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1章:魔力なしのニナ・アルエ

ガレネル・フェーケルに馳せる思い 2

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 癖とか習慣って、本当に恐ろしいと思う。私の手を握るのはいつもリュカで、だからその手を握り返してあげるのは自然なことだった、ただそれだけ。
 もちろんキアンには、何か下心があっての行動ではないと精いっぱいこれでもかという勢いで言い訳をしたし、ちゃんと分かってくれた……と信じている。まあ、豊富な女性遍歴のありそうなキアンが、そもそも手を繋いだくらいで今後の関係に何か支障が出るほど感情を揺らがせることなんて有り得ないだろう。
 それでも、たとえ他意は無かったとは言え、思考停止状態での慣性に任せた行動は、自分の望まない方向へ物事を動かす可能性がある。さっきのような間違いを起こさないためにも、今後はしっかりと周囲の状況を把握してからアクションを取るべきだ。
 ぼんやり生きない、流れに身を任せない、とりあえず一考する。自分との3つのお約束を心の中で何度も繰り返しながら、私は”世界一おいしい紅茶”を一口ふくんだ。
 キアンは倉庫に入るなり、スチームビークルの最終点検をすると言って奥に引っ込んでしまい、リュカも当たり前のようにその後について行ってしまった。カルロさんも、紅茶を給仕してくれたきり姿を見せないから、たぶんキアンの作業を手伝っているのだと思う。
 私もリュカが余計なことをしないか心配で、一緒に作業場に向かおうとしたけれど、アレックスさんに謎の機械の設計図やら私の知らない言語で書かれた書類やらがうずたかく積まれた狭い部屋へと連行され、一人掛けソファに座らされていた。

「ふむ……やはり紅茶はエジンファレス産に限る。そうは思わないか」

 向かい側に座っているアレックスさんは、優雅な仕草でティーカップから立ち上る湯気の香りを楽しみながらそう私に尋ねた。
 フランメル王国から小国をいくつか跨いだところにある、エジンファレス王国。百数種類ある品種の茶葉を各国に輸出しており、茶葉大国としてとても有名な国だ。中でも王家が開発した極秘の配合レシピのブレンドティーはかなりの高級品で、フランメル王国の貴婦人たちはこぞってそれを取り寄せては、お茶会の席で振舞っているらしい。
 正直言って、私にはお茶の味は分からない。ただ知識として”エジンファレスの茶葉は良い”ということは分かっているから、私は黙ってアレックスさんの問い掛けにうなずいておいた。

「さっきリュカに紅茶は好きかと尋ねたら、苦いだけでよく分かんない、と返されたよ。舌に関してはまだ開拓の余地がありそうで……ふふ、ますます興味深い子だ」

 アレックスさんはそう言いながら、不気味な笑みを浮かべた。その様子は、被験者を高いところから見下ろすマッドサイエンティストのようで、とにかく見ていてあまり気分のいいものじゃない。というか、そういう雰囲気の感情をリュカに向けられるのは本当に不愉快でしかない。

「アレックスさん、あの」
「ニナ……私が君のことをそう呼んでいるのは、分かっているね?」

 ティーカップを左手で持ち上げたソーサーに置き、更にそれをローテーブルに置く、という一連の動作を終えてから、アレックスさんは切なげな表情を浮かべて言った。

「だからここは察してほしいのだよ。私と対等に、同じように呼んでほしいと願う私の気持ちを」
「はあ……」

 回りくどい。そんな言葉が脳裏を行き来する。
 考えなしの行動は避けようとさっき誓いを立てたばかりなのに、感じたことは我慢せず、軽率に口に出してもいいんじゃないかという気になってしまっている。なんかもっと普通に喋ってくれないかなと思うけれど、ここは自分の意志の弱さを戒めるだけにとどめておこう。

「フランメル王国は、我が母国であるエジンファレスと同様、身分を大変重んじる傾向にあることはよく分かっている。その文化を否定するつもりは私にはこれっぽっちもないことだけは理解した上で」
「アレックス、変な目でリュカを見るのはやめてほしいんだけど。……これでいいですか」
「順応性は意外と高いようだね。可愛げのなさは致命傷だが、そこは評価できる」

 この上から目線の感じは王都でふんぞり返っている宮廷貴族に通ずるものがあるし、格式ばった婉曲表現を散りばめた話し方にもちょっとイラっとはする。それでも何となく憎めない、むしろ魅力的に感じてしまうのは、そういう振る舞いがしっかりハマるような見た目と、どこか異次元を感じさせる不思議な空気をまとっているせいなんだろう。

「それにしても、本当に奇妙な感覚だよ。こうして対峙した人間が何をどう感じているか、まるで分からないんだから」
「……本来なら見透かせるような口ぶりですね」
「ああ。あんなうそ発見器なんていう子供だましの装置がなくとも、私なら魔力の揺らぎぐらい簡単に感じ取れるからね。あと敬語やめてね」

 三段のプレートスタンドの一番上からイチゴの乗ったミニケーキをつまみ取り、そのまま口に運ぶアレックス。アフタヌーンティーのマナーとしては一番下の皿にあるサンドイッチから食べるのが正しいし、ケーキトングを使わずに手で取るのも、自分用の小皿に取り分けないで直接食べるのも無作法で、それはエジンファレス王国でも同じなはずだけれど。

「決められた作法を、美しく破る背徳感がたまらないのさ。私の性根はねじ曲がっている上に腐っているらしい」
「誰かにそう言われたんですか?」
「付き合いの長い奴はみなそう言うよ、キアン然り、カルロ然り……。君との縁も長く続くような気がするし、その内同じように私を表現するようになるだろうね。あと敬語やめてってば」

 アレックスはそう笑顔で返し、向かって右側のひじ掛けに組んだ足を載せ、反対側のひじ掛けに背中を預ける体勢でくつろぎ始めた。
 クレティエンが見たら卒倒するレベルの行儀の悪さだなと思いついて、私も思わず笑いをこぼす。

「ああ、そうだ。君に渡したいものがあったんだった」

 指についたクリームを、その辺に散らばっていた資料で拭って再びその辺に投げ捨てると、アレックスは意味ありげな視線を私に向けた。

「君の後ろにある戸棚の、上から3番目の小箱に特別な石が入っている。それを一つ取り出してくれないか」

 その指示に従って小箱を取り出し、蓋を開ける。するとそこには、大小さまざまな大きさの透き通った白い石がいくつも入っていた。

「どれでもいいんですよね?」
「ああ」

 カッティングなどの細工を施していない、いびつで素朴なその石をじっと見つめる。変わった特徴があるわけでも、妙な光を放つわけでもない、ちょっときれいな石。私はその中でいちばん大きなものをそっとつまみ上げた。

「それを何も考えず、強く握りしめてみて。何か感じたとしても、抵抗しないように」
「えっ」

 抵抗するな、というのは、大変なことになるから気をつけろという警告なのか、それとも反応が見たいから大人しくしてろという命令なのか。
 どちらにしてもあまりいい結果をもたらさないような気がして、私はその石をあわてて元の箱に放り込んだ。

「おい、乱暴に扱うなよ。貴重な石なんだぞ!」

 カチャン、という石同士がぶつかる音に反応して、アレックスは勢いよく体を起こして椅子から立ち上がると、私から小箱をひったっくった。

「だって抵抗するなとか言われたら怖いよ! この石何か攻撃してくるとかじゃないの!?」
「何もしないって。君には何の影響もないはずだ」

 アレックスは箱を傾けて石を動かし、異常がないことを確認している。
 私にとっては無害ということ、そして自らの手で触れようとしないところを見ると、魔力のある人にだけ何かしらの作用がある石なのかもしれない。ただ、”はず”という言葉が入るということは、理論上は正しくても実際にそうだとは言い切れない、という証でもあるわけで。

「これはバルジーナ皇国のコルピナ山脈のみから採れる、特殊な鉱石なんだ」

 疑いの目でじっと見つめると、アレックスはため息交じりにそう言った。

「”シーフル”と呼ばれていて、手のひらの手心孔(しゅしんこう)や喉のヴィシュッダ孔といった、通常魔力を出す場所から強制的に魔力を吸い出す性質がある」
「あ、それじゃあ魔力なしの私には害はないってこと?」
「無害どころか、私は君の助けになり得るのではないかと考えているんだよ」

 助けになる、という言葉の意味を咄嗟に理解できずに首を傾げたけれど、アレックスはもうこれ以上言葉で説明するのは億劫だと言わんばかりに、小箱を私の目の前に突き出した。

「まあ、モノは試しだ。とりあえず私の指示通りにやってみてくれ」
「……ホントに大丈夫?」
「ホントに大丈夫。……もし何かあったら全力で助けると約束するから」
「……」

 若干の疑念を抱きつつも、その言葉を信じて小箱に手を入れる。さっき選んだ石をもう一度取り出し、手のひらに載せて恐るおそる握ってみた。

「何か感じるかい?」
「いや、これと言って何も……」
「力が抜ける感覚とか、血の気が引くような感じなんかは」
「全くない」
「気分が優れないことも」
「ない」
「総合的に判断して、君の今の体調は」
「いつも通りです」

 アレックスの口角が上がり、私を見下ろすブルーグレーの瞳が怪しく光る。純粋さや清涼感なんて程遠い、狂気的で暗然たるその微笑みに、私は戦慄を覚えて一歩後ろに下がった。

「いい機会だから、いろいろと試してみようか。ねぇ、ニナ」





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