5 / 18
5
しおりを挟む
「なんだ、それで飛び出してきたのか」
ホークの家はヤンバルの港の街並みの一角にあった。
海から眺めていた美しい街並みの裾に押し寄せられるようにして、ごちゃごちゃとした街並みが現れる。人の波に押し出されそうなアトリを見かねたホークが、手をつないで先導してくれた先にあったのは、丘の上の赤い屋根と白い壁の建物にも劣らない立派な家だった。
しかし年季が入っているのか、一目見るだけで古いとアトリにも分かった。
中に入るとホークの家に仕える者たちがわらわらと寄ってきて、ホークの帰りを喜んでアトリをもてなしてくれた。たくさんの果物とごちそうを用意してくれて、お腹がいっぱいになったアトリは眠たくなってしまう。
眠たいならここで寝るといい、とホークの部屋に案内されてソファに横になったアトリは、うとうとしながら運命の人を探しに来た話をホークに聞かせた。
「そうだよ。ぼく、アーロンのお嫁さんにはならないんだ」
「ほう?それはなぜ?」
「なんでって・・・・・・。なんでだっけな・・・・・・」
とろとろと眠たくなったアトリは、ぽすぽすと服を脱いでしまう。
これを使っていい、とホークがくれた毛布を口元までかぶって大きなあくびをする。
着替えながらその様子を見ていたホークは、はははとまた笑ったが、アトリはなぜ笑うのかとぷんぷんする気持ちにはなれなかった。とにかく眠たかったからだ。
「アトリね、こんなところで寝るの初めてだし、いろんな人がいるところでご飯食べたのも初めてでね・・・・・・・だから、だから、アーロンのこと嫌いじゃないけど、アーロンのお嫁さんにはならないの」
「いいさ、アトリ。よく眠るといい」
アトリのさらさらとした髪を、大きなホークの手のひらが撫でる。
ホークはアトリの説明が一つもよくわからなかったが、幼い様子のあるこの少年が安心して眠る姿にどうしてか心が慰められた。
「おやすみ、檳榔売り」
久しぶりに開けた窓からは、町の喧噪が聞こえてくる。
傾いていく夕日が室内を照らす。
ホークは窓からヤンバルの丘を見上げた。
「また新しい者がやってきたな、ヤンバルよ」
まるで街そのものに、友人のように語り掛けるホークの背中。
寝ぼけながら眠りに落ちていくアトリの瞳には、寂しいような懐かしいようななにかが映っていた。
「お前はまだ俺たちの友人だろうか・・・・・・・」
*******************
ホークの家は大きくて古いが、とにかくごちゃごちゃしていた。
海の上から見たヤンバルの美しい街並みとは裏腹に、近づいてみると海沿いにはこれでもかというくらいにごちゃごちゃごちゃごちゃした木造の家が、海の上にせり出すようにして建っている。
中には筏いかだや船の上に建っている小屋もあり、見回してみると大部分がそうやって海の上にどやどやと古い木々を組み合わせて住まいを作っていた。
道は狭く、皆家の外で食べ物を焼き、そこらへんに生ごみを捨てている。
陸側の細い道が入り組むところには必ず軒先に商品が並べられてて、ありとあらゆるものが売られていた。
ホークがアトリに差し出した金貨で買い物をしている者も多くいて、アトリは不思議な気持ちだった。
「檳榔はあったのか?」
ひとしきり街の市場という市場を回ってきたアトリは、ホークの家に半泣きで帰ってきた。
「ないよ!!!」
ホークは何かを羊皮紙に書き付けて、何通も手紙を作りながらアトリの相手をした。
「だから言っただろう?どこにも檳榔はないって」
「だって、あるかもしれないもん。そう思ったんだもん」
「いいじゃないか、別に。衣食住の世話ぐらいしてやるぞ?お前ひとりぐらいなんということはない」
「それじゃダメなの!ヤンバルで暮らすにはお金がいるって、ホークが言った!それに、アトリは檳榔売りなのに…ずっとそうやってきたのに」
港に船を止めるとお金が必要なこと、露店の商品を手に入れるにはお金が必要なこと。
家にアトリを連れていくまでの道すがら、ホークはそんな話をアトリにした。
それを聞いてお金がない、檳榔がない、どうしようという気持ちをアトリは募らせてしまっていたのだ。目覚めると真っ先に檳榔を探すと言ってきかず、朝食も碌に食べずに飛び出していったのが今朝だった。
「檳榔以外のものを売ってはだめなのか?」
ホークの言葉に、うろうろと歩き回っていたアトリはぴたっと止まった。
たたたっとホークのもとへ駆け寄ってくる。
「アトリ、檳榔売り以外のことをしてもいいの?」
きょとん、とそう尋ねるアトリにホークは面食らう。
なにを言っているんだ、と思ったが純粋に見上げてくるアトリにふざけた様子はなかった。
真意はわからなかったが、ホークはとりあず疑問に答えてやることにした。
「この街に、それを駄目だというやつは一人もいやしないぞ?檳榔がないんだ、檳榔以外を売るしかないだろう」
「ほんと?!」
アトリはホークの腕をぎゅっとつかんで、ぴょんぴょんとはねた。
「ホーク!!どうしよう!ぼく、何しようかな??!」
アトリの身に着けている衣装の飾りが、シャンシャンと音を立てる。飛び跳ねるアトリの喜びように、ホークはまたもぽかんとする以外なかった。
羽ペンを置き、机に肩ひじをつく。
肩から掛ける海賊の外套の袖をアトリがつかみ、握手するようにぶんぶんと上下に振る。
「なにしようかな?!」
しかしその日の夕方、アトリはホークの目の前でさめざめと落ち込んでいた。
「………ばかあ!ヤンバルのばかぁ!」
「ヤンバルは悪くないだろう。それで?オレンジ屋さんになるとか言ってなかったか?」
何をしようかな!と心を躍らせたアトリは、手持ちの荷物をあさり始めた。
そこで海で手に入れたオレンジを見つけて、オレンジ屋さんになると言って家を飛び出していった。
ホークも用事があって出かけていたので、帰ってくるなり床で大の字で泣いているアトリを見て脳裏に疑問符以外浮かばなかった。
こいつは忙しいやつだな、とホークは仕方ないのでアトリに付き合ってやることにした。
ぐすぐすと泣きながら身を起こしたアトリは、傍に座り込んだホークが話を聞いてくれる様子を察知して自分の荷物から敷物を取り出して広げた。座ってどうぞ、と泣きながら席を進める様子はおかしかった。
最後まで話をきいてやらないと、逃がしてもらえないと察したホークだったが、もう遅かった。
「あのね、あのね、オレンジ一個売れちゃったら、ほかに売るものがなくなったの!」
アトリは至極当たり前のことを言い出す。
オレンジはいらんかねー!とヤンバルの街並みを練り歩くアトリの姿が容易に想像できた。
「だから今度は魚屋さんになろうと思ったんだけど」
もうこの時点で、いったい何が『だから』なのかわからなかった。
なぜそうなった。
ホークの中で疑問が増えていく。
「お魚って、網とか釣り竿でとるよね?アトリでも持ってないし、どうしたらいいかなって街の人にきいたんだ」
お魚を取りたいけどどおしたらいいですか!
そう言っているアトリの姿と、困惑するヤンバルの住民。
ホークはなんだかその住民が哀れだった。
「そしたら釣り竿買えばいいよって言われたから、オレンジを売ったお金で買いに行ったの」
「ほう」
素直すぎるその行動力で軌道に乗りそうな話が見えてきた。
「でもアトリの持ってるお金で買える釣り竿がなかったの!ヤンバルのばか!」
「ヤンバルは悪くないだろうが。お前一体オレンジをいくらで売ったんだ?」
オレンジ一つなら、釣り竿とまではいかなくとも、木の枝に糸と針をくくった子供用のものくらいは買えてしまいそうなものだ。
「これ!」
じゃらっとアトリが見せたのは、貝殻が入った袋だった。
意味が解らない。
「どういうことだ?」
「どういうことって、どういうこと?釣り竿屋さんもそう言ってた。これで買い物できないの?」
「・・・・ちょっと待て。お前の島ではこれで買い物をするのか?」
「そうだよ?」
アトリはきょとんとしてホークを見上げた。
その返答にホークは絶句して、思わず天を見上げた。
下からアトリが、どこみてるの、と口をとがらせる。
「おまえ、いったい誰にオレンジを売ったんだ」
「えっと、港のそばにいた子供たち。貝殻とオレンジを交換してっていったら、してくれたの。アトリ、大金持ちになったと思ったのに」
「はあ………。お前は、本当に」
本当に何だろうか。
あきれるような、脱力するような、そんな気持ちにホークは包まれた。
「お前に渡してただろう?あの貨幣じゃないと物は買えないんだ」
「あのね、じゃあさ、じゃあさ。ヤンバルは最初にお金がない人はどうするの?」
アトリは不思議なことを言い出した。
「最初にお金がない人とはどういうことだ?」
「だってね、アトリ檳榔売りだから、檳榔を取ってきて売ればいいでしょ?」
「……ああ」
何もわからなかったが、とりあえず最後まで聞いてやることにした。
貨幣も知らないような少年の話なのだ、根気よく聞いてやらないといけない。
「檳榔さえあれば、それを売ってお金が手に入る。でも、檳榔はヤンバルにはないから、皆最初はどうやるのかなって思って。お金があったら、釣り竿を買ってお魚屋さんになれるし、オレンジを育ててオレンジ屋さんになれるでしょ?」
「…世襲と継承の話だな、お前が言っているのは。なるほどな」
「せ…けい、なに?」
アトリは困惑していた。
「お魚屋さんは、最初に釣り竿を買えるお金があったんだよね?」
「そうだな。この街の住民はだいたい親から仕事を引き継ぐ。お魚屋さんも釣り竿屋さんも、だいたいはそうだ。それか、オレンジ売りがお金をためて釣り竿を買って、そこから始める」
「ぜんぜんお金持ってない人はどうするの?親がいない人は?」
アトリの純粋な瞳がホークを見ていた。
「それは…」
親がいない、金がない。
そうした人間はこの街でどうやって生きていくのか。
その純粋な質問は、ホーク自身に焦燥を思い出させるものだった。
その残酷な事実と不条理を、自分は一体どこまで手綱を取れるのだろうか。
素朴なアトリの疑問が、ホークの暗い気持ちの入った部屋を少しだけ叩いていた。
それこそが、ホークを海賊にし、蛮族とさげすまれるようにした原因でもあるのだ。
急に黙り込んだホークを、アトリは心配そうに顔を覗き込む。
「ねえ、怒った?アトリ、よくわからないけど、お話してると怒らせちゃうみたいなときあるの。お前と話してると疲れるって、よくアーロンにも言われた。大丈夫?アトリ、お話やめようか?」
アトリにできる限りの心配に、ホークは少しおかしかった。
何も持たないアトリには、自分の行動しか差し出せるものがない。だからアトリはお話をやめようか、と提案する。ホークはふと、アトリは話し方が幼いだけで、見た目以上に子供なわけではないのかもしれないな、とさえ思った。
「いや。お前と話すのはすきだよ、アトリ」
「なっ」
アトリはなぜか急に顔を赤らめた。
アトリの髪も耳もぴっと一瞬跳ね上がったようにさえ見えた。
「ヤンバルではな、アトリ。もともとお金がない人たちは、よそから奪うんだ」
ホークは自分の手をじっと見る。
「ヤンバルに住んでいた俺たちは、次第に金を失い、土地を失った。だから『もともとお金がない』人たちに多くの人がなった。そして、海を行く船から奪うようになった。海賊になるしか、道がなかったんだ」
海の民。
ヤンバルはかつて彼らの住処だった。
ずっと昔に大陸からやってきた人々に海へ海へと押し出され、気が付けば皆ほとんど海賊になっていた。
自分たちは海の民だ。
そんな矜持が彼らを海に縛り付ける。
「だから俺たちは、『蛮族』と呼ばれて嫌われているんだ」
****************
結局、アトリは何かできることを明日考えるということになった。
蛮族、の意味がよい意味ではないのだと教えられたアトリは、ごめんねとホークにあやまった。
「ごめんね、ホーク。嫌な気持ちになったでしょう」
「いいんだ。お前は知らなかったし、俺がそう名乗ったんだ」
「そう・・・・。あのね、檳榔を植えてあげる」
「檳榔を?」
アトリの申し出にホークは首をかしげる。
「檳榔が大きくなったら、ホークも檳榔を売っていいよ。海賊の人にあげていいよ。そうしたら、蛮族止められる?」
「・・・・・アトリ」
「アトリね、運命の人をさがしてるの。昔おばあちゃんに、どうやって探すのか教わったの。『心のままに』行動するんだって。だから、蛮族が嫌だったら、嫌っていう心を大事にしてあげよ。アトリもね、そうしようと思うの」
アトリなりの慰めがひどく優しかった。
檳榔を植えてあげる。
そういったアトリは、ホークのごちゃごちゃした家のほとんど崖のような庭に2,3粒の最後の檳榔を植えた。
月がヤンバルの海に浮かぶころ、ホークはそっとその檳榔を植えた土に触れる。
「アトリ…不思議な子だ」
青い閃光が音もなくホークの指先から土へ落ちる。
ホークは満足そうに見守ると、くるっと背を向けて家の中へ戻っていった。
ホークが立ち去った後には、何もなかったはずの地面からたわわに実をつけた檳榔とキンマが生い茂っていた。
ホークの家はヤンバルの港の街並みの一角にあった。
海から眺めていた美しい街並みの裾に押し寄せられるようにして、ごちゃごちゃとした街並みが現れる。人の波に押し出されそうなアトリを見かねたホークが、手をつないで先導してくれた先にあったのは、丘の上の赤い屋根と白い壁の建物にも劣らない立派な家だった。
しかし年季が入っているのか、一目見るだけで古いとアトリにも分かった。
中に入るとホークの家に仕える者たちがわらわらと寄ってきて、ホークの帰りを喜んでアトリをもてなしてくれた。たくさんの果物とごちそうを用意してくれて、お腹がいっぱいになったアトリは眠たくなってしまう。
眠たいならここで寝るといい、とホークの部屋に案内されてソファに横になったアトリは、うとうとしながら運命の人を探しに来た話をホークに聞かせた。
「そうだよ。ぼく、アーロンのお嫁さんにはならないんだ」
「ほう?それはなぜ?」
「なんでって・・・・・・。なんでだっけな・・・・・・」
とろとろと眠たくなったアトリは、ぽすぽすと服を脱いでしまう。
これを使っていい、とホークがくれた毛布を口元までかぶって大きなあくびをする。
着替えながらその様子を見ていたホークは、はははとまた笑ったが、アトリはなぜ笑うのかとぷんぷんする気持ちにはなれなかった。とにかく眠たかったからだ。
「アトリね、こんなところで寝るの初めてだし、いろんな人がいるところでご飯食べたのも初めてでね・・・・・・・だから、だから、アーロンのこと嫌いじゃないけど、アーロンのお嫁さんにはならないの」
「いいさ、アトリ。よく眠るといい」
アトリのさらさらとした髪を、大きなホークの手のひらが撫でる。
ホークはアトリの説明が一つもよくわからなかったが、幼い様子のあるこの少年が安心して眠る姿にどうしてか心が慰められた。
「おやすみ、檳榔売り」
久しぶりに開けた窓からは、町の喧噪が聞こえてくる。
傾いていく夕日が室内を照らす。
ホークは窓からヤンバルの丘を見上げた。
「また新しい者がやってきたな、ヤンバルよ」
まるで街そのものに、友人のように語り掛けるホークの背中。
寝ぼけながら眠りに落ちていくアトリの瞳には、寂しいような懐かしいようななにかが映っていた。
「お前はまだ俺たちの友人だろうか・・・・・・・」
*******************
ホークの家は大きくて古いが、とにかくごちゃごちゃしていた。
海の上から見たヤンバルの美しい街並みとは裏腹に、近づいてみると海沿いにはこれでもかというくらいにごちゃごちゃごちゃごちゃした木造の家が、海の上にせり出すようにして建っている。
中には筏いかだや船の上に建っている小屋もあり、見回してみると大部分がそうやって海の上にどやどやと古い木々を組み合わせて住まいを作っていた。
道は狭く、皆家の外で食べ物を焼き、そこらへんに生ごみを捨てている。
陸側の細い道が入り組むところには必ず軒先に商品が並べられてて、ありとあらゆるものが売られていた。
ホークがアトリに差し出した金貨で買い物をしている者も多くいて、アトリは不思議な気持ちだった。
「檳榔はあったのか?」
ひとしきり街の市場という市場を回ってきたアトリは、ホークの家に半泣きで帰ってきた。
「ないよ!!!」
ホークは何かを羊皮紙に書き付けて、何通も手紙を作りながらアトリの相手をした。
「だから言っただろう?どこにも檳榔はないって」
「だって、あるかもしれないもん。そう思ったんだもん」
「いいじゃないか、別に。衣食住の世話ぐらいしてやるぞ?お前ひとりぐらいなんということはない」
「それじゃダメなの!ヤンバルで暮らすにはお金がいるって、ホークが言った!それに、アトリは檳榔売りなのに…ずっとそうやってきたのに」
港に船を止めるとお金が必要なこと、露店の商品を手に入れるにはお金が必要なこと。
家にアトリを連れていくまでの道すがら、ホークはそんな話をアトリにした。
それを聞いてお金がない、檳榔がない、どうしようという気持ちをアトリは募らせてしまっていたのだ。目覚めると真っ先に檳榔を探すと言ってきかず、朝食も碌に食べずに飛び出していったのが今朝だった。
「檳榔以外のものを売ってはだめなのか?」
ホークの言葉に、うろうろと歩き回っていたアトリはぴたっと止まった。
たたたっとホークのもとへ駆け寄ってくる。
「アトリ、檳榔売り以外のことをしてもいいの?」
きょとん、とそう尋ねるアトリにホークは面食らう。
なにを言っているんだ、と思ったが純粋に見上げてくるアトリにふざけた様子はなかった。
真意はわからなかったが、ホークはとりあず疑問に答えてやることにした。
「この街に、それを駄目だというやつは一人もいやしないぞ?檳榔がないんだ、檳榔以外を売るしかないだろう」
「ほんと?!」
アトリはホークの腕をぎゅっとつかんで、ぴょんぴょんとはねた。
「ホーク!!どうしよう!ぼく、何しようかな??!」
アトリの身に着けている衣装の飾りが、シャンシャンと音を立てる。飛び跳ねるアトリの喜びように、ホークはまたもぽかんとする以外なかった。
羽ペンを置き、机に肩ひじをつく。
肩から掛ける海賊の外套の袖をアトリがつかみ、握手するようにぶんぶんと上下に振る。
「なにしようかな?!」
しかしその日の夕方、アトリはホークの目の前でさめざめと落ち込んでいた。
「………ばかあ!ヤンバルのばかぁ!」
「ヤンバルは悪くないだろう。それで?オレンジ屋さんになるとか言ってなかったか?」
何をしようかな!と心を躍らせたアトリは、手持ちの荷物をあさり始めた。
そこで海で手に入れたオレンジを見つけて、オレンジ屋さんになると言って家を飛び出していった。
ホークも用事があって出かけていたので、帰ってくるなり床で大の字で泣いているアトリを見て脳裏に疑問符以外浮かばなかった。
こいつは忙しいやつだな、とホークは仕方ないのでアトリに付き合ってやることにした。
ぐすぐすと泣きながら身を起こしたアトリは、傍に座り込んだホークが話を聞いてくれる様子を察知して自分の荷物から敷物を取り出して広げた。座ってどうぞ、と泣きながら席を進める様子はおかしかった。
最後まで話をきいてやらないと、逃がしてもらえないと察したホークだったが、もう遅かった。
「あのね、あのね、オレンジ一個売れちゃったら、ほかに売るものがなくなったの!」
アトリは至極当たり前のことを言い出す。
オレンジはいらんかねー!とヤンバルの街並みを練り歩くアトリの姿が容易に想像できた。
「だから今度は魚屋さんになろうと思ったんだけど」
もうこの時点で、いったい何が『だから』なのかわからなかった。
なぜそうなった。
ホークの中で疑問が増えていく。
「お魚って、網とか釣り竿でとるよね?アトリでも持ってないし、どうしたらいいかなって街の人にきいたんだ」
お魚を取りたいけどどおしたらいいですか!
そう言っているアトリの姿と、困惑するヤンバルの住民。
ホークはなんだかその住民が哀れだった。
「そしたら釣り竿買えばいいよって言われたから、オレンジを売ったお金で買いに行ったの」
「ほう」
素直すぎるその行動力で軌道に乗りそうな話が見えてきた。
「でもアトリの持ってるお金で買える釣り竿がなかったの!ヤンバルのばか!」
「ヤンバルは悪くないだろうが。お前一体オレンジをいくらで売ったんだ?」
オレンジ一つなら、釣り竿とまではいかなくとも、木の枝に糸と針をくくった子供用のものくらいは買えてしまいそうなものだ。
「これ!」
じゃらっとアトリが見せたのは、貝殻が入った袋だった。
意味が解らない。
「どういうことだ?」
「どういうことって、どういうこと?釣り竿屋さんもそう言ってた。これで買い物できないの?」
「・・・・ちょっと待て。お前の島ではこれで買い物をするのか?」
「そうだよ?」
アトリはきょとんとしてホークを見上げた。
その返答にホークは絶句して、思わず天を見上げた。
下からアトリが、どこみてるの、と口をとがらせる。
「おまえ、いったい誰にオレンジを売ったんだ」
「えっと、港のそばにいた子供たち。貝殻とオレンジを交換してっていったら、してくれたの。アトリ、大金持ちになったと思ったのに」
「はあ………。お前は、本当に」
本当に何だろうか。
あきれるような、脱力するような、そんな気持ちにホークは包まれた。
「お前に渡してただろう?あの貨幣じゃないと物は買えないんだ」
「あのね、じゃあさ、じゃあさ。ヤンバルは最初にお金がない人はどうするの?」
アトリは不思議なことを言い出した。
「最初にお金がない人とはどういうことだ?」
「だってね、アトリ檳榔売りだから、檳榔を取ってきて売ればいいでしょ?」
「……ああ」
何もわからなかったが、とりあえず最後まで聞いてやることにした。
貨幣も知らないような少年の話なのだ、根気よく聞いてやらないといけない。
「檳榔さえあれば、それを売ってお金が手に入る。でも、檳榔はヤンバルにはないから、皆最初はどうやるのかなって思って。お金があったら、釣り竿を買ってお魚屋さんになれるし、オレンジを育ててオレンジ屋さんになれるでしょ?」
「…世襲と継承の話だな、お前が言っているのは。なるほどな」
「せ…けい、なに?」
アトリは困惑していた。
「お魚屋さんは、最初に釣り竿を買えるお金があったんだよね?」
「そうだな。この街の住民はだいたい親から仕事を引き継ぐ。お魚屋さんも釣り竿屋さんも、だいたいはそうだ。それか、オレンジ売りがお金をためて釣り竿を買って、そこから始める」
「ぜんぜんお金持ってない人はどうするの?親がいない人は?」
アトリの純粋な瞳がホークを見ていた。
「それは…」
親がいない、金がない。
そうした人間はこの街でどうやって生きていくのか。
その純粋な質問は、ホーク自身に焦燥を思い出させるものだった。
その残酷な事実と不条理を、自分は一体どこまで手綱を取れるのだろうか。
素朴なアトリの疑問が、ホークの暗い気持ちの入った部屋を少しだけ叩いていた。
それこそが、ホークを海賊にし、蛮族とさげすまれるようにした原因でもあるのだ。
急に黙り込んだホークを、アトリは心配そうに顔を覗き込む。
「ねえ、怒った?アトリ、よくわからないけど、お話してると怒らせちゃうみたいなときあるの。お前と話してると疲れるって、よくアーロンにも言われた。大丈夫?アトリ、お話やめようか?」
アトリにできる限りの心配に、ホークは少しおかしかった。
何も持たないアトリには、自分の行動しか差し出せるものがない。だからアトリはお話をやめようか、と提案する。ホークはふと、アトリは話し方が幼いだけで、見た目以上に子供なわけではないのかもしれないな、とさえ思った。
「いや。お前と話すのはすきだよ、アトリ」
「なっ」
アトリはなぜか急に顔を赤らめた。
アトリの髪も耳もぴっと一瞬跳ね上がったようにさえ見えた。
「ヤンバルではな、アトリ。もともとお金がない人たちは、よそから奪うんだ」
ホークは自分の手をじっと見る。
「ヤンバルに住んでいた俺たちは、次第に金を失い、土地を失った。だから『もともとお金がない』人たちに多くの人がなった。そして、海を行く船から奪うようになった。海賊になるしか、道がなかったんだ」
海の民。
ヤンバルはかつて彼らの住処だった。
ずっと昔に大陸からやってきた人々に海へ海へと押し出され、気が付けば皆ほとんど海賊になっていた。
自分たちは海の民だ。
そんな矜持が彼らを海に縛り付ける。
「だから俺たちは、『蛮族』と呼ばれて嫌われているんだ」
****************
結局、アトリは何かできることを明日考えるということになった。
蛮族、の意味がよい意味ではないのだと教えられたアトリは、ごめんねとホークにあやまった。
「ごめんね、ホーク。嫌な気持ちになったでしょう」
「いいんだ。お前は知らなかったし、俺がそう名乗ったんだ」
「そう・・・・。あのね、檳榔を植えてあげる」
「檳榔を?」
アトリの申し出にホークは首をかしげる。
「檳榔が大きくなったら、ホークも檳榔を売っていいよ。海賊の人にあげていいよ。そうしたら、蛮族止められる?」
「・・・・・アトリ」
「アトリね、運命の人をさがしてるの。昔おばあちゃんに、どうやって探すのか教わったの。『心のままに』行動するんだって。だから、蛮族が嫌だったら、嫌っていう心を大事にしてあげよ。アトリもね、そうしようと思うの」
アトリなりの慰めがひどく優しかった。
檳榔を植えてあげる。
そういったアトリは、ホークのごちゃごちゃした家のほとんど崖のような庭に2,3粒の最後の檳榔を植えた。
月がヤンバルの海に浮かぶころ、ホークはそっとその檳榔を植えた土に触れる。
「アトリ…不思議な子だ」
青い閃光が音もなくホークの指先から土へ落ちる。
ホークは満足そうに見守ると、くるっと背を向けて家の中へ戻っていった。
ホークが立ち去った後には、何もなかったはずの地面からたわわに実をつけた檳榔とキンマが生い茂っていた。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!
たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった!
せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。
失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。
「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」
アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。
でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。
ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!?
完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ!
※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※
pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。
https://www.pixiv.net/artworks/105819552
処女姫Ωと帝の初夜
切羽未依
BL
αの皇子を産むため、男なのに姫として後宮に入れられたΩのぼく。
七年も経っても、未だに帝に番われず、未通(おとめ=処女)のままだった。
幼なじみでもある帝と仲は良かったが、Ωとして求められないことに、ぼくは不安と悲しみを抱えていた・・・
『紫式部~実は、歴史上の人物がΩだった件』の紫式部の就職先・藤原彰子も実はΩで、男の子だった!?というオメガバースな歴史ファンタジー。
歴史や古文が苦手でも、だいじょうぶ。ふりがな満載・カッコ書きの説明大量。
フツーの日本語で書いています。
くまさんのマッサージ♡
はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。
2024.03.06
閲覧、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。
2024.03.10
完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m
今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。
2024.03.19
https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy
イベントページになります。
25日0時より開始です!
※補足
サークルスペースが確定いたしました。
一次創作2: え5
にて出展させていただいてます!
2024.10.28
11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。
2024.11.01
https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2
本日22時より、イベントが開催されます。
よろしければ遊びに来てください。
ゲイのキャビンアテンダントはイケメンリーマンがお好き?
藤咲レン
BL
エリートリーマンの佐藤タカシは女好きを装って先輩に誘われた合コンに参加しているが、実際に好きなのは男。自宅や発展場ではタイプの男とセックス三昧の生活を送っている。そんな時、ふと飲み会の帰りに立ち寄った発展場で久しぶりの気持ちの良いセックスを楽しんだ。そして翌日、その男と出張先へ移動する機内で再会するのだった。客室乗務員と乗客の関係はどう進展するのか。
■登場人物
佐藤タカシ:25歳。大手商社に勤めるエリートリーマン。ポジションはウケ。大学時代は体育会サッカー部に所属していたガッチリ系タイプ。
黒岩シュン:25歳。客室乗務員。ポジションはタチ。大学時代はバレーボール部に所属し、185cmという高身長かつ塩顔でモテるタイプ。
エリートアルファの旦那様は孤独なオメガを手放さない
小鳥遊ゆう
BL
両親を亡くした楓を施設から救ってくれたのは大企業の御曹司・桔梗だった。
出会った時からいつまでも優しい桔梗の事を好きになってしまった楓だが報われない恋だと諦めている。
「せめて僕がαだったら……Ωだったら……。もう少しあなたに近づけたでしょうか」
「使用人としてでいいからここに居たい……」
楓の十八の誕生日の夜、前から体調の悪かった楓の部屋を桔梗が訪れるとそこには発情(ヒート)を起こした楓の姿が。
「やはり君は、私の運命だ」そう呟く桔梗。
スパダリ御曹司αの桔梗×βからΩに変わってしまった天涯孤独の楓が紡ぐ身分差恋愛です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる