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第五章

幕間・Ⅱ

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 ウィンフィールド家。
 古くから魔法の名門としてその名を馳せ、今も魔術師の世界では知らぬものはいない、多大な影響力を持つ名門中の名門。
 その末弟として生を受けた彼は、すでに輝かしい功績を残していた兄たちから、大いに期待を受けて育った。
 兄たち同様、ウィンフィールド家の一員として物心つく前から様々な英才教育を施された。彼自身も幼いながら周囲の期待に応えようと歳不相応の並々ならぬ努力を重ねてきた。同年代の子供たちが玩具で遊んでいた頃には幾冊もの書物を読み漁っていた。
 しかし、周囲の期待と現実が重なる事は無かった。
 彼には、決定的なまでに魔法の才能が無かったのだ。彼に足りないのはそれだけだったが、魔術の名門の一員としてそれは致命的であった。才能とはどれだけ努力して得られるものではないからだ。
 幸いなことに、ウィンフィールド家当代当主である彼の父は古いしきたりを嫌う先進的な考えの持ち主であった。
 魔法の才がないとわかると、より厳しい魔法教育を望む先代当主を始めとした一族の意見を跳ね除け、厳しい教育のすべてを打ち切った。
 そして、本人の望みを尊重した自由な人生を与えた。
 まだ幼い我が子の自由を奪い、厳しい教育をさせてきた負い目のあったのだろう。せめてこの子だけは、期待という重荷を背負わせることなく、のびのびと健やかに育ってほしい。両親はそう願ったのだ。
 本人の意思は別として。
 その方針に、最も不服だったのは、他ならぬ当の本人であった。
 悔しかった。
 どんなにがんばっても、兄や両親、先代たちの輝かしい功績や偉業の後に続くことができない。何より、周囲の期待に応えられず、両親の優しさすら憐れみに感じられ、自分がみじめで仕方なかった。
 だから彼は努力を止めなかった。否、やめる事などできなかった。もはや彼にとってそれ以外の生き方など出来なかった。
 ただひたすらに、がむしゃらに――その様は何かに向かって突き進むものとは違う、なにか追われているような必死さ。
 そんな真っ只中にいた十四歳の頃。
 己の努力と研鑽のみで王立魔法学校まで進んだ彼は、そこで人生を変える出来事に遭遇する。

 魔術の最高学府たる王立魔法学校であったが、そこで教えられる殆どのことはすでに幼い頃に学び、習得していた。
 毎日が、退屈と苛立ちの日々であった。
 同級生はおろか、時に教師すらも及ばないほどの技術と知識を持つ彼を、周囲は腫れ物を扱うように接した。学内で孤立を深めていくも、当の本人は気にも留めなかった。
 俺はお前らとは違う、と。
 そして同時に、見せ付けたかった。証明したかった。
 自分は魔術の名門、ウィンフィールド家であること。
 凡百の野良魔術師とはわけが違うのだと。
 そしてある時、提出課題にてそれを証明しようと思い立つ。
 本来は召喚魔法にて、初歩である低級の使い魔を呼び出すところ、神界の高位種との契約召喚を試みた。
 ただでさえ難易度の高い召喚魔法。それも神界系という高度な術式。在学中に果たした者はまだいない。
 成功すれば、魔法学校の歴史に名を残すことができる。
 そうすれば、才能を示す事ができる。
 認めさせることができる。
 自分を、己が才能を。
 しかし、召喚魔法は、それも神界系ともなれば、現役の魔術師すらおいそれとは試みない。それほどまでに高難易度な魔法なのである。
 そして難易度が高いということは、失敗する恐れが高いということ。
 いかに高い魔法知識を有する彼でも魔法を失敗させ、暴走させてしまったのは必然であったと言える。
 剥き出しの筋肉繊維と無数の口吻から吐き出される強酸性の体液。そして全身に埋め込まれた眼球――彼が意図した天使や霊獣とは似ても似つかない異形を召喚してしまった。
 どこの世界の、名前もわからぬ悍ましい獣。
 人の言葉どころか、意思疎通すらできぬそれを、彼に制御できる術はなかった。
 姿を見せるやいなや、暴れ出す異形。
 破壊される学び舎。逃げ惑う学生や教師。
 その光景を目の前にただ呆然と見ていることしか出来なかった。彼の中にあったのは後悔ではなく、まるで他人事のような漠然とした諦観だった。
 きっと自分はウィンフィールド家から追放される。家名に泥を塗ったものとして末代まで蔑まされるのだろう。
 ならいっそ死んだ方がマシだ。
 幸い、目の前の結果はそれを成すのに十分な存在だった。
 その異形の無数の眼球が、手近にいた彼に向けられる。己を呼び出した張本人だと気付いたのか、聞くに堪えない咆哮を上げ迫り来る。
 そして鋭利な爪が彼を寸断するかに思われた、その時であった。
 異形は悲鳴を上げ、大きく吹き飛ばされた。
 そして、彼の目に映ったのは、自分を庇う小さな、しかし頼もしい背中。
「もう大丈夫よ」
 優しい彼女の口調は、その眼前で起こっている惨事とはギャップがありすぎた。
 しかし不思議と、包み込むような優しさに満ちた声でもあった。
 そんな穏やかな雰囲気とは裏腹に、彼女は見惚れるほど鮮やかな手並みで事態を収束させた。
 まだ召喚契約は完結していない事を見抜いた彼女は、術式の綻びから自身の魔法を上書き。契約者権限を行使してその異形を送還して見せた。
 それは手並みは、見事の一言に尽きる。
 結果、事は魔法の暴走からものの数分で、何事も無かったかのように完全に収まったのだった。

 この一件は、大事にならずに済んだ。
 被害者もなく、故意ではなく課題中の事故ということもあるが、自分を守ってくれた上級生による口添えがあったという。
 それを知り、彼はすぐにその上級生のもとへ足を運んだ。
 感謝の意を述べたい、わけではない。だが誰であれ、助けられたことに礼の一つも言わないほど礼儀知らずでありたくはなかった。
 礼に失することは、家名を汚すことになる。ただそれだけである。
 彼女に相対し、自己紹介とかしこまった感謝を述べると、
「え、君、ウィンフィールド家の人だったの!?」
 彼女は心底驚いた口調でそう口にした。
 暗に皮肉を言われていると勝手に解釈した。「名家の人間が、あんな馬鹿なことを?」と。
 そんな事を考える人ではない事は、後に知ることになるのだが、そのときの彼はそんなことは知る由もない。
「はえ~。私、そんなすごい人を助けちゃったんだ。たしかにあの召喚術式も、失敗したとは言えレベル高かったもんねぇ」
「そういうあなたこそ、あの時の手腕を見るに、さぞ名のある名門の家系なのではありませんか」
「いえいえ。しがない一般人ですよ、あたしゃ」
 感情を圧し殺して問いかける彼に、彼女は自分の後頭部に手を当てながら、おどけた様に言う。
「術式をし、送還するまでの一連のお手並み。家柄や血筋でないならきっとあなたは、さぞかし才能に恵まれたんでしょうね」
 つい嫌味混じりの言葉を吐き捨てるように言ってしまい、慌てて口をつぐむ。
 しまった、と彼は思ったが彼女は気分を害した様子も無く、首をかしげながら唸り声を上げていた。
「う~ん、才能かぁ……魔法の才能ってどんなのなんだろう?」
「え?」
 逆に聞き返されてしまい、彼は拍子抜けする。
 否定でも肯定でもない、純粋な問いかけ。
「それは、人並み外れた魔力量や魔力生成とかではないですか?」
「だとしたら私は違うわね。どれもせいぜい中の上くらいよ」
「常人には思いつかない、術式や魔法体系の発見」
「それこそ私は違うわ。だって、まだ学生だよ?まだまだインプットで精一杯よ」
「でも、あなたはこの王立魔法学校でも高い成績を収めていると聞いています」
「まぁ周りからは"魔法オタク"なんて言われるくらい、魔法にのめり込んでるからねぇ。子供の頃から魔法が好きだから」
「魔法が……好き?」
「逆に言うと私から魔法を取ったら凡人か、それ以下。友達も全然いないしね。ははは……はぁ」
 自虐的な笑みを浮かべ、暗い表情で虚空を見つめる彼女を他所に、彼は困惑した。
 魔法に対し好きだ嫌いだとかいうこと自体、彼にはない概念だった。
「だからまぁ、私としては好きなことに没頭してるだけだから、才能があるって言われてもあんまりピンとこないかしらね」
 その言葉に彼は拳を握りしめ、唇を噛み締めた。
 没頭していると言うなら自分も同じ、いや、むしろ彼女以上だと自負もある。
 それでも、彼女と自分が決定的に違うということは、皮肉なことに魔法を熟知しているが故に理解できてしまった。
 何が違うというのだ。
 ……これが、才能の差ということなのか。
 これまで出会ったことのない、真の才ある相手に嫉妬と羨望の混ざりあった感情がこみ上げてきた。
 抑え込もうとしても抑えられない。
 急に自分が惨めに感じ、気付けば言葉が口を衝いて出ていた。
「それでも僕は魔法の才能がほしい。一つでも才能さえあれば僕はこんな……」
 彼は涙を流しながら、そう呟いた。
 人前で涙を流すのは、これが初めてだった。家族の前ですら、泣いたことはない。
 泣くことは弱さの証であり、自分の評価を貶めると思っていた。
 その涙に込められた感情が並々ならぬものであることを感じ取った彼女は、短く問う。
「それじゃ、君にもし才能があったら何がしたかったの?」
「それは――」
 言いかけ、言葉に詰まる。その問いに返せる答えを、彼は持ち合わせていなかった。
 才能を開花し、ウィンフィールド家の一員として認められる――それだけを目指していた彼は、自分自身の具体的なビジョンというものをまったく持っていなかったからだ。
「それはもちろん、その、才能を活かして兄たちのような家名に恥じない立派な偉業を……」
「その偉業っていうのは、具体的にはどんなのかしら?」
「新たな魔法体系の確立」「斬新で画期的な魔法の発見」なんとかそれらしい単語を断片的に口にするも、曖昧模糊としてうまく言葉にできない。
 そんな自分が、とても情けなかった。急に自分が幼稚で、愚かに思えた。
 一方、そんな彼の様子に全てを察した様子で「そっか」と彼女は短く一言。
「“魔法は人を幸せにするためにある”、っていうのが私の持論なの。でも、"人を幸せにする魔法"は未来永劫存在しえない。なぜだかわかる?」
「幸せとは概念であり、主観的なものだからです。そもそも魔法の範疇じゃありません」
「おぉう……驚くほど模範的回答。お姉さんびっくりだ。まぁ、私が言いたいこととはちょっと違うんだけどね」
 模範解答と言いながら違うという矛盾に、彼は不服そうに眉根を寄せた。
「幸せとは、人の望む意思。だから己で見出し、自らの手で掴み取るもの。魔法や誰かに与えられるものじゃない。だからそれを求めて、人は生きているのだと私は思うわ」
「魔法使いは、それをお手伝いする人ね」と、付け加える。
「魔法と、望み……」
「そう。君が今、心から望むことは何かしら?」
 その問いは、先程以上に難しかった。
 少なくとも「ウィンフィールド家の一員として認められること」とは、もう言えなかった。
 それが自分の心からの望みでは無いと気付いたから。
 さりとて何も思い浮かばず、押し黙ってしまう。そんな彼をあざ笑うことなく、
「今はなくてもいいのよ。まだ一四歳なら明確にある方が珍しいんだから」
 と、彼女は優しく微笑む。
「でも、覚えておいて。本当に心から成したいことがあるなら才能なんていらないわ。望むことがあるなら、人は才能の有無に関係なく、それに向かっていくことを止められない生き物なんだから」
 はにかみながら言うその言葉に、彼は自身の心が軋みを上げて動いたのを確かに感じた。
 例えるなら、これまで目の前を覆っていた壁が崩れ落ち、視界が広がったかのような感覚。
「家柄や家族じゃなく、君自身が何を成したいのか――まずはそんなとこから考えるといいと思うわ」
 今までの彼であれば、突っぱねたであろうその言葉も、すんなりと飲み込むことができた。
 彼女の言葉は、彼の心に深く染み入り、同時に縛り付けていたものを解きほぐしてくれた。
 その上級学生――エリカ・カーティスの名を、語った言葉とともに胸に深く刻んだ。

 それから、大きく何かが変わったわけではない。努力を止めたわけでもない。
 ただ、あの時のエリカの問を、常に己に問いかけ続けるようになった。
 そして自分を見つめ、周囲を見渡す程度の余裕ができた。
 今まで見向きもしなかった多くの事を見て、聞いて、知った。
 馬鹿にして見下していた同級生とも少しずつ関わり、自分とは違う、しかし自分は持っていなかったビジョンに感銘を受けたりもした。
 多くの関わりと経験の中で、彼の中で何かが芽吹くのを感じた。
 そうして己の道を見出した時、彼は再び走り出す。
 追われるのではない、自分の成したいことを成すために。
 これまでのような一足飛びでただひたすら漠然とした高みを目指すものとは正反対の、一歩一歩を踏みしめ、目指すべき場所へ確実に辿り着くための努力と研鑽。
 その結果は、彼を史上最年少で王国捜査官エージェントへと抜擢させた。
 彼の目指した王国捜査官エージェントという職は天職だった。
 求められる資質は突出した魔術の才や閃きではない。確実に犯罪者を追い詰め、捕らえるための手段としての魔法とその機転。
 元々が優秀であることもあるが、職務において彼の魔術師としての適性はこの上なく高かった。
 そしてウィンフィールド家初の王国捜査官エージェントとして、異色ながら称賛を得た。
 もっとも、もうこの時すでに彼は家名に興味はなく、正義を己の使命とし、弱き者のために悪しき者と戦い続けることを自身に課した。法と民を守るこの尊い役目を何よりも誇りに思っていた。
 王国捜査官エージェントを選んだ動機は、至極単純だった。
 自分を救ってくれたあの背中の、頼もしさ。
 恐ろしい存在を前にして怯まない強さと勇敢さ。
 あの背中に憧れ、その理想像を目指し、気付けば王国捜査官エージェントになっていただけだ。
 だから、今の自分があるのは、彼女のおかげだと常に思っていた。
 そのエリカは、魔法学校を主席で卒業した後、国立の魔法研究機関であるヌエス魔法研究所に籍をおいた。
 彼女の成績であれば、もっと高い報酬で雇う民間企業や機関が多かったことは容易に想像できる。
 しかし彼女は、予てから尊敬する高名な魔術師の元に師事したいと語っていた。彼女は望みを叶え、そして次の望みのために今も邁進し続けている。
 魔法で多くの人を助け、幸せにするという目的に向かって。
 彼にかけた言葉が嘘やその場限りのものではないことを背中で証明していた。
 だからこそ、彼には信じられなかった。
 その彼女が、第Ⅰ級禁止魔法を使った重罪人として指名手配されたことが。
 何かの間違いか冤罪ではないのか?そんな願いにも似た推測も、状況の残す証拠が許さなかった。
 それでも彼は真実を知るべく、自ら彼女の追跡の任に志願した。
 なにかの間違いであってほしい。
 もしそうであるなら、全力で彼女を守り、疑いを晴らす。
 ――しかし、もし間違いでなかったら?
 その時は、どうすればいい?
 己の正義と感情の葛藤を胸中に抱えながらも、結局、それを確認することはできなかった。
 彼女は召喚された悪魔を使役し、それをこちらに差し向けてきたのだ。
 結果、凶刃に倒れた彼は死線を彷徨うこととなる。
 奇跡的に一命こそ取り留めたものの、事実をどう受け止めたら良いのかわからなかった。
 あの優しかった先輩が。
 "魔法は人を幸せにするもの"と語ってくれた、あの人が。
 理想像を本人によって打ち砕かれた。それは彼にとって、裏切りに等しい。
 だから、考えることを止めた。
 ――己の使命に忠実であれ。
 奥底の感情を押し込め、彼は己に課した使命、正義を遂行するべくその身を突き動かし続けた。
 そのために、彼女を慕う感情を裏返させ、憎しみに近いそれを抱いて。
 あれは捕らえなければならない悪だと、自分に言い聞かせて。
 その様はまるで、家名に追われていた幼き頃のようであった。
 しかし、あの時とは違う。
 今の彼には、明確な欲求があった。
 ただそれを、押し込めただけ。けして消えたわけではない。
 彼女はあの日のままの尊敬する先輩だと、心の奥底ではそう信じていた。
 彼女が窮地にいるなら、何をかなぐり捨てても助けに行きたいと、願っていた。
 使命と相反する感情は、日に日に膨れ上がっていった。
 そして今日。この日、この時。三度目の邂逅でそれは噴出したのだった。
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