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第二十四話:脅威
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「と、まぁ、この通りだ。許してやって欲しい」
「いだだだだだだ千鬼、千鬼待って確かに私が全面的に悪いんだけれどもちょっとこれはあまりにも酷すぎるというか頭蓋骨が割れる痛い痛い痛い痛い」
無刀の裏切りの翌日。
登校した俺の目の前には、地面に半ば強制的に額をこすりつけさせられ、その上頭を弟に踏みつけられている無刀の姿があった。
「せっ…千鬼、ほら、俺は大丈夫だから…足退けてやれよ…」
「いいや、俺の気が済まない」
「待て千鬼!それ以上力を込めてやるな!割とガチで頭蓋骨にヒビ入るぞ!!」
俺は何とか千鬼を説得し、その足を地面に降ろさせる。無刀はうっすら血の滲んだ額を庇うようにしながら起き上がった。
まるでお互い遠慮がなくなったように接する二人は、本当に仲の良い兄弟そのものであった。
「…真里さん」
俺がそう生暖かい目で二人を見つめていると、不意に無刀の声で思考を現実に引っ張り戻された。
無刀が次に言うであろう言葉は、わかっている。いや、厳密にはどのような意味を持つ言葉が発せられるか――は、わかっている。
それに対する返答は昨日のうちに固めてきていたし、あとは言葉にするだけだった。なに、大して難しくもない。長くもない、深くもない、単純な単語だ。
「すみませんでした」
そう言って、想像通りの言葉を口にして──無刀は、改めて頭を下げた。
今までの人生でこいつがこうやって謝ったのは、一体何度あるのだろう。少なくとも本気で申し訳ないと思って謝ったのは、片手で数えられる程度なのではなかろうか。
「あぁ、気にしてねぇよ」
俺は、そうやって予定通りの言葉を口にした。
女郎蜘蛛はほんの少し怪訝な顔をして無刀を見ていたが、一度べーっと舌を出すと満足したようで、もう無刀を見る目に殺意や嫌悪はこもっていなかった。
無刀は顔を上げると、らしくもなくほっとしたような顔で息を吐いた。
──いいのだ。
別に、俺が殺されかけようが、騙されていようが、そんなことはどうだっていい。それこそ謝る必要もないくらいに。
俺にとって一番重要なのは──このたった二人の兄弟がお互いを許し合えたかどうかだけだ。
終わりよければなんとやら、なんて都合の良い言葉を携えて。
そうして彼は、再び俺達の仲間へと──
──そう簡単にいく訳もなかった。
「無刀テメェェェェーーーーーー!!!」
そんな怒号の発生源を探すため上を見上げると、すでにそこには無刀の首筋に向かって跳び蹴りを決めようとしている花依がいた。
一方無刀の方はと言うと、気の緩みからか攻撃に対する反応が一瞬遅れ──
見事に蹴りを食らって地面と戯れていた。
そんな無刀に追い打ちをかけるように、ヨーヨーがゴツンゴツンと無刀の体のあちこちを殴る。
「ばか、ばかばかばかばかばかばか」
「あっはっはっは良いぞすぐるもっとやれ!もっとぶん殴ってやれ!!」
「ちょっ、貴方達、まっ、一旦……ちょっ」
…許せる範囲ってのは、まぁ、人それぞれだからな……。
とは言っても、二人の攻撃にそこまで強い殺意や敵意は感じられず、まるでお互いが納得できるように仕組まれた暴力のように見えた。
「おい千鬼、いいのか?お前の兄貴ボコボコにされてるぞ」
「当然の報いだな」
「手厳しいなぁ…」
そうは言いつつも千鬼の頬が緩んでいるのを俺は見逃さなかった。兄弟の間に昔何があったのか、昨日二人がどんな話をしてどんな結論に落ち着いたのか俺には知る由もないが、少なくともバッドエンドでないことだけはわかる。
しかし俺たちの戦いはまだ終わっていない。
そしてそれがバッドエンドでない保証は──どこにも、ないのである。
「…私は、真里さんを殺すのに失敗しました」
ひとしきり殴られて、体の節々を庇いながら起き上がった無刀が言った。
「この意味は、言わずともわかるでしょう」
「……」
無刀の瞳は俺をまっすぐに見据えている。
それは昨日のそれではない。「確実にブッ殺してやるから黙って立ってろ」みたいな視線じゃなく、「今からお前は確実に殺されるけど、覚悟はいいのか?」みたいな、第三者になったかのような視線だった。
端的に、都合のいいように言えば、それは心配の視線だ。
「…まぁ、最初からわかってたことだからな」
生徒会。
その脅威がようやく、己の牙を剥こうとしている。
「……」
ハッカーは誰もいない自室で、遅刻を覚悟の上で悩んでいた。
無刀が彼らの仲間に戻った今、自分が彼らに協力する理由はない。
それに──
『貴方を、見逃してやってもいいとのことです』
業の言葉を信じるなら、ここで引くのが最善の判断だ。
後方支援などばっくれてやればいい。そもそも無刀がいなくなった時手を貸したのは、勿論親友の頼みというのも全くないわけではないが──それは正直、表向きの──自分を納得させるための理由だ。
だってあの時、ハッカーは自分の協力が生徒会にバレていると思っていたから。
いや、実際バレてはいたのだけれど──まさか見逃すという選択肢が彼らの中にあろうとは思いもしなかったのである。
だからあの時、ハッカーは吹っ切れた。
こうなってはもう抗う以外の選択肢はない、と。そうでなくては死んでしまうのだから、と。
だがまさかここにきて──第二の選択肢を渡されるとは、彼は想像もしていなかった。
彼は死にたくないだけだ。命が惜しいだけだ。別に先祖伝来のお役目とか、死んでいった友人の最後の望みを果たす義務だとか、そんなご立派なものがあるわけじゃない。特に理由がなくても人間は生を望む。それの何が悪い。いたって普通の感情だろうが。
ここで逃げたって、誰も。
誰も文句は言わない。
言うとすればそれは──
「…どうすりゃいいんだ……」
怒られないように。何も言われないように。傷つかないように。自分が被害者にならないように。でも加害者にはもっとならないように。
自室は薄暗く、埃を被ったパソコンの液晶画面が淡く光っている。誰も、何も答えなかった。
* * *
「彼らは基本、貴方を舐め腐っています」
まず舐め腐っているのはお前だと言いたくなるような言葉が耳を貫いた。
それと同時に、予鈴が俺の罪悪感を揺さぶるように鳴った。つまりどういうことかといえば、俺たちは授業をサボって屋上にいるのである。
だ…だって仕方ないじゃないか…!一応命の危機なんだぜ!
今は無刀の情報共有タイム。そっち側にいたわけだから、彼はかなり最深部までの情報を持っている──訳でもないらしい。
「生徒会は私を信じていた訳ではないですからね。断じて仲間ではなく──駒。道具。もっと言えば私は、その辺にあったから試し切りに使ってみようみたいなノリで選ばれた人間なんですよ」
そんな奴に重要な情報なんて教えるどころか──隠しているという意識すらないのでしょう、彼らには。と──それだけ言って無刀は本題に戻った。
「私が生徒会を見ていて──本当に、真里さんを舐めていると思いました。そもそも無能力者ですからね、畏怖する方がおかしいかもしれませんが──特に、警戒はしていない様子で…なんなら、そう、私たち一般人のことすら目にも留めていなかった」
…なんの脅威とも思っていない、ってことか。
それはそうだ。だって俺は無能力者だし。向こうからしたら俺の装備は初心者無課金ユーザーレベルのそれだろう。
だが、こいつらまでそう思われてるとは……
「ちょっと待て」
と、そこで千鬼が話を遮った。
「…なんかおかしくねェか?」
自信なさげにそう言った千鬼は、まだ頭の中で話を整理している最中のようで、辿々しくも話し出した。
「…正直最初から思ってはいたことなんだが」
ちら、と横目で千鬼が無刀を見た。
「生徒会は、俺らを舐めてたんだろ?いつだって殺せるって…どう転んでも大丈夫だって。…だったら」
「どうして兄貴を脅してまでそっち側に引き込んだんだ?」
「……」
全員、黙り込んだ。
確かになんとなく流していたことだが、言われてみればおかしい。重箱の隅をつつくような話かも知れないが、次第にそれは隅っこなんかではなくど真ん中をついているような感覚になってくる。
「…それは……だって、真里を始末するのが面倒だったとか…ほら、真里が言われたって言ってたじゃねぇか、わざわざこっちから手を下すほどの相手じゃないって」
花依が身振り手振りでそう言った。そう、生徒会は確かにそうも言った。それは俺みたいななんの力もない奴に言うには当然の言葉だったし、俺だって言われ慣れていた。
そう、それらしい理由。
こじつけ。
「そうは言うけどよ、いやそりゃ勿論そういう見方だって間違いじゃねェんだろうけど──生徒会に刃向かおうとしたのは、ここにいる全員なんだぜ?」
風紀委員二名、武器の性能倍、攻撃の無効化、ついでに化け物。あと、もしものための電流潜り。
それだけ揃っているなら、生徒会が直接戦おうとする理由には十分なり得るのではないか──と。
千鬼が言いたいのは、多分そう言うことだった。
「んー…つまり、生徒会は真里と戦うのが嫌だったってこと?すぐるわかんないや」
「いや、それは流石にないんじゃないか?どっちかというと、俺じゃなくてお前らと戦いたくなかった…とか」
「…それもないように思いますが……先ほど言ったように、生徒会は貴方たち全員のことを脅威と思っていませんでした」
「……~あーー!わからん!私はこういうの苦手なんだよー!」
「おい花依、床に寝っ転がるな、汚ねェから」
そうやってうんうん頭を悩ましていると、不意にそれまで汚い床でゴロゴロしていた女郎蜘蛛が口を開いた。ちなみに俺は注意した。汚いから起き上がれって言った。それだけはわかっておいてほしい。
「せいとかいって言う人たちは、無刀が怖かったんだよ」
さも当然だろうと言うふうに彼女はサラッと、ともすれば聞き流してしまいそうな口調で言った。
「…おい?どう言うことだ」
俺は問い詰める。周りから見ればただの独り言だが、こいつらは一旦黙ってことの成り行きを見守ってくれた。流石にここまできて「誰と話してんのこいつ、こわっ」と思うやつはいないと思っている。
「だから、真里。せいとかいは、無刀と戦いたくなかったんだよ。だから脅して自分たちの仲間に──いや、違うかな、仲間じゃない。仲間ではないけれど、真里たちに歯向かう側に仕立て上げた。だってそうしたら、無刀が真里を殺すのに成功しても失敗しても、せいとかいが無刀と戦うことはなくなるもの」
だって普通、裏切った仲間をもう一度仲間に迎え入れようとか思わないよ──と。
どうしてわからないんだと言うようなきょとんとした顔をして女郎蜘蛛はそう言った。
「…お前、すごいな」
「だってあたしならそうするもの」
これまた当然だと言うように女郎蜘蛛は言った。
おかしいな…普段は「2×3は⁉︎」「かけるってなに‼︎」って感じなのに…
とりあえず非常に有力な説なので、無刀達にも説明する。ええい、俺は通訳か何かか!
「………なるほど」
それを聞いた無刀は少し考えてから頷いた。他のメンツも納得していたり「もうそれでいいよ」みたいな感じになってる。頭回せや。
「確かにそれなら、色々説明がつきますね。自画自賛みたいで恥ずかしいですけど」
ほんとに思ってんのかてめぇ。
「…ってことは、兄貴は生徒会にも十分通用する力を持ってるってことか?」
「あー、そうなるな。よかったじゃねーか橘弟、お前の兄貴はすごいやつだぞ」
「はっ、ばっ、別にそんなっ」
「どやぁ…って顔してたよ千鬼」
「ししししししてねェし!兄貴!お前もプルプルしてんじゃねェ!笑ってんのバレバレなんだよ!」
オカシイナー。今なんだかとっても重要な結論が出てしまった気がするんだけどナー。千鬼のデレで全てが帳消しにされた気がするナー。
「なら、今の状況は──生徒会からしたら非常に好ましくないと言うことですか」
「…そうなるな。向こうも無刀がこっちに戻るとは思ってなかっただろうし…ていうか俺も戻ってくんのか不安だったし」
「貴方達がおかしいんですよ。普通一回裏切った相手仲間に戻しませんからね」
女郎蜘蛛と同じことを言われてしまった。
「…まぁ、そうですねぇ、二度目はないでしょうし──信用してくださるなら、私もそれに応えなくてはね」
幸い千鬼はもう、自分で自分を守れるだけ大きくなってくれたみたいですし──と、無刀は少し笑った。千鬼はバツが悪そうにそっぽをむいた。
なんにせよ、俺たちはこれからだ。
無刀の作戦──と言っても、それは作戦というよりは戦い方だが──それを遂行する時がやってきた。
「そういえば」
無刀は半笑いで言った。
「以前真里さんに問われましたね──この作戦の勝率は何パーセントだ、と」
「あぁ…それでお前、七パーって……」
「それは私が戦いに参加しないことを前提とした数字です」
……うん?
「私が、勝率を百パーセントまで上げてあげますよ」
ニッと悪どい笑みを浮かべて──つまり今までの無刀では考えられないような楽しそうな顔をして、無刀は言った。
「…強気になっちゃってまぁ」
「悪いですか?少しぐらい調子に乗らせてください」
とても一度裏切ったやつの発言とは思えない。
アホみたいに頼りになる前科持ちの無刀を──俺たちは想像以上に信頼していたし、期待していたということに今気づいた。
「いだだだだだだ千鬼、千鬼待って確かに私が全面的に悪いんだけれどもちょっとこれはあまりにも酷すぎるというか頭蓋骨が割れる痛い痛い痛い痛い」
無刀の裏切りの翌日。
登校した俺の目の前には、地面に半ば強制的に額をこすりつけさせられ、その上頭を弟に踏みつけられている無刀の姿があった。
「せっ…千鬼、ほら、俺は大丈夫だから…足退けてやれよ…」
「いいや、俺の気が済まない」
「待て千鬼!それ以上力を込めてやるな!割とガチで頭蓋骨にヒビ入るぞ!!」
俺は何とか千鬼を説得し、その足を地面に降ろさせる。無刀はうっすら血の滲んだ額を庇うようにしながら起き上がった。
まるでお互い遠慮がなくなったように接する二人は、本当に仲の良い兄弟そのものであった。
「…真里さん」
俺がそう生暖かい目で二人を見つめていると、不意に無刀の声で思考を現実に引っ張り戻された。
無刀が次に言うであろう言葉は、わかっている。いや、厳密にはどのような意味を持つ言葉が発せられるか――は、わかっている。
それに対する返答は昨日のうちに固めてきていたし、あとは言葉にするだけだった。なに、大して難しくもない。長くもない、深くもない、単純な単語だ。
「すみませんでした」
そう言って、想像通りの言葉を口にして──無刀は、改めて頭を下げた。
今までの人生でこいつがこうやって謝ったのは、一体何度あるのだろう。少なくとも本気で申し訳ないと思って謝ったのは、片手で数えられる程度なのではなかろうか。
「あぁ、気にしてねぇよ」
俺は、そうやって予定通りの言葉を口にした。
女郎蜘蛛はほんの少し怪訝な顔をして無刀を見ていたが、一度べーっと舌を出すと満足したようで、もう無刀を見る目に殺意や嫌悪はこもっていなかった。
無刀は顔を上げると、らしくもなくほっとしたような顔で息を吐いた。
──いいのだ。
別に、俺が殺されかけようが、騙されていようが、そんなことはどうだっていい。それこそ謝る必要もないくらいに。
俺にとって一番重要なのは──このたった二人の兄弟がお互いを許し合えたかどうかだけだ。
終わりよければなんとやら、なんて都合の良い言葉を携えて。
そうして彼は、再び俺達の仲間へと──
──そう簡単にいく訳もなかった。
「無刀テメェェェェーーーーーー!!!」
そんな怒号の発生源を探すため上を見上げると、すでにそこには無刀の首筋に向かって跳び蹴りを決めようとしている花依がいた。
一方無刀の方はと言うと、気の緩みからか攻撃に対する反応が一瞬遅れ──
見事に蹴りを食らって地面と戯れていた。
そんな無刀に追い打ちをかけるように、ヨーヨーがゴツンゴツンと無刀の体のあちこちを殴る。
「ばか、ばかばかばかばかばかばか」
「あっはっはっは良いぞすぐるもっとやれ!もっとぶん殴ってやれ!!」
「ちょっ、貴方達、まっ、一旦……ちょっ」
…許せる範囲ってのは、まぁ、人それぞれだからな……。
とは言っても、二人の攻撃にそこまで強い殺意や敵意は感じられず、まるでお互いが納得できるように仕組まれた暴力のように見えた。
「おい千鬼、いいのか?お前の兄貴ボコボコにされてるぞ」
「当然の報いだな」
「手厳しいなぁ…」
そうは言いつつも千鬼の頬が緩んでいるのを俺は見逃さなかった。兄弟の間に昔何があったのか、昨日二人がどんな話をしてどんな結論に落ち着いたのか俺には知る由もないが、少なくともバッドエンドでないことだけはわかる。
しかし俺たちの戦いはまだ終わっていない。
そしてそれがバッドエンドでない保証は──どこにも、ないのである。
「…私は、真里さんを殺すのに失敗しました」
ひとしきり殴られて、体の節々を庇いながら起き上がった無刀が言った。
「この意味は、言わずともわかるでしょう」
「……」
無刀の瞳は俺をまっすぐに見据えている。
それは昨日のそれではない。「確実にブッ殺してやるから黙って立ってろ」みたいな視線じゃなく、「今からお前は確実に殺されるけど、覚悟はいいのか?」みたいな、第三者になったかのような視線だった。
端的に、都合のいいように言えば、それは心配の視線だ。
「…まぁ、最初からわかってたことだからな」
生徒会。
その脅威がようやく、己の牙を剥こうとしている。
「……」
ハッカーは誰もいない自室で、遅刻を覚悟の上で悩んでいた。
無刀が彼らの仲間に戻った今、自分が彼らに協力する理由はない。
それに──
『貴方を、見逃してやってもいいとのことです』
業の言葉を信じるなら、ここで引くのが最善の判断だ。
後方支援などばっくれてやればいい。そもそも無刀がいなくなった時手を貸したのは、勿論親友の頼みというのも全くないわけではないが──それは正直、表向きの──自分を納得させるための理由だ。
だってあの時、ハッカーは自分の協力が生徒会にバレていると思っていたから。
いや、実際バレてはいたのだけれど──まさか見逃すという選択肢が彼らの中にあろうとは思いもしなかったのである。
だからあの時、ハッカーは吹っ切れた。
こうなってはもう抗う以外の選択肢はない、と。そうでなくては死んでしまうのだから、と。
だがまさかここにきて──第二の選択肢を渡されるとは、彼は想像もしていなかった。
彼は死にたくないだけだ。命が惜しいだけだ。別に先祖伝来のお役目とか、死んでいった友人の最後の望みを果たす義務だとか、そんなご立派なものがあるわけじゃない。特に理由がなくても人間は生を望む。それの何が悪い。いたって普通の感情だろうが。
ここで逃げたって、誰も。
誰も文句は言わない。
言うとすればそれは──
「…どうすりゃいいんだ……」
怒られないように。何も言われないように。傷つかないように。自分が被害者にならないように。でも加害者にはもっとならないように。
自室は薄暗く、埃を被ったパソコンの液晶画面が淡く光っている。誰も、何も答えなかった。
* * *
「彼らは基本、貴方を舐め腐っています」
まず舐め腐っているのはお前だと言いたくなるような言葉が耳を貫いた。
それと同時に、予鈴が俺の罪悪感を揺さぶるように鳴った。つまりどういうことかといえば、俺たちは授業をサボって屋上にいるのである。
だ…だって仕方ないじゃないか…!一応命の危機なんだぜ!
今は無刀の情報共有タイム。そっち側にいたわけだから、彼はかなり最深部までの情報を持っている──訳でもないらしい。
「生徒会は私を信じていた訳ではないですからね。断じて仲間ではなく──駒。道具。もっと言えば私は、その辺にあったから試し切りに使ってみようみたいなノリで選ばれた人間なんですよ」
そんな奴に重要な情報なんて教えるどころか──隠しているという意識すらないのでしょう、彼らには。と──それだけ言って無刀は本題に戻った。
「私が生徒会を見ていて──本当に、真里さんを舐めていると思いました。そもそも無能力者ですからね、畏怖する方がおかしいかもしれませんが──特に、警戒はしていない様子で…なんなら、そう、私たち一般人のことすら目にも留めていなかった」
…なんの脅威とも思っていない、ってことか。
それはそうだ。だって俺は無能力者だし。向こうからしたら俺の装備は初心者無課金ユーザーレベルのそれだろう。
だが、こいつらまでそう思われてるとは……
「ちょっと待て」
と、そこで千鬼が話を遮った。
「…なんかおかしくねェか?」
自信なさげにそう言った千鬼は、まだ頭の中で話を整理している最中のようで、辿々しくも話し出した。
「…正直最初から思ってはいたことなんだが」
ちら、と横目で千鬼が無刀を見た。
「生徒会は、俺らを舐めてたんだろ?いつだって殺せるって…どう転んでも大丈夫だって。…だったら」
「どうして兄貴を脅してまでそっち側に引き込んだんだ?」
「……」
全員、黙り込んだ。
確かになんとなく流していたことだが、言われてみればおかしい。重箱の隅をつつくような話かも知れないが、次第にそれは隅っこなんかではなくど真ん中をついているような感覚になってくる。
「…それは……だって、真里を始末するのが面倒だったとか…ほら、真里が言われたって言ってたじゃねぇか、わざわざこっちから手を下すほどの相手じゃないって」
花依が身振り手振りでそう言った。そう、生徒会は確かにそうも言った。それは俺みたいななんの力もない奴に言うには当然の言葉だったし、俺だって言われ慣れていた。
そう、それらしい理由。
こじつけ。
「そうは言うけどよ、いやそりゃ勿論そういう見方だって間違いじゃねェんだろうけど──生徒会に刃向かおうとしたのは、ここにいる全員なんだぜ?」
風紀委員二名、武器の性能倍、攻撃の無効化、ついでに化け物。あと、もしものための電流潜り。
それだけ揃っているなら、生徒会が直接戦おうとする理由には十分なり得るのではないか──と。
千鬼が言いたいのは、多分そう言うことだった。
「んー…つまり、生徒会は真里と戦うのが嫌だったってこと?すぐるわかんないや」
「いや、それは流石にないんじゃないか?どっちかというと、俺じゃなくてお前らと戦いたくなかった…とか」
「…それもないように思いますが……先ほど言ったように、生徒会は貴方たち全員のことを脅威と思っていませんでした」
「……~あーー!わからん!私はこういうの苦手なんだよー!」
「おい花依、床に寝っ転がるな、汚ねェから」
そうやってうんうん頭を悩ましていると、不意にそれまで汚い床でゴロゴロしていた女郎蜘蛛が口を開いた。ちなみに俺は注意した。汚いから起き上がれって言った。それだけはわかっておいてほしい。
「せいとかいって言う人たちは、無刀が怖かったんだよ」
さも当然だろうと言うふうに彼女はサラッと、ともすれば聞き流してしまいそうな口調で言った。
「…おい?どう言うことだ」
俺は問い詰める。周りから見ればただの独り言だが、こいつらは一旦黙ってことの成り行きを見守ってくれた。流石にここまできて「誰と話してんのこいつ、こわっ」と思うやつはいないと思っている。
「だから、真里。せいとかいは、無刀と戦いたくなかったんだよ。だから脅して自分たちの仲間に──いや、違うかな、仲間じゃない。仲間ではないけれど、真里たちに歯向かう側に仕立て上げた。だってそうしたら、無刀が真里を殺すのに成功しても失敗しても、せいとかいが無刀と戦うことはなくなるもの」
だって普通、裏切った仲間をもう一度仲間に迎え入れようとか思わないよ──と。
どうしてわからないんだと言うようなきょとんとした顔をして女郎蜘蛛はそう言った。
「…お前、すごいな」
「だってあたしならそうするもの」
これまた当然だと言うように女郎蜘蛛は言った。
おかしいな…普段は「2×3は⁉︎」「かけるってなに‼︎」って感じなのに…
とりあえず非常に有力な説なので、無刀達にも説明する。ええい、俺は通訳か何かか!
「………なるほど」
それを聞いた無刀は少し考えてから頷いた。他のメンツも納得していたり「もうそれでいいよ」みたいな感じになってる。頭回せや。
「確かにそれなら、色々説明がつきますね。自画自賛みたいで恥ずかしいですけど」
ほんとに思ってんのかてめぇ。
「…ってことは、兄貴は生徒会にも十分通用する力を持ってるってことか?」
「あー、そうなるな。よかったじゃねーか橘弟、お前の兄貴はすごいやつだぞ」
「はっ、ばっ、別にそんなっ」
「どやぁ…って顔してたよ千鬼」
「ししししししてねェし!兄貴!お前もプルプルしてんじゃねェ!笑ってんのバレバレなんだよ!」
オカシイナー。今なんだかとっても重要な結論が出てしまった気がするんだけどナー。千鬼のデレで全てが帳消しにされた気がするナー。
「なら、今の状況は──生徒会からしたら非常に好ましくないと言うことですか」
「…そうなるな。向こうも無刀がこっちに戻るとは思ってなかっただろうし…ていうか俺も戻ってくんのか不安だったし」
「貴方達がおかしいんですよ。普通一回裏切った相手仲間に戻しませんからね」
女郎蜘蛛と同じことを言われてしまった。
「…まぁ、そうですねぇ、二度目はないでしょうし──信用してくださるなら、私もそれに応えなくてはね」
幸い千鬼はもう、自分で自分を守れるだけ大きくなってくれたみたいですし──と、無刀は少し笑った。千鬼はバツが悪そうにそっぽをむいた。
なんにせよ、俺たちはこれからだ。
無刀の作戦──と言っても、それは作戦というよりは戦い方だが──それを遂行する時がやってきた。
「そういえば」
無刀は半笑いで言った。
「以前真里さんに問われましたね──この作戦の勝率は何パーセントだ、と」
「あぁ…それでお前、七パーって……」
「それは私が戦いに参加しないことを前提とした数字です」
……うん?
「私が、勝率を百パーセントまで上げてあげますよ」
ニッと悪どい笑みを浮かべて──つまり今までの無刀では考えられないような楽しそうな顔をして、無刀は言った。
「…強気になっちゃってまぁ」
「悪いですか?少しぐらい調子に乗らせてください」
とても一度裏切ったやつの発言とは思えない。
アホみたいに頼りになる前科持ちの無刀を──俺たちは想像以上に信頼していたし、期待していたということに今気づいた。
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てぇてぇ………てぇてぇよ!キャラ一人一人が個性的かつ尊いとかいう神現象!!あー!マジ無理!みんな幸せになってくれ〜!
コメントありがとうございます~!
キャラ達を大好きになってくれてありがとうございます!これからも推して下さい頑張るので!
皆幸せになって欲しいですよなんたって私が産みだした子達ですもん!!
でも全員が幸せになるかは…どうかな……なんて…
すごすぎて爆発するかと思いました。
続きが見たいと思える小説を書けるのがすごすぎます!✨
わぁぁ~ありがとうございます!続きが気になるって個人的には一番好きな言葉なので嬉しいです!爆発はしないで下さい。読者さんが減るので。
これからも爆発しそうになる文章が書けるようにがんばります!
すごい面白かったです!本になって欲しいくらいです!体調に気をつけて投稿頑張ってください!
あ、ありがとうございます…!体調面を気遣ってくれた人は初めてと言っても過言ではないですぅ!がんばります!応援よろしくお願いします!