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チョコレートの祭典
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「桜井くん、桜井くん」
始業開始三十分前。ぱらぱらと出社してきた人たちの中から、コソコソと同じ総務部の中村主任が声を掛けてきた。その手にはちょっとしっかりとした紙袋。お目当てのロゴがバッチリと描かれたその袋に、口角が持ち上がるのが止められない。
「買えたんですね?」
「ふふふ、お主も好きよのう」
「主任には負けます。というか、本当に助かりました。俺一人では中々買いに行けなくて……」
無類の甘い物好き。そう評される俺こと〝桜井 紘夢〟は、このバレンタインのイベントが大好きだ。だって特別仕様の限定物、ご当地でしか普段は買えないレア物が特設の催事会場で売り出されるんだぞ!? そんな限定品を貰えるような甲斐性は無い独り身なので、大学時代からそういう催事へ行く女友達に、これだと選び抜いた一品の購入をお願いしている。後は彼女と出掛けていく男友達。幸せそうな顔しやがってこの野郎。まぁそういうことなので、義理チョコとは別に俺としての本命――ガチなチョコレートも毎年揃えられる訳だ。
そんな中でもこの会社で出会った中村主任は、今までの友達連中とは一線を画す。なんせ毎月の給料からバレンタイン貯金なんてしているからな。この先輩が俺の教育担当になってくれて良かった。運命の出会いだと思った。お互いに恋愛感情なしのビジネスライクな関係で、男では行きにくいパーラーだとかホテルのスイーツ食べ放題だとかにも連れて行って貰っている。そこに付き合ってくれる男友達がいれば一番良いんだけど……行くなら彼女と行くと、至極まっとうに拒否られている。彼女がいれば俺だって彼女と行くよ!
「言ってたのって、エンリケのこれで良いんだよね? ついでに去年買ったハスルの限定も買って来たよ。アソートの味が新しくなってたからね、きっと桜井くんは好きな味だなと思ったから」
「マジですか。そっちはノーマークだったのでありがたいです! いくらですか?」
財布を取り出して、言われた金額よりもちょっと多めに手渡した。と言っても端数切り上げくらいだけど。こういう所でスムーズに大金を出せる男にはまだなれません。主任も後輩にそんなことをさせられないというし、普段はきっちり割り勘ということで甘えさせて貰っています。
「おー……今年も恒例の裏取引やってんなー」
隣の席の先輩が苦笑いをしながらやってきて、俺のお宝に対してそんな酷いことを言ってくる。
「裏じゃなくて、正々堂々とした取り引きでしょうが!!」
「バレンタインで取り引きするのがおかしいだろ」
「岡島先輩……そんなこと言ってるとチョコを貰えなくなりますよ?」
「そうよそうよー! あ、お金を貰ったのとは別に、友チョコも袋に入ってるからね。桜井くん」
「ありがとうございます」
これで三個のチョコが手元に――あとは同期の結城が彼女と買いに行った筈だから、依頼していた分が二つ。買えたかなぁ……
「うちの会社、個別の義理チョコは禁止してるからねぇ……部署一括だから種類なくて悲しいよね」
「いや、個別なんてやられたら破産すんだろ」
「三倍返しってやつですね」
「そーそー、でも桜井が入ってからはホワイトデーが楽になったわ。一括とは言え、選ぶの大変だしな」
「女子側は結構楽しいんだけどね。ってことで、今日の昼休憩をお楽しみに」
そう言って中村主任はヒラヒラと手を振りながら席へと戻っていった。
個別やり取りを禁止しているうちの会社だけど、代わりにこの部署ではバレンタインは女性から部署全体へ、ホワイトデーは男性から女性へと、贈り合いをしている。男だらけの部署はやっていないらしいから、俺は総務部で良かった。
女性側から部署への一括な理由は、自分たちも食べたいというこれまた当たり前な理由のせい。なので必然的に単価設定は男性陣の方が高くなる。結果として三倍返しに近い状態になり、我が部署の平穏は保たれている。そして友チョコはオヤツという別物扱いなので、女性同士は交換会のようなことをしているみたいだ。うん、女性って逞しい。
「しっかし、相変わらずの甘党だなぁ……お前……」
生活習慣に気をつけろよ、なんていう岡島先輩は甘党だ。甘い物を食べなくても酒を飲んでるんだから、そっちも肝臓なんかに気をつける必要があると思う。
「とか言いながら、本命は貰うんでしょう?」
「……目の前でチョコのやり取りをされたけどな」
「俺のは依頼と報酬という完全なビジネスなんで。後、多分そっちは明日だと思います」
中村主任、さっきは俺の分しか持っていなかったからな。実際バレンタイン当日は明日だし。義理的なやり取りなんて三連休明けに片付けて、カップルは当日を楽しむんだろう。仕事の関係でズレることはあっても、この二人は同部署に所属しているんだから関係ない。
同部署・同期・彼女の方が役職持ちという、ちょっと難しい恋愛だけど。
「あー、そのことでさ……今度時間を作ってくれ。ちょっと話したいことがある」
思わず分かりましたと頷いたけど……一瞬だけ背筋がヒヤッと震えた気がして今すぐ撤回したい。別れ話とか、嫌だなぁと思いながら、昼休憩のチョコレートに思いを馳せた。
始業開始三十分前。ぱらぱらと出社してきた人たちの中から、コソコソと同じ総務部の中村主任が声を掛けてきた。その手にはちょっとしっかりとした紙袋。お目当てのロゴがバッチリと描かれたその袋に、口角が持ち上がるのが止められない。
「買えたんですね?」
「ふふふ、お主も好きよのう」
「主任には負けます。というか、本当に助かりました。俺一人では中々買いに行けなくて……」
無類の甘い物好き。そう評される俺こと〝桜井 紘夢〟は、このバレンタインのイベントが大好きだ。だって特別仕様の限定物、ご当地でしか普段は買えないレア物が特設の催事会場で売り出されるんだぞ!? そんな限定品を貰えるような甲斐性は無い独り身なので、大学時代からそういう催事へ行く女友達に、これだと選び抜いた一品の購入をお願いしている。後は彼女と出掛けていく男友達。幸せそうな顔しやがってこの野郎。まぁそういうことなので、義理チョコとは別に俺としての本命――ガチなチョコレートも毎年揃えられる訳だ。
そんな中でもこの会社で出会った中村主任は、今までの友達連中とは一線を画す。なんせ毎月の給料からバレンタイン貯金なんてしているからな。この先輩が俺の教育担当になってくれて良かった。運命の出会いだと思った。お互いに恋愛感情なしのビジネスライクな関係で、男では行きにくいパーラーだとかホテルのスイーツ食べ放題だとかにも連れて行って貰っている。そこに付き合ってくれる男友達がいれば一番良いんだけど……行くなら彼女と行くと、至極まっとうに拒否られている。彼女がいれば俺だって彼女と行くよ!
「言ってたのって、エンリケのこれで良いんだよね? ついでに去年買ったハスルの限定も買って来たよ。アソートの味が新しくなってたからね、きっと桜井くんは好きな味だなと思ったから」
「マジですか。そっちはノーマークだったのでありがたいです! いくらですか?」
財布を取り出して、言われた金額よりもちょっと多めに手渡した。と言っても端数切り上げくらいだけど。こういう所でスムーズに大金を出せる男にはまだなれません。主任も後輩にそんなことをさせられないというし、普段はきっちり割り勘ということで甘えさせて貰っています。
「おー……今年も恒例の裏取引やってんなー」
隣の席の先輩が苦笑いをしながらやってきて、俺のお宝に対してそんな酷いことを言ってくる。
「裏じゃなくて、正々堂々とした取り引きでしょうが!!」
「バレンタインで取り引きするのがおかしいだろ」
「岡島先輩……そんなこと言ってるとチョコを貰えなくなりますよ?」
「そうよそうよー! あ、お金を貰ったのとは別に、友チョコも袋に入ってるからね。桜井くん」
「ありがとうございます」
これで三個のチョコが手元に――あとは同期の結城が彼女と買いに行った筈だから、依頼していた分が二つ。買えたかなぁ……
「うちの会社、個別の義理チョコは禁止してるからねぇ……部署一括だから種類なくて悲しいよね」
「いや、個別なんてやられたら破産すんだろ」
「三倍返しってやつですね」
「そーそー、でも桜井が入ってからはホワイトデーが楽になったわ。一括とは言え、選ぶの大変だしな」
「女子側は結構楽しいんだけどね。ってことで、今日の昼休憩をお楽しみに」
そう言って中村主任はヒラヒラと手を振りながら席へと戻っていった。
個別やり取りを禁止しているうちの会社だけど、代わりにこの部署ではバレンタインは女性から部署全体へ、ホワイトデーは男性から女性へと、贈り合いをしている。男だらけの部署はやっていないらしいから、俺は総務部で良かった。
女性側から部署への一括な理由は、自分たちも食べたいというこれまた当たり前な理由のせい。なので必然的に単価設定は男性陣の方が高くなる。結果として三倍返しに近い状態になり、我が部署の平穏は保たれている。そして友チョコはオヤツという別物扱いなので、女性同士は交換会のようなことをしているみたいだ。うん、女性って逞しい。
「しっかし、相変わらずの甘党だなぁ……お前……」
生活習慣に気をつけろよ、なんていう岡島先輩は甘党だ。甘い物を食べなくても酒を飲んでるんだから、そっちも肝臓なんかに気をつける必要があると思う。
「とか言いながら、本命は貰うんでしょう?」
「……目の前でチョコのやり取りをされたけどな」
「俺のは依頼と報酬という完全なビジネスなんで。後、多分そっちは明日だと思います」
中村主任、さっきは俺の分しか持っていなかったからな。実際バレンタイン当日は明日だし。義理的なやり取りなんて三連休明けに片付けて、カップルは当日を楽しむんだろう。仕事の関係でズレることはあっても、この二人は同部署に所属しているんだから関係ない。
同部署・同期・彼女の方が役職持ちという、ちょっと難しい恋愛だけど。
「あー、そのことでさ……今度時間を作ってくれ。ちょっと話したいことがある」
思わず分かりましたと頷いたけど……一瞬だけ背筋がヒヤッと震えた気がして今すぐ撤回したい。別れ話とか、嫌だなぁと思いながら、昼休憩のチョコレートに思いを馳せた。
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