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2章:青空とリンゴの木

ニナの誕生日 2

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 フォーミダーブルの周辺は考えていたよりも混雑していて、背の高いカルロがいなければきっとこうして落ち合うのにも更に時間がかかっただろうと思った。

「おっ、今日はずいぶんめかしこんでるじゃねえか。イイトコのお嬢さんかと思ったぜ」

 店の前で手をあげて居場所を知らせてくれたカルロが、私を見るなりからかうようにそう言った。

「馬子にも衣裳、って言いたいんでしょ」
「そんなわけねえだろ。よく似合ってるし、すごくキレイだよ」
「えっ」

 眉を寄せながら首を傾げ、カルロをじっと見つめる。カルロはキョトンとした表情を浮かべ、私と同じように首を傾げる仕草をした。

「……無理して褒めなくてもいいんだよ?」
「俺は無理も無茶もしねえタイプなの。不細工ならはっきりそう言ってやるから安心しろ」
「……」

 カルロが本気でちゃんと私のことをきれいだと言ってくれたのが分かったとたん、照れ臭くなった私は、思わず自分の足元に視線を落とした。
 クレティエンによってヘアメイクを施された自分の姿を見たときは、確かに自分でもきれいになったと思っていた。それならさっきのカルロの誉め言葉も素直に受け取れたはずで、あんな拗ねた、何ならちょっと感じの悪い言葉を返すことだってしなくて良かったのだ。でも何かしらの反応を見せつつも結局何も言及しなかったキアンの態度は、思っていたよりも私の自信を削いでいたらしい。

「なんか……ごめん、変に可愛くない反応しちゃって」
「おう、気にすんな! つか、そこは“ありがとう”でいいだろ」

 何から何までその通りだと思い、小さくうなずいた時。

「アレックスとリュカの姿が見えないようだが、どこに行ったんだ?」

 私たちのやり取りは耳に入っていなかったらしいキアンが、辺りを見回しながらカルロに声をかけた。

「ああ、ここに向かう途中で気になる店を見つけたって言って……ああ、ほら、あそこだ」

 視線を一点にとどめ、指をさすカルロ。そちらの方向に目をやると、アレックスとリュカがこちらに向かっている姿が、人ごみの隙間からチラリと見えた。

「わあっ、ニナ、おしゃれしてる!」

 私の姿を見つけるなり駆け寄ってきたリュカが、声を弾ませた。

「すごくいい! キレイだよ、ニナ」

 どこでそんなきざったらしい言葉を覚えたんだという、ひとかけらの不安のようなものが胸の内にポツリと影を落としたけれど、リュカの嬉しそうな顔と嬉しすぎるお褒めの言葉の威力は凄まじかった。さっきカルロにウダウダと妙な態度を取ってしまっていたのが噓のように、

「あ、ありがと」

 喜びを全身で表したい、何ならリュカを抱き上げてくるくる回りたいという衝動を、頭の中だけで妄想することによって何とか抑えつけ、ただ頬が緩むことだけを許しながら上ずった声でそう答えていた。

「あれ……リュカ、着替えたの?」

 リュカの肩に何気なく置いた手が、今朝着せたはずのコットンシャツではない、もっと高級感のある感触を覚えている。暗がりと人だかりでよく見えていなかったけれど、いつもの膝下丈のブリーチズパンツも、足首が隠れる長さのスラックスに変わっていて、私は思わずキアンを見上げた。

「俺が着替えさせたんだ」

 私の視線に気づいたカルロが、少し申し訳なさそうにそう言った。

「ラボでいろいろ作業をしていたら、油はねやら何やらでずいぶん汚しちまってよ。アレックスに見立てさせて代わりの服を用意したんだが……」

 勝手なことをして悪かった、と言われ、カルロに謝らせてしまうくらい表情を曇らせていたことに気づいた私は、慌てて首を横に振った。

「違うの、ラボで何かするのは分かっていたのに、私がちゃんと着替えを持たせなかったから。そこまで気を回せなかったせいで迷惑かけたみたいで、こっちこそごめんなさい」

 言いながら、ハンドバッグから財布を取り出した。今日はいつもより多めにお金を持ってきたつもりだけど、こんなに質感のいい布を使った服の代金を賄えるほどではない。足りない分はまた明日すぐにでも届けるとして、とりあえずあるだけのお金を渡そうとした。

「それはしまっておきたまえ」

 私の手をそっと握って動きを制したのは、アレックスだった。

「これは我々からの謝罪の気持ちだ。君の体質を知らなかったとは言え、リュカには大切な人を失うかもしれないという恐怖を与えてしまったからね」
「い、いや、でもこんなに高そうなもの受け取れな」
「どうしても君が支払いたいというなら、無理強いはしないでおこう。だが、次会う時にはさらに高額のものをリュカに贈ることになるぞ。それでもいいのかい?」

 私をまっすぐ捉えるブルーグレーの瞳が、ガス灯の光を吸い込んだのではない妙な輝きを放っているのが見て取れる。私には瞳を使った呪術は効かないはずで、だから何も怯えることはないと分かってはいたけれど、

「有難く受け取らせていただきます……」

財布をハンドバッグにしまい込み、感謝……とは違う、どちらかと言うと脅しに屈したような気持ちで頭を下げた。アレックスは満足げに、それでいい、とうなずいてから、私の耳元に口を寄せた。

「今後、こちらの気遣いを突き返すことがあれば、レートを倍に上げてお返しするからね」
「えっ……」
「厚意を素直に受け取る練習だよ、ニナ。君は気遣いと称して人を拒絶するきらいがあるようだから」

 アレックスはそう言ってから、私のハンドバッグをごく自然な動きで奪い取った。

「さあ、店に入ろう。いくらリザーブ済みとは言えこの人出だ、ぐずぐずしていては横から席を搔っ攫われるかもしれない」

 アレックスは声高に言い放ち、アカンサスの彫刻が施された、店のフロントドアを押し開けた。私はハンドバッグを取り返す機会を失ったまま、みんなの後に続いて店内に足を踏み入れた。







 案内されたのは店の2階にある個室だった。オデット――オーナーの姉の仕事仲間だということで、いい席を用意してくれたらしい。案内をしてくれた給仕人セルヴーズに食前の飲み物とすぐに食べられる軽いおつまみ、今日のお目当てだったチキンフリカッセを人数分注文し、席につこうとした。

「許してくれたまえ、ニナ。私は君の装いが普段と違っていることに気付かなかったのではない。ただ、照明のあるところではっきりとその姿を確かめてから、存分に褒め称えようと考えていたのだよ」

 椅子の背もたれに手をかけたところで、アレックスがいきなりそんなことを言い出したので、私はぎょっとして顔を上げた。

「ど、どうしたの、急に」
「いや。君が自ら椅子を引くマネをしようとしていたから、怒っているのではないかと思ってね」

 つまり自分が椅子を引き、私の手を取って座らせるまで待てと言いたいらしい。いちいちそれに従うのは面倒だけれど、無視すればさらに面倒な展開になりそうだと判断した私は、背もたれからそっと手を離した。

「うむ、それでいい。私を紳士にしてくれと声高に叫ばなければいけないなんて、まったく君という人は世話が焼ける」

 アレックスがいい具合に引いてくれた椅子に腰かけながら、世話が焼けるのはどっちだよと心の中で呟いた。そもそも、こんなにぶつくさ文句を言いながらエスコートするなんて、その態度がまず紳士的じゃない。

「ご満足ですか」
「ああ、満たされたよ。あとはもう好きに振る舞うといい」

 私がチクリと刺した言葉をすまし顔で返し、アレックスは優雅な仕草で自分の席に着いた。

「そうだ、キアン。一つ聞きたいことがあるんだけど」

 食前酒のシャンパンと、リュカは炭酸入りのネクタールジュースで乾杯した後。パテやらクラッカーやらが運ばれてきたところで、ふとバランド子爵のことを思い出した私は、セルヴーズが部屋を後にしたところを見計らって口を開いた。
 クラッカーのプレートに伸ばしかけた手を引き、こちらに向き直るキアン。言葉はもうすぐそこまで出かかっていたけれど、私はとっさにそれを喉の奥へと押しやった。
 本当は、魔力が枯渇するのはどういう状況で起きるのかを聞きたかった。バランド子爵が目を覚まされない理由が、もしかしたら分かるかもしれないと思ったのだ。でも、なぜそんなことを聞くのかと問い返されれば、バランド子爵のことを話さなくてはいけなくなるような気がした。キアンだけが相手ならどうにかごまかせそうだけれど、ここにはアレックスやカルロがいるし、何よりリュカに不穏な事情を知られたくない。せっかくの楽しい食事の場を乱すべきではないと思い直し、何か別の質問に変えようとしたところ、

「我々が邪魔なら、遠慮なく言いたまえよ。即刻席を外して、キアンと二人きりにしてやるから」

 アレックスがリュカのグラスにお代わりのジュースを注ぎながら妙な提案をしてきたので、私は思わず咳込んでしまった。

「な、何それ。別にみんなに聞かれてまずい話なんてしないよ」
「本当にそうか? ならなぜ言い淀んでいる?」

 そう詰められ、思わずぐっと押し黙る。その意地悪く吊り上げられた口の端や、意味ありげに細めてこちらをまっすぐ見つめる目の感じから、アレックスが何をどう勘違いしているのかは何となく読めた。ここで焦っておかしな言動をすれば、ドツボにはまっていく気がする。
 私はシャンパンを一口飲み下し、気づかれないように小さく、それでもできるだけ深い呼吸をしてからリュカの方に目をやった。

「学校での魔術の授業について聞きたかったの」
「……フランメル王国の魔術教育のなっていないところなんて、挙げればキリがないぞ」
「そうじゃなくて。ほら、キアンがリュカに魔術を教えていたのを見た限りじゃ、先生とキアンの方針ってまったく違うでしょ」
「ああ、それはまあ……」
「いい成績を取るためだけなら先生に従えばいいんだろうけど、リュカが一流の魔術士になるにはそれじゃダメだと思うのね。だから、今の段階でやっちゃいけないこととかがあれば、知っておきたいなって」
「物質の生成をさせなければ、あとは適当にやっていい」

 間髪入れずに返ってきた短い答え。私はまだ続きがあるものだと思ってしばらくキアンを見つめた。

「……え、それだけ?」
「それだけだ」
「ちょっと待って、学校の授業って物質の生成しかしてないんじゃ」

 私の言葉に、リュカが大きくうなずく。

「今週は火を生成したから、来週からは水だって先生が言ってた」
「そうなのか」
「うん。で、うまくできた人から、水の勢いで岩を切る練習をするんだって」
「もう授業に出なくていい。さぼってしまえ」
「はあ!?」

 いきなり極端な提案をされ、私は思わず素っ頓狂な声を上げて椅子から勢いよく立ち上がった。

「それはダメ! 成績は悪くてもいいけど、出席コマ数が規定に達していない生徒は罰則を受けなきゃいけなくなるんだよ」

 罰則の内容自体はそれほど厳しいものではない。足りないコマ数分、校内の草刈りやゴミ拾いなんかの作業をすればいいだけだ。ただ、規律違反したという情報は戸籍に残り、将来の就職や、場合によっては結婚にも大きく関わってくることになる。この国において学校に行かないということがいかに不名誉で、かつ不遇な目に遭うかを説明すると、キアンは眉根を寄せてあきれたようにため息をついた。

「……言わなくていい、分かってる。私も理不尽だって思ってるから」

 そんな大層な規則を設定する前にもっと教育体制だったり内容だったりを整えるべきだとか、いろいろと意見はあるだろう。私だって、改善すべきところは他にあるはずと思うけれど、残念ながらここはそういう国なのだ。

「ねえ、物質の生成をしちゃいけないのって、リュカがまだ魔力を制御しきれてないからだよね」
「訓練を始めてから数日だということを考えれば目覚ましい進歩だが、まだ完璧とは言えないな」
「じゃ、その課題さえクリアできれば、授業に参加しても問題ない?」
「……授業で受ける生成の訓練なんて、何のプラスにもならないぞ」
「魔術においてはそうかもしれないけど、この国で真っ当に生きるには必要なことなの! で、問題はあるの、ないの?」

 テーブルに乗り出さんばかりの勢いで尋ねる私に、キアンは少し引きながらも、ない、と答えてくれた。

「リュカ」
「えっ、はっ、はい」
「今月中に、キアンから合格点もらってね」
「合格点って……なんの」
「魔力の制御。確か、1日中手のひらの上で魔力を対流させ続けるって課題があったよね?」

 私が笑顔でそう問いかけると、リュカはさっと顔色を変えた。

「え、それを今月中にできるようになれってこと?」
「うん」
「今月、あと2週間ぐらいしかないけど」
「うん」
「……」
「……」

 無言で見つめあったのち、がっくりとうなだれながらも、頑張る、と小さな声で呟いたリュカ。
 不穏な事情をリュカの耳に入れないことには成功したけれど、楽しい食事の場の空気は乱してしまった気がした。





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