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第5章
第33話 紅い花びら
しおりを挟むブルブルッと犬猫が体毛の水気を飛ばす時みたいに小刻みに身体を震わせて、俺は頭の上に堆積した木葉を振り落とした。
「母上、少しじゃないと思うよ?」
「あら、そう?」
母上は惚けたような台詞を口にするけれど、辺りの惨状がすべてを物語っている。
俺の頭の上だけじゃない。
母上の髪にも剣山に生けた花のように木葉がいくつも刺さっている。
妖精のようだとか条件反射のろいで軟派な発言そしそうになるのをグッと堪えた。
足元には即席・木葉のカーペットが出来上がっている。
ふっかふかだな、自然の力って凄い!
とまあ、現実逃避はこのくらいにしておいて。
凄いのは俺の馬鹿魔力と曜日による増幅効果のコンボだ。
風系統は特別得意でも苦手でも無い。
云わば平均だった筈だ。
だけどどうだろう。
前回、ちょうど自分の頭の大きさくらいで出現した風の球が、今回は母上をすっぽり包み込めるくらいの大きさだった。
「増幅ってこんなに凄いの?」
「そうねー。前にアルちゃんが魔法を使った時はちょっと急用が出来て見られなかったんだけど、風の球はどのくらいの大きさだったの?」
「うーんと、このくらい」
「うん、うん。なるほどね」
質問をして逆に問われた俺は両腕を使って大きさを示す。
すると母上は一人で納得したように何度も頷いた。
「なるほどって?」
説明を催促するように母上のドレスの裾を引っ張る。
一度魔法を使うところを見ただけで、俺には見えていないものが母上には見えるらしい。
さすが専門家だ。
「うーん、増幅と言っても普通はここまで大きくならないのだけれど、さっきのを見る限りではアルちゃんの場合は魔力の純度と質がとっても高いみたいだから、それが原因かもしれないわね」
「純度と質?」
母上の口から飛び出すのは、魔法の学習中では始めて耳にする単語で、強調するように復唱しながら首を傾げる。
「純度や質が高いっていうのは、他の系統の魔粒子がほとんど混じっていなくて、川だとか風だとか、もとからある自然そのものに近いっていう事よ」
「自然そのもの……」
子供にも解りやすいように噛み砕いた表現で説明してくれる母上の言葉に唸る。
質の方は何も心当たりが無いが、純度の方は覚えがあった。
毎日欠かさずやっている体内の魔粒子制御訓練だ。
今では、魔粒子で簡単に脳内お絵かきを出来るようになったのだが、魔法を放つ時もなるべく対応する魔粒子のみを収束させて使っている。
それが影響しているとしか思えない。
だけど、同時にわからない事があった。
魔粒子の制御は基礎中の基礎として師匠の魔導書には書いてあった筈だ。
なのにそれを実践しただけで、高純度だなんて言われるのはどうも腑に落ちない。
「普通はもっと他の系統の魔粒子が混ざってしまうのよ。きっとそれで増幅効果が強くかかってしまったのね」
疑問の答えは母上がくれた。
えーと、じゃあ俺が基本と信じてやってきたのはいったい何だったのでしょうか?
母上の仰る通り、あれのせいで匙加減が抜群に難しくなっているのだとしたら、師匠の魔導書はいったい……?
今の俺の気持ちを端的に表現するとこうだ。
基本どころか上級者向けじゃないか、コノヤロー!
「魔力の純度や質が高いのは良い事なのよ?」
「はい……」
慰めてくれているところ申し訳無いが、俺のショックは大きい。
師匠に文句の一つも言ってやりたいところだが、本の装丁の傷み具合からして、おそらくもう存命はしていないだろう。
「うん、アルちゃんが考えている事はだいたいわかるけれど、本に書かれている事が全て真実とは限らないし、常識というものは時を経れば変わるものよ?」
怨嗟の念を胸の内で燻らせていた俺に母上は前を向くようにと仰せになられた。
なるほど、本に書かれている情報も鵜呑みにしてはいけないという事か。
情報を吟味し、自ら取捨選択する。
前世でも確か、『インターネットの情報は鵜呑みにするな』と学校で習った。
新しい情報と古い情報を見誤ってはならない。
結局のところ、今回は現代の魔法事情を詳しく知らないままに、独学でいこうとした俺の落ち度だ。
その辺りの描写はゲームではぼかしてあったからな。
そう考えると、始めて試したあの日が火の日でなくて本当に良かった。
一歩間違えば大火事になるところだった。
「でも、加減は難しいけれど巧く使えば立派な長所になるわ」
そうだ、何も悪い事ばかりでは無い。
球の魔法は系統魔法でいえば最下級になる。
だが、 曜日による増幅効果があればその威力は底上げされ、最下級魔法が戦略急魔法に早変わりするかもしれない。
最強の魔法は最下級の魔法でした、なんて事も有り得るのだ。
母上のように、水魔法と光魔法を組み合わせて幻惑魔法なんて、独自の魔法を生み出すのも派手で格好いいけれど、簡単な魔法で一捻りな状況も男なら憧れるよな。
いや、やっぱりせっかく色んな系統が使えるのだから、組み合わせる派手な魔法の方もやってみたい。
複数の系統を使える人がそもそも稀な為に、系統の組み合わせ魔法の方は研究があまり進んでいないようだった。
現在と師匠の生きていた時代では、魔法界隈の事情・常識に差異があるようだから一概には言えないが、母上の幻惑魔法が持て囃されたのを見ると、複数系統の適性がある人が珍しいというのはきっと変わっていない。
師匠の手記が嘘だとは思いたくなかったし、あそこに書いてある全てが作り話とも思えなかった。
「とりあえず今日のところはよく出来ました! でも少し意外ね」
「意外って何が?」
母上の柔らかな手に頭を撫でられて、恥ずかしさ半分、嬉しさ半分で固まっていたところ、母上が独り言のように呟く。
その声からは口惜しげな雰囲気が感じ取れる。
「ああ、魔法の系統の事よ。光系統を使えると聞いてもしかしたら水系統もと思っていたけれど、アルちゃんは光と風が得意なのね」
「え、風は得意じゃないよ?」
母上の手の動きがピタリと止まった。
「え、得意じゃないの?」
「うん。得意なのは光と闇と水だよ」
「三系統……いえ、使えるという意味だから四系統……」
「無系統はまだ試してないけど、発動だけなら試したの全部出来たよ?」
「……私は夢を見ているのかしら?」
驚かれるのは予想していた。
だけど、誰がここまでだと予想し得ただろうか?
母上は徐に自分の頬をつねった。
それも、せっかくの花の顏が赤くなってしまうくらいに強くだ。
あらあら、まあまあのおっとりとした母上は鳴りを潜めていた。
「母上、女性が顔を傷つけちゃダメ! つねるなら太股の内側……じゃなくて、いっそ父上をつねって!」
慌てて止めにかかるが、既に母上はあまりの痛さに縮こまっている。
……せめてそんなに強くつねらなくても、と思った。
人身御供として真っ先に父上が思い浮かんだのは別に他意は無い。
無いと言ったら無いし、父上がどこかでくしゃみをしていようが知った事か。
女性の肌に怪我は似合わないが、男にとっては怪我は勲章のようなものだ。
あいにく父上はこの場にいないから、つねるなら転位する必要があるが。
「……夢じゃないのね。どうしましょう、前代未聞だわ……」
母上は珍しく目に見えて狼狽えている。
ゲームではアルトが全属性使えるのは全員周知の事実のように言われていたから、さらっとカミングアウトしたのだが、失敗だったらしい。
その道に詳しいからこそ、その異常性がよく解るのだろう。
「ごめんなさい、母上」
「いえ、謝る事じゃないわ。今日はお祝いしなきゃいけないわね」
子供の前だからと明るく振る舞う母上の姿が痛ましく見えた。
「でもアルちゃん、母様と一つお約束が出来るかしら?」
「約束って?」
「アルちゃんが色んな系統の魔法を使える事を秘密にしておいて欲しいの」
言われると思っていた。
二系統ですら、珍しいと言われているのだ。
曜日に応じて使い分ければ怖いもの無しが出来るとか、迂闊に話したら化け物扱いされてしまいそうだ。
俺はとんでもないものを手に入れてしまったようだ。
「二人だけの秘密?」
「そうねー、あの人には母様の方から話しておくわ」
父上も割り込むのか。
ちょっと残念だなんて思いながらも頷く。
二人だけの秘密がいいと言ったら、母上は何とリアクションするだろう?
「せっかくだから、このままお庭をお散歩しましょうか?」
「デート?」
「ふふふっ、そうね。アルちゃん、母様とデートしましょうか?」
「するー!」
あれだけ狼狽えていたから少し心配になって、おどけてみたけれど、余計なお世話だったようだ。
母親は強し、だな。
では出発!
……と、その前に。
「散らばった葉っぱ、片付けなくていいの?」
辺りの惨状を思い出した。
俺を爆心地として、近くの木が禿げて木葉が散らばっている。
ごめんよー。
「うーん、このままでいいんじゃないかしら? 母様はこのままでも面白くて好きよ?」
庭の評価の基準が綺麗とか整っているとかじゃなく、面白いかどうかっていったい……。
常人の俺には母上の考えが時々理解出来ない。
だけど、母上がこれでいいと仰るのだから、それに従う事にした。
ぶっちゃけお片付けは面倒だからな。
木立は緑豊かな森となり、緑豊かな森は前衛的な禿げかけた木の森になった。
めでたし、めでたし?
光合成出来なくなって森が死滅してしまわないかちょっとだけ心配になった俺が去り際に振り返ると、『自然は強いものよ』と母上が絶妙なタイミングで呟いた。
強いのは母上だと思うぞ。
母上との自宅庭園デートはほのぼのとしていて楽しかった。
水玉模様の花の名前だとか、木の枝振りだとかは俺には全然分からないけれど、母上が楽しいのなら俺はそれでいい。
『デートで自分の話ばかりしていたら女の子に嫌われるわよ?』と遠い昔にとあるゲーマーな女性から聞いた事がある。
男は聞き役に徹して、ただ相槌を打っていればいいと言われて、男だって話がしたいと当時は憤慨したものだが、ニコニコ頷いていればいいというのは案外名案かもしれない。
少なくとも要らぬ地雷を踏み抜かずに済むからな。
「あら、もう着いちゃったのね」
正面入り口の扉を前に母上が名残惜しそうな色を滲ませる。
楽しんで貰えたらしい。
扉に手を掛けた母上の後ろ髪に何か赤いものが付いているのに気付く。
目を凝らしてそれが花びらだと分かった瞬間に、ある事を思い出した。
「母上、お家に入る前に一つだけ質問してもいい?」
「あら、なあに?」
せっかく明るい雰囲気になったのにまた蒸し返すような事を聞いて良いものかと躊躇う気持ちもあったが、幼い好奇心には勝てなかった。
「紅の日は何の魔法系統の日なの?」
ヒラヒラと赤い花びらが宙を舞う中、訊ねる。
闇の日から風の日、そして土の日、光の日は判る。
系統名そっくりそのままだ。
だけど、前世でいう金曜日にあたる紅の日だけはよく判らなかった。
普通に考えるのなら残りの無系統だが、無と紅という言葉が結び付かない。
「ああ、紅の日はどの系統の日でもないのよ。無系統は他の六系統に含まれない雑多な魔法の総称だからかしらね?」
「な~んだ」
もっと何か深い意味があるのかと思っていたところにさらっと答えられて、安心したような、がっかりしたような複雑な気持ちを抱く。
「さっ、もうすぐお夕食の時間よ? 早く家に入りましょう」
「は~い」
言われた瞬間にお腹が空いている事を自覚した俺は導かれるがまま、そそくさと我が家の玄関ホールへと足を踏み入れたのだった。
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