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藤森あやめは出向する(5)
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会社からの突き上げが日に日に加速する中であやめは辛抱強く作物の栽培状況を報告し、そして実岡とともに畑仕事に従事した。
一度など電話に出た瞬間、社長が「有機野菜はまだかーっ!?いつまで待たせる気だぁぁっ!」と怒鳴る声が響いた。何をそんなに焦っているのかわけがわからないし、そもそも「夏に収穫」という話でこの作物の育成をしているのに急に言われたってトマトやキュウリが早く採れるはずがない。
五月には緑色のトマトの実が成り、きゅうりも花の根元から身が膨らみ出す。育成状況をこと細かく記録し、逐次水やりや草むしりなどの作業を進める。
千坪の敷地をたった二人で管理していくことは存外に大変だったが、実岡は過去五年間これを一人でやっていたのだ。
「最初はどうなることやらと思っていたけど藤森さんが来てくれてよかったよ」
たくましくゴツゴツした掌であやめの作ったおにぎりを優しく持ち、美味しそうに頬張っている。畑ピクニックが日常となっている今日この頃、二人の間にはのんびりとした空気が漂っていた。本日は昨夜に降った雨の影響で地面が少しぬかるんでいるがもはやそんなことを気にするあやめではない。
社長と専務からの「早くしろ」コールに目をつむればここは平和そのものである。
「一人で作業していた時より色々と道具を揃えやすいし、そのぶん収穫量だって上がる。藤森さんのおかげで作業の手も足りているし、本当思い切って専属契約を結んでよかった」
「役に立っているならよかったです。私も畑仕事楽しくって」
「藤森さんは東京本社にいるときはどんな仕事をしていたんだい?」
「店舗開発の企画担当。新しいお店のコンセプトを考えていました。うちのお店は都心のOL向けだから、ナチュラルでお洒落で体に優しいイタリアンを手頃な価格で食べられる、って感じで企画を通してたんですよ」
「へえ、確かに最初に会った時の藤森さんはそんな雰囲気だったね」
「白いスーツで畑になんて来ちゃってすみません」
あの時のことを思い出し、あやめは恥じた。あんな格好でやって来たら、やる気がないと思われても仕方ないだろう。
「白スーツも似合っていたけどね」
「でも農作業する格好じゃないですよ」
「確かに」
おにぎり片手に笑い合う二人。
実岡さんといるとなんだかホッとするような気持ちになれる。ずっと一人で頑張って来た自分を、優しくお日様のように包み込み、寄り添ってくれるような存在だ。のどかな雰囲気が漂うそこへ、再び一台の車が向かってくる。
今度は白いごく普通の乗用車だ。
誰だろうかと二人で見つめていると、車が止まり、そして声をかけて来たのはパリッとしたジャケットを着た痩身の男。男はキビキビと問いただして来る。
「すみません、アジーレさんの自社農園ってこの辺りにあるか知ってますか?」
「はい、ここですけど」
「結構大きい農園ですね」
男は畑をまるで値踏みするかのようにジロジロと見た。
「まだ育ててる途中ですか?あちらのビニールハウスでは何か採れるのでしょうか」
「そうですね、ハウスの方では少しは収穫できるものもありますが……」
「ですが少ない、アジーレさんって十店舗くらい持っておりますよね」
「あの、どちら様でしょうか?」
あやめはこの見るからに怪しげな男に問いかけた。同業他社の視察とかであろうか。にしては妙な威圧感があった。
「ああ、名乗るほどのものではありません。作業中にお邪魔して失礼いたしました」
唖然とした面持ちでいると、男は直角九十度でお辞儀をしたのちにさっさと車のエンジンを吹かせて去って行ってしまった。
「……何なんでしょうね、一体」
「さあ……」
あやめと実岡はまたしても遠ざかる車を見送ることしかできなかった。
男を乗せた車は手近なスーパーの広大な駐車場で停止した。スマホを取り出して通話をタップする。しばらくのコール音の後、くぐもった声が聞こえる。
「もしもし」
「もしもし部長。やはり例のアジーレの農園、まだ稼働してなさそうでした。畑にあるのは収穫前の作物のみ、とても全ての店舗の野菜を賄っているとは思えません」
「やはりそうか。ご苦労だったな、戻って引き続き仕入先の調査を頼む」
「はい」
手短な報告を済ませると、男は電話を切った。缶コーヒーのプルタブを開けてスマホでアジーレの会社紹介ページを閲覧する。
そこには社長が満面の笑みで農家の人間と握手をしている写真とともに「株式会社アジーレが営むトラットリア アジーレは体に優しい有機野菜を使ったイタリアンを提供する飲食店の経営会社です」とデカデカと書かれていた。
「体に優しい有機野菜を使ったイタリアンレストランねぇ」
男はコーヒーをグイっと飲みながらほくそ笑む。自社農園の有様。仕入先の実情。社長の羽振りの良さ。ちょっと調べればすぐにボロが出ることを、こうも堂々とウェブに掲載するとは社長の肝っ玉の太さが窺い知れる。
それとも単に愚かなだけなのか。
「すぐに真実が白日の下に晒されることになる」
男は渋谷区警察署の職員だ。コーヒーを飲み干してゆっくりと車を走らせる。
後に残ったのは、雨上がりの水を纏ったタイヤの軌跡だけだった。
一度など電話に出た瞬間、社長が「有機野菜はまだかーっ!?いつまで待たせる気だぁぁっ!」と怒鳴る声が響いた。何をそんなに焦っているのかわけがわからないし、そもそも「夏に収穫」という話でこの作物の育成をしているのに急に言われたってトマトやキュウリが早く採れるはずがない。
五月には緑色のトマトの実が成り、きゅうりも花の根元から身が膨らみ出す。育成状況をこと細かく記録し、逐次水やりや草むしりなどの作業を進める。
千坪の敷地をたった二人で管理していくことは存外に大変だったが、実岡は過去五年間これを一人でやっていたのだ。
「最初はどうなることやらと思っていたけど藤森さんが来てくれてよかったよ」
たくましくゴツゴツした掌であやめの作ったおにぎりを優しく持ち、美味しそうに頬張っている。畑ピクニックが日常となっている今日この頃、二人の間にはのんびりとした空気が漂っていた。本日は昨夜に降った雨の影響で地面が少しぬかるんでいるがもはやそんなことを気にするあやめではない。
社長と専務からの「早くしろ」コールに目をつむればここは平和そのものである。
「一人で作業していた時より色々と道具を揃えやすいし、そのぶん収穫量だって上がる。藤森さんのおかげで作業の手も足りているし、本当思い切って専属契約を結んでよかった」
「役に立っているならよかったです。私も畑仕事楽しくって」
「藤森さんは東京本社にいるときはどんな仕事をしていたんだい?」
「店舗開発の企画担当。新しいお店のコンセプトを考えていました。うちのお店は都心のOL向けだから、ナチュラルでお洒落で体に優しいイタリアンを手頃な価格で食べられる、って感じで企画を通してたんですよ」
「へえ、確かに最初に会った時の藤森さんはそんな雰囲気だったね」
「白いスーツで畑になんて来ちゃってすみません」
あの時のことを思い出し、あやめは恥じた。あんな格好でやって来たら、やる気がないと思われても仕方ないだろう。
「白スーツも似合っていたけどね」
「でも農作業する格好じゃないですよ」
「確かに」
おにぎり片手に笑い合う二人。
実岡さんといるとなんだかホッとするような気持ちになれる。ずっと一人で頑張って来た自分を、優しくお日様のように包み込み、寄り添ってくれるような存在だ。のどかな雰囲気が漂うそこへ、再び一台の車が向かってくる。
今度は白いごく普通の乗用車だ。
誰だろうかと二人で見つめていると、車が止まり、そして声をかけて来たのはパリッとしたジャケットを着た痩身の男。男はキビキビと問いただして来る。
「すみません、アジーレさんの自社農園ってこの辺りにあるか知ってますか?」
「はい、ここですけど」
「結構大きい農園ですね」
男は畑をまるで値踏みするかのようにジロジロと見た。
「まだ育ててる途中ですか?あちらのビニールハウスでは何か採れるのでしょうか」
「そうですね、ハウスの方では少しは収穫できるものもありますが……」
「ですが少ない、アジーレさんって十店舗くらい持っておりますよね」
「あの、どちら様でしょうか?」
あやめはこの見るからに怪しげな男に問いかけた。同業他社の視察とかであろうか。にしては妙な威圧感があった。
「ああ、名乗るほどのものではありません。作業中にお邪魔して失礼いたしました」
唖然とした面持ちでいると、男は直角九十度でお辞儀をしたのちにさっさと車のエンジンを吹かせて去って行ってしまった。
「……何なんでしょうね、一体」
「さあ……」
あやめと実岡はまたしても遠ざかる車を見送ることしかできなかった。
男を乗せた車は手近なスーパーの広大な駐車場で停止した。スマホを取り出して通話をタップする。しばらくのコール音の後、くぐもった声が聞こえる。
「もしもし」
「もしもし部長。やはり例のアジーレの農園、まだ稼働してなさそうでした。畑にあるのは収穫前の作物のみ、とても全ての店舗の野菜を賄っているとは思えません」
「やはりそうか。ご苦労だったな、戻って引き続き仕入先の調査を頼む」
「はい」
手短な報告を済ませると、男は電話を切った。缶コーヒーのプルタブを開けてスマホでアジーレの会社紹介ページを閲覧する。
そこには社長が満面の笑みで農家の人間と握手をしている写真とともに「株式会社アジーレが営むトラットリア アジーレは体に優しい有機野菜を使ったイタリアンを提供する飲食店の経営会社です」とデカデカと書かれていた。
「体に優しい有機野菜を使ったイタリアンレストランねぇ」
男はコーヒーをグイっと飲みながらほくそ笑む。自社農園の有様。仕入先の実情。社長の羽振りの良さ。ちょっと調べればすぐにボロが出ることを、こうも堂々とウェブに掲載するとは社長の肝っ玉の太さが窺い知れる。
それとも単に愚かなだけなのか。
「すぐに真実が白日の下に晒されることになる」
男は渋谷区警察署の職員だ。コーヒーを飲み干してゆっくりと車を走らせる。
後に残ったのは、雨上がりの水を纏ったタイヤの軌跡だけだった。
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