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序章
第2話 読み聞かせをねだる
しおりを挟むとある日のお昼、シックザール侯爵家本邸にて。
「あらっ、アルちゃん上手ね~」
「きゃーい!」
いかんいかん、母上に誉められてついつい本気で喜んでしまった。
何をしていたのかというと、スプーンを使って離乳食なるものを戴いていた。
母上は俺のスプーン使いを誉めてくれたのだ。
まだ歯も生え揃わぬうちに立派なマザコンか、と思うかもしれないが、うちの母上は特別なのだ。
シックザール家の人間はどういうわけか例外なくある性質を受け継いでいる。
その性質とは、『人たらし』と呼ばれるものだ。
女ったらしのあの“たらし”である。
具体的には老若男女問わず人に好かれやすい、人心掌握能力に長けているということになる。
勿論、全員が全員シックザールの人間に好意的というわけはないし、個々によっても程度に差が見られるが、シックザールの系譜に名を連ねる人間は皆例外なく大なり小なりその性質を備えている。
それは他家から嫁いだ身の人間、母上もまた例外ではない。
母上は生まれこそ有力貴族ではなかったが、その類い稀な魔力で国内外から注目を浴びる存在だった。
一方の父上は巧みな話術を買われ、このアイヒベルガー皇国の宰相を任されている。
そんな二人だが結婚は政略的なものではなく、恋愛結婚だったと確かゲームのシナリオで言ってたように思う。
というわけで。
「アルト様、お昼寝の時間ですよー?」
「うゆ?」
お昼御飯を終え、母上は王宮で用事があるとかでメイドさんに子供部屋ーー記憶にある前世の“僕”の部屋より断然広いーーへ戻されたわけですが、まだ眠たくないと駄々を捏ねてみました。
頑張ってお世話してくれているメイドさんをあまり困らせるものではないとは思うのだが、出来れば早めに確認しておきたいことがあるのだ。
「あっ、アルト様……」
「うーゆ?」
ひたすら上目遣い(若干目を潤ませるのも忘れない)。
「い、いけません……」
口ではダメと言っているものの、メイドさんの肩はぷるぷる震えている。
あともう一息かな?
「にゅ~?」
「はううぅぅ~……」
落ちた。
こてん、とダメ押しに首を傾げるとメイドさんは胸の前で両腕を交差させて自分の身体を抱き締めながらヘナヘナとその場に崩れ落ちた。
「うにゃ」
やり過ぎたかな?
俺の方が柵付きのベビーベッドの上から見下ろしている状態な為、俯いているメイドさんの顔は見えないが、艶やかなショートカットの黒い髪の間から覗く耳は真っ赤だった。
それに何か聞こえてはならない声がブツブツと聞こえてくる気がする。
気のせいだよな?
萌えとか悩殺とか力づくでも気のせいのはずだ。
「さっ、アルト様何をして遊びましょうか?」
「ぴっ!?」
なんて声を掛けようか、ああでもないこうでもないと考えあぐねていたら(後で落ち着いて考えたら俺はまだちゃんと喋れないから何を言っても良かった)、急にすっくと起き上がってきて驚いてしまった。
妄想暴走機関車なメイドさんは立ち直りも早いらしい。
その質問待ってましたなんだけど、俺よりメイドさんの方が楽しそうなのは何故だ?
「そうですねー、お人形遊びは如何ですか?」
「う~」
「それでは、私と一緒にお庭のお散歩は如何でしょうか?」
「う~」
お人形遊びは女の子向けだろう。
俺は男だ。
庭の散歩自体は悪くない提案だが、今の状態のメイドさんの腕に抱かれるというのは少々危険な気がする。
それより乳幼児向けのお遊びといえば、男女を問わずもっとポピュラーなものがあるだろう。
自分の口で言えないのがもどかしい。
「では、絵本などはどうでしょうか?」
「きゃい!」
そう、それだ!
文字通り両手を挙げてオーバーリアクション気味に喜んだ俺を見てメイドさんもホッとした様子だった。
「ふふっ、何の絵本が宜しいでしょうかね?」
控えめに笑って、部屋の隅に置かれた棚――俺はまだ一番下の段にしか手が届かない――に近寄って数冊本を手に取るメイドさん。
生憎とこちらからは絵本の表紙が見えないようだ。
極端にマニアックだとか変な本じゃなきゃ、今回だけは内容はどうでもいいんだけどな。
だいたい俺、聞いてくれても口では答えられないし。
「少年とユニコーンの冒険、はいかかですか?」
「きゃい!」
数冊見比べた結果提示されたタイトルに俺は歓喜した。
メイドさんのことだからおかしな提案をするかもとか思ってたのは内緒だ。
このチョイスはひょっとして俺がファンタジーな生き物大好きなのを把握しているのだろうか。
メイドさん情報網恐るべし。
「ではちょっと失礼致しますね」
さっきのタイトル以外の絵本を棚に戻し、そう言って両脇を抱き抱え、絵本が見えやすいようにと柔らかい膝の上に座らせてくれる。
母上以外の人だとこれは初めてかもしれない(父上は悪いがノーカウントだ!)。
「ふふっ、アルト様。この位置で見えますか?」
初めての経験にわたわたと落ち着きのない俺を不審がるでもなく、メイドさんは笑みを深めるだけで見逃してくれた。
目の前で宝石箱の蓋のように絵本が広げられる。
一ページ目。
目に飛び込んできたのは金髪の六歳くらいの少年が一角獣の鬣を優しく撫でる様子が書かれたイラストと、この世界の文字だった。
文字。
それを認識出来た瞬間、俺は声にならない喜びを噛み締めた。
読める!
俺はこの世界の文字が読める!
漢字でも平仮名でもない。
カタカナとも英語とも違う。
絵本に書かれた文字自体は見たことがある、というか一部を除いてアルファベットそのものだが、何語かと言われるとよく判らなかった。
仕方ないだろ、高校生だったんだから。
英単語の小テストに嫌気がさす年頃だ、イタリア語だのラテン語だのフランス語だのをその年から習得している人間の方が圧倒的に少数派だ。
しかしどういうわけか俺はそれが何を意味するのか考えるまでもなく理解出来た。
書けるのかどうか、その点はまだ分からない。
けれど、少なくとも読む事は出来る。
そうとわかったら早く足腰を鍛えて、大人たちの目を盗んで情報収集をしなくては。
現在の俺といえば歩くことは出来るものの、足取りが覚束無いため、一人歩きを禁じられていた。
常に誰かが付き添っている状態だ。
それではやはり動きがとりにくい。
数あるバッドエンドを回避するため、得られる知識は全て得ておきたい。
その上でもっぱら関心を引かれるのが父上の書斎と膨大な蔵書を誇る我が家の書庫だ。
そこに忍び込みたい。
素直におねだりすれば入れてもらえるのではとも思うが、そこはやはり俺も男の子だ。
いい加減、赤ん坊らしく1日の大半を寝て過ごす生活にも飽きてきたところだ。
潜入ミッションのスリルこそ漢のロマンである。
そのためには寝ている時にも常に誰かが付き添っている現状を打破する必要がある。
最低限、この部屋の中の一人歩きくらいは許してもらえるようにならなくては目を盗むどころの話ではない。
目下最優先事項は、自立型二足歩行が危なげなく出来るようになること、か。
本を読み耽るというインドアな活動をするために身体を鍛えるというのは何かおかしな感じがするが致し方ない。
身体の大きさに対してどうしても頭の比重が大きいからふらつくんだよな。
上手く歩けるようになって、母上やメイドさんたちが油断し始めた頃合いを見計らって、スニーキングミッション開始だ。
とりあえずの方針は決まった。
母上、心配を掛けてしまいますが、どうかお赦し下さい。
これは愚息の将来のため、ひいてはシックザール家の明るい未来のためなのです。
「アルト様、ちゃんと聞いてらっしゃいますか?」
「アルト様?」
「むぅ~、御自分でねだられたのに全く聞いて下さらないなんてあんまりです。一生懸命読みましたのに……」
脳内会議に没頭していた俺は、メイドさんの読み聞かせを全く聞いていなかった。
それによってメイドさんが拗ねてしまい、なんとかご機嫌を取るのに四苦八苦したのは余談である。
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