攻略なんて冗談じゃない!

紫月

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第2章

第14話 寡黙なる子供達

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「失礼致します。クラウゼヴィッツ公爵様の御子息並びにご令嬢がお越しです」


 中低音の声が響いた。

 おそらく、外で扉の傍らに控えていた二人の兵士のうちのどちらかのものだろう。


 御伺いを立てるその声を聞いた瞬間に、俺は必死に感情を押し隠しながら心の中で歓喜した。

 相手が扉の向こうでなければ衝動的に抱き着いていたかもしれない。


 わざと一呼吸を置いた。


 ――浮き足立つ心を鎮める為に。


 ゆっくりと左手方向に振り向くと、両開きの扉が中央から割れて、光が射し込んだ。


 とてとて、と。

 そんな表現が似合いが似合いそうな足取りで二人は、内開きに開け放たれた扉のこちら側、部屋の中へと足を踏み入れてきた。


 いや、まあ子供だから仕方ないのだけれど。

 俺も自主トレーニングをしたから少しましという程度だ。


 二人とは言わずもがな、クラウゼヴィッツ兄妹の事である。

 部屋に入ってすぐに二人は立ち止まった。


 仲の良い兄妹。

 寄り添っている二人を見て大人たちはそう言うだろう。

 けれど俺の目には黒髪の妹の方が一方的に縋っているように映った。

 まるで何かに怯えているように。


 対して兄の方は垂れ気味の眠たげな目だけを右から左へと流して室内を観察し、緩慢とした動きで俺の向かいの席に着いた。

 俺の事どころか、腕にしがみ付いていた妹すら目に入っていない様子だ。


 取り残された妹の方はしょんぼりと項垂れた後、とぼとぼと俺の隣の席へと腰掛けた。

 そっと右手を窺うが、蕀いばらのような黒髪が彼女の横顔を覆い、表情が見えない。

 ひたすら居心地悪げに小さく縮こまっている彼女をいじましく思った。


 俺にそう思われる事すら、不憫かもしれない。

 そうか、こうして彼女は狂気に堕ちていったのか。


 情報として知っている事と実際に目の当たりにするのでは大きく隔たりがあると云うが、こうも違うものなのかと愕然とした。



 ――狂い咲きの薔薇。

 かつて、彼女をそう呼んでいた人がいた事を思い出す。


 イルメラ・クラウゼヴィッツ。

 それが隣で項垂れている彼女の名前だ。


 攻略対象キャラの一人であるディートリヒの異母妹であり、全ルートでゲームヒロインの前に立ちはだかる最大のライバル。

 それが彼女の役割ロールだ。


 クラウゼヴィッツ公爵の愛人の子として生まれた彼女は、 二歳になって間も無く実母に捨てられた。

 いや、正確には彼女の母親がクラウゼヴィッツ公爵に子供を奪われ、捨てられた。

 それはもう、無惨に。


 当時二歳という年齢上、彼女は細かな事は覚えていない。

 しかし、イルメラにはたった一つだけ頭にこびり付いて忘れられないものがあった。


 父に捨てられた瞬間の、実母の顔である。


 彼女は本能的に母親のようには決してなるまいと己に誓っていた。


 ありがちな小説のように、公爵夫人に冷遇された訳ではない。

 むしろ、夫人の実の子であるディートリヒと同じように大切に育てられたが、幼いながらも賢い彼女はそれを気味が悪いと感じていた。

 そこでイルメラが目を向けたのが、異母兄のディートリヒである。


 自分に特段優しいわけでもなければ、冷たくも無い。

 そんな兄がイルメラの目には好ましく映った。

 無論、それは肉親としてである。


 兄のディートリヒはといえば何事にも関心が無いようだった。

 表面上は上手く演じていても、幼少より常に傍らにいた彼女には何と無く判る。


 何にも心を動かされる事は無い。

 そんな兄をイルメラは自分よりもずっと不幸な人だと思ったが、イルメラはそれを変えようとは思わなかった。

 その方が彼女にとって都合が良かったからだ。


 愛するという感情が芽生えるからこそ、裏切りも生まれるのだ。

 ――母を裏切った父のように。


 何も愛する事が無い、何も憎悪する事も無い。

 そんな兄だからこそ彼女は煢然けいぜんたる思いを叫ぶ己の声すら無視をして、すぐに割れてしまいそうな氷を足場に安心して寄り掛かっていた。


 非情なようだが、自分より不幸な人間を傍に置いておく事で彼女は安心したかったのかもしれない。

 歪な思いだが、確かに彼女は兄・ディートリヒを愛していた。

 一生、この泥沼の中で二人で生きるのだと思っていた。


 そう、ヒロインが現れるまでは。


 興味という名の感情を宿すディートリヒの赤い瞳は美しかった。

 ルビーすらその輝きには遠く及ばない。


 十五年も傍にいて、それでも見る事が叶わなかった輝きを兄はよそ者の女に向けている。

 その事に、兄の裏切りにイルメラは混乱し、激しく激昂した。


  ここが彼女の悪女キャラとしての出発点だ。


 ある時は己の色香を遣って男を操り、ある時は憎んで止まない父にまで笑顔を振り撒いて、ありとあらゆる手段を用いてヒロインの妨害をした。


 兄の美しい顔が歪む事に時折罪悪感を覚えたが、それでも彼女はやめられなかった。

 ヒロインを貶める事こそがただ一つの自分の生きる理由だと思っていたからだ。


 製作者の意図、つまり世界の意志からすればそれは正しくその通りだった。

 彼女はヒロインと相対する存在として産み出されたのだから。


 イルメラは幾ら打ち据えても歪みも穢れもしないヒロインを気味の悪い存在だと思うようになった。

 人間離れしていると。


 だというのにだんだんと汚れていく自分の両手と心が呪わしい。

 醜いものとは綺麗なものの前ではよりいっそう汚ならしく見えるものである。


 ヒロインが人間離れした清廉な白とするならば、自分は汚れた血のようにどす黒い赤だろうと彼女は自ら語った。


 ここまで全てがトゥルーエンドでのみ聞く事が出来るイルメラの独白である。


 彼女にとって一番不運だったのはヒロインの出現に他ならないが、一番不幸だったのは狂っていると云われながらも狂いきっていなかった点だろう。


 本当の狂者なら汚れた自分の手を見て悲しんだりしないはずだ。


 トゥルーエンドにて彼女は世界の生け贄になる。

 死の瞬間になって漸く、自分は愛されたかったのだと悟った。


 魔王・イルメラ。

 それがかのゲームでの彼女のもう一つの呼び名だ。


 乙女ゲームとしての様式を保ちながら、重厚なRPG的世界観をもつ。

 二つのジャンルの融合。

 それが『運命の二人』の最大の特徴だった。


 大きく分けて二部から成るそれは、第一部が恋愛に重きを置いた学園もののストーリー、第二部がRPG主体のストーリーという構成だった。


 ヒロインは第一部で攻略したキャラと共に旅に出て魔王討伐を目指す。

 つまりイルメラはヒロインの前に二度立ちはだからなければいけないのだ。


 一度目は恋敵として、二度目は魔王として。


 この点に関して俺個人の意見を述べるのならば、そこまでイルメラを苛めなくても良かろうと思う。

 曲がりなりにも好きだった男とかつての恋敵が目の前でいちゃラブを繰り広げるなんて、拷問に違いない。


 新手の魔王討伐法か、それとも単なる嫌がらせかと開発のシナリオ担当者を小一時間ほど問い詰めたいところだ。


 そんな訳で彼女に対して少なからず同情の念もある。

 だけど嫉妬の情念で画面を真っ赤に染めた彼女が現うつつのものならば、会ってみたいと思ったのも事実だ。


 怒り狂う彼女は己を醜いと云ったけれど、強い感情を灯す彼女の姿は燃えさかる焔のようで美しかった。

 そんな人に思われてみたい、と思った。


 女の趣味が悪過ぎるとどこからか声が聞こえて来たが、そんな忠告はもう用を成さない。

 俺は既に彼女に囚われているのだから。


 俯くイルメラにすぐにでも声を掛けてやりたかったが、ここはぐっと堪える。

 面識の無い俺が今出ていったところで、彼女の心には何も響かない。

 却って彼女に恥をかかせてしまうだけだ。


 それに、ほら……。



 俯いていた顔が真っ直ぐ前を向く。

 我が愛しのちびっ子魔王様はプライドが高くていらっしゃるようだ。


 ありがちな女の子なら、泣いてしまうだろう。

 だが、彼女は違う。


 一度は俯いてしまっても、再び顔を上げて鋭いまなざしで前を見るのだ。

 まだ三歳そこそこだというのにその横顔には凛々しささえ感じられる。


「小さな淑女レディー……」


 ぽつりとこぼれ落ちた言葉に、一瞬だけ彼女が振り向いた気がした。


 さて、どうしたものか。

 会話の無いこの状況はお世辞にも和やかとは云えない。

 だが、これといって空気を変える方法も思い付かない。

 まずは自己紹介からとも考えたが、全員揃わない状態で始めるのも如何なものか。


 それに確かこの国の礼儀作法では、夜会や茶会などで目が合っていないにも拘わらず目下の者から初対面の目上の者に話し掛けるのは無礼にあたる筈だ。

 一番無難なのは誰かに紹介されてから名乗りを上げる事だが、頼みの綱の母上はだんまりを決め込んでおられる。

 向かいに座る緑色の頭の人物も協力的とは言い難い。


 いや、まあ公爵子息とはいえ幼児に場を取り成す事を求めるのが間違っているのかもしれないが、お前ら二人は兄妹だろうと言いたくもなる。


 何故に無言なのか。

 まだ授業は始まっていないので、私語厳禁ではありませんよ!?


 幼児だというのに無駄に色気を感じさせる赤い流し目のお向かいさんが怨めしい。


 やはり自己紹介は残る二つの席が埋まってからの方が得策か。

 作法を重んじるならこの場で一番身分が低い俺には選択権は無い。


 とりあえず誰でも良いから早く来てくれ!


 そんな俺の願いが通じたのか、三秒後には再び扉の外から声が掛かった。


「ブロックマイアー公爵の御子息がお越しです」


 来た、とその名前を聞いて思わず身構える。

 自分で望んでおきながら滑稽だと思うが、身体が勝手に動くのだ、致し方あるまい。


 べーの公爵家・ブロックマイアー。

 アーベーツェーデーエーエスと順にその家名の頭文字通りに国内トップクラスの家格を示される攻略キャラたち。


 ブロックマイアー家は王家に次ぐ権威を持つ家系だ。

 その御子息、しかも長男ともなれば次期公爵も同じ。


 そこは別にいい。

 どうせこの部屋には高貴な人しかいない。

 彼が加わろうが加わるまいが華麗なるメンツである。

 俺が気にしているのは成長した彼の事である。


 美人薄命。

 そんな言葉を地でいける彼も例のゲームの攻略対象キャラだが、彼の活躍は凄まじかった。


 何がどうって、ヤンデレ化がマジで怖い!

 あのゲームではどの攻略対象キャラのルートにもヤンデレ要素はあったが、彼は群を抜いて酷かった。


 デッド&バッドエンドメーカーにしてトラウマメーカー。

 それが俺の彼に対する印象だ。

 身構えるな、という方が無理がある。


 ゲームでは幼少期のエピソードは無かったから今の彼がどんなだかわからない。

 暗い目をしてニヒルに微笑む青年のイメージを必死に打ち消しながら彼の登場の瞬間を見守った。


 絶世の美幼児(幸薄)。

 第一印象はこんなところだろうか。

 美少年、と言いたいところが少年と呼べる年齢に達していないのでここは美幼児と称しておく。


 美容師みたいな呼び名だなぁとは思っていない、断じて。


 流れる白銀の髪にアメジストのような瞳。

 少し顔色は悪いが、瞳には明るい光が宿っていて前世の記憶の中でのイメージよりは遥かにまともに見えた。


 いや、この歳で世の中斜めに見下ろしてたら恐ろしいけれど。

 それだけ全てに絶望したあの顔のインパクトが強烈だったという事だ。


 まじまじと見詰めていると美幼児は頬を赤らめる。

 うん、もとの顔色が少し青ざめているから赤面しているくらいがちょうどいいかもしれない。


 髪も白ければ肌も本当に抜けるように白い。

 血色の悪さと美貌も手伝って人間離れして見える。

 驚きの白さだがどこかで見覚えがあるような、と考えたところではたと思い当たった。


 そうか、池を覗き込んでいた子はこの子だったのか。


 思えばさっきもこの髪に視線を奪われたのだ。

 病弱イメージが先行してまさかあれが彼だとは思わなかった。


 ブロックマイアー公爵子息はふらりふらりと漂うような辿々しい足取りで室内を歩く。


 体調は関係無くまだ上手く歩けないだけなのか、どこか具合が悪くてふらついているのかはちょっと判断に困る。


 それでもディートリヒの左隣まで転ぶ事無くたどり着いた彼に安堵のため息をつきそうになったが、一難去ってまた一難。

 ディートリヒとイルメラを見比べて彼は困惑の表情を浮かべた。


 ……運動は苦手でも頭脳は明晰という事か。

 恐らく、ディートリヒとイルメラの位置がマナー的には逆なのだろう。


 ディートリヒとて教えられてはいただろうが、そんなものには興味無いとばかりに宙に流し目をくれて色気を垂れ流しながら何食わぬ顔で座っている。

 動く気はさらさら無さそうだ。


 それは仕方無くというように絶世の美幼児が眉を歪め、自分の手で椅子を引いて、正にそこに腰掛けようとした瞬間だった。


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