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2章:青空とリンゴの木
ニナの誕生日 5
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バルジーナ皇国の魔術兵になる。そんなリュカの決意は、他国の人間が皇国兵になった前例がないことや、キアンが辺境部隊に入隊してから程なく、魔術兵団に入るには訓練校での3年間の履修が必須となったことなどのハードルを前にしても揺るがないようだった。
「今は両国の情勢が安定しているからこうして行き来できているが、ひとたびこの均衡が崩れれば国境を跨ぐことすら許されなくなるだろう。敵対国としてフランメル王国に攻め入らなければいけなくなる可能性もあるんだぞ」
「……」
「お前とニナの祖国を討つことになる。できるのか?」
リュカは答えない。そして私も、リュカの後押しをしてあげられるような最適解は見いだせなかった。
できないのであればそもそも国から出るべきではなく、「できる」と答えたところで、祖国を簡単に切り捨てる人間ならばいつか皇国をも裏切るのではないかと疑心の芽を植え付けることになる。バルジーナ皇国の人間でないということは、リュカがようやく見つけた夢を阻害する大きな要因になっていて、生まれなおすことができないのなら何か別の抜け穴を見つけない限り、その問題は解消されないだろうと思った。
「魔術兵団ならフランメル王国にもあるだろう。なぜバルジーナにこだわる?」
「……勝てないから」
「勝てないって……何に」
「魔獣だよ」
リュカは唇を噛み、いったん言葉を切ってから、パッと顔を上げて席を立ち、悲痛な面持ちでキアンを見つめた。
「僕、学校の図書館で魔獣のことを調べたんだ。そしたら、国境を越えてフランメル王国を襲ったことが何度かあって、手も足も出なかったって……。この国の魔術兵は、もし今むかしみたいなことになってもきっと追い払えないって、そう思って」
それは何百年も前、魔術を使う人間以外の生き物が発見されたばかりのころのことだ。今と比べ物にならないほどの数の魔獣が、旧バルジーナ帝国をはじめ、当時存在した国々を覆いつくし、ありとあらゆる生物を飲み込んだのだという。魔獣が通ったあとは焦土と化し、草木の一本、骨の一辺すら残らなかったそうだ。その黒い波はフランメル王国にも押し寄せ、旧バルジーナ帝国ほかの各国ほどではないにせよ、多大な被害を受けたのだとか。
「過去のことだ。今はバルジーナ皇国という強大な壁が立ちはだかっているだろ」
「……それは……でも、」
「コルピナ山脈を越えた魔獣はすべて辺境部隊が殲滅している。たとえ戦線を突破されても、後ろには各州に配備された魔術兵団が待ち構えているんだ。フランメル王国を襲うかもしれない、なんて心配する必要はどこにもない」
リュカは顔を上げ、一瞬なにか言いたげな表情でキアンを見つめたけれど、そのまま口を引き結んで力なく椅子に腰を下ろした。
「僕、あきらめないよ」
「リュカ」
「バルジーナ皇国の魔術兵団に入って、強くなって……いつか空白地に行く。そこで魔獣を全部倒すんだ」
固い意志をはらんだ呟きを耳にして、リュカがなぜ単なる魔術士ではなくバルジーナ皇国の魔術兵を目指したのか、ということを私はようやくちゃんと理解した。それは魔獣を倒す手練手管を本場で習得したいという思いがあったからで、リュカが本当に目標にしていたのは魔術兵になることではなく、魔獣を滅亡させることだったのだ。
実際そんなことが可能なのかどうかは別として、一つ分からないのは、なぜリュカがそこまで魔獣を恐れているのか、というところだ。バルジーナ皇国にとっては現在進行形の脅威かもしれないけれど、フランメル王国において魔獣の襲来はいまや歴史上の出来事としてしか認識されていない。それなのにリュカは、それをまるですぐにでも降りかかる災難のように感じているように見える。図書館の本で史実を知ったようだけれど、それにしては、あまりに現実味を帯びたもののように捉えすぎているというか……。
「まあ、目標があるのはいいことだと思うぜ。将来国同士がどうなるかとか、そんな細かいこといちいち考えてたら、夢なんて見れなくなっちまう」
空になったボトルを逆さまにして注ぎ口をグラスに当て、底に溜まっているわずかなワインをしつこく深追いしていたアレックスの手から乱暴にボトルを取り上げながら、カルロが言った。
「だが、あらゆる可能性があるというのは教えておいた方がいい。いざ現実となった時に絶望しなくて済むだろう」
「明日事故って死ぬかもしれない、でっかい地震が起きて世界は滅びるかもしれない。そういうどうしようもない事態からすりゃ、国同士の敵対なんて人の手でどうにかできるモンだ。つまんねえ可能性つらつら挙げて夢を潰すんじゃなく、そうならないように頑張るからお前も頑張れ、ぐらいのこと言ってやれよ。筆頭百人隊隊長の肩書がありゃ、何かしらはできるだろ」
「……“元”だ。今は違う」
「じゃあ返り咲かねえとな」
言いながら、カルロがキアンの背中に気合を叩きこんだ。キアンは軽く前のめりになり、簡単に言ってくれるなとため息交じりに呟いてから、カルロからの後押しを得て口角を少し上げたリュカに目を向けた。
「……やる気を削ぐようなことを言ってすまなかった」
「気にしないで。絶対叶えてやるんだって、逆にやる気になったから」
「いい心意気だ、リュカ! 私もその夢に微力ながら手を貸そうではないか」
大仰な身振りでアレックスが言い、リュカに握手を求める形で手を差し出す。
「期待しているぞ、君が濃紺のフロックに腕を通す日が来ることを」
バルジーナ皇国で濃い紺色の軍服を着ることが許されるのは、少尉以上の武官だけだ。アレックスが何を期待しているのかリュカには伝わっていないかもしれないけれど、リュカは神妙な表情で大きくうなずき、差し出された手を握り返していた。
その様子に、私はつい胸を熱くさせてしまった。リュカが自分で自分の答えを導き出し、ブレることなく押し通す意志力を感じられただけでなく、私以外にもリュカのことを真剣に考えてくれる人がいることが、とてもありがたくて嬉しかったのだ。
「ニナ、リュカの頼もしい姿に感動するのはいいが、泣くのはまだ早い」
私が鼻をすすっていると、アレックスが茶化すようにそう言った。
「言うまでもないが今日は君の誕生日だ。だから……ほら、リュカ。今がその時だぞ」
促され、慌てて立ち上がるリュカ。そして、ずっと不自然に膨れていたスラックスのポケットから、手のひらサイズの小さな箱を取り出すと、私の前に差し出した。
「誕生日おめでとう、ニナ」
頬をほんのり赤く染めて、ちょっと恥ずかし気にまつげを伏せるその姿が悶えるほどいじらしい。私は複雑に絡み合いながら湧き上がる様々な衝動を、頑丈な縄でぐるぐる巻きに縛り上げるイメージをしてから、ありがとう、というシンプルな言葉だけをリュカへと返してそれを受け取った。
逸る気持ちを抑えつつ、ゆっくりと蓋を開ける。ボルドーのベルベットが敷かれた上に丁寧に置かれていたのは、繊細な金のアートワイヤーで包まれてペンダントへと形を変えたシーフルだった。
「すご……! え、これ、ホントにリュカが作ったの?」
「うん。カルロに教えてもらって、キアンにもいっぱい手伝ってもらったけど」
「つ、つけてみていい、かな」
「もちろん。あ、でも触るときは気を付け……なくても平気だったね、ニナは」
こないだアレックスから譲り受けた時は無骨で素朴な石だと思ったのに、まさかこんなに気品のある姿に生まれ変わるなんて。
チェーンをそっと摘み上げ、目の前に石をぶら下げる。くるくると回転する、ワイヤークラフトで飾られた乳白色のその石は、強い光を反射することも、光の当たり方によって色味を変えることもない。でもなぜか心惹かれるのは、人体から魔力を吸いつくしてしまうという特別な力を持つ石だから、という理由だけではない気がした。
「あれ、このチャームは……」
楕円の先を尖らせて3つ重ね合わせたような、円の一部を切り取って三角をイメージするようにつなぎ合わせたような、不思議な形の小さな飾り。それはチェーンの通し穴にシーフルと一緒にぶら下がり、ワイヤーと同じ色合いで煌めいていた。
「トリケトラ、っていうんだって。心、体、魂を表していて、バルジーナ皇国ではお守りとしてその形のチャームを身に着けるんだよ」
リュカから説明を受けて、そう言えばこの図形はバルジーナ皇国の国旗にも使われていたはずだと思いつき、キアンの方に視線を送った。
「……それは、俺からだ。シーフルと違ってただの金属が君を守るとは微塵も思っていないが……まあ、気休めにはなるだろ」
「ここは誕生日おめでとう、でいいでしょ。お守りに対する持論なんて、別の機会に聞かせてくれればいいから」
私が笑いを含ませてそう言うと、キアンは少し瞠目してからふいと目を逸らし、おめでとう、という言葉をごく小さな声で投げるように寄越した。
「ねえ、ほら、早くつけてみせてよ!」
じれったそうにリュカが催促するので、留め具を慎重に外し、ペンダントトップを胸元に当てて、そっと首にチェーンを巻いていく。こんなに華やかなアクセサリーを身に着けたことなんて一度もないけれど、いつもの下級メイドの服に適当なまとめ髪なんかよりも、クレティエンが見繕ってくれた今の装いの方がはるかに見合っていると強く思った。
「どうかな?」
着けた様子が全体像で見えるように、その場で立ち上がる。リュカは私を上から下までじっくりと見てから、満足そうに何度もうなずいて顔をほころばせた。
「似合ってる! 僕、アクセサリーってよく分かんないけど。でもすごく似合ってると思う!」
私も、物自体のきれいさは分かるけれど、それが自分に合っているのかどうかの判断は付けられない。でもリュカがそう言ってくれるなら、他の誰から不似合いだ不格好だと言われても、自信満々にその言葉を否定できると思った。
「喜んでいるところを邪魔して悪いが、一つだけ注意したいことがある」
嬉しそうに目を輝かせるリュカが愛しくて、いつものように抱きしめようと伸ばした手は、アレックスのその言葉によって制されてしまった。
「シーフルは手心孔だけじゃなく、他の魔力孔に直接当てても影響が出る。だから、ペンダントをむき出しの状態で裸のリュカを抱きしめたりしないように」
「裸って……そんな機会ないと思うけど。でも分かった、気を付ける」
「まあ、ただの薄布一枚隔てるだけで、シーフルは魔力を吸い出すことはできなくなるからね。君がペンダントを服の中にしまっておきさえすれば問題はないよ」
「じゃあ今リュカのこと抱きしめても大丈夫だったんじゃん!」
何で止めたのよ、そう続けてからリュカの方に向き直ると、リュカはすでに自分の席に戻ってしまっていた。
「ええ~。ちょっと、リュカ~」
「今はヤダ」
つまりそれは、さっきなら流れでいけたかもしれないということか。悔やみつつも、無理強いは良くない、という分別がつくくらいには私は浮かれていなかったようで、しつこいもう一押しのなんやかんやを展開することなく、そのまま大人しく席に戻ることができた。
「それから、間違ってもそれをつけたまま水には入らないようにしたまえよ」
「え……あ、そうか。確か、吸い込んだ魔力は水につけると熱に変わって放出されるんだっけ」
「濡れた手で触るとか、雨水がかかるとか、その程度なら大丈夫だ。シーフル全体がかぶるくらいの量の水に1分ほど沈め続ければ、その水は一気に沸騰してしまうから、湯船につかる場合は箱にしまっておくといい」
そう言われ、テーブルの上を滑らせるように差し出されたさっきの小箱に改めて目を向ける。ペンダントの方に意識が向きすぎて気付かなかったけれど、箱の方もとてもきれいな装飾がなされていて、私はついそれを興味深く見つめてしまった。
深い色味の木でできた本体、側面に浅く彫られた花びらみたいな形の十字。蓋には色とりどりの小さな花がモザイクみたいにたくさん並んでいて、とても鮮やかで可愛らしい。蓋の飾りはパッと見た感じでは立体的に思えたけれど、表面はつるりと滑らかで光を反射しており、その手触りからガラスでできていることが分かった。
「シスレインのガラス細工って、このはっきりした色合いがすごく素敵なんだよねぇ」
技術の高さを感じさせる意匠に、ちょっとした恍惚感を覚えていたせいもあるかもしれない。本当に何も考えず零した私の言を拾い上げたのはカルロで、お前、と少し詰まったような声を上げた。
「よく知ってんな。どっかで見たことあるのか?」
「え、あー……うん、まあ」
「このミレフィオーリ技法を使ったガラス細工は作り手がほぼいないから現存数が少なくて、今じゃそうそうお目にかかれねえ代物なんだ。一体どこで見たんだ?」
まさかそんな風に追及されるとは思わず、私はつい言葉を詰まらせてしまった。
教師の育成学校入学を目指していた私は、立派な教育者になるには自国だけでなく他国の文化を学ぶことも重要だ、という先生からの勧めで、しょっちゅう王都にある美術館へと足を運んでいた。先生の口添えのお陰で、一般の人は立ち入ることを許されていない、外国の貴重な美術品がたくさん展示されている特別エリアに赴くことができ、その中にあったこのシスレイングラスのガラス細工に強く心惹かれたことは鮮明に覚えている。
シスレイングラスの生産地であったシスレイン共和国は、財政難をきっかけにエジンファレス王国に吸収されて国自体はなくなってしまったけれど、ガラスの生産は今でも続けられている。だからこのガラス細工もそれほど珍しいものではないと踏んだのだけれど、シスレインのものだと気づいたことを軽率に口にしたのは、あまり良くない選択だったようだった。
「えっと……具体的な場所は覚えてないんだけど、たぶん、骨とう品屋さんか何かで見かけたんだと思う」
この形状のガラス細工が珍しいものだということをきちんと学んでいれば、あんな不用意な発言はしなかった。
自分の学の浅さに後悔と反省をしながらも、動揺してうろつきそうになる視線をなんとか一点に留め、何かを思い出しているかのように装う。不自然でない、かつそれ以上踏み込まれないで済みそうな無難な返答をしたけれど、カルロの追及は止みそうになく。
「骨とう品屋? それはブランモワ領にあるのか?」
「あー……、ううん、たぶん違う、と思う。ごめん、見たのはずいぶん前だし、私、あちこち移動してるから」
「ムリーナの形状はどんなだった?」
「ムリーナ……って?」
「ガラスでできた、その小さい花のチップのことだ。細長く伸ばしたガラス棒を細かく切っていくと、断面にこういう花だとかの絵柄が出てくる作りになってる。これは円状だけど、もしお前が見たのが角のあるものだとしたら――」
言ってしまえばいいのに。
急に、そんな感情が湧き上がった。
昔自分は王都で教員になるために勉強していて、普通じゃお目にかかれない美術品や他国の文化、歴史に触れることが多かったからいろいろ知っているのだと、そう正直に打ち明けてしまえばいい。出自がはっきりすれば、私がバランド子爵家ともめて財産を根こそぎ奪われ、王都を追い出された人間だということはいつか知られるだろう。でも、この人たちは私の言い分をちゃんと聞いて信じてくれるだろうし、話を悪しざまに面白おかしく取り上げて吹聴したりしない。
今まで出会ってきた人間とは違う、信頼できる人たちだって、そう思うのに。
「あれか、バランド子爵のご子息を誑かした女というのは」
「赤い髪と同じく、振る舞いもずいぶん下品なのだな。見ろ、年若いのにもうあんな大きな子供を連れているぞ」
「妹御もひどく罵られ、日常的に嫌がらせを受けていたらしい。兄にこれ以上ご心労を重ねさせたくないと、ずっと口を閉ざして我慢なさっていたそうだ」
「なんとおいたわしい……」
口を開こうとするたびに、まるで今この場でそう囁かれているかのように、あの頃のことが鮮明に蘇ってくる。
私は悪くない、嘘をついているのはあちらだ。そのはずなのに、いつの間にか悪いのは自分で、 この裁きも当然のものだったんだと、私自身も街の人たちと同じように自分を責めるようになってしまった。
誰かを信じて全てをさらけ出したいと、そう思う気持ちがないわけじゃない。でも、あの時のような状況に陥る可能性が少しでもあることを考えた瞬間、私の唇は、舌は、凍り付いて動かなくなるのだ。
せっかくここまで作り上げた私の大事な場所を、失いたくない。またあれを繰り返すことになってしまったら、きっともう私は――
「すまん、ちょっと熱くなっちまった。びびらせるつもりはなかったんだ」
私が黙りこくる様子を、カルロは自分の熱量に圧されて怯えていると捉えたらしい。
はたと我に返った私は、慌てて首を横に振り、大丈夫だと答えた。
「死んだじいさんがガラス吹きでよ。工房にしょっちゅう遊びに行ってた俺にいろいろ教えてくれたんだ。その時に、ムリーナ用のガラス棒を一緒に作らせてもらったりしてさ」
「そう、なんだ……」
「じいさんが作るムリーナは、その箱の蓋のものとは違って全部きれいな四角とか五角形だったりするんだ。だからお前が見たのがじいさんが作ったやつかもしれねえって思ったら、なんか火ィついちまって」
カルロは苦々し気に笑ってそう言い、小さく息を吐き出した。私が以前美術館で見たガラス細工に使われていたムリーナには残念ながら角はなく、この箱と同じような円筒状のものがぎっしりと敷き詰められたものだったから、たぶんカルロのおじいさんが作ったものではなかったのだろう。
それでも、同様の作品が王都の美術館に所蔵されているという情報は、さっきの強めの反応からして、恐らくおじいさんの作品を探しているであろうカルロにとっては有益なものになるかもしれない。
「あの、もしかしたら、なんだけど」
自分の事情を話さなくても、知っていることを教えることはできるはず。
私は意を決し、慎重に言葉を選びながら、以前見たのは骨とう品屋ではなく、王都の美術館だったかもしれないこと、それほど貴重なものなら日常的に展示されていないかもしれないけれど、何かの記念日だったり感謝祭なんかのイベントの折には貴重な所蔵品を公開することもあるということをカルロに伝えた。
「記憶があいまいだから確かかどうかは分からないし、私が見たっていうのもおじいさんが作ったものじゃないかもしれない。……ごめん、なんかあんまりお役には立てそうにないけど」
「そんなことねえって。ここに来てから俺なりに調べてたんだけど、全くアテがなかったからよ。とっかかりが見つかっただけでも御の字だ」
そう言って嬉しそうに笑うカルロに、私もあいまいに笑みを返す。
「また王都に行ってみてもいいかもしれないな。運が良ければ、その大輪の“千の花”が拝めるかもしれない」
「お前、またどこかの貴族の夫人を誑し込んで小遣いせびりたいだけだろ」
「察しがいいな、キアン。彼女らの金払いがいいのは確かだからな!」
アレックスの下衆な発言に、少しだけ重かった空気感がふわっと切り替わる。その和んだ雰囲気に安堵しつつも、後に続いた3人の王都での楽し気な思い出話に対して、私はちゃんと笑うことができなかった。
「今は両国の情勢が安定しているからこうして行き来できているが、ひとたびこの均衡が崩れれば国境を跨ぐことすら許されなくなるだろう。敵対国としてフランメル王国に攻め入らなければいけなくなる可能性もあるんだぞ」
「……」
「お前とニナの祖国を討つことになる。できるのか?」
リュカは答えない。そして私も、リュカの後押しをしてあげられるような最適解は見いだせなかった。
できないのであればそもそも国から出るべきではなく、「できる」と答えたところで、祖国を簡単に切り捨てる人間ならばいつか皇国をも裏切るのではないかと疑心の芽を植え付けることになる。バルジーナ皇国の人間でないということは、リュカがようやく見つけた夢を阻害する大きな要因になっていて、生まれなおすことができないのなら何か別の抜け穴を見つけない限り、その問題は解消されないだろうと思った。
「魔術兵団ならフランメル王国にもあるだろう。なぜバルジーナにこだわる?」
「……勝てないから」
「勝てないって……何に」
「魔獣だよ」
リュカは唇を噛み、いったん言葉を切ってから、パッと顔を上げて席を立ち、悲痛な面持ちでキアンを見つめた。
「僕、学校の図書館で魔獣のことを調べたんだ。そしたら、国境を越えてフランメル王国を襲ったことが何度かあって、手も足も出なかったって……。この国の魔術兵は、もし今むかしみたいなことになってもきっと追い払えないって、そう思って」
それは何百年も前、魔術を使う人間以外の生き物が発見されたばかりのころのことだ。今と比べ物にならないほどの数の魔獣が、旧バルジーナ帝国をはじめ、当時存在した国々を覆いつくし、ありとあらゆる生物を飲み込んだのだという。魔獣が通ったあとは焦土と化し、草木の一本、骨の一辺すら残らなかったそうだ。その黒い波はフランメル王国にも押し寄せ、旧バルジーナ帝国ほかの各国ほどではないにせよ、多大な被害を受けたのだとか。
「過去のことだ。今はバルジーナ皇国という強大な壁が立ちはだかっているだろ」
「……それは……でも、」
「コルピナ山脈を越えた魔獣はすべて辺境部隊が殲滅している。たとえ戦線を突破されても、後ろには各州に配備された魔術兵団が待ち構えているんだ。フランメル王国を襲うかもしれない、なんて心配する必要はどこにもない」
リュカは顔を上げ、一瞬なにか言いたげな表情でキアンを見つめたけれど、そのまま口を引き結んで力なく椅子に腰を下ろした。
「僕、あきらめないよ」
「リュカ」
「バルジーナ皇国の魔術兵団に入って、強くなって……いつか空白地に行く。そこで魔獣を全部倒すんだ」
固い意志をはらんだ呟きを耳にして、リュカがなぜ単なる魔術士ではなくバルジーナ皇国の魔術兵を目指したのか、ということを私はようやくちゃんと理解した。それは魔獣を倒す手練手管を本場で習得したいという思いがあったからで、リュカが本当に目標にしていたのは魔術兵になることではなく、魔獣を滅亡させることだったのだ。
実際そんなことが可能なのかどうかは別として、一つ分からないのは、なぜリュカがそこまで魔獣を恐れているのか、というところだ。バルジーナ皇国にとっては現在進行形の脅威かもしれないけれど、フランメル王国において魔獣の襲来はいまや歴史上の出来事としてしか認識されていない。それなのにリュカは、それをまるですぐにでも降りかかる災難のように感じているように見える。図書館の本で史実を知ったようだけれど、それにしては、あまりに現実味を帯びたもののように捉えすぎているというか……。
「まあ、目標があるのはいいことだと思うぜ。将来国同士がどうなるかとか、そんな細かいこといちいち考えてたら、夢なんて見れなくなっちまう」
空になったボトルを逆さまにして注ぎ口をグラスに当て、底に溜まっているわずかなワインをしつこく深追いしていたアレックスの手から乱暴にボトルを取り上げながら、カルロが言った。
「だが、あらゆる可能性があるというのは教えておいた方がいい。いざ現実となった時に絶望しなくて済むだろう」
「明日事故って死ぬかもしれない、でっかい地震が起きて世界は滅びるかもしれない。そういうどうしようもない事態からすりゃ、国同士の敵対なんて人の手でどうにかできるモンだ。つまんねえ可能性つらつら挙げて夢を潰すんじゃなく、そうならないように頑張るからお前も頑張れ、ぐらいのこと言ってやれよ。筆頭百人隊隊長の肩書がありゃ、何かしらはできるだろ」
「……“元”だ。今は違う」
「じゃあ返り咲かねえとな」
言いながら、カルロがキアンの背中に気合を叩きこんだ。キアンは軽く前のめりになり、簡単に言ってくれるなとため息交じりに呟いてから、カルロからの後押しを得て口角を少し上げたリュカに目を向けた。
「……やる気を削ぐようなことを言ってすまなかった」
「気にしないで。絶対叶えてやるんだって、逆にやる気になったから」
「いい心意気だ、リュカ! 私もその夢に微力ながら手を貸そうではないか」
大仰な身振りでアレックスが言い、リュカに握手を求める形で手を差し出す。
「期待しているぞ、君が濃紺のフロックに腕を通す日が来ることを」
バルジーナ皇国で濃い紺色の軍服を着ることが許されるのは、少尉以上の武官だけだ。アレックスが何を期待しているのかリュカには伝わっていないかもしれないけれど、リュカは神妙な表情で大きくうなずき、差し出された手を握り返していた。
その様子に、私はつい胸を熱くさせてしまった。リュカが自分で自分の答えを導き出し、ブレることなく押し通す意志力を感じられただけでなく、私以外にもリュカのことを真剣に考えてくれる人がいることが、とてもありがたくて嬉しかったのだ。
「ニナ、リュカの頼もしい姿に感動するのはいいが、泣くのはまだ早い」
私が鼻をすすっていると、アレックスが茶化すようにそう言った。
「言うまでもないが今日は君の誕生日だ。だから……ほら、リュカ。今がその時だぞ」
促され、慌てて立ち上がるリュカ。そして、ずっと不自然に膨れていたスラックスのポケットから、手のひらサイズの小さな箱を取り出すと、私の前に差し出した。
「誕生日おめでとう、ニナ」
頬をほんのり赤く染めて、ちょっと恥ずかし気にまつげを伏せるその姿が悶えるほどいじらしい。私は複雑に絡み合いながら湧き上がる様々な衝動を、頑丈な縄でぐるぐる巻きに縛り上げるイメージをしてから、ありがとう、というシンプルな言葉だけをリュカへと返してそれを受け取った。
逸る気持ちを抑えつつ、ゆっくりと蓋を開ける。ボルドーのベルベットが敷かれた上に丁寧に置かれていたのは、繊細な金のアートワイヤーで包まれてペンダントへと形を変えたシーフルだった。
「すご……! え、これ、ホントにリュカが作ったの?」
「うん。カルロに教えてもらって、キアンにもいっぱい手伝ってもらったけど」
「つ、つけてみていい、かな」
「もちろん。あ、でも触るときは気を付け……なくても平気だったね、ニナは」
こないだアレックスから譲り受けた時は無骨で素朴な石だと思ったのに、まさかこんなに気品のある姿に生まれ変わるなんて。
チェーンをそっと摘み上げ、目の前に石をぶら下げる。くるくると回転する、ワイヤークラフトで飾られた乳白色のその石は、強い光を反射することも、光の当たり方によって色味を変えることもない。でもなぜか心惹かれるのは、人体から魔力を吸いつくしてしまうという特別な力を持つ石だから、という理由だけではない気がした。
「あれ、このチャームは……」
楕円の先を尖らせて3つ重ね合わせたような、円の一部を切り取って三角をイメージするようにつなぎ合わせたような、不思議な形の小さな飾り。それはチェーンの通し穴にシーフルと一緒にぶら下がり、ワイヤーと同じ色合いで煌めいていた。
「トリケトラ、っていうんだって。心、体、魂を表していて、バルジーナ皇国ではお守りとしてその形のチャームを身に着けるんだよ」
リュカから説明を受けて、そう言えばこの図形はバルジーナ皇国の国旗にも使われていたはずだと思いつき、キアンの方に視線を送った。
「……それは、俺からだ。シーフルと違ってただの金属が君を守るとは微塵も思っていないが……まあ、気休めにはなるだろ」
「ここは誕生日おめでとう、でいいでしょ。お守りに対する持論なんて、別の機会に聞かせてくれればいいから」
私が笑いを含ませてそう言うと、キアンは少し瞠目してからふいと目を逸らし、おめでとう、という言葉をごく小さな声で投げるように寄越した。
「ねえ、ほら、早くつけてみせてよ!」
じれったそうにリュカが催促するので、留め具を慎重に外し、ペンダントトップを胸元に当てて、そっと首にチェーンを巻いていく。こんなに華やかなアクセサリーを身に着けたことなんて一度もないけれど、いつもの下級メイドの服に適当なまとめ髪なんかよりも、クレティエンが見繕ってくれた今の装いの方がはるかに見合っていると強く思った。
「どうかな?」
着けた様子が全体像で見えるように、その場で立ち上がる。リュカは私を上から下までじっくりと見てから、満足そうに何度もうなずいて顔をほころばせた。
「似合ってる! 僕、アクセサリーってよく分かんないけど。でもすごく似合ってると思う!」
私も、物自体のきれいさは分かるけれど、それが自分に合っているのかどうかの判断は付けられない。でもリュカがそう言ってくれるなら、他の誰から不似合いだ不格好だと言われても、自信満々にその言葉を否定できると思った。
「喜んでいるところを邪魔して悪いが、一つだけ注意したいことがある」
嬉しそうに目を輝かせるリュカが愛しくて、いつものように抱きしめようと伸ばした手は、アレックスのその言葉によって制されてしまった。
「シーフルは手心孔だけじゃなく、他の魔力孔に直接当てても影響が出る。だから、ペンダントをむき出しの状態で裸のリュカを抱きしめたりしないように」
「裸って……そんな機会ないと思うけど。でも分かった、気を付ける」
「まあ、ただの薄布一枚隔てるだけで、シーフルは魔力を吸い出すことはできなくなるからね。君がペンダントを服の中にしまっておきさえすれば問題はないよ」
「じゃあ今リュカのこと抱きしめても大丈夫だったんじゃん!」
何で止めたのよ、そう続けてからリュカの方に向き直ると、リュカはすでに自分の席に戻ってしまっていた。
「ええ~。ちょっと、リュカ~」
「今はヤダ」
つまりそれは、さっきなら流れでいけたかもしれないということか。悔やみつつも、無理強いは良くない、という分別がつくくらいには私は浮かれていなかったようで、しつこいもう一押しのなんやかんやを展開することなく、そのまま大人しく席に戻ることができた。
「それから、間違ってもそれをつけたまま水には入らないようにしたまえよ」
「え……あ、そうか。確か、吸い込んだ魔力は水につけると熱に変わって放出されるんだっけ」
「濡れた手で触るとか、雨水がかかるとか、その程度なら大丈夫だ。シーフル全体がかぶるくらいの量の水に1分ほど沈め続ければ、その水は一気に沸騰してしまうから、湯船につかる場合は箱にしまっておくといい」
そう言われ、テーブルの上を滑らせるように差し出されたさっきの小箱に改めて目を向ける。ペンダントの方に意識が向きすぎて気付かなかったけれど、箱の方もとてもきれいな装飾がなされていて、私はついそれを興味深く見つめてしまった。
深い色味の木でできた本体、側面に浅く彫られた花びらみたいな形の十字。蓋には色とりどりの小さな花がモザイクみたいにたくさん並んでいて、とても鮮やかで可愛らしい。蓋の飾りはパッと見た感じでは立体的に思えたけれど、表面はつるりと滑らかで光を反射しており、その手触りからガラスでできていることが分かった。
「シスレインのガラス細工って、このはっきりした色合いがすごく素敵なんだよねぇ」
技術の高さを感じさせる意匠に、ちょっとした恍惚感を覚えていたせいもあるかもしれない。本当に何も考えず零した私の言を拾い上げたのはカルロで、お前、と少し詰まったような声を上げた。
「よく知ってんな。どっかで見たことあるのか?」
「え、あー……うん、まあ」
「このミレフィオーリ技法を使ったガラス細工は作り手がほぼいないから現存数が少なくて、今じゃそうそうお目にかかれねえ代物なんだ。一体どこで見たんだ?」
まさかそんな風に追及されるとは思わず、私はつい言葉を詰まらせてしまった。
教師の育成学校入学を目指していた私は、立派な教育者になるには自国だけでなく他国の文化を学ぶことも重要だ、という先生からの勧めで、しょっちゅう王都にある美術館へと足を運んでいた。先生の口添えのお陰で、一般の人は立ち入ることを許されていない、外国の貴重な美術品がたくさん展示されている特別エリアに赴くことができ、その中にあったこのシスレイングラスのガラス細工に強く心惹かれたことは鮮明に覚えている。
シスレイングラスの生産地であったシスレイン共和国は、財政難をきっかけにエジンファレス王国に吸収されて国自体はなくなってしまったけれど、ガラスの生産は今でも続けられている。だからこのガラス細工もそれほど珍しいものではないと踏んだのだけれど、シスレインのものだと気づいたことを軽率に口にしたのは、あまり良くない選択だったようだった。
「えっと……具体的な場所は覚えてないんだけど、たぶん、骨とう品屋さんか何かで見かけたんだと思う」
この形状のガラス細工が珍しいものだということをきちんと学んでいれば、あんな不用意な発言はしなかった。
自分の学の浅さに後悔と反省をしながらも、動揺してうろつきそうになる視線をなんとか一点に留め、何かを思い出しているかのように装う。不自然でない、かつそれ以上踏み込まれないで済みそうな無難な返答をしたけれど、カルロの追及は止みそうになく。
「骨とう品屋? それはブランモワ領にあるのか?」
「あー……、ううん、たぶん違う、と思う。ごめん、見たのはずいぶん前だし、私、あちこち移動してるから」
「ムリーナの形状はどんなだった?」
「ムリーナ……って?」
「ガラスでできた、その小さい花のチップのことだ。細長く伸ばしたガラス棒を細かく切っていくと、断面にこういう花だとかの絵柄が出てくる作りになってる。これは円状だけど、もしお前が見たのが角のあるものだとしたら――」
言ってしまえばいいのに。
急に、そんな感情が湧き上がった。
昔自分は王都で教員になるために勉強していて、普通じゃお目にかかれない美術品や他国の文化、歴史に触れることが多かったからいろいろ知っているのだと、そう正直に打ち明けてしまえばいい。出自がはっきりすれば、私がバランド子爵家ともめて財産を根こそぎ奪われ、王都を追い出された人間だということはいつか知られるだろう。でも、この人たちは私の言い分をちゃんと聞いて信じてくれるだろうし、話を悪しざまに面白おかしく取り上げて吹聴したりしない。
今まで出会ってきた人間とは違う、信頼できる人たちだって、そう思うのに。
「あれか、バランド子爵のご子息を誑かした女というのは」
「赤い髪と同じく、振る舞いもずいぶん下品なのだな。見ろ、年若いのにもうあんな大きな子供を連れているぞ」
「妹御もひどく罵られ、日常的に嫌がらせを受けていたらしい。兄にこれ以上ご心労を重ねさせたくないと、ずっと口を閉ざして我慢なさっていたそうだ」
「なんとおいたわしい……」
口を開こうとするたびに、まるで今この場でそう囁かれているかのように、あの頃のことが鮮明に蘇ってくる。
私は悪くない、嘘をついているのはあちらだ。そのはずなのに、いつの間にか悪いのは自分で、 この裁きも当然のものだったんだと、私自身も街の人たちと同じように自分を責めるようになってしまった。
誰かを信じて全てをさらけ出したいと、そう思う気持ちがないわけじゃない。でも、あの時のような状況に陥る可能性が少しでもあることを考えた瞬間、私の唇は、舌は、凍り付いて動かなくなるのだ。
せっかくここまで作り上げた私の大事な場所を、失いたくない。またあれを繰り返すことになってしまったら、きっともう私は――
「すまん、ちょっと熱くなっちまった。びびらせるつもりはなかったんだ」
私が黙りこくる様子を、カルロは自分の熱量に圧されて怯えていると捉えたらしい。
はたと我に返った私は、慌てて首を横に振り、大丈夫だと答えた。
「死んだじいさんがガラス吹きでよ。工房にしょっちゅう遊びに行ってた俺にいろいろ教えてくれたんだ。その時に、ムリーナ用のガラス棒を一緒に作らせてもらったりしてさ」
「そう、なんだ……」
「じいさんが作るムリーナは、その箱の蓋のものとは違って全部きれいな四角とか五角形だったりするんだ。だからお前が見たのがじいさんが作ったやつかもしれねえって思ったら、なんか火ィついちまって」
カルロは苦々し気に笑ってそう言い、小さく息を吐き出した。私が以前美術館で見たガラス細工に使われていたムリーナには残念ながら角はなく、この箱と同じような円筒状のものがぎっしりと敷き詰められたものだったから、たぶんカルロのおじいさんが作ったものではなかったのだろう。
それでも、同様の作品が王都の美術館に所蔵されているという情報は、さっきの強めの反応からして、恐らくおじいさんの作品を探しているであろうカルロにとっては有益なものになるかもしれない。
「あの、もしかしたら、なんだけど」
自分の事情を話さなくても、知っていることを教えることはできるはず。
私は意を決し、慎重に言葉を選びながら、以前見たのは骨とう品屋ではなく、王都の美術館だったかもしれないこと、それほど貴重なものなら日常的に展示されていないかもしれないけれど、何かの記念日だったり感謝祭なんかのイベントの折には貴重な所蔵品を公開することもあるということをカルロに伝えた。
「記憶があいまいだから確かかどうかは分からないし、私が見たっていうのもおじいさんが作ったものじゃないかもしれない。……ごめん、なんかあんまりお役には立てそうにないけど」
「そんなことねえって。ここに来てから俺なりに調べてたんだけど、全くアテがなかったからよ。とっかかりが見つかっただけでも御の字だ」
そう言って嬉しそうに笑うカルロに、私もあいまいに笑みを返す。
「また王都に行ってみてもいいかもしれないな。運が良ければ、その大輪の“千の花”が拝めるかもしれない」
「お前、またどこかの貴族の夫人を誑し込んで小遣いせびりたいだけだろ」
「察しがいいな、キアン。彼女らの金払いがいいのは確かだからな!」
アレックスの下衆な発言に、少しだけ重かった空気感がふわっと切り替わる。その和んだ雰囲気に安堵しつつも、後に続いた3人の王都での楽し気な思い出話に対して、私はちゃんと笑うことができなかった。
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