嘘はいっていない

コーヤダーイ

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5ラミ

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 サキは暗い水の底から浮き上がるように浮上し、目を覚ました。夢だったかと額に手を乗せれば、擦り剥けた手首が目に入った。身体はどこも痛くない、と上半身を起こしてみればラミとマティアスに挟まれて眠っていたらしい。両親と眠ったのは初めてどころか、寝室に入ったのすら初めてであった。
 誘拐事件でマティアスが助けにきてくれたところまでは憶えている、と考えて。ふいにベタベタした手でまさぐられた感覚、尻を舐められた感覚が蘇り思わず縮こまって震える。

「どーしたのぉー」

 よく眠っていたはずのラミが目を半分開けてむにゃりと笑っていた。手を伸ばしてきたと思ったら、そのまま身体ごと抱き寄せられて、また布団のなかに潜り込まされていた。肌触りの良い夜着を着たラミからは、花の香りがする。

(あたたかい……)

 触られて舐められて気持ち悪かったけれど、でも無事だ、ちゃんと生きている。前世での最期の記憶を思い出す、誰も滑っていない白い雪、粉雪を切って滑る爽快感、もうきっと止まることなどできないというスピードで落ちるように進む顔に当たる風。僕はサキで、今は、生きている。両親がいて、いなくなったらちゃんと探してくれる。怖くて泣きそうになったら、気がついてこんな風に抱きしめてくれる。そして今は、花の香りに包まれている。あたたかい。

 サキはそのまま眠ってしまった。震えは治まって、ラミの腕の中でスゥスゥと寝息を立てている。

「ふふっ、子供ってかわいいなぁ」

 ラミがそう言ってサキの顔を覗き込んで笑うのを、肘をついて枕にしたマティアスは不思議な気持ちで眺めていた。昨夜サキが襲われたあと夜もだいぶ更けてから転移魔法で帰宅したのだが、ラミが屋敷にいて起きて待っていた。執事が呼んだのかとそちらを見れば、着替えもせずに待っていたネストリは首を振る。カティは目を腫らしていたが、無事戻ったサキの寝顔を見るとまた手にした布巾を涙で濡らした。

「サキの魔力と精気がすごく乱れたから、何か怖いことでもあったのかと思って」

 何でもないようにラミが言う、人間にはどんなに欲しくても持ちえない特殊能力である。サキとマティアスとで開発中の魔法のひとつを、ラミはサラリと扱っているのだ。
 
「泣いてたらかわいそう?だから戻ったの」
「お前がわかるのはサキのことだけか(なぜ疑問形なんだ)」
「んーん、マティアスのこともわかるよぉ」

 にっこり笑ったラミが背伸びして、マティアスの頬にキスをする。

「マティアスにも怖いことがあったら、来てあげるからね」

 だけど今はこっち、とラミはマティアスの腕に抱かれて眠るサキの頬を撫でた。

「精気がうんと弱まってる、連れてきてマティアス、一緒に寝るから」

 おやすみー、とネストリとカティに挨拶をすると、ラミは階段を上がっていった。薄茶色の髪がふわふわと跳ねている。一緒に寝るのが何になるのか、相変わらずラミの話に説明はない。だがラミなりにサキのことを心配しているのだろう、魔族としての半分の血のことはわからないのだから、ラミの言う通りにするべきだ。眠るサキの身体は驚くほど軽い、マティアスは険しい表情のまま階段を上がっていった。

「サキを真ん中に置いてぇ、マティアスもそっち。おやすみー」

 ベッドの真ん中にサキを置いて二人の身体で挟むように横になると、ラミはあっという間に眠った。何の説明もなくなぜこれが必要なのか理解できないまま、マティアスは不本意ながら目を閉じた。サキを見つけたとき、そのまま失ってしまうかと思った。魔法の研究や、不思議な文字で描くお札や、これから作ろうとしていた魔導具など全てがどうでもよく。サキが笑って父さん、と言うのがもう聞けなくなるのかと思ったら胸がひどく軋んだ。

 サキに手を出した愚か者をその場で消し去ろうとして、冷静さのわずかな欠片がそれを押し止め、目に見えぬ最奥の地下牢に転移させるに留めた。アレは自分で動けるほど賢くはない男だ、裏に必ず糸を引いた人間がいるのだ。マティアスは当然関わった人間を許すつもりなどなかった、人間の尊厳を踏みにじり生まれたことを後悔しても死ねないよう甚振ってやる。心の深い場所でマティアスは呪いの言葉を刻みつけていた。

 仰向けに寝させたサキの胸が、息をつくたびに上下するのだけを見守り続けて朝がきた。呼吸が浅くなってきて睫毛がわずかに動くと、ふいにサキが目覚めた。手を上げて手首を確認したのだろう、それからゆっくりと息を吐いて身体を起こした。マティアスは声をかけることなくそっと目を閉じた。おそらく昨日のことを思い出してサキが震えだしたときも、そっと見ていたがどうしたらいいのかわからなかった。

 ラミが震えるサキに気がつくとすぐに声をかけ、抱き寄せるとあっという間に眠らせてしまった。子供がかわいいと笑うその顔には、魔族も人間もない、知識も力もそこにはない。マティアスはラミにかなわないと初めて思ったが、それは敗北感ではなかった。胸の中が熱くなるような、感じたことのない不思議な気持ちだった。



「僕を攫わせた人間は、僕の話を誰かに聞いたと言っていました」

 昼近くに起きたサキはすっきりした様子で、一応ベッドの中で見守っていたマティアスの顔を見ての第一声がそれだった。もちろんラミはまだ眠っている。目の下に隈をつくったマティアスは少しだけやるせない気持ちになったが、それがどうしてかはやはりわからなかった。

「そうか……気分は」
「大丈夫です。父さん探してくれてありがとう、助けに来てくれて、ありがとうございました」

 ベッドの中で身体を起こしてきちんと頭を下げたサキに、マティアスはもう一度そうかと言った。何か言いたかったのだが、適当な言葉がうまく出てはこなかったのだ。結局サキの頭をポンポンと撫でて無事で良かったと言おうとし、心に傷を受けてそれが果たして本当に無事かと思い直して、ようやく出てきた言葉は無難なひとことだった。

「腹が空いたな」

 サキはポカンとした顔をしたが、昨日の昼食以降そういえば何も口にしていないのだ。空腹を思い出しすとお腹がぐぅと鳴った。眠っていたラミも目を覚まして大きな伸びをして欠伸をしたあと、薄茶色の髪をふわふわと揺らしながら言った。

「お腹すいたなあ」

 サキとマティアスはしばらく顔を見合わせて、それから二人で一緒に笑った。サキは満面の笑顔、マティアスは片頬を上げるいつもの笑い方で。ラミも何がおかしいのかわかっていないだろうに、一緒に笑った。

「もう大丈夫そうだね」
 笑いながらそっと手を伸ばしてサキの頬を撫でて、いつものようにキュッと摘まんだ。三人でベッドから降りて着替えると階下に降り、心配していたネストリとカティに盛大に怒られ、あるいは泣かれてからようやく食事にありついた。

 事件が起こったからといって三人の生活が急激に変化することはなかったが、それからサキはごくたまに夜眠るとき両親のベッドに潜り込むこむようになった。サキが部屋の扉を叩けばマティアスは無言で扉を開けてやり、ラミをどこからか呼び寄せると、無言でベッドに川の字になる。呼び寄せられたラミはたいてい眠っていて起きず、一体どこで寝ているのか身体中に良い香りの丸くて白い花をつけているのだった。

 

 容姿の整った幼い子供を狙った犯罪者はやはり貴族で、名前ばかりの近頃では政治の椅子からも遠ざけられ、誰から声を掛けられることもなくなった古い弱まった血筋の嫡男が、暇つぶしに企てたものであった。
 近親婚を続け過ぎまともに成人する者が少ないといわれるその血脈は、大抵成人前に気が狂い自ら命を絶つのであった。稀に成人しても常人とはほど遠い感覚で生きており、未発達な己の身体を他のせいとそしり、己よりもさらに未発達で綺麗なお人形を欲するのだった。

 最初はやはり市井でも人目を惹くラミの美しさが目をつけられ、表にはあまり出ないがどうもその下に弟らしき子供がいるようだ、という噂が流れたのが事の発端であった。誘拐を実行したものたちはその道のプロで、叩けばいくらでも埃と膿が溢れ出るような輩であった。
 芋づる式に吊るしあげられた貴族を含む犯罪者たちは、法を遵守して公平に裁かれた。被害者たちが若年層だったこともあり、事件は表沙汰にはされずサキの名前も姿も、王とその側近たち以外が目にすることはなく静かに終わったのだった。



 今回はマティアスの活躍で解決したからいいようなものの、今まで誘拐犯たちは城下街の一般市民相手に犯罪を繰り返しており、子供がひとり消えたからといって大きく取沙汰されることもなく、家族は泣き寝入りというのが常だったようだ。立場が上の者からの理不尽な圧力を受ける似たような話は、調べれば出てくるものである。

 今後はもっと市井の声を汲み上げる機関が早急に必要だと議題に上り、翌日には王の勅命でコーバンという部署が市井の至るところに緊急設置された。困ったことがあれば人々はコーバンへと出向く、コーバンの人間に相談をすれば話を要約して紙にまとめてくれる。それを回収して巡回の兵士や、立場上難しい案件ならば騎士に話が上がり解決の糸口を探してくれる、という話であった。
 
 もともと一般市民など貴族に比べたら弱い立場である、その話を真剣に聞こうとする国の機関などなかったから、王の人気は再び沸騰する勢いを見せた。だが当の本人は周りに助けられているだけだからといって微笑むのみで、やはり賛辞を享受することはなかったという。



 やがて季節は巡りサキは7歳となった。
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