今の君に伝えたい

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8.不幸を呼んで

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「あらまぁ、ずぶ濡れじゃない……ルナは見つかったの?
って、湊……? その子は……?」
 
家に着くなり、母親が出迎えて。
当たり前だが、湊の腕の中で眠っているカンナを目にするなり、戸惑っているようだ。
 
「タオルを頼む」
「それより、誰なのその子は? 何があったの? 警察は……」
「いや、警察はいらないから」
 
今はとにかく、カンナの冷え切った体を温めなければ。
 
湊はカンナを抱きかかえたまま、二階の自分の部屋へと向かった。
そして、ベッドに優しくおろす。
 
「ほら、タオル持ってきたわよ。……本当に、警察は呼ばなくていいのね?」
 
すぐに母親がタオルを手に、部屋へとやってきた。
それを受け取ろうとすると、ヒョイと母親が避ける。
 
「質問に答えなさい」
「この子は藤崎カンナ。オレの……大事な友達だから。事件とか、そんなんじゃない」
 
(……よな?)
 
そう、心の中で付け足した。
 
「じゃあ何があったの?」
「それは……あー。また今度ちゃんと話すから、今は勘弁してくれないか?」
 
正直に答えたところで、信じてもらえないだろう。
かといって、適当な理由も思いつかない。
 
湊は強引にタオルを奪い取ると、カンナの濡れた髪を、優しく拭きだした。
 
(目が覚めたら、まずは温かい風呂に入れてやらなきゃな。
風呂と温かいスープの準備をして…………)
 
カンナが自分の部屋にいる。
まるで、非現実的な光景に見えた。
まだ、夢でも見ているんじゃないかとさえ思えた。
 
けれど。
確かに、ここにいる。
カンナに触れているのだ。
 
「……ほら、母さんがやってあげるから、部屋の外で待ってなさい」
「いい」
 
どこかため息まじりに声をかける母親に、湊はカンナから目を離すことなく首を横に振って答える。
 
一分一秒とて離れたくないのだ。
目を離したら、またいなくなるかもしれない、という不安に襲われる。
 
すると。
 
ーーゴツン、
 
頭に、強い衝撃を受けた。
母親から、ゲンコツを食らったのだ。
 
「いってぇ……! なにすんだよ、急に!」
「なにすんだ、じゃないでしょ! あんた、寝てる若い女の子の着替えまでするつもり!?」
「え……?」
 
ようやく、湊は母親がお怒りの理由に気がついて。
数秒遅れて、みるみる耳まで顔を真っ赤に染めた。
 
 
「……まったく」
 
湊が部屋から出るのを確認して、母親はカンナの服をテキパキと脱がせ始める。
そしてタオルで拭いたあと、湊のタンスから適当なシャツとハーフパンツを取り出して、着せながら。
先ほどの、カンナを見つめる湊の表情を思い出していた。
 
「……あんな顔、雅ちゃんにだって向けたことないのに」
 
息子の“オトコの顔”を初めて見たことに、動揺を隠せなかった。
 
湊は、雅と三ヶ月後に結婚するのに。
 
なぜ、こんな時期に。
なぜ、雅ではないのか。
カンナというこの美しい女の子とは、どんな関係なのかーー。
 
「まぁ、あの子が雅ちゃんを傷つけるようなこと、しないか……」
 
湊は、雅のことを昔から大事にしてきた。
どんな事があっても、助けることはあっても傷つけるようなことはしない。
 
それは、言い切れる自信があるのだが。
……湊の雅への感情に、はたして恋愛的なものは含まれているのか。
 
いつまで経ってもおままごとのような付き合いを続ける湊たちを、半ば強引に結婚まで後押しをしたのはいいが……。
 
「もう入ってもいいか?」
「はいはい、いいわよ。お風呂を沸かしておくわ」
「ん」
 
湊に急かされた母親は、よいしょ、と立ち上がって湊の部屋を出ようと、カンナに背を向ける。
 
その瞬間を見計らうかのように
どこからともなく現れた影が、スゥー、とカンナに近づく。
そして、カンナの影に身をひそめるように、見えなくなる。
 
「ん……?」
 
母親と入れ替わり、部屋へと入る湊。
カンナに目をやると、何か影のようなものが動いたように見えたのだが。
 
(気のせい、か?)
 
カンナは先ほどと変わりなく、ぐっすりと眠っているようだ。
しかし、近づいてよく見てみると。
 
「……カンナ?」
 
悪い夢でも見ているのだろうか。
眉間にしわを寄せ、苦しそうな表情を浮かべていた。
 
「カンナ」
 
ぎゅう、とカンナの手を両手で包み込むようにして、握りしめる。
 
すると、ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ、眉間のしわが減り、表情もやわらいだ……気がした。
 
 
***
 
 
『あんたのせいよ』
『お前のせいで、みんなが不幸になる』
『この疫病神!』
 
暗闇の中。
 
うずくまり、三人の男女ーーいとこの家族に囲まれ責められている、幼いカンナ。
聞きたくなくて、必死に両手で耳を塞いだ。
けれど。
 
『あんたなんか、生まれてこなきゃよかったのに』
 
言葉の暴力は、おかまいなしにカンナの頭の中に直接聞こえてくる。
それでも、必死に耳を塞いでいると。
 
『もっと苦しみなさい……』
 
いとこ家族三人の声とは違う、聞きなれない女の声が、聞こえてきた。
 
(誰……?
どうして、苦しまなきゃならないの……?)
 
カンナが恐る恐る目を開けると。
いとこ家族の姿はいつの間にか消えていなくなり、代わりに、見知らぬ女が目の前に立っていた。
 
長くて黒い髪は、べっとりと濡れたように肌に張り付いている。
顔はほとんど髪で隠れているが、隙間から覗くそのうつろな目は、生気を感じられない。
 
一目見て。
彼女が人間ではない存在なのだと、カンナは悟った。
 
『今度は……あなたの周りの誰を不幸にしようかしら……?』
 
そう言いながらも
黒髪の女は、クイ、とカンナから視線を外して横を向くと、ニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
その笑みは、獲物を見つけたと言わんばかりの、背すじが凍りそうなもの。
 
黒髪の女の視線の先が気になって、カンナもそちらへ目をやる。
そこにはーー湊が立っていた。
 
(……だめ。
彼はだめ。
お願い、やめて。
お願いだから……!)
 
カンナが黒髪の女にそう訴えると、女はまたニヤリと楽しげな表情を浮かべる。
そして、女は何も言わずにスゥ、と消えていなくなってしまった。
 
(待って、お願い。
湊さんには、手を出さないで!!)
 
『カンナ』
 
湊のどこか心配そうな声が、聞こえてきて。
 
暗闇だった世界に、光が差し込んだ。
 
 
「う……」
 
体はひどく寒いと感じるのに。
左手にだけ、優しい温もりを感じた。
 
カンナがうっすらと目を開けると、目に映るのは見慣れぬ天井だった。
温もりを感じる左手へと、ゆっくり視線を移動すると。
 
「……気がついたか?」
 
湊が心配そうな表情を浮かべ、カンナを見下ろしていた。
左手の温もりの正体は、湊が両手で包み込んでいるから。
 
(……温かい)
 
カンナは、じわりと涙腺が緩むのを感じ
フイ、と顔を見られないように湊から背けた。
 
「だ、大丈夫か? もしかして、どこか痛いのか??」
「……大丈夫」
 
涙を堪えながら、ポツリと答えると
湊の温かい手が戸惑いがちに、カンナの頬に触れてきた。
 
あまりにも優しく触れられて。
あまりにもその温もりが嬉しくて。
 
ついに、カンナはポロポロと涙を流してしまった。
 
「なぁ……こっち向けって」
 
優しい声。
それと同時に、少し不安そうな声にも聞こえた。
 
カンナは涙を拭いながら、フルフルと首を横に振る。
 
泣き顔を、こんな弱い自分を、湊には見せたくなかった。
甘えてしまいそうで、怖かったのだ。
なのに。
 
「頼む……」
 
湊の口から聞こえるのはーー今にも泣き出しそうな、弱々しい声で。
 
カンナは、ゆっくりと背けていた顔を、湊の方へと向けた。
そして、視線がようやく絡まる。
と同時に。
 
「……ッ」
 
湊の背後を、不自然に動く、影。
 
影はゆっくりと人の形に変化すると、ニヤリと笑みを浮かべたように見えた。
 
「あ……」
 
カンナは、先ほど見た夢の内容を思い出し
カタカタと、体が小刻みに震えだす。
 
『今度は……あなたの周りの誰を不幸にしようかしら……?』
 
あれは、ただの夢じゃない。
 
そう、確信してしまったのだ。
自分には、何か恐ろしいものが憑いている、と。
 
「……寒いのか? 今、母さんが風呂を準備してくれて」
「わ、私……もう行かなきゃ……」
 
まだカタカタと震えながら。
カンナはそれだけをなんとか、口にした。
 
「え? 行くって、どこに?」
 
どこでもいい。
とにかく、湊から離れなければ。
そうしなければ、取り返しのつかないことになりそうで。
 
カンナは質問に答えることなく、気だるく重い体を無理やり起こす。
そして、ベッドから降りようとするのだが。
 
「カンナ、」
 
急に起き上がったせいか、フラリとめまいがしてバランスを崩してしまい。
湊がカンナの上半身を、ガシッと抱きかかえるようにして支えてくれた。
 
「ッ、」
 
ドクンドクンと、胸の音がうるさく鳴り出す。
……頬が、耳が、熱くて仕方ない。
 
「……なにに、怯えてるんだ?」
 
カンナの体をそのまま抱きしめるように、湊の手がカンナの背中へと優しくまわされる。
 
まだ、震えていたからだろう。
それに、体が冷えていたから。
だから、宥めるために。温めるために。
 
(……それだけ。
他に、理由なんかない)
 
カンナは自分にそう言い聞かせながら、ゆっくりと目を閉じる。
 
湊の腕の中は、とても安心できた。
温かくていい匂いがして。
……とても、居心地がよかった。
 
「……私と関わったら、あなたが不幸になる」
 
彼はもうすぐ、結婚をする。
家庭的で優しくて、とても女の子らしい女の子……雅と。
 
彼女となら、必ず幸せになれるだろう、とカンナはずっと思っていた。
 
猫になってからの一年間。
ずっと、ずっと湊のことを見てきた。
だから、分かるのだ。
 
そんな湊を、不幸にしてはいけない。
……したくない。
 
「不幸って……あ! もしかして、あの親戚のやつらに言われたこと気にしてんのか? カンナが疫病神なんて、そんなわけないだろ!」
 
湊は、バッとカンナから体を離し、肩をつかんで少し怒ったような表情でそう言ってきたが。
カンナは、小さく首を横に振る。
 
カンナは湊の腕を軽く押し返すと、ニコリと笑みを向けた。
そして。
 
「必ず……いつかどんな形になっても、お礼をする。この恩は、一生忘れない」
 
せめて最後くらいは、笑顔でお別れを言いたい。
今度は、猫としてではなく、ちゃんと一人の人間として。
 
「あなたのおかげで、もう一度……生きたいって思った。……幸せになりたいって、思ったから」
 
少し声が震えてしまったけれど。
カンナはもう、涙を流すことはなかった。
 
 
そんなカンナに、湊はというと。
困惑を、隠せなかった。
 
「……オレが、」
 
幸せにしてやる。
 
そう、口に出してしまいそうになるが、グッとこらえて言葉をのみこむ。
 
そんな言葉、婚約者のいる自分に言う権利は、まだない。
それくらい、分かっているのだ。
けれど。
 
「そんなフラフラで、どこに行くつもりだ? せめて、体を休めてから……」
「いい、平気」
 
本当は、行くあてなどないのではないか。
湊は、何となくそう感づいた。
なぜなら、先ほどからカンナは質問に答えようとはしないからだ。
 
それに、何故だろうか。
目を覚ましてから、彼女はずっと顔色が悪い。
何かに怯えているようにも見える。
 
「なぁ、話してくれ。力になるから」
 
カンナのためなら、何だってしてやりたい。
……何だってできる。
困っているのなら、力になってやりたいから。
 
しかし。
カンナは首を横に振ると、ベッドから降りた。
だから、その手首を慌てて掴むと。
 
「あなたじゃ……力になれない」
 
目を合わせることなく。
カンナが、冷たい声でポツリとそうつぶやき、湊の手を払いのけた。
 
「……なんだよ、それ。
力になれないなんて、なんで決めつけるんだ?」
「もう放っておいて」
 
部屋のドアへと向かうカンナを、慌てて追いかける。
放っておけるわけがないのに。
何故、カンナは自分から離れようとするのだろうか。
 
「……迷惑なの。余計なお世話」 
 
ーー迷惑。
その言葉を聞いた瞬間、何かがはじけたような、そんな気がした。
 
「……きゃっ、」
 
思わず、ダン、とカンナの体を壁に押し付けていて。
そのまま、躊躇なくカンナの唇に、自分のソレを押し付けた。
 
柔らかくていい匂いがして、甘くて。
ずっとこのまま味わっていたいな、と湊はぼんやり思う。
けれど、
 
「ッ……」
 
ただ重ねるだけでは、物足りなかった。
舌先でカンナの柔らかな唇をベロリと舐めると、驚いたのか反射的に開く小さな唇。
そのわずかに開いた隙間に、自分の舌をねじ込んだ。
 
「んっ……」
 
始めは湊の胸を押し返していたカンナの手から、次第に力が抜けていく。
それでも湊は、後頭部と腰に回した手の力を、緩めることができなかった。
 
そしてさらに、逃げ惑う彼女の舌を追い、自分の舌を絡めた。
どちらのものか分からない唾液が、口の端からこぼれる。
 
カンナのギュッと閉じた目じりからは、涙が流れていた。
その涙を見て、鮮明に思い出されるのは。
 
(なんだよ……。
そんなに、イヤなのか?
じゃあ、なんで2回もオレにキスしてきたんだ。
 
なんで、あの時)
 
「オレのこと……お前の人生の全てだって、そう言った」
「……!」
「だからオレはあの時、」
 
洞窟での別れの時。
湊にキスをしたあと、カンナは確かにそう、口にした。
 
『あなたは……私の人生の、全てなの。
だから、お願い。生きて。幸せに、なって……』
 
涙を、流していた。
とても、とても悲しげな目をしながら。
ーーだから。
 
「……オレはあの時。
お前が手遅れだっていうんなら、せめて一緒に死んでやりたいって、そう思った」
「……!?」
 
目を見開き、湊を見上げるカンナ。
信じられない、と言わんばかりの表情だった。
 
湊がカンナの体をギュウ、と強く抱きしめた。
……次の瞬間だった。
 
ーーパリン!!
 
「……きゃあ!!」
 
一階から、ガラスの割れる音と、雅の悲鳴が聞こえてきたのは。
 
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