彼氏にフラれて仕事を頑張っていたら、農園に出向を命じられました!?

佐倉涼

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藤森あやめは出向する(1)

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 藤森あやめが勤める会社はイタリアンレストランの開発、運営をする会社である。都心を中心に若い女性客をターゲットにした店舗プロデュースをする。
 資本金は一千万、正社員四十名にパートが百名。そんな会社であった。
 渋谷にあるオフィス街の一角、広くも狭くもない社長室に設けられた社長デスクの前であやめは社長その人に呼び出されていた。
 社長室の中には社長の趣味である車の模型やらポスターやらが飾られている。最近アウディからポルシェに買い換えたらしく、一番目立つ場所にはピカピカに輝くポルシェの模型が飾られていた。一千万円クラスの車を常時三台は保有し、しかも毎年新しい車に買い換えている社長の重度の車好きは社内に知れ渡っている。

「藤森くん、君がプロデュースした新店舗、売上好調だよ。若い女性に大人気」

「本当ですか、ありがとうございます」

「うん。日比谷の裏路地にある隠れ家的雰囲気の小洒落たイタリアンってことで近隣のOLがこぞってきているんだとよ。私も一度のぞいて見たけど、平日の昼休みなんてもう、大行列。シェフのベルナルドのイメージにも合ってるんだよなぁ、さすが藤森くんだよ」

「良かったです!」

 幼馴染にフラれてから四年が経過した。たゆまぬ日々の努力で見た目は相変わらずの可愛らしさを保ったままに、鬼のように仕事に邁進したあやめは「店舗開発部にこの人あり」とまで呼ばれるほどにまでなった。類稀なる観察眼、審美眼を余すことなく発揮して立地に見合ったコンセプトを打ち出した店舗展開を見せ、企画担当した店舗は必ず繁盛するという、まさに神がかった所業を見せていた。

「でなぁ、大変優秀な藤森くんに折り入って頼みがあるんだ。実は出向をお願いしたくてな」

「出向ですか?」

「ああ」

 社長は両手を顔の前で組む。そして神妙な面持ちで言った。

「この度、ある農家と専属契約を結ぶことになったんだが、そこへ行って欲しい」

「農家………専属契約?」

「ああ。我が社のコンセプトを言ってごらん」

「株式会社アジーレが営むトラットリア アジーレは体に優しい有機野菜を使ったイタリアンを提供する飲食店の経営会社です」

「そうだ。そしてこの有機野菜、今はあちこちの農場と契約を結んで仕入れているんだが、これから店舗の数を増やすにつけて仕入れ数も増えるだろう?煩雑になってきてなぁ。いっそ専属で契約しようということになったんだ」

「はぁ」

「そこで君の出番というわけだ」

「どうして私なんですか」

「君には多彩な能力があるだろう」

「それほどでもないかと………」

「いいや、謙遜は良くないよ。店舗開発を担当すれば精緻な企画によって立地、ターゲット層を明確に絞り大繁盛。コンペがあれば勝ちをもぎ取り、向かう所敵なし。これほどの人材、我が社、いや、他のどんな大企業を見回してもそうはいない!」

「褒めすぎです社長」

 褒められるといい気分になるのが人間というものだ。あやめは気持ちが高揚するのを感じつつ否定した。どれもこれも夢中になった結果のものだ。大して誇るようなものじゃないと本気で思っている。しかも今挙げ列ねた事と農家に飛ばされる事にはなんの関連性もない。どちらかといえば店舗開発部に残って、新たな店舗開発に向けて能力を発揮したほうがいいだろう。

「というわけで、君のその未だに眠っている能力により、我が社の農家専属契約プロジェクトを成功させて欲しいんだ! その農家というのは脱サラして有機野菜の栽培を始めたけれど、どうにも販路が見つけられず困っていたらしくてな」

「元々うちで契約していた農園ではないんですね」

「ああ、まあ色々あってな。ともかくそこの農園がしっかりしたところなのかを共に働き、確認して欲しいんだよ」

 あやめは首を傾げた。すでに有機栽培の農家とは複数契約を結んでいるはずなのに、なぜ未知の、監視が必要なほどに信頼関係が築けていない農家と専属契約を結んだのだろうか。

「はぁ……」

 あやめの疑問をよそに社長は熱のこもった声で言った。

「君が責任者となる。この一大プロジェクト、ぜひ君にやってもらいたい!」

 あやめは考える。なぜ社長はそんな大掛かりなプロジェクトの責任者に、農業のことなど何も知らない自分を据えたのだろう。よくわからない。わからないが社長命令とあらば仕方がない。

「わかりました」

「本当かね、助かるなぁ。会社の方で住居は確保してある。いやぁ、よかったよかった!できればこの夏には実岡農園の野菜に全てを切り替えたいんだ」

「夏って、今既に一月ですが、そんなに早く切り替えができるものなんですか?」

「そこをなんとかするのが君の仕事だよ」

「まあそうですけれど……」

 完全に無茶を押し付けられているとしか思えない。しかし社長の目を見るに本気のようである。

「場所はどこなんですか?」

「うん、それがな」

 社長は一枚の資料とともに、次なる藤森あやめの勤務先を告げた。

「では引き継ぎを終わらせ次第、新しい勤務地へと向かいます」

 失礼いたしますとお辞儀をしてから自身のデスクへと戻るあやめ。

 その後ろ姿を見送ると、専務がやってきた。スーツを着こみ、痩せた体に禿げかけた頭頂部が目立つ男だ。おおよそお洒落なイタリアンレストランを経営している人間とは思えない出で立ちである。

「社長、いいのでしょうか、彼女に我が社の進退を決める一大プロジェクトを丸投げしてしまって」

「何を言う。君だって彼女に関する報告書に目を通しただろう」

「通しましたけれど……」

 社長は藤森あやめという人物に関する報告書を粒さに読み込み、このプロジェクトを彼女に任せることに決めていた。
 勤続年数七年、最初の三年は目立った功績をあげていなかったが、ある時を境に唐突にその才覚を表した。新しく立ち上げるレストランの立地を見極め、客層を的確に把握し、それに見合った雰囲気の店構えを企画する。時には本場イタリアまで赴いて店で働くシェフを雇い入れ、メニューの価格帯を決めていく。高すぎず安すぎず、リピーターがつきやすい絶妙な料理と値段。
 その卓越した能力はおおよそ店舗開発部のいち平社員としておくには勿体無いものだった。

「私はね、彼女にかけたんだよ。この会社という船が荒波を越えていけるか、それとも沈むのか」

 沈む、という言葉を一際声を低めて社長は語る。

「外部から人を招致するわけにはいかないんだ。我が社の人間で、有能で、しかも何も知らない彼女はうってつけの人材だろう」

「社長……」

 部長がゴクリと生唾を飲む。社長は小さく頷いた。

「信じてみようじゃないか、全てにおいて結果を出してきた、彼女の腕前を」

 ところで、と言って社長はポルシェの模型を手に取った。

「どうだい、いい車だろう?」

「左様でございますね」

「しばらくはこれで楽しめるなぁ」

「今度は長く乗ってくださいよ」

「ああ、勿論だ」

 専務は知っていた。この「勿論」という言葉が一年も長続きしないということを。
 社長は重度の高級車好きである。一千万クラスの車を常に三台以上保有し、しかも毎年買い換えている。
 この金が一体どこから来ているのか、社員に、いや世間に知られたらただでは済まないだろう。

「じゃ、ドライブに行ってくるとしよう」

「行ってらっしゃいませ」

 事ここに及んで未だ呑気な社長を見送り、専務はそろそろ転職をしようかなと胸中で考えた。
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