もある。直属の信頼できる部下に部屋の警護を任せて、指揮に当たった。
 ある程度の処理が終わり、部屋に戻るとエミリオは私が寝かせたままの姿で瞼を閉じていた。始めは死んでしまったのではないかと焦ったが、近づくと穏やかな寝息が聞こえ、安堵する。
 穏やかに眠るエミリオは戦場で見せた表情より幼い。戦場でαのように見えたのは、エミリオ自身の覚悟と戦場という特殊な状況下が見せた幻であったかのように。それほどまでに全てが抜け落ちたエミリオはΩにしか見えなかった。
 これは……守られるべき者だ。戦場で私と相見えたエミリオは美しかった。敵わぬと知りながら、自軍の兵を守る為に私に臆することなく戦場に現れるその姿に私は魅入られ、心は掻き立てられた。だが、今ならわかる。私はエミリオを戦わせたくなかったのだ。
 自身の守るべきΩが、戦場の最前線で戦う。いつ死ぬかわからぬ状況で命を燃やす。その事に焦燥しないαはいないであろう。私ですらそうだったのだから。思考は巡り、後悔ばかりが湧き上がるが全ては終わってしまったことだ。これからどうするべきか考えるべきだろう。
 戦争はひとまず落ち着いたと考えていい。進軍するにしても季節は冬へと近づきつつある。私にとっては利になるが、軍としては厳しい季節。進軍は春へと持ち越されることだろう。……私は、戦う事ができるであろうか。
 エミリオが守ろうとした王国と、エミリオを傷つける原因を送ってきた帝国。愚かな事に、私の帝国への忠義はエミリオの件によって揺らぎ始めていた。
 考えど、考えど、答えは見つからない。頭を振り、眠るエミリオを見る。本当に……穏やかな寝顔だ。できうることなら、穏やかな夢を見ているといい。そう願いながらエミリオの頬を撫で、その日はエミリオの側で眠りに付いた。それから二日。エミリオの瞼が開く事はなかった。

「最後の男が死んだそうです」
「そうか」

 執務室とした部屋に入ってきたハンスから狼藉者共の最後の一人が死んだという報告を受けた。二日。二日しか苦しませることが出来なかったか……。いや、あれらが生きているというだけで腹立たしい。二日も苦しんで死んだのであればいいか。……エミリオの苦痛に比べたらどれほど楽であったかとも思うが。

「……エミリオ・マルロ大尉はまだ眠ったままで?」
「ああ」
「一緒に保護したΩが目を覚ましたのですが……エミリオ大尉に会いたいと希望しています」
「……なぜ会わせる必要がある」
「弟だそうです。エミリオ大尉の」

 ああ、なるほど。だから、エミリオは身を差し出してでも庇いたかったのか。

「彼……エルネストは、軍で癒師としても働いていたようですので、我が軍の軍医ではわからぬ事も知っているかもしれません。我が国はΩについて、知らぬ事も多いですから」

 帝国でのΩへの差別は根強い。貴族はα同士での婚姻を好み、βしか生まれなくなった貴族もαの血を望む。貴族生まれのΩは良くて平民や奴隷となり、悪ければ生まれると同時に処分される。平民生まれのΩすら扱いは悪い。ゆえに、我々はΩについて知らぬ事が多かった。

「……動けるようなら連れて来い」
「望むようなら私が運んできても?」
「……任せる」
「はっ!」

 敬礼して執務室を出て行くハンス。あれもΩについては差別的だったと思うが、随分と気にかけているように見える。……Ωのフェロモンに当てられたか?いや、あいつに限ってそれはないか。
 戦死者や捕虜についての書類に目を通していると扉が叩かれる。おそらくハンスであろう。入室の許可を出せば、小柄なΩを抱えたハンスが入ってきた。

「それがエミリオの弟か?」
「ええ、エルネスト・マルロ。五つ年下の弟と伺っています」

 あの小屋では、よく見ることがなかったが、確かに顔つきはエミリオに似ているように思える。瞳の色は治癒魔法を得意とするものに多い薄緑色をしている。癒師というのも嘘ではないであろう。

「エルネスト・マルロです。あの、兄さんは……」
「後ろの部屋に寝かせている。着いて来い」

 書類を机に置き、執務室から繋がる部屋へと向かう。ここを執務室と選んだのは、もとよりそう使われていた形跡があったのもあるが、隣接する仮眠室があったからだ。そこを自室として整えて、エミリオを寝かせてある。

「兄さん……そんな……」

 エミリオを見たエルネストの顔が青ざめる。……そんなに状態が悪いのだろうか。静かに涙を零し始めたエルネストから聞き出すことも出来ず、ハンスへと視線を向けた。

「落ち着いたら執務室へ連れて来い。私は仕事に戻る」
「よろしいので?」
「なにがだ」
「いえ……了解しました」

 エミリオの側にエルネストを降ろしたハンスに見送られ執務室へと戻る。他人が自室にいるということに落ち着かないが、あの場に自分がいることも絶えられない。自分がこんな感情を持っているとは思わなかった。
 執務室へ戻り、没頭するように書類を確認していく。捕虜の扱い、軍糧の確保、消耗した武具の補給。それが終われば帝国への報告を纏める。戦死者の書類に私が殺した男達も含めておく。あれらは先走り死んだ。それが事実だ。
 帝国への報告書を纏め終わった頃、エルネストを抱えたハンスが執務室へと戻ってきた。エルネストの目元は赤く腫れているが落ち着いているようだ。

「……今のエミリオについて聞かせてもらえるだろうか」

 私の言葉にエルネストが小さく頷いた。

「今の、兄さんは……ゆっくりと死に向かっている状況です。あの状態は……番を失ったΩや番がいながら……無理矢理、犯された……Ωに……見られます」
「……あれに、番がいたのか」
「いるわけないじゃないですか!未だに、僕でもわかるようなフェロモンが出てるのに!僕だって……どうして兄さんがあんな状態になってるのか知りたいくらいだ!」

 搾り出すように、エルネストが叫ぶ。……そうか、そうだ。エミリオのフェロモンは私も感じていた。それなのに、エミリオに番がいた可能性があるというだけで、それすら頭から消えていた。私はどうやら、エミリオが絡むとおかしくなるらしい。だが……番か……。

「……もし、エミリオが自身の運命の番の存在を知っていたら……あの状態になる可能性はあるのか」
「なにを……まさか……」

 エルネストの顔から血の気が引く。

「……私がエミリオの運命の番だ」
「なんで……どうして……どうして、あなたなんかが!自分が、どれだけ兄さんを苦しめてたかわかりますか!あなたに、仲間を殺されて!助け切れなかったことを悔やんで!それでも!国の為に、戦い続けて!それなのに、あなたが兄さんの運命の番だなんて!……兄さんも、馬鹿だ……そんな人を好きになるなんて……、そんな人がいるのに……僕を庇おうとするなんて……なんで、なんで……」

 声をあげ、泣き出したエルネストにハンスが睡眠魔法を使って眠らせる。泣きはらした目をしながら眠るエルネストに安堵する。あのまま、泣かれ続けていたら……私は自身の犯した罪の重さに狂いかねなかった。……いや、すでにおかしくなっているか。
 
「ヴィルヘルム様……大丈夫ですか?」
「ああ……大丈夫だ」
「大丈夫には見えませんよ。……休んだらいかがですか」
「いや……仕事をしている方がマシだ」
「重症じゃないですか……」

 露骨にため息を吐くハンスに苦笑する。私も自分がここまでとは思っていなかった。

「私はエルネストを部屋に戻してきますが、私がいない間に馬鹿な事しないでくださいよ」
「するわけないだろう。それと……戻ってこなくていい。しばらくそいつについていろ。それを一人にしておくのも、お前の気が気でないだろう」

 あれだけ感情を吐露しただけあって、今のエルネストの精神状況は不安定そうだ。馬鹿な事をするのは私より、エルネストの可能性が高いだろう。

「……わかりますか?」
「お前はわかりやすい。……それはお前の運命か?」
「ひどい事聞きますね。俺が出来損ないなのは知っているでしょう?」

 ハンスが眉を寄せる。言葉が崩れているが、自覚はないだろう。公私混同しない男ではあるが、予想外の質問に崩れたと見える。

「その割には随分気にかけているだろう。フェロモンがわからなくとも、気にかけるなにかはあるんじゃないか?」

 私がハンスに限って、Ωのフェロモンに当てられることはないと判断した理由に、ハンスのフェロモン関係の機能が機能不全ということがある。ハンスは生まれながらにフェロモンを発する事も、感じることもできない。それゆえに、出来損ないと言われていた経緯がある。

「……なんか、わかんないんですけど……気になって仕方ないんですよ。運命かはわからないし……俺なんかが番えるのかもわかんないですけど」
「なるほどな」

 腕の中にいるエルネストを大事なもののように抱えなおすハンスに答えは出ているようなものだと思うが、本人が自覚するまでは放っておいていいだろう。

「……目覚めたら、今のエミリオに出来ることはないか聞いておいてくれ。諦めるつもりはないのでな」
「わかりました。……様子は見に来ますがちゃんと休んでくださいよ」
「いらん。それぐらいの管理は出来る」

 さっさと連れて行けと追い払うように手を払うと呆れたような顔をしてハンスが執務室を出て行った。それを見送り、一つ息を吐くと、静かになった執務室で仕事に戻る。エミリオに対しての不安を抱えながら、それを忘れるかのように書類へと向き合った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

顔も知らない番のアルファよ、オメガの前に跪け!

小池 月
BL
 男性オメガの「本田ルカ」は中学三年のときにアルファにうなじを噛まれた。性的暴行はされていなかったが、通り魔的犯行により知らない相手と番になってしまった。  それからルカは、孤独な発情期を耐えて過ごすことになる。  ルカは十九歳でオメガモデルにスカウトされる。順調にモデルとして活動する中、仕事で出会った俳優の男性アルファ「神宮寺蓮」がルカの番相手と判明する。  ルカは蓮が許せないがオメガの本能は蓮を欲する。そんな相反する思いに悩むルカ。そのルカの苦しみを理解してくれていた周囲の裏切りが発覚し、ルカは誰を信じていいのか混乱してーー。 ★バース性に苦しみながら前を向くルカと、ルカに惹かれることで変わっていく蓮のオメガバースBL★ 性描写のある話には※印をつけます。第12回BL大賞に参加作品です。読んでいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします(^^♪ 11月27日完結しました✨✨ ありがとうございました☆

婚約破棄された俺の農業異世界生活

深山恐竜
BL
「もう一度婚約してくれ」 冤罪で婚約破棄された俺の中身は、異世界転生した農学専攻の大学生! 庶民になって好きなだけ農業に勤しんでいたら、いつの間にか「畑の賢者」と呼ばれていた。 そこに皇子からの迎えが来て復縁を求められる。 皇子の魔の手から逃げ回ってると、幼馴染みの神官が‥。 (ムーンライトノベルズ様、fujossy様にも掲載中) (第四回fujossy小説大賞エントリー中)

魔力ゼロの無能オメガのはずが嫁ぎ先の氷狼騎士団長に執着溺愛されて逃げられません!

松原硝子
BL
これは魔法とバース性のある異世界でのおはなし――。 15歳の魔力&バース判定で、神官から「魔力のほとんどないオメガ」と言い渡されたエリス・ラムズデール。 その途端、それまで可愛がってくれた両親や兄弟から「無能」「家の恥」と罵られて使用人のように扱われ、虐げられる生活を送ることに。 そんな中、エリスが21歳を迎える年に隣国の軍事大国ベリンガム帝国のヴァンダービルト公爵家の令息とアイルズベリー王国のラムズデール家の婚姻の話が持ち上がる。 だがヴァンダービルト公爵家の令息レヴィはベリンガム帝国の軍事のトップにしてその冷酷さと恐ろしいほどの頭脳から常勝の氷の狼と恐れられる騎士団長。しかもレヴィは戦場や公的な場でも常に顔をマスクで覆っているため、「傷で顔が崩れている」「二目と見ることができないほど醜い」という恐ろしい噂の持ち主だった。 そんな恐ろしい相手に子どもを嫁がせるわけにはいかない。ラムズデール公爵夫妻は無能のオメガであるエリスを差し出すことに決める。 「自分の使い道があるなら嬉しい」と考え、婚姻を大人しく受け入れたエリスだが、ベリンガム帝国へ嫁ぐ1週間前に階段から転げ落ち、前世――23年前に大陸の大戦で命を落とした帝国の第五王子、アラン・ベリンガムとしての記憶――を取り戻す。 前世では戦いに明け暮れ、今世では虐げられて生きてきたエリスは前世の祖国で平和でのんびりした幸せな人生を手に入れることを目標にする。 だが結婚相手のレヴィには驚きの秘密があった――!? 「きみとの結婚は数年で解消する。俺には心に決めた人がいるから」 初めて顔を合わせた日にレヴィにそう言い渡されたエリスは彼の「心に決めた人」を知り、自分の正体を知られてはいけないと誓うのだが……!? 銀髪×碧眼(33歳)の超絶美形の執着騎士団長に気が強いけど鈍感なピンク髪×蜂蜜色の目(20歳)が執着されて溺愛されるお話です。

推しのために、モブの俺は悪役令息に成り代わることに決めました!

華抹茶
BL
ある日突然、超強火のオタクだった前世の記憶が蘇った伯爵令息のエルバート。しかも今の自分は大好きだったBLゲームのモブだと気が付いた彼は、このままだと最推しの悪役令息が不幸な未来を迎えることも思い出す。そこで最推しに代わって自分が悪役令息になるためエルバートは猛勉強してゲームの舞台となる学園に入学し、悪役令息として振舞い始める。その結果、主人公やメインキャラクター達には目の敵にされ嫌われ生活を送る彼だけど、何故か最推しだけはエルバートに接近してきて――クールビューティ公爵令息と猪突猛進モブのハイテンションコミカルBLファンタジー!

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき(藤吉めぐみ)
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

白金の花嫁は将軍の希望の花

葉咲透織
BL
義妹の身代わりでボルカノ王国に嫁ぐことになったレイナール。女好きのボルカノ王は、男である彼を受け入れず、そのまま若き将軍・ジョシュアに下げ渡す。彼の屋敷で過ごすうちに、ジョシュアに惹かれていくレイナールには、ある秘密があった。 ※個人ブログにも投稿済みです。

悪辣と花煙り――悪役令嬢の従者が大嫌いな騎士様に喰われる話――

BL
「ずっと前から、おまえが好きなんだ」 と、俺を容赦なく犯している男は、互いに互いを嫌い合っている(筈の)騎士様で――――。 「悪役令嬢」に仕えている性悪で悪辣な従者が、「没落エンド」とやらを回避しようと、裏で暗躍していたら、大嫌いな騎士様に見つかってしまった。双方の利益のために手を組んだものの、嫌いなことに変わりはないので、うっかり煽ってやったら、何故かがっつり喰われてしまった話。 ※ムーンライトノベルズでも公開しています(https://novel18.syosetu.com/n4448gl/)

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

処理中です...