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1巻

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   1 悪夢と誰かの記憶


「僕は正統なこの国の後継者だ! リスティヒがそう言っていた! 母様だってそれを望んでいたと!」

 断頭台の上で、私の……僕の可愛い子が叫んでいる。
 記憶にあるより、ずっと成長している姿だったけれど、さらりとした金髪も、ルビーのような輝く瞳も、長いまつ毛におおわれたぱっちりとした目も。どれもこれも僕の記憶にある、あの子の面影を残していた。

「いやだ、いや……死にたくない!」

 迫りくる終わりの時を拒むかのようにあの子が、アグノスが泣き叫ぶ。しかし取り囲む民衆は彼を罵倒し、石を投げながら可愛いあの子の死を願う。

「っ……いや、なんで……たすけて、父さ……っ!」

 アグノスが僕に助けを求めると同時にその首が宙へ飛んだ。そして、断頭台の床に落ちたソレはコロコロと転がり、見開いたままの目が空を映す。
 その瞬間、知らなかった記憶があふれたのだった。


   ◆◇◆


「っ!? ……っ、はっ……はぁ……うえっ……」

 最悪の夢見に吐きそうになりながらベッドからる。ふらり、ふらりと、鏡台へ近づき、鏡を覗き込めば、そこには月明かりに照らされた僕の顔が映っていた。
 黒髪に薄紫の瞳。今の僕としては、見慣れた顔だ。だが、前の僕であれば、ファンタジーな色味で随分と美形になったなぁ、と思っただろう。

「ああ……夢だったら良かったのに……」

 夢見や思い出したことで頭がぐるぐるしているが、ポツリと零した言葉は僕の本心だ。今の僕は、今の僕……私? であって前の僕……前世の僕ではない。
 前世ではなんてことない社会人の一人だった。あえて言うなら、ファンタジー戦記が好きなライトノベル読者という感じだろうか。
 そして、今の僕は、僕が愛読していたファンタジー戦記の中に僅かに記されていた登場人物で、今見たばかりの悪夢に関連している人物。あの断頭台で首を落とされた悪役子息アグノスの名義上の父親である。

「どうして、ディロスなんかに……」

 ディロス。それは、小説の中でほんの数行出てきただけの人物だった。
 おんな侯爵こうしゃくに婿入りするがそれは白い結婚で、女侯爵に相手にされぬまま女侯爵の死後、間をおかずに死亡したと記されるだけの。
 読者にすらそんな存在いたなぁ……と、思われる程度の登場人物になってしまったことに頭を抱えつつ、今度は悪夢について考える。
 あの光景は、ディロスが見るはずのないものだ。あの子が処刑される時、ディロスはすでに死んでいるのだから。
 それなのになぜ僕は、アグノスの成長した顔を認識しているのか。
 小説には挿絵こそあったが、それはデフォルメされたキャラクター的な絵だ。一方、悪夢で見た光景は、現実と区別がつかないほど精巧なものだった。
 逆行、転生、予知夢。前世で知った言葉が浮かぶが、いずれにせよ今の僕がディロスであることには変わりなく、ここが小説の世界であることも間違いない。
 そして、このままであれば、あの子が……なにも知らず僕を純粋に父としたうアグノスがこの先の未来で処刑されることも。
 今の僕にとってここは現実で……アグノスは、血が繋がっていなくても可愛い息子で……

「アグノスを、助けなくちゃ……」

 小説のとおり進めば、アグノスはこの先、王族……王弟の血を引く子供として現王への反乱の旗頭はたがしらとして担ぎ上げられる。僕の妻の愛人の一人であった、侯爵家の筆頭執事の手によって。
 僕の死の真相は小説には書かれていなかったが、アグノスを祭り上げた黒幕から考えるに、僕に残された時間は短い。なぜなら昨日、妻が命を落としたから。
 昨日の晩、愛人の一人のところへ向かう途中に妻は……バリシア・ジナ・グラオザーム侯爵は、馬車の事故により死亡した。
 情熱的な赤い髪と激情を宿した桃色の瞳を持つ彼女は恋多き女性だったが、貧乏貴族のモデスティア伯爵家三男の僕をお飾りの夫として迎え入れた。
 気が弱く、外見も地味で実家の爵位も低い僕は、名義上の夫として飼い殺すには都合がよかったらしい。結婚式が終わった直後に、求めているのは夫という存在だけだと言われ、初夜すらなかった。
 その後、白い結婚のまま五年の月日が経ち、彼女は僕以外の男の種で妊娠した。そうして生まれたのがアグノスだ。
 その頃には、僕は彼女からぞんざいに扱われることに慣れ、日々無難に過ごせるのならそれでいいと思っていた。だから彼女が妊娠したことについて、怒りも悲しみもわかなかった。
 金髪で薄紅色の目をしたアグノスが生まれた時、ああ、瞳だけは彼女に似ているな、と思ったのを覚えている。
 その後、アグノスが乳母うばに預けられたままになっていることを不憫ふびんに思い、また、乳母うばから教えられるままに僕のことを父親と慕ってくるアグノスを突き放すほどの気概もなく、父子おやことして交流を持つうちに純真なアグノスが可愛くて仕方がなくなった。
 それは息子というより、親戚の子供に向けるような感情だったかもしれないけど、それでも屋敷でお飾りの婿として扱われている僕にとってアグノスは確かに救いだったのだ。
 そんなアグノスが十二年後に処刑される。そして、僕の命も限られている。
 どうすれば、僕達が死の運命から逃げられるのか、必死に頭を回転させた。
 いくら前世の僕が戦記モノが好きだったとしても、今世の僕は下級伯爵家の生まれ。できる限り学ばせてもらったものの、それでも受けた教育は兄達に劣り、暗躍しているであろうグラオザーム家の筆頭執事に太刀打ちできるものではない。
 女侯爵の伴侶だけど、なんの仕事にも関わっていないし、彼女が亡くなった時の実権は筆頭執事で愛人であるリスティヒにある。それこそ今のように。だからこそ、僕は妻である彼女の葬儀の準備もせず、惰眠をむさぼっていられるのだ。
 おそらく葬儀の後も、筆頭執事のリスティヒが侯爵家の実権を握ることになると思うのだが……そうなったらリスティヒは、アグノスの正式な後見人として振る舞うべく、僕を殺すのじゃないかと疑っている。アグノスを傀儡かいらいとして反乱の旗頭はたがしらにした彼の行動を知る身としては、この仮説が正しいと思う。
 僕だけで無理なら実家を頼ることも考えた。だけど、そこから巻き返せるイメージがわかず、僕は頭を抱えた。
 悩みに悩んで外が白み始めた頃……もういっそのこと、国王陛下にぶっちゃけてしまった方がいいのじゃないだろうかと思い至った。ぶっちゃけるといっても、この先の未来をではなく、この家の悪事についてだが。
 この家、グラオザーム侯爵家は代々続く名家だが、おそらく先代の頃から領地に圧政を敷いたり、貧民を奴隷として売り飛ばしたりなど、様々な悪事をしている。その全てをうまく隠しているあたり、先代もバリシアもやり手なのだろう。
 証拠らしい証拠は、前世で読んでいた小説でも、反乱を起こすまで隠し通されていた。飼い殺しのお飾り婿とはいえ、侯爵家で過ごし、領地にも行ったことがある私ですら気づかなかった。
 だけど、幸い今の僕には前世の記憶による知識がある。書類の隠し場所が、小説と変わっていなければ僕の知る場所にあるはずだ。
 本当にそこにあるのか確認したいが、バリシアの葬儀で忙しくても、今まで大人しかった僕が動き出したらリスティヒが怪しむと思う。そうしたら僕に残された時間がさらに短くなるのは目に見えている。
 しかし、行き当たりばったりで国王に虚偽の報告をしたら、罪に問われるかもしれないし、そうなったら命を落とす可能性だって高い。……だけど、無駄死にするよりはいいかもしれない、と僕は覚悟を決めた。
 部屋を出て、忙しくしているだろう執務室のリスティヒのもとへ向かう。

「リスティヒ。話がある」
「なんですか、忙しいのに」

 執務室に入り、リスティヒに声をかけると、イライラしたような声が返ってくる。
 いつも綺麗に撫でつけられていた黒髪はいくつか房が落ち、メガネの向こうにある鋭い切れ長の目の下にはうっすらとくまが浮かんでいる。
 バリシアの葬儀のすべてを取り仕切っているからだろう。常に余裕の表情を浮かべていた男とは思えないほど疲れている。
 僕は平静をよそおい口を開いた。

「バリシアの葬儀の日までアグノスを連れて実家に帰りたい」
「なにを言っているのですか?」

 リスティヒが顔を上げ、メガネのレンズの向こうからいぶかしげな視線を向ける。

「館が騒がしいから、アグノスが落ち着かないと思って。バリシアが亡くなったことはまだ話していないけど……理解するのも難しい歳だと思うし、葬儀の日までは落ち着いた場所で過ごさせてあげたいんだ」

 アグノスの世話役も乳母うばもいない状況なのだから、僕とアグノスは他所よそへ行っていた方が手がかからないだろうって雰囲気を出した。
 バリシアの訃報ふほうを受け、屋敷の人間は忙しそうに駆け回っている。リスティヒだってそうだ。
 だからここに活路があるんじゃないかと思い、続ける。

「葬儀のことは君がやってくれるから、私は必要ないだろう? アグノスも部屋に閉じ込められるよりいいだろうし、どうかな?」

 リスティヒの顔色をうかがうような弱気な笑みを浮かべる。

「……いいでしょう。期日が決まったら、ご実家に使いを出します」

 僕の笑みを見て、リスティヒは興味を失ったかのように書類に視線を戻した。
 前世を思い出した後も、十年侯爵家で過ごす間に身についた困ったような笑い方を忘れていなかったのが幸いした。

「ありがとう。助かるよ」

 ホッとしてリスティヒに礼を言い、執務室を後にする。そして、自室に戻ってようやく心から安堵し、鍵を締めた部屋の中でポツリと言葉を零した。

「リスティヒに余裕がなくて良かった……」

 もし、リスティヒに余裕があったら僕の穴だらけの言い訳なんて、通用するはずがない。アグノスはこの家の跡取りだし、リスティヒはアグノスが王弟殿下の血を引いていることを知っている。正気であれば、そんな存在を外に出そうとは思わないはずなのだから。
 今回は、運が良かっただけ。彼に余裕がなく、僕自身が彼からあなどられているから掴めたまぐれの勝ち筋だった。
 彼と対峙たいじした緊張からか未だに心臓が早鐘を打ち、手には嫌な汗がにじむ。だけど、休んでいる暇なんてない。彼が、僕に与えた許可を間違った判断だったと気づく前にこの家を出なければならないのだから。
 となれば、急いで実家に帰るための準備をしよう。いつもなら、侍女に任せるけれど、今は人手がないし、元々僕付きの侍女などいないようなものだ。前世を思い出す前なら、戸惑っただろうけど、今は前世の記憶がある僕だからなんとかなった。そんなことを考えながら高価だろう服を手荒に鞄に押し込むことになったけど……些細ささいなことだと思うことにしよう。
 手早く実家に帰るための準備をして、アグノスの部屋へ向かう。

「アグノス? 入るよ」

 ノックをして、声をかけるが返事はない。どうやらまだ寝ているらしい。バリシアの葬儀の準備で皆忙しいから起こしてもらえなかったのだろう。
 部屋に入ると大きなベッドの上に毛布を被った小さなふくらみが見える。歩み寄ると、毛布にくるまって丸くなり、いくつもの枕に包まれるようにして眠るアグノスがいた。

「アグノス。朝だよ」
「ん……んー……」

 小さな肩を軽く揺らすと、眠そうにしながらもアグノスがまぶたを開ける。

「んー、ん……とー、さま?」

 不思議そうに僕を呼ぶアグノスが可愛くて、こんな状況だというのに思わずなごんでしまった。僕のアグノスはこんなにも可愛いのだ。

「そうだよ。おはよう」
「おはよぅ、ございます……」

 目をこすりながら僕を見上げるアグノスに笑みを浮かべて、頭をでる。ストレートなのにふわふわと柔らかい金髪が指をくすぐる。からまることなくすり抜けていく感覚が心地よく、時間がないのに何度も撫でたくなってしまう魅惑の触り心地だった。

「とうさま、なんでいるの?」

 撫でられているうちにだいぶ目が覚めてきたのか、アグノスがベッドからのそのそと起き上がり、不思議そうに見上げてくる。そして、その可愛さに僕は打ちのめされた。
 柔らかな金髪と薄紅色の瞳の収まるぱっちりとした目。ふくふくとしたっぺたに小さい鼻とつんとした唇。その全ての配置が完璧だと思えるほどの愛らしさだ。
 前世を思い出したからか、いつも以上に可愛く見えるアグノスに頬が緩みそうになるのを堪え、穏やかな笑みを浮かべる。

「今日はお出かけするからアグノスを呼びに来たんだよ」
「っ! おでかけ!」

 お出かけという単語を聞いて、アグノスの薄紅色の瞳がキラキラと輝いた。
 アグノスは、まだ外出したことがない。貴族の子供のお披露目は十歳を超えてから。それまでは、外に出すことはなく、家の中だけで育てるのが慣例なのだ。
 それゆえにアグノスはバリシアが出かけるたびにうらやましそうに見ていた。十歳を迎えるまで外に出られないと言い聞かせていたから、自分も外出したいと言い出すことはなかったが……外出というものに強い憧れがあるのはわかった。

「そう、お出かけ。父様の父様と母様……アグノスのお祖父様とお祖母様のお家に行こうね」
「おじいさまとおばあさまのおうち! いきたい! とうさま! ぼくもいく!」
「うん、アグノスも準備しようね」

 はしゃぐアグノスをなだめつつ、身支度を整えて、泊まりの荷造りも行う。自分の時より丁寧にしてしまうのは親としてのさがだろうか。
 そうして、アグノスの準備を整え、軽い朝食を取ってから、荷物とアグノスを抱えて馬車へ向かった――のだが、玄関にリスティヒが立っていた。
 ……まさか、もう考え直したのだろうか。不安に思いながら彼の前へ進む。

「お待ちしておりました」

 リスティヒが僕の姿を認め、口を開く。

「アグノス様をそのまま外に連れ出すのはいささか問題があると思いまして……こちらを」

 そう言ってリスティヒが差し出したのは、一つのネックレス。それをアグノスの首にかけると、アグノスの髪と瞳の色が黒く染まった。

「これは……」
「見た目を変える魔道具です。瞳の色はディロス様の色と違いますが、今のままよりは、モデスティア伯爵家の方々が驚かないでしょう」
「……ありがとう。助かるよ」

 僕達のやり取りを聞きながらアグノスが首を傾げる。自分の色が変わったことに気づいていないのだろう。しかし、こういう魔道具は初めて見た。なぜ彼はこんなものを持っているのか? 不思議に思いながらも、引き止められなかったことに安堵した。

「それでは、いってらっしゃいませ」
「ああ、いってくるよ」
「いってきまーす!」

 リスティヒに見送られ玄関を出ると、すでに馬車が用意されている。そして、リスティヒが手配した御者ぎょしゃと護衛が並んでいた。

「……忙しいところすまないね。よろしく頼むよ」

 声をかけ、アグノスを抱きかかえたまま馬車に乗り込む。御者ぎょしゃの手によって馬車の扉が閉められ、しばらくするとゆっくりと走り出した。

「とうさま! うごいてる!」

 窓の外を見て、景色が動いていることに興奮するアグノスを微笑ましく見つめる。屋敷の窓やバルコニーから馬車を見かける度に目を輝かせていたが、今日はそれ以上だ。
 嬉しそうなアグノスを眺めながら、ただのお出かけではないことが心苦しかった。だけど、アグノスは純粋に外出を楽しんでいた。
 アグノスと僕を乗せて、馬車はモデスティア伯爵家の屋敷へ向かう。実家に帰るのは十年ぶりだ。特に帰ることを禁止されていたわけではなかったのだが……グラオザーム侯爵家での扱いと実家での扱いを比べると、辛いだけだと思い帰らなかったのだ。
 そんなことを思い出しているうちに、モデスティア伯爵家にたどり着いたらしい。門で一度馬車が止まり、しばらくして再び進み出す。僕が住んでいた頃とは随分と変わった屋敷の庭を眺めていると、馬車が屋敷の玄関の前で止まった。

「到着いたしました」
「うん、ありがとう」

 御者ぎょしゃが馬車の扉を開けてくれるのを待ち、アグノスを抱えて降りる。

「おかえりなさいませ、ディロス様」
「うん、ただいま」

 僕らを迎えたのは、僕が産まれる前からモデスティア伯爵家につかえる家令のセリュー。十年見ないうちに歳をとったなぁ……と思いながら、僕は彼に笑いかけた。

「旦那様と奥様が客室にてお待ちです」
「うん、わかった」

 セリューの言葉に頷き、僕は後ろに控えていた御者ぎょしゃと護衛を振り返る。

「ご苦労。君達は帰っていいよ」
「いえ、私共はお二人についているようにリスティヒ様から命じられております」

 グラオザーム侯爵家の人間がいたら動きづらいので帰るようにうながしたのだが、さすがリスティヒというべきか……先手を打たれたようだった。
 どうするべきか頭を悩ませていると、セリューが口を開く。

「それは、我がモデスティア伯爵家がディロス様とそのご子息であるアグノス様に危害を加えると思っているということでしょうか? いくら、侯爵家の方々とはいえ、こちらを侮辱するような物言いはいかがかと」

 彼らしくない言葉に目を見開いていると、御者ぎょしゃと護衛が焦り出す。

「そういうことではなく……! できうる限り最善をということでして……!」
「では、お帰りを。十年ぶりに帰られた当モデスティア伯爵家のディロス様とそのご子息様であるアグノス様を守るのは、私共の役目。どうか、グラオザーム侯爵家の家令の方へもよろしくお伝えください」

 きっぱりと言い放った彼に、御者ぎょしゃと護衛はしぶしぶ引き下がる。

「……わかりました。お伝えしておきましょう」

 その言葉に、僕は内心ホッとした。このまま残られたら、せっかく実家に戻ってきたのになにもできずにグラオザーム侯爵家へ帰ることになりかねない。
 滞在を諦めた彼らは、馬車にのせていた僕らの荷物を近くにいた使用人に渡し、グラオザーム侯爵家へ戻っていった。
 それを見送り、僕は隣に立つセリューに視線を向けた。

「……ありがとう、セリュー」

 僕が強く出ていたら、リスティヒに怪しまれただろうから、セリューの行動はすごく助かった。

「いえいえ、久しぶりのご帰宅。婿入り先の者とはいえ、邪魔をされたくなかったのですよ」

 なんてことないように言うセリューだけど、おそらく僕が困っていることを察しての行動だろう。

「それより、早く旦那様達のもとへ向かいましょう。お二人のことを首を長くしてお待ちですよ」

 セリューの案内で両親の待つ客室に行くと、そこには、元は黒髪だったロマンスグレーの髪を撫でつけた父上と、いつまでも若々しい金髪を緩く肩から流した母上がいた。

「ご無沙汰しております、父上、母上」
「堅苦しい挨拶はいい。よく帰ってきた、ディロス」
「おかえりなさい、ディロス。なかなか帰ってこなかったから寂しかったのよ?」

 二人共にこやかに迎えてくれる。

「それで……その子が?」

 父上がアグノスへ視線を向ける。アグノスを見つめる父は嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「はい、この子がアグノスです。アグノス、お祖父様とお祖母様に挨拶できるかな?」

 知らない場所でキャパシティがいっぱいになったのか、アグノスは僕の体にしがみついている。

「おじいさまとおばあさま?」

 僕の言葉にアグノスがピクリと反応し、顔を上げた。

「そうだよ。お顔を見せてあげて」
「ん!」

 僕と視線を合わせたアグノスが笑みを浮かべて頷き、父上と母上の方へ顔を向ける。

「あぐのすです!」

 輝くような笑みを浮かべてアグノスが自己紹介をすると、父上と母上は嬉しそうに笑った。

「はじめまして、アグノス。ディロスの父親……君の祖父のマルクだ」
「あなたの祖母のジェナよ。よろしくアグノス」
「――っ! きゃぁぁぁぁぁぁ――っ!」

 父上と母上の挨拶に、感情が振り切れたのかアグノスが甲高い叫びを上げる。可愛い。可愛いけど、なかなか強烈だ。

「アグノス、アグノス落ち着いて」

 なんとかあやそうにもテンションの振り切れた幼児がそう簡単に止まるわけがない。

「とうさま! とうさま! おじいさま! おばあさまっ!」

 僕の腕の中で暴れるアグノスを必死で抱き続けていたら母上が笑った。

「ふふふっ……あの小さなディロスがちゃんとお父様をしているようで安心したわ」

 現在、親子揃って醜態しゅうたいをさらしていると思うのだけど、母上からしたら微笑ましい光景だったようだ。嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい。

「とうさま! おばあさまの、かみのけ! あぐのすといっしょ! いっしょ!」

 母上が自分と同じ金髪だということに気づいたアグノスがさらに興奮する。だけど、僕はその言葉にサッと青ざめた。
 今のアグノスは魔道具のネックレスの効果で髪色が変わっている。それなのに母上と同じ色だと言ったら、父上と母上は不審に思うだろう。

「ジェナと同じ……どういうことだ、ディロス」

 父上が困惑した表情で、アグノスを見つめる。

「その……今は説明できないのですが……」
「とうさま! おろして! おろして!」

 大人達の状況など気にすることなく、アグノスは僕の肩を叩く。

「ちょ、ちょっと……待って! 降ろすから!」

 このままだと落ちそうなアグノスをなんとか床に降ろすと、アグノスが母上の方へ走っていく。その時、僕の袖のボタンに引っ掛かったネックレスの細い鎖が千切れ、アグノスの本来の色があらわになった。

「なっ!?」
「あら……」

 アグノスの髪色を見て父上と母上が言葉を失う。

「おばあさま! かみ! いっしょっ!」

 僕がどう説明するべきか迷っている間にもアグノスは、母上のもとでぴょんぴょんと跳ねながら、自分の頭を指さした。

「……そうねぇ、同じ金髪ね」

 母上はアグノスと視線を合わせるように体をかがめ微笑むと、落ちたネックレスを手に取る。見た目を変える魔道具だと聞いていたそれは、母上の姿を変えることなく、その手に収まっている。
 ……壊れたのか? そう思った時、母上がそのネックレスをアグノスへ差し出した。

「アグノス、これを持ってみてくれるかしら?」
「……? うん!」

 ネックレスを握ると、アグノスの髪が黒色に変わる。母上には効果がなかったのになぜ? という疑問が浮かぶが、壊れていなかったことにホッとした。

「壊れてはいないようね。となると、ペンダントトップが魔道具なのかしら……?」

 首を傾げながらまじまじと観察していたが、一つ頷くとアグノスへ語りかける。

「アグノス。お祖母様と一緒にお話ししましょうか。ついでに、このペンダントトップを別のネックレスへ付け替えましょう」
「うん!」

 頷くアグノスと母上の様子に焦った。アグノスの相手をしてもらうのも、代わりのチェーンを借りるのも申し訳ないと思ったからだ。

「あの、母上……そこまでしてもらうわけには……」
「あら、いいのよ。事情がありそうだし、落ち着いて話がしたいでしょう? 可愛い孫の面倒は見てあげるから、ゆっくり話しなさい。その代わり、後で説明して頂戴ね?」

 僕の抱えているなにかに気づいているのであろう母上が僅かに表情を曇らせながら微笑む。

「わかりました……母上。アグノスをお願いできますか?」

 確かに、父上と話すならアグノスはいない方がいい。申し訳ないと思いながらも、お願いすると、母上は笑みを浮かべて頷いた。

「ええ、いいわよ。行きましょう、アグノス」
「ん!」

 そう言って母上は、アグノスと手を繋ぎ一緒に部屋を出ていく。あっという間に静かになった室内。僕と父上の間に沈黙が落ちる。なにから切り出すべきかと考えていたら、父上が口を開いた。

「とりあえず、座ろう。セリュー、なにか飲み物を」
「かしこまりました」

 セリューが客室を出ていくのを見送った後、父上と向かい合う形でソファーへ座る。

「さて……いろいろ聞きたいことはあるが……なぜグラオザーム侯爵の訃報ふほうが届いた今帰ってきたんだ? あの子のこともあるだろうが……それだけだとは思えん」

 さすがに父上には気づかれるかと内心苦笑する。

「理由は言えませんが、父上に王宮への取り次ぎをお願いしたいのです」
「……グラオザーム侯爵亡き今、お前が侯爵代理のようなものだろう。私を頼らずとも自ら謁見えっけんを申し込めるのではないか?」
「あの家では、僕はいないに等しいので……実権は筆頭執事が握っていますしね」

 父上は納得いかなそうに僕と似た顔をゆがめた。

「お前がいるのにか」
「それほど僕の地位は低いんです。彼女の噂は父上も耳にしたことがあるでしょう?」
「ああ」

 父上が渋い顔で頷く。
 僕と結婚してからも恋多き彼女は、社交界での噂の的だった。だから父上も僕の結婚を決めたことを後悔したというようなことを、以前夜会で顔を合わせた際零していたのを覚えている。

「それで、取り次ぎをお願いできますか?」

 これで断られたら父上に正直に話すしかないけど……できるなら、国王陛下に直訴するまでは僕だけの秘密にしておきたい。

「わかった。いつまでだ」
「できるならバリシアの葬儀の前に」
「……無茶を言う。だが、なんとかしよう」

 下級の伯爵家だから無理を言ってるのはわかる。それでもなんとかしようとする父上が頼もしかった。


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