上 下
5 / 12

5

しおりを挟む
「あの人がそんなものを手に入れて、ろくな使い方をするわけがないと思いませんか?」
「……だな」
 先ほどの客の男がアルノーを見る目を思い出して、バルドゥイーンは殺気を覚える。
 それに……、と少しことばに詰まって、アルノーが続けた。
「私の作る薬は、基本的に販売する前、試すようにしています」
「そういえば、しびれ薬の効きがどうの、と言っていたな」
 そうです、と頷いてアルノーが話す。
「薬の効きがどれくらいかわからなければ、次の手を考えられませんから」

 それがどういうことか、わかりますか? とアルノーがバルドゥイーンに尋ねた。
「催淫効果のある、媚薬を……試すんだな」
 ゴクリと喉を鳴らして、バルドゥイーンが言った。
「えぇ、配合を変えて、どれくらいが適量なのかわかるまで何度でも、です」

 ピシリ、ピシリとしなる音がする。
 アルノーが視線を下へと向ければ、平静を装ったバルドゥイーンの態度とは裏腹に、その尻尾は壁とカウンターに、打ち付けられていた。

「それでは出かけましょうか」
 バルドゥイーンから目をそらしたアルノーが、階段を上り二人分のマントを手に戻ってきた。
 小さなバッグを腰にくくりつけ、上からマントを羽織れば、アルノーの支度は終わっている。
「魔術師の約束は絶対、というのは、バルたちのところでも同じですか?」
「あ、あぁ。そうだ」
 マントを受け取り、羽織ったバルドゥイーンがフードを深くかぶったのを確認して、アルノーは店の扉を引いて開けた。



 街の裏路地を歩きながら、アルノーはあちこちをバルドゥイーンに説明した。
 安全な路地、危険な通り、安くて美味しい食堂、旨い酒を置いている店。
 質のいい薬瓶を扱う店に、アルノーの薬をいくつか置いてくれている日用雑貨店。

 そのうちのひとつで立ち止まると、そこは今まさに焼きたてのパンを釜から出したばかりの、パン屋であった。
「おはよう、アルノー。さっきリカルドが、取り巻きとすごい勢いで通り過ぎたけど、あんたんとこは大丈夫だったかい?」
「おはよう、エルマ。それはたぶん、私の店から出たあとだと思う」
 店の軒先から顔と腕とを出したエルマはふくよかだから、それだけで店の中が見えなくなる。

「まぁた、リカルドに、無理難題押し付けられたんだろう?」
「まぁね……」
 片手を大きく振りながら、アルノーに注意をほどこすエルマは、眉根を寄せて声をひそめた。
「リカルドは、あんたに昔っからご執心だもんねぇ。せいぜい気をつけなよ」
「ありがとう、エルマ。丸パンを二つください」
「はいよ……って、あれ? お連れさんかい?」
 店の中からパンを二つもってきたエルマが、小銭を受け取ろうとして、初めてアルノーの後ろに立つバルドゥイーンに気がついた。

「うん、彼は私の……同居人。しばらく滞在すると思うから、よろしくお願いします」
「おやまぁ、そうかい」
 バル、ちょっとだけエルマに顔見せて。とアルノーがバルドゥイーンのマントフードを、少しだけ持ち上げた。
「おやおや、まぁまぁ」
 ちらりと見えたバルドゥイーンの顔の造形にも、目を見張ったパン屋のおかみエルマだったが、エルマの興味のほとんどは、アルノーのバルドゥイーンに対する仕草であった。

 長いことパンを買いに来ているが、アルノーにはほとんど浮いた噂がない。
 たまに誰かと連れだっていたとしても、今まで紹介されたこともないし、ましてや同居人などとは。
 極めつけは、顔を見せるためにマントフードを持ち上げたあと、おそらく同居人だという彼と目を合わせたのだろう。
 アルノーが、彼に向かって微笑んでいたのだ。それは柔らかな、見てしまったエルマが幸せに感じるような微笑みだった。

 受け取ったパンを布袋に入れて、マントの内側、腰のあたりにくくりつけると、アルノーたちは去って行った。
「たしかに、見かけないほどの男前だったよ」
 パン屋のおかみエルマは、ふぅっと息を吐いて、店の奥をちらりと見た。
 エルマよりもほっそりとしているが、筋肉質な夫は今日も朝早くからパンを焼いている。
 真面目で無口ないい亭主だ。ただ顔は大きくて四角くて、ヒゲが濃い。

 自分のお腹あたりをパンパンッと叩いて、エルマは自分の仕事へと戻った。
 アルノーのことは子どもの頃から知っている。今では具合が悪くなれば薬を調合してくれる、腕のいい薬師だ。
 社交的ではないかもしれないが、大事な話はきちんとするし、聞けば何でも教えてくれる親切な青年である。

 アルノーに昔から執着しているリカルドという男は、街の商業関連を取りまとめている家の息子である。典型的な金持ちのドラ息子の見本のような男だった。
 アルノーとは小さい頃から同じ街のなか、顔を合わせていたのだが、リカルドの素行は年々ひどくなっていく。
 街のたいがいの店の者が、リカルドの日頃の行いに眉をひそめていたし、将来リカルドが家を継ぐことになったら、お終いだと嘆く者すらいた。

「あんないい子、早いとこしあわせになってもらいたいもんだよ」
 リカルドがいつかアルノーに対して、取り返しのつかないことをしでかすのではないか、と常々不安に思っていたのだ。

 先ほどのアルノーと同居人を思い出して、エルマは少しだけ安心したのだった。
 エルマにできることなど、たいしてない。アルノーに同居人がいることを、街の人々へと伝えることくらいだ。
 機嫌良くふくよかな身体を揺らして、エルマは焼き上がったパンを次々と並べていった。



「同居人だなんてあなたのことを紹介して、気を悪くしてます?」
 城壁を出て、道に沿って歩きながら、アルノーが聞いてきた。
「いや、別に」
 バルドゥイーンはむしろ、嬉しかった。同居人として、しばらく滞在すると紹介されたということは、そういうことなのだろう。
 まだしばらくは、アルノーのそばにいて良いのだと、本人から許可をもらったようなものだ。

「実は今朝方のお客さんは、リカルドという名前の人でして」
 アルノーの説明によると、お互い小さい頃から同じ街で育ったのだが、リカルドとは長い間友人だと思っていた。
 ある時食事に誘われ酒を飲み、身体の関係を求められたのを断った頃から、嫌がらせが続いているのだという。

「最近では私が薬師だからと、おかしな薬を作らせようとしているんです」
「それがあの薬、か」
「えぇ。ずっと断っているんですが、何しろあの人は子どもの頃からしつこくて」
 アルノーは苦笑いを浮かべているが、どう考えてもこれは嫌がらせではないだろう、とバルドゥイーンは思った。
「お金はいくらかかってもいいから、飲みやすいものを作れ、と」
「薬を手に入れたら、それを盛られるのは作った本人か」

「あ、やっぱりバルも、そう思います?」
 困ったように笑うアルノーが、それで、と続けた。
「バルのことは、巻き込んで申し訳ないと思うんですが、同居人と言わせてもらいました」
 巻き込まれるのも、同居人と言われるのもかまわないが、それが何を意味するのかわからない。と言えばアルノーが、パン屋のおかみさんは街一番のおしゃべりなんです、と笑った。
「しばらくバルが一緒に暮らす、って聞こえてくれば、リカルドも来ないんではないかなと」

 まぁ、そうだろう。魔術師のいる家に、悪さを働こうとする者はいない。
「だが、一旦はそれでしのげたとして、根本的な解決にはならないだろう」
「それは、そうなんですけど……」
 言いづらそうに、アルノーがことばを濁している。
「あいつに何かされたか?」

 パッと顔をバルドゥイーンへと向けたアルノーが、何度か首を横に振った。それは否定の意味で振られたわけでは、なさそうだった。
「私なんてとっくに成人した男ですから、怖がるようなことじゃ、ないはずなんですけど」
 何かイヤなことを思い出して、それを頭から振り払おうとするように、アルノーはもう一度頭を振った。

「女性の身体に暴行を働く男の話は、聞いたことがあるでしょう?」
「まぁ、なくはないな」
 バルドゥイーンが耳にしたことがあるのは、人間の話だ。少なくとも獣人の女性は、そこまで弱くない。
「リカルドは、私にそれをしようとしたんです。一度、無理矢理されそうになってしまって」
 生娘でもない男の私が、そんなことで怖いだなんて、情けないんですけど。と話すアルノーはかすかに震えている。
「しっかり断ったんですが、彼本当にしつこくて。だから店に来てくれても、気が抜けないというか……」

「俺がいる」
 道の端で立ち止まり、アルノーを胸の中に抱え込んだ。
「俺がアルノーを守る」
 ふふふ、と腕の中でアルノーが笑っている。
 何がおかしいかと腕を緩めてみれば、アルノーは笑いながら、少しだけ泣いていた。

「そんなに優しいこと言われたの、亡くなった両親以外で初めてです」
「アルノー……」
「あんまり頼っちゃうと、独りで立てなくなるんで」
 バルドゥイーンの腕の囲いをそっと外して、アルノーは自分で涙の粒を払った。
「でも、ありがとう。バル」

 行きましょうか、と気を取り直したアルノーが言ったので、バルドゥイーンも頷いて先を急いだ。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

壁穴奴隷No.19 麻袋の男

猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。 麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は? シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。 前編・後編+後日談の全3話 SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。 ※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。 ※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

【BL】婚約破棄されて酔った勢いで年上エッチな雌お兄さんのよしよしセックスで慰められた件

笹山もちもち
BL
身体の相性が理由で婚約破棄された俺は会社の真面目で優しい先輩と飲み明かすつもりが、いつの間にかホテルでアダルトな慰め方をされていてーーー

くまさんのマッサージ♡

はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。 2024.03.06 閲覧、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。 2024.03.10 完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m 今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。 2024.03.19 https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy イベントページになります。 25日0時より開始です! ※補足 サークルスペースが確定いたしました。 一次創作2: え5 にて出展させていただいてます! 2024.10.28 11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。 2024.11.01 https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2 本日22時より、イベントが開催されます。 よろしければ遊びに来てください。

バイト先のお客さんに電車で痴漢され続けてたDDの話

ルシーアンナ
BL
イケメンなのに痴漢常習な攻めと、戸惑いながらも無抵抗な受け。 大学生×大学生

開発される少年たち・家庭教師の淫らな性生活

ありさわ優那
BL
派遣家庭教師として働く三枝は、行く先々で少年の精通をさせてやったり、性的に開発することを趣味としていた。三枝は、勉強を教えながらも次々に派遣先で少年を毒牙にかける。勉強よりも、エッチなことを求めるようになってしまった少年たちの行方は……。 R-18作品です。少し無理矢理(あまり嫌がりません)。 乳首開発描写多めです。 射精管理やアナル開発の描写もありますが、既に開発されちゃってる子も多く出ます。 ※少年ごとにお話を書いていきます。初作品です。よろしくお願いします。

甥の性奴隷に堕ちた叔父さま

月歌(ツキウタ)
BL
甥の性奴隷として叔父が色々される話

潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話

あかさたな!
BL
潜入捜査官のユウジは マフィアのボスの愛人まで潜入していた。 だがある日、それがボスにバレて、 執着監禁されちゃって、 幸せになっちゃう話 少し歪んだ愛だが、ルカという歳下に メロメロに溺愛されちゃう。 そんなハッピー寄りなティーストです! ▶︎潜入捜査とかスパイとか設定がかなりゆるふわですが、 雰囲気だけ楽しんでいただけると幸いです! _____ ▶︎タイトルそのうち変えます 2022/05/16変更! 拘束(仮題名)→ 潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話 ▶︎毎日18時更新頑張ります!一万字前後のお話に収める予定です 2022/05/24の更新は1日お休みします。すみません。   ▶︎▶︎r18表現が含まれます※ ◀︎◀︎ _____

処理中です...