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仮面舞踏会でワルツを
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その令嬢にアルバートが会ったのは、仮面舞踏会での事だった。
モンテルニ侯爵家主催の仮面舞踏会に招待されたので渋々ながら行ってみれば、なぜか壁際で押し問答を繰り広げる令嬢が二人。気になって視線を向けてみれば、一人の令嬢がもう一人を壁際から引っ張り出し、ダンスホールに向かってグイグイと押しやっていた。
「ホラッ、お姉様今ですわ! 行ってくださいまし!」
「え、で、でもちょっと待って欲しいんだけれど……」
「四の五の言わずに、女は度胸ですわよっ、さあさあ!」
「あっ」
「おっと」
どん、と勢いよく突き出された令嬢はバランスを崩して転びそうになる。反射的に支えると思った以上に体が密着した。
「も、申し訳ありません!」
顔の半分を覆った仮面越しでもわかるくらいに赤面している令嬢は慌ててアルバートから距離を置く。お辞儀をすれば、綺麗に結われた亜麻色の髪に飾られた淡いピンク色のバラが目に留まった。着ているドレスによく似合っているバラだ。
タイミングを見計らったかのようにワルツの調べが流れ始め、ほんの僅かこの令嬢に興味がわいたアルバートはすっと手を差し出す。
「よろしければ僕と一曲、踊っていただけませんか?」
令嬢は驚いた様子で、仮面から覗く瞳が動揺に揺れている。僅かなためらいを見せた後、しかしおずおずとアルバートの手のひらに手を重ねてくれた。
ゆっくりとした音楽の調べに耳を傾けながら、ステップを踏む。数十秒踊っただけであることに気がつき、思わず話しかけていた。
「貴女のダンスは完璧ですね。僕はあまりダンスが上手ではないんですけど、驚くほどリードしやすい」
「そんな……リードが上手なおかげです」
「いいや、謙遜は良くないよ。風の魔法でコントロールしてるだろう」
かなり微量で繊細な魔法のコントロール。これは誰にでもできる技ではない。さぞかし有名な魔法の使い手なのだろうと思って相手の顔を見つめるも、これといった固有名が出てこない。
特徴としては、仮面から覗くヘーゼル色の瞳に亜麻色の髪、ほっそりとした体つきに平均的な身長。どれを取ってもありふれたもので、誰なのかを特定するには至らなかった。
曲が止んでお辞儀を一つ。ダンスで見せた魔法のコントロールが気になり、もう少し話を聞きたいと思った。普段ならばそんなことはしないのだが、この人とここでお別れするのは惜しいという気持ちがわいてくる。
「よかったらお話でもいかがでしょう」
「あ……はい。私でよろしければ」
少しはにかんだような、照れた様子の令嬢はごく小さな声でそう言うと頷いた。
ダンスホールから離れた席に二人で腰掛ける。二人でワインで乾杯をして一口飲むと、落ち着かなさそうに視線を彷徨わせていることに気がついた。
「何か気になることでも?」
「いえ、そういうわけでは……ただ、私こうして殿方とお話しする経験があまりないもので、その、どうしていいかわからなくって」
「ああ、なるほど。実は僕もそれほど女性と話をしたことはありませんので……気の利いた洒落た会話はできないんですが。先ほどの魔法コントロールがとても素晴らしかったもので、ぜひ話をしたいと思ったんですよ」
「あ、それなら……」
「先ほどのダンスからは魔法の扱いに長けているように見受けられました。どこで修学されたのですか?」
「クリフ魔法学院で」
「クリフ魔法学院! それなら確かに、あの繊細な魔法の使い方も納得ですね。僕は騎士学校で習ったのであそこまでの術技は身につけていないんですよ」
「あら……では今は、騎士様なんですか?」
令嬢の問いかけに首を縦に振る。
「とは言ってもそんなに花形の役職にはついていないんですけど」
「どんな役職だろうと、立派なお仕事だと思います」
仮面越しで表情はよくわからないが、真摯な瞳が覗いておりそれがお世辞の類ではないのだな、と直感した。
令嬢との話は思っていた以上に弾んだ。
あまりこうした社交の場に参加して女性と話す機会はなかったのだが、彼女との会話は心地がいい。上っ面の美辞麗句とは無縁の、中身のある会話。魔法に関する知識は思っていた以上のもので、驚かされることも多い。
気がつけば会のお開きを告げる主催者のスピーチが始まる時間となっており、名残惜しく視線を合わせた。
「今日は楽しかった。ずっと話しに付き合ってもらってすみません」
「いえ、こちらこそ、魔法の話をこんなにできるなんて……あの、楽しかったです。ありがとうございます」
「よければ名前を教えていただけないでしょうか」
「それは、すみませんが」
ゆるゆると首を横に振る令嬢に少し残念に思った。何か名乗れない事情があるのか。しかしこのまま別れてしまい、どこの誰だかわからないまま、というのはあまりにも惜しかった。
「では、またどこかでお会いすることは出来ますか?」
「そうですね……仮面舞踏会でなら」
「約束ですよ。そうだ、今日のように髪飾りにピンク色のバラを挿してきてください。すぐに貴方だとわかるように」
言えば彼女は、綻んだ花のように美しい笑顔を浮かべて「はい」と言った。
+++
「お姉様、やりましたわね! 今日、殿方といい感じにお話になっていたではありませんの!」
「ええ、まあ」
「どんな方でした? お名前はお伺いになりました?」
「いえ、騎士だということしかわからなかったわ」
「ええ? もう、何やっているんですか。もちろんお姉様はお名乗りになったんですわよね?」
「まさか。そんなことしたらどこの誰だかわかっちゃうじゃないの」
仮面舞踏会から帰っての自邸での出来事。仮面を外した顔を鏡で見て、ため息をついた。
鏡にうつっているのは厚ぼったい瞼に小さな瞳、化粧をしていてもそばかすの目立つ陰気な顔の自分だった。素顔を晒してしまうと、今着ているドレスが壊滅的に似合わない。さっさと着替えてしまおうと部屋の奥へと向かう。そこに妹がついてきた。
「でも、仮面をつけていればお姉様も物怖じせずに殿方と会話ができるということがわかったのは、すごい収穫でしたわ。この調子で国内のありとあらゆる仮面舞踏会に参加しましょう」
「もう、シャリーったら。私のことなんて放っておいていいから、自分の婚約者と仲良くやりなさいよ」
ドレスを脱いでいつもの夜着へと袖を通す。隣で妹のシャリーも同じようにしていた。
「わたくしはもうお相手の方とは仲睦まじいので、今更少しくらい会わなくたって問題ありません。それよりお姉様の方が深刻ですわ。今年でもう十九歳だというのに、婚約相手の一人もいないなんて……」
「私は魔法学の学士をとって研究をするからいいの。結婚しなくてもやっていけるわ」
「またそんな事おっしゃって。でも今日は結構楽しそうにしていたように見えましたけど。本音はどうなの?」
「まあ、楽しかったけど……けどきっと私の素顔を見たら幻滅するに違いないわ」
オフィーリア・ブルームフィールド子爵は内気な令嬢だった。
妹のシャリーはいかにも令嬢然とした愛らしい見た目をしているのに、姉であるオフィーリアはあまりに地味。二人で並べばその差は一目瞭然で、そうでなくともきらびやかな社交界の場ではいつもオフィーリアは浮いていた。声をかけてくれるような物好きな殿方はおらず、いつしかオフィーリアは会場の隅でなるべく息を潜めて目立たないようにして過ごすようになり、社交界への参加自体へも次第に回数が減っていた。
美しく着飾るのも、気取った会話も、豪華な舞踏会にも興味が無い。
幸いにもオフィーリアには魔法の才能があり、魔法学院を卒業した後も研究室で先生の助手をしながらコツコツと論文を書いていた。このまま魔法学専門で研究を続けて生きていこうと考えていたわけだ。
そんな姉の様子を心配したシャリーが提案してきたのが、「仮面舞踏会への参加」だった。
「素顔に自信がないなら、仮面舞踏会で顔を隠してしまえばいいのですわ!」
名案だとばかりにシャリーが両手を叩き、あっという間に仮面舞踏会への参加が決定してしまい、そうして本日に至った。まともにダンスさえ踊れなかったオフィーリアであったが、特訓をして微細な魔法でコントロールをすればステップを踏めることに気がついた時には少し楽しかった。こうした緻密な動きができるから魔法というのは奥が深い。
今日出会った殿方に、たった数回のステップで見破られるとは思っていなかったので少々驚いたけれど。
「お姉様が自信を持つまで、わたくし諦めませんからね! いつも地味な色合いのドレスばかりでしたけど、今日のような可愛らしい色も似合ってましたし。さあ、早速明日からは次の仮面舞踏会の開催日をリサーチしませんと!」
なぜだか妙に気合の入っているシャリーがそう言っているのを苦笑交じりで聞いた。
仮面舞踏会、確かにいつも参加する夜会より楽しかった。顔が見えないというのは安心感がある。他人にどう思われているか考えなくてもいいし、何より自分の醜い心が少しだけ薄まった。
屋敷にいては妹の美貌を羨み、社交界に出ては可愛らしい年頃の令嬢に嫉妬してしまう。自分にないものを持っている人を羨望の眼差しで見てしまう、そんな自分が自分でも嫌なのだ。
それに……今日出会った殿方を思い出して胸がときめく。
あんな風に気兼ねなく男の人と話をしたのは初めてだ。研究室には年の近い異性がほとんどいないし、社交界の場では壁の花に徹している。実のところかなり緊張していたのだが、相手の会話の運びがうまかったからか次第にリラックスできていた。
「ではお姉様、おやすみなさいませ」
「ええ、おやすみなさい」
部屋を出て自室へ向かう妹に手を振って、ほうと息をつく。
……名前くらい、聞けばよかったかしら。
でも、聞いてしまえばこちらも名乗らなくてはいけなくなるし……そうしたら、自分の正体が「ブルームフィールド家の地味な方の令嬢」であるということがバレてしまう。きっとがっかりするに違いないわ。
「見た目が整っていないと見向きもされない」という貴族社会の暗黙の了解に、オフィーリアはすっかり自分の自信を押し潰されていた。
「けど、仮面舞踏会でならお話がまたできるかもしれない」
仮面をかぶって素顔を隠している時ならば、素直に会話ができる。
その事実を胸に、オフィーリアは次の舞踏会を初めて待ち遠しく思った。
+++
「やあ、またお会いできて良かった」
「私もです」
「約束通りにバラの花飾りをつけてくれていてホッとしました」
「……私もまた、お話ししたいと思っていたので」
「それは嬉しい。僕も今日という日を楽しみにしていたんです」
「本当ですか? あの……私、魔法の話しかできなくて。つまらなくありませんか?」
「つまらないなどと。むしろもっと聞かせて欲しいと思ってますよ。僕の方こそ普段は京都の警邏をしているか、修行に明け暮れているかのどっちかなので気の利いた会話はできないんですけど。貴女の話はとても興味深くていつまでも話していたくなります」
「まあ」
春の花祭りを皮切りに始まる社交シーズン中はあちらこちらの屋敷でパーティーが開かれる。
次の仮面舞踏会の参加を取り付けたオフィーリアは、ピンク色のバラの髪飾りを挿して今日という日に臨んだ。仮面をつけていれば、普段は身につけない色の飾りやドレスをつけてみようという気持ちになるのだから不思議だ。
「見てください。僕も今日は胸元の飾りを薔薇にしてみました」
「本当ですね、もしかして……」
「わかりやすいかと思って、揃えてみたんです。さすがにピンクを挿す勇気はありませんでしたけど」
彼の胸元に飾られているのは青い薔薇だ。すらっとした長身に短いブロンドヘア、騎士らしく引き締まった体躯の彼は、薔薇と同じく海のように深い青い礼服を身に纏っており、非常によく似合っていた。きっと素顔もさぞかし素敵な好青年なのだろうな、と考えますます仮面を外して会いたくない気持ちがオフィーリアの胸の内に広がる。
音楽が流れて、青年が手を差し伸べてきた。
「一曲、いいですか?」
「はい、勿論」
それでも、このひと時だけは。
顔も名前も知られていないこの時だけは。自分の中に巣食うコンプレックスを忘れて、身を委ねていたいと思った。
それから二、三度は彼と会っただろうか。仮面舞踏会が開催される頻度は通常の夜会に比べればそう高くないから、会えるかもしれない日にはそわそわとしたし、実際に会場で出会えた時にはず嬉しくて胸が張り裂けそうになった。
最初のワルツの時に手を差し伸べてくれ、そうして何曲か踊った後には二人で会話に興じる。話が尽きることはない。
いつもお開きの時間まで会話に明け暮れ、そうして別れの挨拶をして別々の方向に去っていく。
「ねえお姉様、最近とても生き生きしているわね」
「そう?」
「そうよ。いつもにこにこしているし、楽しそうだわ。やっぱり恋は人を美しくさせるのね!」
妹のシャリーはとても楽しそうだった。
「ねえ、お姉様。わたくしあのお方の正体を探ってみたのだけれど……」
「やめて、聞きたくないわ」
「あら、どうして?」
「だってフェアじゃないでしょう。私は名乗りもしていないのに、勝手に彼のことを知ってしまったら」
「でもお姉様だって知りたいと思ってるでしょう?」
少し言葉に詰まる。確かに、知りたいと思う気持ちはある。それどころか最近は一日中彼のことばかりを考えていた。
何歳で、どんな顔で、どこの誰なのか。
騎士をしているということだから、長男ということはないだろう。
都を歩けば警邏をしている騎士の姿を無意識に目で追ってしまい、あの人は体格が似ているとか、髪の色が同じかもしれない、と考えてしまう。
どこで何をしていても落ち着かない。
「思い切って名乗ってしまえばいいのに」
「でも……それで嫌われたら……」
「もうっ! 自信を持って、お姉様。わたくしの自慢のお姉様の素顔を見て急に態度を変えるような人だったら、こっちから願い下げよ。そんな人のことはさっさと忘れた方がいいわ」
「ええ?」
「いい、お姉様? お姉様は優しくて、奥ゆかしくて、誰にも負けない魔法の知識と才能があるわたくしの大好きなお姉様だわ。だからもっと自分に自信を持って、恋をして欲しいのよ」
シャリーはオフィーリアの手を取って至極真剣な表情でそう言った。
「覚えていらっしゃる? わたくしは、どこに行っても何をしていても見た目でしか判断されなかったの。お人形のように可愛らしいシャリーって。誰もわたくしの中身なんて見ようともしなかったわ。だからわたくし、いつも殿方に囲まれていたけれどちっとも嬉しくなんてなかった。虚しいと思っていたわ」
ああ、そういえばそうだった。
妹はいつでも社交界の中心にいて、大勢の人に囲まれて。
それでも帰りの馬車の中では眉根に皺を寄せて難しい顔をしていたっけ。
「どうせ誰もわたくしの話なんて聞いていないんだわ」と拗ねた顔をして。
陰から見ているだけのオフィーリアからすればなんて贅沢な悩みなんだろうと思っていたけれど、今ならわかる気がする。
誰にも相手にされずに壁の花になっているオフィーリアも、人々の中心にいて賛辞を受けているシャリーも、結局考えていることは同じだったのかと思うと少し可笑しくなってくる。
「だからねお姉様、あれだけ親密になって、それでも仮面を外した途端に顔色を変えるような殿方ならそれまでの男だったって事よ。ね?」
「そうね、その通りだわ」
結局、一歩踏み出すのを怖がって言い訳をしていただけなのだと気がついた。
次に会う時には、勇気を出してみよう。
「ありがとう、シャリー」
「いいえ、大好きなお姉様のためですから」
にこりと笑ったシャリーにつられて、オフィーリアも笑顔になった。
+++
「なあ……俺、最近恋をしてるんだ」
「おっ、そりゃいい事だ」
アルバートは今、騎士団の仲間の一人に相談をしていた。
二人で酒場のカウンター席に座り、ワインを傾けつつの会話だ。騎士団の詰所なんかで話した日には、その手の話題に飢えた奴らに捕まって洗いざらい話をさせられた挙句に翌日には騎士団中に噂が広がるに決まっている。
相談するなら口がかたくて仲のいい人間に限る。
「で、どんな子なんだ?」
「魔法に詳しくて、博識で、話してて飽きない」
「へー、誰か騎士団のヤツの妹かなんかか?」
「いや、仮面舞踏会で出会った」
「そんな場所でそんな話をする子がいるんだ」
「俺にとっても意外だった」
そもそもが乗り気ではなかった仮面舞踏会に「いい年していつまでも一人身でいる気か」と無理矢理に参加させられたのが発端だった。アルバートは社交界が好きではない。
洒落た会話にもきらきらした場所にもまるで興味がなく、剣を振るって生きている方が性に合っているからだ。結婚するにしても自然に出会って恋に落ちたいと思っているのだが、如何せん男ばかりの職場であるから難しいし、そうこうしているうちに二十八歳になってしまった。伯爵家の次男とはいえ、親から向けられる視線が厳しくなってくる年齢だ。
ざわめく酒場でエールを煽りながら興味深そうに友人が問いかけてくる。
「名前とか素顔とかはどうなんだ?」
「いや、それが……何も教えてくれなくて」
「なんだそりゃ。どんくらい会ったんだよ」
「三回くらい。全部仮面舞踏会で」
ここで友人はふと顔をしかめた。エールのジョッキを置いて、グッと距離を近づけてくる。
「遊ばれてるんじゃねえのか?」
「それはないと思う。思いたい。話した感じ、真面目なタイプな気がするし」
「じゃあ、あれだ。きっとそのご令嬢は自分に自信がないんだな」
したり顔で人さし指を左右に振りながら言う友人の顔を見つめる。
「自信がない?」
「おうよ。例えば……すごい悪名高い令嬢とか、もしくは顔に全然自信がないとか」
なるほど、そんな可能性が。
「社交界は体裁とか、見た目が重視されるからな。素性を明かしたくない理由があるんだろ」
「でもそれじゃ俺の恋が進展しない」
「そこはお前の腕の見せ所じゃないのか?」
友人がニヤリと口のはしを持ち上げて笑う。
「どんな君でも僕は受け入れられますよーって優しく言うんだよ、な」
バンバンと背中を叩かれて、エールが飛び散った。
「おい、やめろ」
「ま、せっかくアルがこうして本気で恋をしたことだし、頑張れや」
なんだかんだで仲のいい友人はそう締めくくると、本格的に飲む姿勢になる。
アルバートはジョッキに映った自分の顔をじっと見つめた。
仮面を外したアルバートの顔は、割と朴訥だ。さして悪いわけでもないが別段整っているわけでもない。とりわけ鼻を横断して両頰に点在しているそばかすは目立つ。いくら剣の腕を磨いたところで、容姿も選考の基準になる近衛騎士隊などには入隊できないだろうというレベルだった。
もし仮にあの令嬢が自分の顔にコンプレックスを持っていたとして、気にするアルバートではない。
それよりも話していて楽しいかどうかの方が重要だ。
「よし、俺、次に会ったら言ってみる」
「おう、その意気だ。頑張れ」
激励を聞きながら、アルバートもぐいっと自身のジョッキの中身を煽った。
+++
春が過ぎ、夏が来る。
オフィーリアは何度目かの仮面舞踏会への参加となり、そして何度目かの彼の姿を探し、そして出会うことができた。
ワルツのステップを踏みながら、彼の方から声をかけて来る。
「こんな話をするとがっかりされるかもしれないんですけど」
「何でしょうか?」
「僕ですね、仮面を外すとそばかすが目立つんですよ」
思わず彼の顔を見てしまった。仮面の奥の瞳は困ったように笑っている。
「この体格のせいか仮面をしてるとまあ、割と見られる見た目になるんですけど。外すとちょっとがっかりする位普通の人間になるんです。近衛騎士なんかには間違ってもなれないような人種でしてね」
ははは、と笑う彼は快活で、オフィーリアは無意識のうちに言葉を発する。
「……私も、そばかすがあるんです」
「お揃いですね」
「目も小さくて……瞼も厚ぼったくて」
「仮面から見える貴女の瞳は澄んでいてとても綺麗ですよ」
「あの……」
音楽が止み、ダンスが終わる。離れて一礼をした後に、自然に手と手を取り合ってバルコニーへと向かった。
「私、ずっと自分の見た目に自信が持てなくて。仮面を外したら……嫌われてしまうんじゃないかって」
手すりにもたれかかり、俯いて手すりを握りしめながら胸に秘めていた思いをポツリポツリとこぼしていく。彼は黙って聞いてくれた。
「妹がいるんですけど、すごい可愛いんです。それに比べると私は冴えないから、いつも舞踏会では隅にいて、目立たないようにしていて。結婚もできなくてもいいと考えていて。ずっと魔法の研究だけして生きていければ、それでいいって」
「それだ俺が困ります」
至極真剣な声がしてオフィーリアは彼の方を向いた。
「俺は貴女が好きだから。結婚できなくてもいい、というのは僕が困る」
「え……」
「……そろそろ、貴女の名前が知りたい、と思うのは俺のわがままかな」
距離が近づいてそっと彼の手のひらがオフィーリアの頬を撫でた。大きくて温もりに満ちたその手のひらに、思わず安心感のようなものがこみ上げて来る。いつの間にか一人称が「僕」から「俺」へと変わっていて、余裕がないのかそれとも素を見せてくれているのか、いずれにしても距離が縮まっているんだなと感じられた。
ああ、この人ならば。
きっと大丈夫だ。
「……オフィーリア・ブルームフィールドと申します」
「オフィーリア嬢。素敵な名前だ。僕はアルバート・ウィンザー」
言ってオフィーリアの手を握っていない方の手のひらを自身の顔に持っていくと仮面を外す。
現れたのは、純朴そうな顔をした好青年だった。
言っていた通りに鼻の頭から目の下にかけてそばかすが散っており、それがオフィーリアにより一層の親近感を持たせる。
オフィーリアがアルバートの顔を食い入るように見つめていると、照れたように笑って頭を掻く。
「そんなに見つめられると恥ずかしい」
「あっ、ごめんなさい。・・お優しそうな顔立ちだと思いまして」
オフィーリアはうつむき、呼吸を整えて覚悟を決めた。
彼は自分の素顔を明かしてくれた。ならばオフィーリアもそうするべきだろう。
わずかに震える手で仮面に触れる。そしてゆっくりと外してーーアルバートと向き合った。
大丈夫だろうか、失望されないだろうか。
いいえ、失望されたならシャリーの言う通りそれまでの人だったと言うことよ。
それでも心は乱される。
もし、彼の瞳に失望の色が宿ったらきっと自分はショックで泣いてしまうかもしれない。
色々な思いがオフィーリアの心に去来して、心臓がかつてないほどに煩く鳴っていた。
「……ああ」
アルバートの瞳には優しげな色が宿っている。握っていた手が離れたかと思ったらその手でオフィーリアの頬に触れた。
「なんだ、隠す必要なんてない。可愛いよ、オフィーリア」
「本当に?」
疑心暗鬼気味にそう聞き返せばアルバートは破顔する。
「俺はお世辞が苦手なんだ。君はとても可愛い」
裏も表もなさそうないい笑顔でそう言われ、オフィーリアは先ほどの不安とは真逆の感情で涙が出そうになる。
ふと、舞踏会場から音楽が聞こえてきた。
それに気がついたアルバートは、すっと手を差し出して来る。
「どうかな、ありのままの君と一曲踊りたいんだけれど」
「はい、喜んで」
オフィーリアは一も二もなく返事をしてその手を取る。
月光の下、仮面を取った二人は手を取り合ってワルツの調べに合わせて踊り出す。
勇気を出して良かったと、彼に、妹に、感謝をした。
モンテルニ侯爵家主催の仮面舞踏会に招待されたので渋々ながら行ってみれば、なぜか壁際で押し問答を繰り広げる令嬢が二人。気になって視線を向けてみれば、一人の令嬢がもう一人を壁際から引っ張り出し、ダンスホールに向かってグイグイと押しやっていた。
「ホラッ、お姉様今ですわ! 行ってくださいまし!」
「え、で、でもちょっと待って欲しいんだけれど……」
「四の五の言わずに、女は度胸ですわよっ、さあさあ!」
「あっ」
「おっと」
どん、と勢いよく突き出された令嬢はバランスを崩して転びそうになる。反射的に支えると思った以上に体が密着した。
「も、申し訳ありません!」
顔の半分を覆った仮面越しでもわかるくらいに赤面している令嬢は慌ててアルバートから距離を置く。お辞儀をすれば、綺麗に結われた亜麻色の髪に飾られた淡いピンク色のバラが目に留まった。着ているドレスによく似合っているバラだ。
タイミングを見計らったかのようにワルツの調べが流れ始め、ほんの僅かこの令嬢に興味がわいたアルバートはすっと手を差し出す。
「よろしければ僕と一曲、踊っていただけませんか?」
令嬢は驚いた様子で、仮面から覗く瞳が動揺に揺れている。僅かなためらいを見せた後、しかしおずおずとアルバートの手のひらに手を重ねてくれた。
ゆっくりとした音楽の調べに耳を傾けながら、ステップを踏む。数十秒踊っただけであることに気がつき、思わず話しかけていた。
「貴女のダンスは完璧ですね。僕はあまりダンスが上手ではないんですけど、驚くほどリードしやすい」
「そんな……リードが上手なおかげです」
「いいや、謙遜は良くないよ。風の魔法でコントロールしてるだろう」
かなり微量で繊細な魔法のコントロール。これは誰にでもできる技ではない。さぞかし有名な魔法の使い手なのだろうと思って相手の顔を見つめるも、これといった固有名が出てこない。
特徴としては、仮面から覗くヘーゼル色の瞳に亜麻色の髪、ほっそりとした体つきに平均的な身長。どれを取ってもありふれたもので、誰なのかを特定するには至らなかった。
曲が止んでお辞儀を一つ。ダンスで見せた魔法のコントロールが気になり、もう少し話を聞きたいと思った。普段ならばそんなことはしないのだが、この人とここでお別れするのは惜しいという気持ちがわいてくる。
「よかったらお話でもいかがでしょう」
「あ……はい。私でよろしければ」
少しはにかんだような、照れた様子の令嬢はごく小さな声でそう言うと頷いた。
ダンスホールから離れた席に二人で腰掛ける。二人でワインで乾杯をして一口飲むと、落ち着かなさそうに視線を彷徨わせていることに気がついた。
「何か気になることでも?」
「いえ、そういうわけでは……ただ、私こうして殿方とお話しする経験があまりないもので、その、どうしていいかわからなくって」
「ああ、なるほど。実は僕もそれほど女性と話をしたことはありませんので……気の利いた洒落た会話はできないんですが。先ほどの魔法コントロールがとても素晴らしかったもので、ぜひ話をしたいと思ったんですよ」
「あ、それなら……」
「先ほどのダンスからは魔法の扱いに長けているように見受けられました。どこで修学されたのですか?」
「クリフ魔法学院で」
「クリフ魔法学院! それなら確かに、あの繊細な魔法の使い方も納得ですね。僕は騎士学校で習ったのであそこまでの術技は身につけていないんですよ」
「あら……では今は、騎士様なんですか?」
令嬢の問いかけに首を縦に振る。
「とは言ってもそんなに花形の役職にはついていないんですけど」
「どんな役職だろうと、立派なお仕事だと思います」
仮面越しで表情はよくわからないが、真摯な瞳が覗いておりそれがお世辞の類ではないのだな、と直感した。
令嬢との話は思っていた以上に弾んだ。
あまりこうした社交の場に参加して女性と話す機会はなかったのだが、彼女との会話は心地がいい。上っ面の美辞麗句とは無縁の、中身のある会話。魔法に関する知識は思っていた以上のもので、驚かされることも多い。
気がつけば会のお開きを告げる主催者のスピーチが始まる時間となっており、名残惜しく視線を合わせた。
「今日は楽しかった。ずっと話しに付き合ってもらってすみません」
「いえ、こちらこそ、魔法の話をこんなにできるなんて……あの、楽しかったです。ありがとうございます」
「よければ名前を教えていただけないでしょうか」
「それは、すみませんが」
ゆるゆると首を横に振る令嬢に少し残念に思った。何か名乗れない事情があるのか。しかしこのまま別れてしまい、どこの誰だかわからないまま、というのはあまりにも惜しかった。
「では、またどこかでお会いすることは出来ますか?」
「そうですね……仮面舞踏会でなら」
「約束ですよ。そうだ、今日のように髪飾りにピンク色のバラを挿してきてください。すぐに貴方だとわかるように」
言えば彼女は、綻んだ花のように美しい笑顔を浮かべて「はい」と言った。
+++
「お姉様、やりましたわね! 今日、殿方といい感じにお話になっていたではありませんの!」
「ええ、まあ」
「どんな方でした? お名前はお伺いになりました?」
「いえ、騎士だということしかわからなかったわ」
「ええ? もう、何やっているんですか。もちろんお姉様はお名乗りになったんですわよね?」
「まさか。そんなことしたらどこの誰だかわかっちゃうじゃないの」
仮面舞踏会から帰っての自邸での出来事。仮面を外した顔を鏡で見て、ため息をついた。
鏡にうつっているのは厚ぼったい瞼に小さな瞳、化粧をしていてもそばかすの目立つ陰気な顔の自分だった。素顔を晒してしまうと、今着ているドレスが壊滅的に似合わない。さっさと着替えてしまおうと部屋の奥へと向かう。そこに妹がついてきた。
「でも、仮面をつけていればお姉様も物怖じせずに殿方と会話ができるということがわかったのは、すごい収穫でしたわ。この調子で国内のありとあらゆる仮面舞踏会に参加しましょう」
「もう、シャリーったら。私のことなんて放っておいていいから、自分の婚約者と仲良くやりなさいよ」
ドレスを脱いでいつもの夜着へと袖を通す。隣で妹のシャリーも同じようにしていた。
「わたくしはもうお相手の方とは仲睦まじいので、今更少しくらい会わなくたって問題ありません。それよりお姉様の方が深刻ですわ。今年でもう十九歳だというのに、婚約相手の一人もいないなんて……」
「私は魔法学の学士をとって研究をするからいいの。結婚しなくてもやっていけるわ」
「またそんな事おっしゃって。でも今日は結構楽しそうにしていたように見えましたけど。本音はどうなの?」
「まあ、楽しかったけど……けどきっと私の素顔を見たら幻滅するに違いないわ」
オフィーリア・ブルームフィールド子爵は内気な令嬢だった。
妹のシャリーはいかにも令嬢然とした愛らしい見た目をしているのに、姉であるオフィーリアはあまりに地味。二人で並べばその差は一目瞭然で、そうでなくともきらびやかな社交界の場ではいつもオフィーリアは浮いていた。声をかけてくれるような物好きな殿方はおらず、いつしかオフィーリアは会場の隅でなるべく息を潜めて目立たないようにして過ごすようになり、社交界への参加自体へも次第に回数が減っていた。
美しく着飾るのも、気取った会話も、豪華な舞踏会にも興味が無い。
幸いにもオフィーリアには魔法の才能があり、魔法学院を卒業した後も研究室で先生の助手をしながらコツコツと論文を書いていた。このまま魔法学専門で研究を続けて生きていこうと考えていたわけだ。
そんな姉の様子を心配したシャリーが提案してきたのが、「仮面舞踏会への参加」だった。
「素顔に自信がないなら、仮面舞踏会で顔を隠してしまえばいいのですわ!」
名案だとばかりにシャリーが両手を叩き、あっという間に仮面舞踏会への参加が決定してしまい、そうして本日に至った。まともにダンスさえ踊れなかったオフィーリアであったが、特訓をして微細な魔法でコントロールをすればステップを踏めることに気がついた時には少し楽しかった。こうした緻密な動きができるから魔法というのは奥が深い。
今日出会った殿方に、たった数回のステップで見破られるとは思っていなかったので少々驚いたけれど。
「お姉様が自信を持つまで、わたくし諦めませんからね! いつも地味な色合いのドレスばかりでしたけど、今日のような可愛らしい色も似合ってましたし。さあ、早速明日からは次の仮面舞踏会の開催日をリサーチしませんと!」
なぜだか妙に気合の入っているシャリーがそう言っているのを苦笑交じりで聞いた。
仮面舞踏会、確かにいつも参加する夜会より楽しかった。顔が見えないというのは安心感がある。他人にどう思われているか考えなくてもいいし、何より自分の醜い心が少しだけ薄まった。
屋敷にいては妹の美貌を羨み、社交界に出ては可愛らしい年頃の令嬢に嫉妬してしまう。自分にないものを持っている人を羨望の眼差しで見てしまう、そんな自分が自分でも嫌なのだ。
それに……今日出会った殿方を思い出して胸がときめく。
あんな風に気兼ねなく男の人と話をしたのは初めてだ。研究室には年の近い異性がほとんどいないし、社交界の場では壁の花に徹している。実のところかなり緊張していたのだが、相手の会話の運びがうまかったからか次第にリラックスできていた。
「ではお姉様、おやすみなさいませ」
「ええ、おやすみなさい」
部屋を出て自室へ向かう妹に手を振って、ほうと息をつく。
……名前くらい、聞けばよかったかしら。
でも、聞いてしまえばこちらも名乗らなくてはいけなくなるし……そうしたら、自分の正体が「ブルームフィールド家の地味な方の令嬢」であるということがバレてしまう。きっとがっかりするに違いないわ。
「見た目が整っていないと見向きもされない」という貴族社会の暗黙の了解に、オフィーリアはすっかり自分の自信を押し潰されていた。
「けど、仮面舞踏会でならお話がまたできるかもしれない」
仮面をかぶって素顔を隠している時ならば、素直に会話ができる。
その事実を胸に、オフィーリアは次の舞踏会を初めて待ち遠しく思った。
+++
「やあ、またお会いできて良かった」
「私もです」
「約束通りにバラの花飾りをつけてくれていてホッとしました」
「……私もまた、お話ししたいと思っていたので」
「それは嬉しい。僕も今日という日を楽しみにしていたんです」
「本当ですか? あの……私、魔法の話しかできなくて。つまらなくありませんか?」
「つまらないなどと。むしろもっと聞かせて欲しいと思ってますよ。僕の方こそ普段は京都の警邏をしているか、修行に明け暮れているかのどっちかなので気の利いた会話はできないんですけど。貴女の話はとても興味深くていつまでも話していたくなります」
「まあ」
春の花祭りを皮切りに始まる社交シーズン中はあちらこちらの屋敷でパーティーが開かれる。
次の仮面舞踏会の参加を取り付けたオフィーリアは、ピンク色のバラの髪飾りを挿して今日という日に臨んだ。仮面をつけていれば、普段は身につけない色の飾りやドレスをつけてみようという気持ちになるのだから不思議だ。
「見てください。僕も今日は胸元の飾りを薔薇にしてみました」
「本当ですね、もしかして……」
「わかりやすいかと思って、揃えてみたんです。さすがにピンクを挿す勇気はありませんでしたけど」
彼の胸元に飾られているのは青い薔薇だ。すらっとした長身に短いブロンドヘア、騎士らしく引き締まった体躯の彼は、薔薇と同じく海のように深い青い礼服を身に纏っており、非常によく似合っていた。きっと素顔もさぞかし素敵な好青年なのだろうな、と考えますます仮面を外して会いたくない気持ちがオフィーリアの胸の内に広がる。
音楽が流れて、青年が手を差し伸べてきた。
「一曲、いいですか?」
「はい、勿論」
それでも、このひと時だけは。
顔も名前も知られていないこの時だけは。自分の中に巣食うコンプレックスを忘れて、身を委ねていたいと思った。
それから二、三度は彼と会っただろうか。仮面舞踏会が開催される頻度は通常の夜会に比べればそう高くないから、会えるかもしれない日にはそわそわとしたし、実際に会場で出会えた時にはず嬉しくて胸が張り裂けそうになった。
最初のワルツの時に手を差し伸べてくれ、そうして何曲か踊った後には二人で会話に興じる。話が尽きることはない。
いつもお開きの時間まで会話に明け暮れ、そうして別れの挨拶をして別々の方向に去っていく。
「ねえお姉様、最近とても生き生きしているわね」
「そう?」
「そうよ。いつもにこにこしているし、楽しそうだわ。やっぱり恋は人を美しくさせるのね!」
妹のシャリーはとても楽しそうだった。
「ねえ、お姉様。わたくしあのお方の正体を探ってみたのだけれど……」
「やめて、聞きたくないわ」
「あら、どうして?」
「だってフェアじゃないでしょう。私は名乗りもしていないのに、勝手に彼のことを知ってしまったら」
「でもお姉様だって知りたいと思ってるでしょう?」
少し言葉に詰まる。確かに、知りたいと思う気持ちはある。それどころか最近は一日中彼のことばかりを考えていた。
何歳で、どんな顔で、どこの誰なのか。
騎士をしているということだから、長男ということはないだろう。
都を歩けば警邏をしている騎士の姿を無意識に目で追ってしまい、あの人は体格が似ているとか、髪の色が同じかもしれない、と考えてしまう。
どこで何をしていても落ち着かない。
「思い切って名乗ってしまえばいいのに」
「でも……それで嫌われたら……」
「もうっ! 自信を持って、お姉様。わたくしの自慢のお姉様の素顔を見て急に態度を変えるような人だったら、こっちから願い下げよ。そんな人のことはさっさと忘れた方がいいわ」
「ええ?」
「いい、お姉様? お姉様は優しくて、奥ゆかしくて、誰にも負けない魔法の知識と才能があるわたくしの大好きなお姉様だわ。だからもっと自分に自信を持って、恋をして欲しいのよ」
シャリーはオフィーリアの手を取って至極真剣な表情でそう言った。
「覚えていらっしゃる? わたくしは、どこに行っても何をしていても見た目でしか判断されなかったの。お人形のように可愛らしいシャリーって。誰もわたくしの中身なんて見ようともしなかったわ。だからわたくし、いつも殿方に囲まれていたけれどちっとも嬉しくなんてなかった。虚しいと思っていたわ」
ああ、そういえばそうだった。
妹はいつでも社交界の中心にいて、大勢の人に囲まれて。
それでも帰りの馬車の中では眉根に皺を寄せて難しい顔をしていたっけ。
「どうせ誰もわたくしの話なんて聞いていないんだわ」と拗ねた顔をして。
陰から見ているだけのオフィーリアからすればなんて贅沢な悩みなんだろうと思っていたけれど、今ならわかる気がする。
誰にも相手にされずに壁の花になっているオフィーリアも、人々の中心にいて賛辞を受けているシャリーも、結局考えていることは同じだったのかと思うと少し可笑しくなってくる。
「だからねお姉様、あれだけ親密になって、それでも仮面を外した途端に顔色を変えるような殿方ならそれまでの男だったって事よ。ね?」
「そうね、その通りだわ」
結局、一歩踏み出すのを怖がって言い訳をしていただけなのだと気がついた。
次に会う時には、勇気を出してみよう。
「ありがとう、シャリー」
「いいえ、大好きなお姉様のためですから」
にこりと笑ったシャリーにつられて、オフィーリアも笑顔になった。
+++
「なあ……俺、最近恋をしてるんだ」
「おっ、そりゃいい事だ」
アルバートは今、騎士団の仲間の一人に相談をしていた。
二人で酒場のカウンター席に座り、ワインを傾けつつの会話だ。騎士団の詰所なんかで話した日には、その手の話題に飢えた奴らに捕まって洗いざらい話をさせられた挙句に翌日には騎士団中に噂が広がるに決まっている。
相談するなら口がかたくて仲のいい人間に限る。
「で、どんな子なんだ?」
「魔法に詳しくて、博識で、話してて飽きない」
「へー、誰か騎士団のヤツの妹かなんかか?」
「いや、仮面舞踏会で出会った」
「そんな場所でそんな話をする子がいるんだ」
「俺にとっても意外だった」
そもそもが乗り気ではなかった仮面舞踏会に「いい年していつまでも一人身でいる気か」と無理矢理に参加させられたのが発端だった。アルバートは社交界が好きではない。
洒落た会話にもきらきらした場所にもまるで興味がなく、剣を振るって生きている方が性に合っているからだ。結婚するにしても自然に出会って恋に落ちたいと思っているのだが、如何せん男ばかりの職場であるから難しいし、そうこうしているうちに二十八歳になってしまった。伯爵家の次男とはいえ、親から向けられる視線が厳しくなってくる年齢だ。
ざわめく酒場でエールを煽りながら興味深そうに友人が問いかけてくる。
「名前とか素顔とかはどうなんだ?」
「いや、それが……何も教えてくれなくて」
「なんだそりゃ。どんくらい会ったんだよ」
「三回くらい。全部仮面舞踏会で」
ここで友人はふと顔をしかめた。エールのジョッキを置いて、グッと距離を近づけてくる。
「遊ばれてるんじゃねえのか?」
「それはないと思う。思いたい。話した感じ、真面目なタイプな気がするし」
「じゃあ、あれだ。きっとそのご令嬢は自分に自信がないんだな」
したり顔で人さし指を左右に振りながら言う友人の顔を見つめる。
「自信がない?」
「おうよ。例えば……すごい悪名高い令嬢とか、もしくは顔に全然自信がないとか」
なるほど、そんな可能性が。
「社交界は体裁とか、見た目が重視されるからな。素性を明かしたくない理由があるんだろ」
「でもそれじゃ俺の恋が進展しない」
「そこはお前の腕の見せ所じゃないのか?」
友人がニヤリと口のはしを持ち上げて笑う。
「どんな君でも僕は受け入れられますよーって優しく言うんだよ、な」
バンバンと背中を叩かれて、エールが飛び散った。
「おい、やめろ」
「ま、せっかくアルがこうして本気で恋をしたことだし、頑張れや」
なんだかんだで仲のいい友人はそう締めくくると、本格的に飲む姿勢になる。
アルバートはジョッキに映った自分の顔をじっと見つめた。
仮面を外したアルバートの顔は、割と朴訥だ。さして悪いわけでもないが別段整っているわけでもない。とりわけ鼻を横断して両頰に点在しているそばかすは目立つ。いくら剣の腕を磨いたところで、容姿も選考の基準になる近衛騎士隊などには入隊できないだろうというレベルだった。
もし仮にあの令嬢が自分の顔にコンプレックスを持っていたとして、気にするアルバートではない。
それよりも話していて楽しいかどうかの方が重要だ。
「よし、俺、次に会ったら言ってみる」
「おう、その意気だ。頑張れ」
激励を聞きながら、アルバートもぐいっと自身のジョッキの中身を煽った。
+++
春が過ぎ、夏が来る。
オフィーリアは何度目かの仮面舞踏会への参加となり、そして何度目かの彼の姿を探し、そして出会うことができた。
ワルツのステップを踏みながら、彼の方から声をかけて来る。
「こんな話をするとがっかりされるかもしれないんですけど」
「何でしょうか?」
「僕ですね、仮面を外すとそばかすが目立つんですよ」
思わず彼の顔を見てしまった。仮面の奥の瞳は困ったように笑っている。
「この体格のせいか仮面をしてるとまあ、割と見られる見た目になるんですけど。外すとちょっとがっかりする位普通の人間になるんです。近衛騎士なんかには間違ってもなれないような人種でしてね」
ははは、と笑う彼は快活で、オフィーリアは無意識のうちに言葉を発する。
「……私も、そばかすがあるんです」
「お揃いですね」
「目も小さくて……瞼も厚ぼったくて」
「仮面から見える貴女の瞳は澄んでいてとても綺麗ですよ」
「あの……」
音楽が止み、ダンスが終わる。離れて一礼をした後に、自然に手と手を取り合ってバルコニーへと向かった。
「私、ずっと自分の見た目に自信が持てなくて。仮面を外したら……嫌われてしまうんじゃないかって」
手すりにもたれかかり、俯いて手すりを握りしめながら胸に秘めていた思いをポツリポツリとこぼしていく。彼は黙って聞いてくれた。
「妹がいるんですけど、すごい可愛いんです。それに比べると私は冴えないから、いつも舞踏会では隅にいて、目立たないようにしていて。結婚もできなくてもいいと考えていて。ずっと魔法の研究だけして生きていければ、それでいいって」
「それだ俺が困ります」
至極真剣な声がしてオフィーリアは彼の方を向いた。
「俺は貴女が好きだから。結婚できなくてもいい、というのは僕が困る」
「え……」
「……そろそろ、貴女の名前が知りたい、と思うのは俺のわがままかな」
距離が近づいてそっと彼の手のひらがオフィーリアの頬を撫でた。大きくて温もりに満ちたその手のひらに、思わず安心感のようなものがこみ上げて来る。いつの間にか一人称が「僕」から「俺」へと変わっていて、余裕がないのかそれとも素を見せてくれているのか、いずれにしても距離が縮まっているんだなと感じられた。
ああ、この人ならば。
きっと大丈夫だ。
「……オフィーリア・ブルームフィールドと申します」
「オフィーリア嬢。素敵な名前だ。僕はアルバート・ウィンザー」
言ってオフィーリアの手を握っていない方の手のひらを自身の顔に持っていくと仮面を外す。
現れたのは、純朴そうな顔をした好青年だった。
言っていた通りに鼻の頭から目の下にかけてそばかすが散っており、それがオフィーリアにより一層の親近感を持たせる。
オフィーリアがアルバートの顔を食い入るように見つめていると、照れたように笑って頭を掻く。
「そんなに見つめられると恥ずかしい」
「あっ、ごめんなさい。・・お優しそうな顔立ちだと思いまして」
オフィーリアはうつむき、呼吸を整えて覚悟を決めた。
彼は自分の素顔を明かしてくれた。ならばオフィーリアもそうするべきだろう。
わずかに震える手で仮面に触れる。そしてゆっくりと外してーーアルバートと向き合った。
大丈夫だろうか、失望されないだろうか。
いいえ、失望されたならシャリーの言う通りそれまでの人だったと言うことよ。
それでも心は乱される。
もし、彼の瞳に失望の色が宿ったらきっと自分はショックで泣いてしまうかもしれない。
色々な思いがオフィーリアの心に去来して、心臓がかつてないほどに煩く鳴っていた。
「……ああ」
アルバートの瞳には優しげな色が宿っている。握っていた手が離れたかと思ったらその手でオフィーリアの頬に触れた。
「なんだ、隠す必要なんてない。可愛いよ、オフィーリア」
「本当に?」
疑心暗鬼気味にそう聞き返せばアルバートは破顔する。
「俺はお世辞が苦手なんだ。君はとても可愛い」
裏も表もなさそうないい笑顔でそう言われ、オフィーリアは先ほどの不安とは真逆の感情で涙が出そうになる。
ふと、舞踏会場から音楽が聞こえてきた。
それに気がついたアルバートは、すっと手を差し出して来る。
「どうかな、ありのままの君と一曲踊りたいんだけれど」
「はい、喜んで」
オフィーリアは一も二もなく返事をしてその手を取る。
月光の下、仮面を取った二人は手を取り合ってワルツの調べに合わせて踊り出す。
勇気を出して良かったと、彼に、妹に、感謝をした。
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