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王侯貴族御用達の高級娼館
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侯爵の力添えで、王侯貴族御用達の高級娼館が強力してくれることになった。避妊具ができれば、子を為さない、病気に掛かりにくい、という二つ文句が効いたそうだ。ただそれは、ヤーデが現場へ行って他人の性行為を覗き見なくてはならない、ということだった。
「うぅ、よく考えればわかりそうなものだった。気持ちわるい」
今現在、時刻は夜半過ぎ。ヤーデは休憩中である。高級娼館では互いの身の安全を守るために、客と店側双方の護衛が潜む隠しが作られている部屋があった。高級娼館特別室である。今回は特別に通常の客もその部屋に通されている、ただし隠しがあることは秘密であった。本当にただの覗き行為である。そんな趣味はないのに、ヤーデは今日すでに何組かの客の性行為を見ていた。
客は一人でくるだけじゃないのだと知る。友達同士なのか、二人の客と一人の娼婦、穴はひとつなのにどうするのだろうと思っていたら、思ってもみない行為が繰り広げられた。そこに入れるんだと思ったし、そこにも入るんだと思った。振り子のように揺れる、互いの腰を打ち付け合う、肌と肌の合わさる軽快な音と息を吐く音が、部屋に響く。人間の腰って、あんなふうに動くんだな、と人体の不思議を見た。二人の娼婦と一人の客もいた。一人の人間が、あんなに何度も勃起して、精を放つことができるのかと驚いた。
ギュンターの言っていた、口でする行為は、もうこれが娼館の仕事はじめの定番なのか、と思うくらい見た。娼婦の仕事なのかと思っていたら、娼婦の体を舐めたがる客もいて、飲んでいた水を思わず口からこぼした。
娼婦を好む者がいれば、男娼を好む者もいた。やって来る客は年齢も体型もばらばらで、勃起した男根は長さも太さも様々だった。統計を取るには一晩でじゅうぶんな気がした。というか、もう見たくない。一晩で見てはいけない世界を色々知ってしまったヤーデは、遠い目をしながら水を飲んで気持ち悪さを流そうとした。
もう帰ろうかなと思う。今は部屋の清掃中で、空気を入れ換え清掃が終了したら、次の客が通されてしまう。帰るなら今だ、と椅子から腰を上げたとき、扉がぱたりと閉まった。分厚い絨毯は足音がしないのだ、清掃が終わっていたことに気づくのが遅れた。急いで隠しから出て、部屋を出ようとしたところで、扉が開いてしまった。
この娼館、客の回転が早い気がする。いや、娼館に来たのははじめてだったが、一晩でこんなに何人も客がくるものなのか。
もちろん部屋は一部屋だけではない。通常はもっと部屋ぜんぶを使うのだが、今夜は統計のためにヤーデが来ているので、娼館長がほとんどの客を特別室に案内しているのだった。
侯爵直々に相談されたのだ、避妊具ができれば店側も助かる。今は娼婦が妊娠しにくい薬を飲み、膣内を行為後洗浄するしか手立てがないので、避妊は万全ではない。娼婦も男娼も、気をつけても病気に掛かってしまうこともある。それが防げるとあれば、男一人を隠しに一晩置いておくことなど、何でもなかった。
こちらへどうぞと扉が開き、ヤーデと案内人が正面から顔をかち合わせてしまった。客に顔を見られるわけにいかない、とっさに脇へ避け頭を下げる。客に何をしていたと責められたら、店側にも申し訳がたたなくなる。案内人が機転を利かせた。
「店の者が残っておりまして、大変失礼いたしました。ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。さ、どうぞ中へお入りください」
下を向いていたので性別は不明だが、娼婦か男娼が先に部屋へ入った。続いて大きな靴をはいた男の足が続いた。体も大きいようで、歩幅がずいぶん広い。これはまるで。
「……あなたは次の仕事へ」
案内人がごく自然に、小さな声で『店の者』としての指示を出す。案内人はこのあと客に説明がある。ヤーデが部屋を出る最後のチャンスであった。
「はい」
下を向いたまま、部屋を出ようとしたとき。
「………ヤーデ、待て」
地響きのような低音がヤーデの名を呼んだ。案内人の体が震えてはねた、部屋の温度が一気に数度下がった気がする。やっぱり、この人は。
「マクシミリアン様……」
振り返って目に入ったのは、冷たい瞳をした美しい男。侯爵家長男、騎士団長のマクシミリアンだった。
「それで?」
椅子に座って長い足を組み、腕を肘掛けに乗せ、腿の上で軽く握った拳。片方の手はこめかみと顎までを長い指で押さえている。冷たい蒼の瞳が、ひたりとヤーデを見据えており、額の青筋はずっと浮いたままだ。
ここは高級娼館特別室。一緒にいた娼館の金髪男娼は、とうに部屋から閉め出されている。案内人に茶だけ用意するように言って、隠しに他の人間がいないことも確かめられてしまった。というか、迷いなく隠しへ進むあたり、この部屋を利用したことがあって、構造をわかっているのだなと思う。さすが侯爵家長男。
そして現在、部屋には二人きりである。部屋にはきれいなランプがたくさん並んでいて、いろんな影や色の模様を部屋に映し出している。客の気持ちを盛り上げるための仕掛けもいっぱいだ。下品にならない程度の香が焚かれ、大きな大きな丸い寝台の頭部分には、薄紗が幾重にも重なり薄色から濃色まで少しずつ色を変えて、まるで海のようである。
「おい、気をそらすな」
現実逃避していたことがばれていた。ヤーデは絨毯に直座りしている。ふかふかの絨毯だから痛くはない。痛くはないが、たくさんの客を見ていたので、あれやこれやの汁が飛んでいそうでちょっと嫌だった。帰ったら丸ごと洗濯だ。ドミトリーは今頃一人で眠れただろうか。早く帰りたい。
「いい加減にしろ、ヤーデ。ここにいた訳を聞いている」
「はい」
自分だって客としてここにいたくせに、とは怖くて言えなかった。静かに怒りを発しているのは、氷の騎士団長である、口答えは命知らずというものだ。
「実はですね……これは侯爵様と極一部しかご存じないことなのですが」
極秘なのだと前置きをして、避妊具についてすべて話した。
「そうだったか」
大きな息をひとつ吐いて、マクシミリアンが両目を揉んだ。大変お疲れのご様子だった。疲れていて娼館へ来るのか? それとも疲れているから娼館へ来るのか? どっちなんだろう、と首をひねっていると、マクシミリアンが手のひらで自分の両頬をぱんっと叩いた。顔全体を両手でごしごしと擦っている。
「眠いんですか?」
時刻もずいぶん遅いのだ、ヤーデも正直眠かった。そうだ、眠いから帰ろうと思って席を立ったんだった。
「あ、あぁ。仕事のあとで、そのまま父の名前で呼び出されてな。何も聞かされず馬車で連れてこられたのが、ここだ」
「なるほど、そうでしたか」
侯爵様、ほんとにあの方は何を考えているんだろうか。実の息子のナニをナニするところを、他人に率先して見せてどうする。他の客とはまったく体格の違う、鍛えあげた肉体を持つマクシミリアンの性行為がどんなものか、気にならないといえば嘘になるが。それは本人に黙って覗き見するものではない。
だけど金髪の男娼と部屋に来たってことは、その気があったってことだ。あの男娼を抱くつもりだった。今夜覗き見たいろんな性行為が、頭に浮かんて消えた。知り合いの生々しい性を想像してしまい、ちょっと引いた。人の事情はどうでもいいと思いながら、まだ童貞のヤーデはその辺が潔癖なのであった。
はぁーっ、と長いため息をついた。マクシミリアンが、である。
「言っておくが、抱く気はなかったからな」
「? 何のことで……ああ、わかりました。了解です」
ああ、はいはい、わかりました、そういうことにしておきますからね。他言無用も了解です。マクシミリアンに対してちょっと引いたことにより、返事が雑になってしまった。そんな気持ちが顔にも出ていたのか。
「いや、ぜんぜんわかってないだろう。この部屋まで勝手に男娼一人つけられて、連れてこられるまでが、何も聞かされていないという話だ」
「そうなんですか」
「そうだ。とにかく男娼と部屋まで行け、と言われて強引にな。部屋に誰か待っているのだと思って警戒していた……実際、お前がいたな」
扉が開いた瞬間に気づいたそうだ。ちなみにオルトマン侯爵家は娼婦を呼ばないらしい。種こぼしが怖いからだそうで、なるほどそれで男娼かと納得するヤーデである。
三度目の長いため息が聞こえた。いつも背筋を伸ばしているマクシミリアンが、今は上着を脱いで首元を緩めている。最初怖くて直視できなかったが、よく見れば目の下にはうっすら隈があった。
「マクシミリアン様、寝ましょうか」
「………………は……?」
だいぶ間があいてから、地を這うような低い声がひと言。
「お支払いは侯爵様ですし、ぼくもう帰りの馬車なんてないですし、めちゃくちゃ眠いですし。マクシミリアン様も大変お疲れのようですから、このまま今夜はもうここで! 寝ちゃいましょう!」
きょとんとする顔など、はじめて見た。つり上がった蒼瞳が、まん丸くなっているのは案外かわいい。
「ささ、マクシミリアン様。湯も沸いてますからお先に風呂へどうぞ!」
有無をいわさず背中をぐいぐい押して、浴室へ押し込む。マクシミリアンが風呂に入ったあと、客には見えないように巧妙に隠された紐を引っ張る。これは、部屋では鳴らない呼び鈴だ。呼び鈴が鳴るのは待機部屋で、各部屋の札がついた鈴の音が鳴るようになっている。呼ばれたら即、人が部屋へと来るのだ。
案内人がすぐにやって来た。侯爵家という上客を怒らせたのだ、相当心配したのだろう、青い顔をしていた。
「先ほどはすみませんでした。ご迷惑をお掛けしました」
「いえ、大丈夫です。そちら様こそ大丈夫でしたか」
「はい、問題ないです。それで、マクシミリアン様は今夜このまま泊まって帰りますので、よろしくお願いいたします」
「え、ええと、お泊まりは結構ですが、ご一緒される、のですよね?」
「ええ。寝台も広いですし。ぼくも眠いので」
「そうですか、かしこまりました。明日はいつ頃お声掛けしましょうか」
明日の時間確認と朝食の用意もしてくれるというので、遠慮なくお願いした。
「では、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい。あと、ありがとうございました。かばってくださって」
案内人は「いえ」と柔らかく微笑んで、一礼すると出て行った。
すぐに、浴室からローブをまとったマクシミリアンが出てきた。ローブから覗く胸元は筋肉で盛り上がり、服を着ているときより一回り大きく見えた。頭を拭きながら「待たせた」という様は、恐ろしいほど大人の色気に満ちている。たぶん本人は素なのだろうが、さすが騎士団長、恐ろしい男である。
「ぼくも風呂をお借りします」
危ない、色気にあてられるところだった。浴槽は泡風呂だった、すごい。さっさと汗だけ流して、マクシミリアンが着ていたのと揃いのローブをまとう。もうすでに頭が眠気でぐらぐらする。ふらふらと歩いて行き、大きな丸い寝台にたどり着いた。この大きさなら、二人で両手を広げたとしても、ゆったり眠れるだろう。マクシミリアンはまだ椅子に座っていて、本を読んでいたようだ。組んだ長い足がローブから晒されており、これもまた大人の色気にあふれていた。
「マクシミリアン様、ぼくもう限界です。お先に眠ります、おやすみなさい」
横になり目をつぶった瞬間に眠ってしまったヤーデを、マクシミリアンはしばらく眺めていた。それから本を置き、くっくっと一人笑う。マクシミリアンは大変もてるし、本人も自分の魅力を理解している。それが、ここまで何も意識されずに、即寝落ちしたのである。清々しくて、いっそおかしかった。
「まさかこんな風に、娼館で一夜をともに過ごすことになるとはな」
寝台に近づき横になる。すーすーと寝息を立てるヤーデは、今年成人したことになっている。マクシミリアンだけが知る、本来の年齢は十八歳になるはずだが、寝顔は子どものままだった。頬を撫でようとして伸ばした指を、寸前で止めた。その無防備な肌に触れてしまったら、寝ているヤーデを意識のないまま、どうこうしてしまいそうだった。触れなければ、このまま何も起こらない。ヤーデは今まで通りマクシミリアンを慕ってくれるだろうし、何かあれば頼ってくれるだろう。
「おやすみヤーデ、良い夢を」
マクシミリアンはヤーデの守り手である。通常の守り手は結婚する相手に誓うものだが、マクシミリアンの場合はそうもならないようだ。横になったマクシミリアンもまた、すぐに寝入ってしまった。常に気を張り、眠りの浅いマクシミリアンにしては珍しく、朝まで目覚めることなくぐっすり休むことができた。
目を覚ますとヤーデはすでに着替えており、部屋の窓は開けられ朝日が入っていた。娼館とは思えぬ、爽やかな朝である。豪奢な丸机には、美味しそうな朝食がたっぷりと乗っていた。これらが用意される間にも、起きなかった自分に内心驚く。
「ぼく、お腹空いてたんです。美味しそう、いただきましょう」
「あぁ」
美味しいと言って食べるヤーデのおかげが、その日の朝食はとても美味しかった。
「目の下の隈、消えましたね」
「そんなもの、あったか?」
「はい、昨日はお疲れのようでした」
「そうだな。だいぶ疲れていたようだ。よく眠れたおかげで、すっかり疲れも取れている」
「よかったです」
娼館の部屋のなかとは思えぬ、健全な会話である。侯爵家まで送るか、と聞くと自宅へ一度着替えに帰るというので、自宅まで馬車で送った。
「うぅ、よく考えればわかりそうなものだった。気持ちわるい」
今現在、時刻は夜半過ぎ。ヤーデは休憩中である。高級娼館では互いの身の安全を守るために、客と店側双方の護衛が潜む隠しが作られている部屋があった。高級娼館特別室である。今回は特別に通常の客もその部屋に通されている、ただし隠しがあることは秘密であった。本当にただの覗き行為である。そんな趣味はないのに、ヤーデは今日すでに何組かの客の性行為を見ていた。
客は一人でくるだけじゃないのだと知る。友達同士なのか、二人の客と一人の娼婦、穴はひとつなのにどうするのだろうと思っていたら、思ってもみない行為が繰り広げられた。そこに入れるんだと思ったし、そこにも入るんだと思った。振り子のように揺れる、互いの腰を打ち付け合う、肌と肌の合わさる軽快な音と息を吐く音が、部屋に響く。人間の腰って、あんなふうに動くんだな、と人体の不思議を見た。二人の娼婦と一人の客もいた。一人の人間が、あんなに何度も勃起して、精を放つことができるのかと驚いた。
ギュンターの言っていた、口でする行為は、もうこれが娼館の仕事はじめの定番なのか、と思うくらい見た。娼婦の仕事なのかと思っていたら、娼婦の体を舐めたがる客もいて、飲んでいた水を思わず口からこぼした。
娼婦を好む者がいれば、男娼を好む者もいた。やって来る客は年齢も体型もばらばらで、勃起した男根は長さも太さも様々だった。統計を取るには一晩でじゅうぶんな気がした。というか、もう見たくない。一晩で見てはいけない世界を色々知ってしまったヤーデは、遠い目をしながら水を飲んで気持ち悪さを流そうとした。
もう帰ろうかなと思う。今は部屋の清掃中で、空気を入れ換え清掃が終了したら、次の客が通されてしまう。帰るなら今だ、と椅子から腰を上げたとき、扉がぱたりと閉まった。分厚い絨毯は足音がしないのだ、清掃が終わっていたことに気づくのが遅れた。急いで隠しから出て、部屋を出ようとしたところで、扉が開いてしまった。
この娼館、客の回転が早い気がする。いや、娼館に来たのははじめてだったが、一晩でこんなに何人も客がくるものなのか。
もちろん部屋は一部屋だけではない。通常はもっと部屋ぜんぶを使うのだが、今夜は統計のためにヤーデが来ているので、娼館長がほとんどの客を特別室に案内しているのだった。
侯爵直々に相談されたのだ、避妊具ができれば店側も助かる。今は娼婦が妊娠しにくい薬を飲み、膣内を行為後洗浄するしか手立てがないので、避妊は万全ではない。娼婦も男娼も、気をつけても病気に掛かってしまうこともある。それが防げるとあれば、男一人を隠しに一晩置いておくことなど、何でもなかった。
こちらへどうぞと扉が開き、ヤーデと案内人が正面から顔をかち合わせてしまった。客に顔を見られるわけにいかない、とっさに脇へ避け頭を下げる。客に何をしていたと責められたら、店側にも申し訳がたたなくなる。案内人が機転を利かせた。
「店の者が残っておりまして、大変失礼いたしました。ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。さ、どうぞ中へお入りください」
下を向いていたので性別は不明だが、娼婦か男娼が先に部屋へ入った。続いて大きな靴をはいた男の足が続いた。体も大きいようで、歩幅がずいぶん広い。これはまるで。
「……あなたは次の仕事へ」
案内人がごく自然に、小さな声で『店の者』としての指示を出す。案内人はこのあと客に説明がある。ヤーデが部屋を出る最後のチャンスであった。
「はい」
下を向いたまま、部屋を出ようとしたとき。
「………ヤーデ、待て」
地響きのような低音がヤーデの名を呼んだ。案内人の体が震えてはねた、部屋の温度が一気に数度下がった気がする。やっぱり、この人は。
「マクシミリアン様……」
振り返って目に入ったのは、冷たい瞳をした美しい男。侯爵家長男、騎士団長のマクシミリアンだった。
「それで?」
椅子に座って長い足を組み、腕を肘掛けに乗せ、腿の上で軽く握った拳。片方の手はこめかみと顎までを長い指で押さえている。冷たい蒼の瞳が、ひたりとヤーデを見据えており、額の青筋はずっと浮いたままだ。
ここは高級娼館特別室。一緒にいた娼館の金髪男娼は、とうに部屋から閉め出されている。案内人に茶だけ用意するように言って、隠しに他の人間がいないことも確かめられてしまった。というか、迷いなく隠しへ進むあたり、この部屋を利用したことがあって、構造をわかっているのだなと思う。さすが侯爵家長男。
そして現在、部屋には二人きりである。部屋にはきれいなランプがたくさん並んでいて、いろんな影や色の模様を部屋に映し出している。客の気持ちを盛り上げるための仕掛けもいっぱいだ。下品にならない程度の香が焚かれ、大きな大きな丸い寝台の頭部分には、薄紗が幾重にも重なり薄色から濃色まで少しずつ色を変えて、まるで海のようである。
「おい、気をそらすな」
現実逃避していたことがばれていた。ヤーデは絨毯に直座りしている。ふかふかの絨毯だから痛くはない。痛くはないが、たくさんの客を見ていたので、あれやこれやの汁が飛んでいそうでちょっと嫌だった。帰ったら丸ごと洗濯だ。ドミトリーは今頃一人で眠れただろうか。早く帰りたい。
「いい加減にしろ、ヤーデ。ここにいた訳を聞いている」
「はい」
自分だって客としてここにいたくせに、とは怖くて言えなかった。静かに怒りを発しているのは、氷の騎士団長である、口答えは命知らずというものだ。
「実はですね……これは侯爵様と極一部しかご存じないことなのですが」
極秘なのだと前置きをして、避妊具についてすべて話した。
「そうだったか」
大きな息をひとつ吐いて、マクシミリアンが両目を揉んだ。大変お疲れのご様子だった。疲れていて娼館へ来るのか? それとも疲れているから娼館へ来るのか? どっちなんだろう、と首をひねっていると、マクシミリアンが手のひらで自分の両頬をぱんっと叩いた。顔全体を両手でごしごしと擦っている。
「眠いんですか?」
時刻もずいぶん遅いのだ、ヤーデも正直眠かった。そうだ、眠いから帰ろうと思って席を立ったんだった。
「あ、あぁ。仕事のあとで、そのまま父の名前で呼び出されてな。何も聞かされず馬車で連れてこられたのが、ここだ」
「なるほど、そうでしたか」
侯爵様、ほんとにあの方は何を考えているんだろうか。実の息子のナニをナニするところを、他人に率先して見せてどうする。他の客とはまったく体格の違う、鍛えあげた肉体を持つマクシミリアンの性行為がどんなものか、気にならないといえば嘘になるが。それは本人に黙って覗き見するものではない。
だけど金髪の男娼と部屋に来たってことは、その気があったってことだ。あの男娼を抱くつもりだった。今夜覗き見たいろんな性行為が、頭に浮かんて消えた。知り合いの生々しい性を想像してしまい、ちょっと引いた。人の事情はどうでもいいと思いながら、まだ童貞のヤーデはその辺が潔癖なのであった。
はぁーっ、と長いため息をついた。マクシミリアンが、である。
「言っておくが、抱く気はなかったからな」
「? 何のことで……ああ、わかりました。了解です」
ああ、はいはい、わかりました、そういうことにしておきますからね。他言無用も了解です。マクシミリアンに対してちょっと引いたことにより、返事が雑になってしまった。そんな気持ちが顔にも出ていたのか。
「いや、ぜんぜんわかってないだろう。この部屋まで勝手に男娼一人つけられて、連れてこられるまでが、何も聞かされていないという話だ」
「そうなんですか」
「そうだ。とにかく男娼と部屋まで行け、と言われて強引にな。部屋に誰か待っているのだと思って警戒していた……実際、お前がいたな」
扉が開いた瞬間に気づいたそうだ。ちなみにオルトマン侯爵家は娼婦を呼ばないらしい。種こぼしが怖いからだそうで、なるほどそれで男娼かと納得するヤーデである。
三度目の長いため息が聞こえた。いつも背筋を伸ばしているマクシミリアンが、今は上着を脱いで首元を緩めている。最初怖くて直視できなかったが、よく見れば目の下にはうっすら隈があった。
「マクシミリアン様、寝ましょうか」
「………………は……?」
だいぶ間があいてから、地を這うような低い声がひと言。
「お支払いは侯爵様ですし、ぼくもう帰りの馬車なんてないですし、めちゃくちゃ眠いですし。マクシミリアン様も大変お疲れのようですから、このまま今夜はもうここで! 寝ちゃいましょう!」
きょとんとする顔など、はじめて見た。つり上がった蒼瞳が、まん丸くなっているのは案外かわいい。
「ささ、マクシミリアン様。湯も沸いてますからお先に風呂へどうぞ!」
有無をいわさず背中をぐいぐい押して、浴室へ押し込む。マクシミリアンが風呂に入ったあと、客には見えないように巧妙に隠された紐を引っ張る。これは、部屋では鳴らない呼び鈴だ。呼び鈴が鳴るのは待機部屋で、各部屋の札がついた鈴の音が鳴るようになっている。呼ばれたら即、人が部屋へと来るのだ。
案内人がすぐにやって来た。侯爵家という上客を怒らせたのだ、相当心配したのだろう、青い顔をしていた。
「先ほどはすみませんでした。ご迷惑をお掛けしました」
「いえ、大丈夫です。そちら様こそ大丈夫でしたか」
「はい、問題ないです。それで、マクシミリアン様は今夜このまま泊まって帰りますので、よろしくお願いいたします」
「え、ええと、お泊まりは結構ですが、ご一緒される、のですよね?」
「ええ。寝台も広いですし。ぼくも眠いので」
「そうですか、かしこまりました。明日はいつ頃お声掛けしましょうか」
明日の時間確認と朝食の用意もしてくれるというので、遠慮なくお願いした。
「では、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい。あと、ありがとうございました。かばってくださって」
案内人は「いえ」と柔らかく微笑んで、一礼すると出て行った。
すぐに、浴室からローブをまとったマクシミリアンが出てきた。ローブから覗く胸元は筋肉で盛り上がり、服を着ているときより一回り大きく見えた。頭を拭きながら「待たせた」という様は、恐ろしいほど大人の色気に満ちている。たぶん本人は素なのだろうが、さすが騎士団長、恐ろしい男である。
「ぼくも風呂をお借りします」
危ない、色気にあてられるところだった。浴槽は泡風呂だった、すごい。さっさと汗だけ流して、マクシミリアンが着ていたのと揃いのローブをまとう。もうすでに頭が眠気でぐらぐらする。ふらふらと歩いて行き、大きな丸い寝台にたどり着いた。この大きさなら、二人で両手を広げたとしても、ゆったり眠れるだろう。マクシミリアンはまだ椅子に座っていて、本を読んでいたようだ。組んだ長い足がローブから晒されており、これもまた大人の色気にあふれていた。
「マクシミリアン様、ぼくもう限界です。お先に眠ります、おやすみなさい」
横になり目をつぶった瞬間に眠ってしまったヤーデを、マクシミリアンはしばらく眺めていた。それから本を置き、くっくっと一人笑う。マクシミリアンは大変もてるし、本人も自分の魅力を理解している。それが、ここまで何も意識されずに、即寝落ちしたのである。清々しくて、いっそおかしかった。
「まさかこんな風に、娼館で一夜をともに過ごすことになるとはな」
寝台に近づき横になる。すーすーと寝息を立てるヤーデは、今年成人したことになっている。マクシミリアンだけが知る、本来の年齢は十八歳になるはずだが、寝顔は子どものままだった。頬を撫でようとして伸ばした指を、寸前で止めた。その無防備な肌に触れてしまったら、寝ているヤーデを意識のないまま、どうこうしてしまいそうだった。触れなければ、このまま何も起こらない。ヤーデは今まで通りマクシミリアンを慕ってくれるだろうし、何かあれば頼ってくれるだろう。
「おやすみヤーデ、良い夢を」
マクシミリアンはヤーデの守り手である。通常の守り手は結婚する相手に誓うものだが、マクシミリアンの場合はそうもならないようだ。横になったマクシミリアンもまた、すぐに寝入ってしまった。常に気を張り、眠りの浅いマクシミリアンにしては珍しく、朝まで目覚めることなくぐっすり休むことができた。
目を覚ますとヤーデはすでに着替えており、部屋の窓は開けられ朝日が入っていた。娼館とは思えぬ、爽やかな朝である。豪奢な丸机には、美味しそうな朝食がたっぷりと乗っていた。これらが用意される間にも、起きなかった自分に内心驚く。
「ぼく、お腹空いてたんです。美味しそう、いただきましょう」
「あぁ」
美味しいと言って食べるヤーデのおかげが、その日の朝食はとても美味しかった。
「目の下の隈、消えましたね」
「そんなもの、あったか?」
「はい、昨日はお疲れのようでした」
「そうだな。だいぶ疲れていたようだ。よく眠れたおかげで、すっかり疲れも取れている」
「よかったです」
娼館の部屋のなかとは思えぬ、健全な会話である。侯爵家まで送るか、と聞くと自宅へ一度着替えに帰るというので、自宅まで馬車で送った。
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