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第8章
第54話 赤ずきん
しおりを挟むごろつき豆腐店オープン二日目。
昨日同様、豆腐は順調な売れ行きを見せていた。
いや、昨日より好調かもしれない。
これもおから揚げをバラ撒いた効果だろうか?
ツァハリスは午前中のうちに行商を終えて、屋台の方の接客の手伝いに回ってくれている。
「木綿豆腐を一丁下さいましな」
「おっ、お嬢ちゃんお目が高いね~! でも残念、木綿はまだ開発中なんスよ!」
今日も今日とて若奥様方に取り囲まれて身動きが取れないでいると、ふいにそんな会話が聞こえてきた。
「あら……、そう、困りましたわ……」
「ツァハリス……すみません、ちょっと放して下さい。ツァハリス、どうしたの?」
「親分、実は木綿豆腐が欲しいってこのお嬢ちゃんが……」
「それは変じゃないかな?」
俯いて口元に小さな手を当て、考え込む様子を見せる赤い頭巾の女の子とツァハリスの間に俺は割って入った。
奥様方の方から不満そうな声が聞こえるが今はこっちが優先だ。
「変ってーと……なんスか?」
「木綿豆腐はまだ売り出していないのに、どうしてこの子はそんな事知ってるのかな?」
「あっ!」
説明するとツァハリスはやっと気付いたというようにぽんと手を打った。
「あっ、じゃねーよ、このすっとこどっこい!」
「いてっ! ひでえよ、ゴーロ!」
ツァハリスの頭上にゴーロの鉄拳が落ちる。
相変わらず手が早い。
しかも豆腐作りで水やら何やら重いものを日常的に持つようになったので、彼の腕には以前より立派な筋肉がついている。
つまり、拳骨は確実にパワーアップしているのだ。
「まあまあ、二人とも」
ごろつきで無くなっても三人組の関係性は変わらない。
お調子者のツァハリスがゴーロに殴られて、二人を宥めるのがキーファの役目だ。
キーファも時々すっとぼけて仲裁どころか火に油を注いでしまうけどな。
「……産業スパイでしょうか?」
「どうせお前が喋っちまったんだろ、ツァハリス!」
「だから痛いって、ゴーロ! ひでぇな、俺じゃねーよ!」
不穏な事を呟くカーヤさんの発言を受けて、ゴーロがツァハリスを小突く。
三人の中でうっかりさんと言えば、やっぱりツァハリスだからな。
「じゃあお前以外に誰がいるってんだよ? 企業秘密ってやつを喋っちまうような阿呆がどこにいるってんだ!?」
「親分~!」
でっかい男に泣きつかれて、俺は顔を引き攣らせながら頭を撫でてやった。
「落ち着いて、ゴーロ。今回はツァハリスのせいじゃないよ。そればかりか、誰のせいでもない。それでも敢えて誰かのせいと言うなら、俺のせいかな」
妙に確信を持って自信たっぷりに断言する俺に男三人は揃って首を捻った。
それに応える事はせず、くるりと回れ右して俺は赤ずきんちゃんに向き合う。
「こんにちは。今日は一人でお買い物に来たの?」
「ごっ、ごきげんよう! お兄様と一緒ですわ……」
声を掛けると少女は下を向いたまま、早口でぼそぼそと捲くし立てた。
焦っているのが判る。
少女の横に視線をずらすと彼女と揃いの意匠の、緑の頭巾を被った子が立っていた。
「お豆腐を買いにわざわざお城から来てくれたの?」
少女に視線を戻して小声でそう尋ねる俺は顔がにやつくのを抑えるので必死だった。
相手があくまで隠すつもりならと俺もわざと少し意地悪な質問をぶつける。
「わっ、私の意志ではございませんわ! ただ……、ただ、お兄様が木綿豆腐を召し上がりたいと仰るから……!」
表情を見ずともその動きと声だけで判る。
困ったと様子でわたわたとする彼女の姿を見て、俺の表情筋もう限界だと思った。
駄目だ、可愛過ぎる……。
「ありがとう、イルメラちゃん」
「べっ……別に貴方の為ではなくってよ……。って、どうして私だとバレているの……!?」
にっこりと笑ってお礼を言えば、イルメラはパッと勢いよく顔を上げた。
その拍子に頭巾が緩んで豊かな黒い髪が零れ落ちる。
赤みがかった瞳はまん丸に見開かれたまま、彼女はフリーズしている。
「ディーもありがとう」
「うん」
「どうして!? こうして変装もしていたのに……!」
緑の頭巾の少年、ディーにも声を掛けると彼は短く返事をして小さく頷いた。
ペアルックっていいななんてぼんやりと考えていると、復活したイルメラが騒ぎ始める。
変装が流行っているのだろうか?
「判るよ。好きな女の子の事だからね」
騒ぎになってはまずいと、顔の前で人差し指を立てながらひと言。
すると彼女はみるみるうちに頬を真っ赤に染めた。
「不謹慎ですわ!」
「しーっ」
恥ずかしがって大きな声を出すイルメラに俺は再度、静かにするようにジェスチャーした。
しまったという顔をして両手を重ね合わせて口元を覆う姿が小動物チックでまた愛らしい。
好きな子だから判るというのは半分は本当だけれど、残りの半分はでたらめだ。
俺がイルメラだと断定出来たのは、声や背格好も一つの判断材料ではあるけれど、決定的なのはその言葉遣いと袖から覗く指先、そして発言内容だった。
ごきげんようなんて返事をしてくるのはまず、良家の子女だろう。
それに加えて彼女の指先は見るからに柔らかく綺麗な肌をしていて、全く荒れていない。
荒れていないどころか爪も桜貝のように綺麗に形を整えられ、磨き抜かれていた。
この国、この世界では五歳にもなれば一般家庭の子供は家業の手伝いをするのが普通だ。
勿論、一般家庭の子であっても将来の立身出世を目指して六歳から貴族と同じ学校に通う場合もあるから、手肌が荒れていないだけで断定は出来ないけれど、爪を磨いている女性というのはほぼイコール貴族階級に属する女性と思って間違いない。
そこに例外がいるとすればお金持ちの大人の男性だけを相手に商売するようなお店の女性くらいだろう。
だか、やはり一番の決め手は彼女の発言内容だった。
開店準備の段階で、商品開発と称して俺たちは豆腐の試作を何度も繰り返した。
量が量だけに身内だけでは捌ききれなかったので、いつものお裾分けと同じ要領で余った試作品を母上の魔法教室のメンバーに配ったりもした。
本当のところは、保存の際の鮮度の問題にしろ、保管場所にしろ魔法で万事どうにでもなるのだが、そこは気持ちの問題である。
冷凍庫の奥から出てきたいつのものとも知れないアイスクリームを食べるのに躊躇する感情に似ている。
そのお裾分けの豆腐に毎回一番興味を示してくれたのが、ディーだった。
無気力&脱力系少年のあのディーが、だ。
色々と聞いてくれるので、俺もついつい調子に乗って解説をした覚えがある。
反対に販売の際には絹ごしも寄せ豆腐も関係なく、ただ『豆腐』とだけ言っていた。
これには細かな種類がどうのというより、まず『豆腐』という名前を覚えてもらおうという狙いがあって敢えてそうしている。
詳しく種類が言える時点で俺の知り合いという確率がぐっと高まる。
加えてまだ販売していない『木綿豆腐』という単語が出てこようものなら、まず知り合いと考えて間違いない。
貴族の女の子、俺の知り合い、お兄ちゃんっ子。
そこへ真っ赤なコスチュームとくれば、思い起こす人物はただ一人、イルメラだけだった。
一応変装の為の服だから素材や装飾はいつもより控えめだけれど、それでも良いところの子というのはひしひしと伝わってくる。
ルーカスほどじゃないけれど、イルメラも肌が白いから赤が映えるんだよな。
貴族であるというのを隠すのは端から放棄しているから、ある種の潔さを感じた。
これらを探偵のように一からイルメラに説明せず、ただ『愛の力』としか言わないのは俺の格好付けに他ならない。
俺だって好きな子の前では格好を付けたい時くらいある。
というか出来る事ならイルメラには常に格好良く思われていたい。
「なあ、親分ってクールに見えて……」
「意外と大胆だよな!」
「ストレートですね」
「さすがですわ、アルト様!」
「うんうん」
イルメラの来店は俺にとって頑張ったご褒美のようなものだった。
開店前の様々な苦労と、昨日今日と揉みくちゃにされた苦難が報われるというものだ。
俺はそのご褒美をしっかりと堪能していた。
頭巾の布地を引っ張って必死に真っ赤な頬を隠そうとするイルメラのなんといじらしい事だろう。
しかし、至福の時を邪魔するような声があちこちから聞こえてくる。
そのままずっとイルメラを眺めていたい気持ちをどうにか抑えて俺はくるりと背後を振り返った。
「お馬さんが一匹、二匹、三匹、四匹と……お客さんもか」
「馬……!?」
邪魔をされた恨みを込めてじろりと睨んでやると従業員四人が揃って、棒でも呑み込んだような顔で直立不動の姿勢をとった。
号令をかけた訳でもないのに皆が寸分違わず同じ表情、同じ姿勢をしている。
意味がよく解らないながらも、本能レベルで身の危険を感じ取ったのかもしれない。
「人の恋路を邪魔する悪い人はお馬さんに蹴られちゃうんだって」
「それは……とても嫌な運命ですね」
「うん、だから気をつけてね」
「ハイ……」
お客さんを睨むわけにはいかないからという理由で俺の恨みつらみは四人へ集中した。
無邪気を装って笑いながら言うと、より効果的だ。
身から出た錆とはいえ、少し可哀相だったかもな。
それでも締めるところは締めるのが大切だ。
通りに背を向けた状態からくるりと身体を反転させると、幾つかの視線が露骨にずらされた。
「他のお店に迷惑が掛かるから、お姉さんたちもちゃんと並んで下さい」
次回からは行列整理に人員を割かないといけないかもしれないなと思いながら工事中の看板宜しく頭を下げると、人垣を成していた若奥様方は黙って並び始めた。
うん、最初からこうすれば良かった。
ようやく混沌が秩序を取り戻し始めたところで俺はイルメラに、正確にはクラウゼヴィッツ兄弟に向き直った。
「せっかく来てくれたのにごめんね。さっきツァハリス……後ろの大きいお兄さんも言った通り、木綿はまだ置いてないんだ」
「仕方ありませんわね……」
きちんと事情を説明すれば、基本的に聞き分けの良いイルメラは分かってくれる。
だいぶ頬の赤みが引いていた。
それにしても、もともとがディーの為とはいえイルメラの衣装にも手を抜いているようには見えないし、護衛もしっかりついているみたいだから、クラウゼヴィッツ公爵夫人が二人を平等に可愛がっているというのは本当らしい。
以前、お家にお邪魔した時も特におかしな雰囲気はなかった。
いかにクラウゼヴィッツ家が礼節に厳しい家系といえど、使用人さんが自らの意志でそうしているか否かなんて見ればすぐに判る。
問題はイルメラの方か。
別段何かをしている訳ではないけれど、最近は最初の頃に比べて、寄るな触るなという刺々しさが少なくなってきた気がする。
さっきみたいにツンツンしていても、声に怒気や怯えが見えない。
これはいい傾向だよね。
「絹ごしを買っていく? 今日のは出来がいいんだ」
「いただこう」
「まいどー」
来店からずっと薄黄色の豆腐にとろけてしまいそうな熱い視線をくれていたクラウゼヴィッツ兄妹のお兄さんは、よほど豆腐が食べたかったのか俺のお薦めに珍しく即答で飛びついたのだった。
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