攻略なんて冗談じゃない!

紫月

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第1章

第6話 王城へ行く

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 ――ガタン、ガタン、ガタン。



 前世の夢を見た。

 電車に乗っている夢だ。


 この世界にはきっと実存しないだろうその乗り物には、“僕”そして俺のトラウマが詰まっている。



『さすらいの席譲り人(女性限定)』


 影でそう呼ばれていた。


 目の前に女性が立つと、前世の母親による『レディを立たせて自分だけ座るとはなんたるか』という英才教育が功を奏して、席を譲ってしまう。


「貴女に見下ろされるのも悪くはないけれど、個人的には見下ろす方が好きかな」


 などどいらぬ妄言を吐きながら。


 現実世界で初対面の女性相手に掛けるべき言葉では無いのは火を見るより明らかだ。

 これがお国が違えばまだ救いだったかもしれない。

 けれどそこは『漢は黙って』な日本国の地方都市である。


 レディファースト文化後進国だ。

 当然、目の前の女性が我が耳を疑うのは必至なわけで。


 場の雰囲気からいたたまれなくなって、別の車両に移動する。

 それがさすらいの席譲り人たる所以だ。


 普通に「ここどうぞ」でいいだろう、と心の中では自分に対する突っ込みが渦巻いていても悲しきかな、その言動は脊髄反射レベルで叩き込まれている。


 最初から座らねば席を譲りに立つ必要もあるまい、そう考えて実行した事もあった。

 最初のうちはうまくいっていた。


 しかし普段より疲れた日、空いている席の誘惑に負けて座った時に限って俺の目の前に女性は現れたのだった。




「んっ……」
「あら、アルちゃんったらおめざかしら?」



 悪い夢を見た。

 そう思って呻き声を上げながらパチリと目を開けると母上が俺の顔を覗き込んでいた。


「おはよーごじゃいましゅ……」


 喃語からは脱出したものの非常に残念な感じの発音で挨拶すると、母上はクスクスと可笑しそうにお笑いになられた。


 くそっ、舌が回らない……。

 最近は魔粒子制御の特訓にかまけて、発声練習をサボりがちだったからな。


 魔粒子の収束・拡散を三セットほどこなすと疲れて眠くなってしまうこの身体が悪い。

 魔法使いって基本的に体力ないイメージだったけど、この世界だとそっち方面も鍛えないとダメなのか?


 なにも魔法を使う事を今生最大の目的にしているわけではないが、せっかく資質があるのだ。

 使わない手は無いだろう。

 それにバッドエンド回避の為、手段や選択肢は少しでも多い方がいい。



「ふふっ、おはよう。だけどもうお昼過ぎよ?」


 ふんわりと綿飴のように柔らかな声が、寝惚け眼のまま思考の海に溺れそうになっていた俺を浮上させた。



 そうだった、今は昼下がり。

 家に居ればちょうど昼寝を装いつつ、部屋で魔粒子の特訓をしている時間帯。

 俺は王城へと向かう馬車に揺られていた。




「お城の見学に行きましょう」


 俺が魔法の特訓を始めてから一月後、おやつの卵ボーロ(をお湯でふやかしたもの)を貪り食らう俺に母上が告げた。


「……うん?」


 何故急にそんな事を?


 そう思って手を止め、コテンと首を傾げる。


 側にいたお馴染みのメイドさん――カーヤさんと言うらしい――が何故か無言で鼻と口を押さえてダッシュで部屋を出ていった。

 風邪だろうか?



「アルちゃん、まだお城には行った事無かったでしょう?」


 突然消えたカーヤさんに気を取られていると、猫足のテーブルの向かいの椅子に腰を下ろした母上が俺の手を取って話を続ける。

 鏡のような瞳が俺を写し出している。


「はぃ……」


 何となく心の奥底まで覗き込まれているような、全てを見透かされているような感じがして萎縮してしまう。

 いつも優しくておおらかなはずの母上が何だか怖い。


「アルちゃんにね、会わせたい子が居るのよ」


 にっこりと綺麗な弧を描く母上の口許と真っ直ぐこちらを見つめる灰色の瞳を見て、俺の頭をある映像が駆け巡った。



 場所は王都の城。

 武芸大会用にと建てられた闘技場。


 寒々とした薄い空の下、閑散としたそこに金髪の青年と青い髪をした青年が対峙していた。

 互いの手には磨き抜かれた剣がある。


「お前と女の趣味が同じとは……俺も落ちたな!」


 邪魔な鞘を投げ捨てながらそう言って、金髪のそいつは口角を吊り上げた。

 笑っている、それなのにその瞳には哀しみと決意が宿っていた。




 何故あのタイミングで彼の事を思い出したのか。

 それは母上の瞳が、唇があの時の彼と似ていたからだと思う。




「奥様、到着致しました」
「ありがとう。……アルちゃん、母様と一緒に行きましょうね」


 目的地へと到着したシックザール侯爵家わが家専用の馬車は音も無く止まった。

 御者の声に礼を返した母上が直々に俺を抱き上げて馬車を降りる。


 なんかこう、貴族女性が馬車から降りてくるっていうと御者に片手を預けてそろりとっていうイメージが大きかったけれど、この世界では違うのだろうか?


 生まれもれっきとした貴族女性で、いつも無敵で素敵な母上の事だから、この世界の常識を違える筈は無いだろうし……。


 知っているようで知らない世界だ、異世界って難しいなどと考えていると、俺を足元に降ろした母上が横にずれて視界が開け、白亜の城が姿を現した。


しゅごいすごい……」


 前世から通算の精神の年齢で言えば残念な語彙力を惜しみ無くさらけ出しながらも、お上りさんかと言われても仕方ないくらいに俺の気分は一気に高揚していた。


 画面上で見た事はある。

 修学旅行で行った某テーマパークのお城も見た事はある。


 けれど赫々かっかくたる様子で佇むそれは、前世の記憶にあるそれらとは一線を画していた。


 行き交う人々、そこに息づく草花が本物だと告げている。



「服は……乱れていないわね」


 馬鹿みたいに城を見上げる俺の纏う、少しかっちりとした灰色の布地のよそ行きの服を右、左、前、後ろと確認した後、母上は最後に紺碧アズールの髪をそっと撫でた。


 赤い絨毯を小さな足で踏み締めながら、一生懸命母上についていく。

 お城は広いからと抱いて移動する事を提案されたが、それは自分の意思で断固として拒否をした。


 広いと感じるからこそ、自分の足で歩きたいと思ったからだ。

 そんな俺に母上はあらあらといつもの調子で言った後、そっと手を引いてくれた。

 ……歩く速度については若干スパルタ仕様だけどな!



 そんなわけで周りの景色を見る余裕など皆無だったわけだが、かなり奥まった部屋へと連れて来られた。


 さすが王城と云うべきか、磨き抜かれた調度品の数々は上品さと高級感を兼ね備えていた。

 逆に言えば生活感のまるでない完璧なそれらは冷たいまでの印象を俺に与える。


 これは客間だろうな。

 まだ入った事は無いけれどうちの屋敷にも部屋が似たような部屋があったとゲームのイベントを介して知っている。


 我が家のはこの部屋程ではないだろうが、これがポッと出の新興貴族の家なら、いかにも贅を凝らした悪趣味な家具が並べ立てられているのかもしれない。


 それであれだろう、不用意に触って指紋でも付けたら弁償しろとか言われるんだろう?



「じきに来られると思うから、いい子で待っているのよ? 一応念の為にカーヤを残していきますからね」


 微妙に嫌な気分になりながら部屋の中を眺めていると、背後から声がした。


 部屋の前で立ち止まって、俺を先に部屋の中へ通した母上は何故か自分はこの場を離れると言う。



 自分の瞳にみるみる涙が溜まっていくのが分かった。

 初めて来る場所、これから知らない人と会うというシチュエーション。


「……っ」


 見事に精神が肉体年齢に引き摺られた。


「今のアルちゃんにはまだ難しいかもしれないけれど、男の子は泣いちゃダメよ? 男の子はみーんな女の子を守る騎士なんだから」


 立ち去ろうとした足を止めて正面に回り込んで膝を折った。

 母上は俺の頬を伝う涙を指先で拭うと両手で優しく包み込む。


 今日の服と同じ、灰色の瞳が同じ高さから俺を見つめている。


 この時の涙に曇った目では俺は気づく事が出来なかった。

 母上の瞳もまた、揺れていた事に。


「……ぁい」


 顔を一旦逸らして目尻を手の甲で拭った後、向き直って頷いて見せた。


「……良い子、私の愛しい子」


 馬車を降りた時みたいに、髪を梳かすような手つきで頭を撫でられる。


「そろそろ母様も昔の友人に会ってくるわね」


 心地よい感触が離れていく。

 それにまた涙ぐみそうになりながら、母上の背中をしっかりと見送った。


 部屋を出る直前、振り返った一瞬のうちに母上は部屋の隅へ控えていたカーヤさんと視線を交わしていた。


 息子を頼みましたよ、とかそんなところだろう。

 カーヤさんは俺のお目付け役というわけか。


 俺がこんなだから忘れがちだが、アルフレート・シックザールは二歳児だ。

 普通なら身分だとか礼儀作法だとかを考えられる年齢ではない。


 実際に俺はまだその辺りの教育を受けていない。

 それなのに俺をこうして連れ出して、ある程度自己の判断に委ねてくれる。

 これは俺への信頼と受け取っていいんですよね、母上!



 さて、ボーッと突っ立っているのも何なのでソファーに腰掛けたところで、今回俺と会う事になっている人物に話を移そう。


 ぶっちゃけた話、その相手については目星がついている。

 確かこの話を持ち掛けてきた時、母上は相手は子供と言っていた。

 この場は双方合意の元に前もって時間を決め、用意されているのは間違いないだろう。


 しかし、相手は未だ現れない。

 まだ時間になっていないという可能性も無くはないが、俺の手を引く母上の足取りからして、そんなに予定より早くに到着したとも思えない。

 時間に余裕があったなら、もっとゆっくり歩いてくれた筈だ。


 不審な点はまだある。

 こちらは先触れとして家の者(カーヤさん含む)を寄越していたにも関わらず、先方からは城に到着した俺と母上に出迎え一つ無かった。


 少し前まで城で生活していた母上には実質、必要の無い配慮かもしれない。


 しかし、案内一つ寄越さないとなると普通なら自分たちが軽んじられていると受け取られ、怒り出されても文句は言えない筈だ。

 それなのに母上は気にした様子も無く、さも当然というように歩き出していた。


 以上を踏まえて、相手は高位貴族又は秘密裏に会いたい人物、もしくはその両方と考えるのが妥当だろう。

 シックザール家とて相当高位な家系だが、相手はさらに上の家格と見ていい。


 となると件のゲームの主要人物たちの誰かという線が濃厚だな。

 何せ攻略対象キャラ全員が侯爵家以上の生まれなのだから。


 攻略対象は一人が王子、公爵家子息が五人に、俺を加えて七人だ。

 単純に家の爵位で云うなら攻略対象キャラの中では俺が最下位だ。


 もっとも下手にシックザール家を貶したが最後、その人物は多方面から報復を受けて破滅の道を辿るだろうが。


 つい先日、我が家の書庫でご先祖様の武勇伝が記された書物を発見した時は、戦慄を覚えた。

 ちらっと見た限りでも愚かな真似をした者は悲惨な末路を辿っていたように思う。

 俺なら絶対に敵に回すのは御免だ。


 これで侯爵、それなら公爵家や王家はどんな強大な権力を持っているんだ、とついつい唸ってしまいそうになるが、我が家が未だに侯爵位なのは代々の当主が昇爵を拒んできたかららしい。


 にしても考えれば考える程、随分と上流階級ハイソサエティな話だよな。

 そんな中でも今回の面会相手はおそらく……。



「失礼致します」
「どうぞ」


 かけられた声に対して一拍反応の遅れた俺の代わりにカーヤさんが返答をする。


 やっとお出ましか。

 ふかふかのソファーに色々と持っていかれかけた己に活を入れ、居住まいを正して背筋を伸ばしたと同時に扉は開かれた。


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