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寒空試食会

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 はい。約束の水曜日になりました。

 月曜からの水曜って、思った以上に早い。
 無事に残業は免れたけど、それを抜きにしてもなんとなく一日そわそわしてしまった。いや、約束したのにドタキャンってのはやっぱり嫌だし。夕方から何度も時計を確認して、至急案件は来るなよ! と念じていたら、先輩にニヤニヤと笑われてしまった。そのまま主任とアイコンタクトを取るとか……止めてください。そういう相手じゃないんです。ただのイケメンです。……いや、それも普通におかしいな。
 パソコン画面の隅に出ているデジタル時計が十八時になった瞬間にシャットダウンして、主任と先輩に捕まらない内に「お疲れ様でした!」と声を掛けて部署のフロアから抜け出た。これなら十八時十二分の電車に乗れるから、十九時にはH駅に着けるだろう。無事に電車へ乗れたタイミングで、雄大さんへメッセージを送った。一応、昨日のうちに時間を送っておいたけど、電車一本を乗り過ごすだけで到着時間が二十分も変わってしまうのだ。待たせたくない。そうでなくても、仕事が終わった後にわざわざ外出させているんだし。

『お疲れ様です。では予定通り、駅前の広場に向かいますね』
『お願いします』

 そこまで送ってから気付いた。雄大さん、どの電車に乗るんだろう。時刻表を確認すると向こう側からの電車は十九時ちょうどではなくて、近いのが十八時五十二分着か十九時二分着のみ。駅前広場は当たり前だけど屋外で、二月の寒い時期に待つような場所ではない。失敗した。俺の到着はギリギリの十八時五十八分――乗ってくる電車の指定まですれば良かった。

 そんな風に後悔しても、電車は予定通りにしか動かない訳で……H駅に到着したと同時に走って改札を駆け抜ける。駅前広場は寒い中でも何人か相手を待っている様子の人たちがいて、その中に見つけた雄大さんのところへ――

「お待たせっ、しま……っした!!」
「走ったんですか? 急がなくても良かったのに……」

 短距離だけど全速力で走ったから息が整わない。そんな俺を心配そうに見つめる雄大さんに、大丈夫だと笑いかけた。というか、雄大さんの鼻が赤くなってるし。やっぱり待ち合わせの場所としては失敗だよ。

「す、すみませ……さっき、屋外で待たせることに、気付いて……寒かった、です、よね?」
「寒さは別に平気です。それに、紘夢さんを待ってるのは楽しかったですよ」
「楽しい?」
「えぇ。連絡を取っていても、一週間ちょっとは長かったから……」

 一週間ぶりに男友達に会うのって、そんなに楽しみか? ……というか、なんでちょっと目を細めながら「会いたかったです」なんていうんですか? 並んで誰かを待っていた女の子が寒さとは違った意味で赤くなってますよ?! 明らかに雄大さんに反応しているよ! こんなイケメンに「会いたかった」とか言われたら、女性はコロッとなっちゃうよな!!

「……雄大さん、誤解されますよ」
「事実ですよ?」
「……」

 言 葉 の チ ョ イ ス ! ! !

 誰かこの人に教えてやってくれ。最初に会った時からだけど、なんでこの人は周りが誤解するような言葉選びをナチュラルにするんだ。俺は男だから対象外だとしてもだな……いや、対象外だからこその距離感ってあるよな?

「息、もう大丈夫ですか?」
「あぁ……はい、ご迷惑をお掛けしました……」
「良かった。もし転んだりでもしたら大変ですから、次からは走らないでくださいね」
「そこまで鈍くさくないですよ。確かに、ちょっと運動不足ではありますけど……」
「じゃあ、俺の心の平穏の為と思ってください。怪我をしないか心配なんです」
「……は、はい。気を付けマス」

 そろそろ突っ込みも追いつかなくなってきたぞ。きっとこれが雄大さんの普通……そう、普通なんだ。まぁスーツの人間が走ってすっ転ぶとか、ちょっと恥ずかしい光景だしな。

「それじゃあ、これ。紘夢さんのお話を聞いて作ったシフォンケーキ……なんですけど、作っていたら楽しくなっちゃって。抹茶と、紅茶と、シールの色が違うのは米粉で作った抹茶味……迷ったんですがクリームは止めておきました。なので三日は日持ちします。あと、蜂蜜とメープルのマドレーヌです。先週ノーマルを買われていたので、比較が出来るかなと思いまして……」

 雄大さんを見つけた時、あれ? 袋がデカくないか? と思ったんだけど……思った以上の量だった。シフォンケーキは直径十五センチくらい。試食というから一カット分かと思ったら、まさかの一ホールだったよ。余裕で食べられるけど。

「食べ比べてみて、感想を教えてください。あ、あとでお店に出す用のラフ図も写真で送りますね」
 ポンと紙袋を俺に渡して、「じゃあよろしくお願いします」と頭を下げ……え??
「え? もう帰るんですか?」
「? はい。紘夢さんもお疲れでしょうし……試作品も渡すことが出来ましたし、帰ります」

 いやあの、交通費を使わせて貰う物だけ貰って、それで「バイバーイ」とか酷い人間じゃないか? 貢がせるだけ貢がせる悪女のようだぞ? せめてお茶でも、と思ったんだけど……駅前のコーヒーショップに入ったらこのマドレーヌは食べられないよな。店内で他店舗の商品を食べていたら失礼、だよな……?

「雄大さん、まだ時間はありますか?」
「大丈夫ですよ?」
「そうですか……じゃあちょっと付き合ってください」
「?」

 まずはコーヒーショップでテイクアウトと伝え、「雄大さんは何にしますか?」と強制的にコーヒーを選ばせて、俺は俺で温かいカフェオレを注文した。

「寒い思いはさせちゃうんですけど、そこにベンチがあるので……折角だから一緒にコーヒーでも飲みましょう」

 駅前広場側なので、ギリギリお店の範囲にはならないだろう。結局また寒い思いをさせてしまってるけど、家に帰ってメッセージで感想を送るだけっていうのも味気ないし。男二人でベンチに腰掛けるという違和感には目を瞑り、俺はさっき受け取った紙袋からマドレーヌ二種を取り出した。

「いただきます」

 まずは蜂蜜味から。メープルに比べて色合いはノーマルと変わらない。うん。ノーマルと比べると結構しっかりとした甘さを感じる。でもくどさは感じないな。そこでカフェラテを飲んで、口に残った味をリセット。
 次はメープル味。こっちは少しだけベースが茶色っぽく見える。メープルの色かな? さっきの蜂蜜に比べると甘さは控えめで、でもメープルのあの香りはしっかりと残っている。うーん、どっちも美味しい。

「あ、すみません。食べるのに夢中になってました」

 作った人の、しかも感想を求めている人の前で……こういうのは一口食べて感想を伝えるものなのに、黙々と両方食べちゃったよ。申し訳ないと思って雄大さんを見たら、何故か目を逸らされた。

「本当に、美味しそうに食べてくれるんですね」

 顔がかなり緩んでいたようです。よく先輩に指摘される間抜け面を、こんなイケメンの前にさらけ出してしまった。恥ずかしい。

「いや、その……」
「嬉しいです。紘夢さんが美味しいって思ってくれているのが、わかりました。……ブラウニーの時もこんな顔をされていたんだなって、本当に……」
「だって美味しいから。美味しい物を食べて、美味しくない顔とか出来なくないですか?」
「確かにそうですね」

 こっちを向いた雄大さんが何かに気付いて、俺の口元に手を伸ばす。なんだ? と思っていたらマドレーヌの欠片が唇の横に付いていたらしい。それを取ってくれて、そのまま自分の口元に指を、持って行って、ペロッと……ペロッと?!

「甘いですね」

 そう言いながら笑うとか、俺もうどうしたら良いんでしょうかね。突っ込み役は返上しても良いでしょうか。誰に決められたことかわからないけど。叔父さん? 叔父さんに言えば良い!?

「自分が作ったんだから、味くらい分かるでしょ……」
「でも、味見した時よりも甘く感じました」

 それ、どっかの美女にやってくれませんか。俺は通行人Eあたり、もしくはテレビ画面越しとかで見たかった。イケメンのナチュラルスタイルについて行けません。ここに二人っきりでいて良かった。もし他に人がいたら、色々と大変なことになっていたと思うよ。

「食べた感想はどうですか?」

 次の瞬間にはパティシエとしての顔で、真面目に聞いてくる。そうなれば俺だけギクシャクしているのはおかしいし、つられるように真面目になって味の感想を伝えた。まぁどっちも美味しいしどっちも好きという、全く相談の意味がない感想なんだけど。コーヒーに合うのはハチミツ味かな? ってくらいだ。
 でもそれで良いと言われ、また来週と約束までしてその日は別れた。手元には三つのシフォンケーキ――これを食べても同じような感想しか出来ないと思うんだけど。「思いついたことをそのまま教えてくれれば大丈夫」とは言われたけど、本当にそんな内容で良いのだろうか。
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