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1.お寝坊さん
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『ほーれ、治す前にしっかり見ておけよ、お前たち。生きた人間の内臓ってのは、こうなってるんだ』
なんだろう……へんな感じ。
たった今目覚めたらしい私の目に映るのは、奥行きも分からないくらいの、完全な真っ暗闇。
見渡そうにも……首は動かないし、そもそも体の感覚がない。
『あっるぇ~、困ったなぁ。そろそろ目覚めてもおかしくないんだけどなぁ、メアリーちゃん?』
あ、もしかしてアレかな。これが、死後の世界ってやつなのかな。
でも、明らかに天国って感じじゃないよね。
なら、もしかして地獄!?
そんなぁ、ひどいよ神様。だって私、地獄に行くような心当たりなんてない……ことはないけど、良いこともたくさんしてきたもん。
そりゃ清廉潔白とはいかなかったけど、ちょっとぐらいは許してくれてもいいじゃん。それが神の愛ってもんじゃないの?
『ちょっとおなかの中いじくってやろうか。たしか、ここら辺に敏感なところがあったような……』
うわ、なに!? 急にお腹の深いところになにか入ってきたよ!
ムカデが這い回ってるみたい!
チクチクする!
気持ち悪い!
『あー! あったあった、これだ! そ~れ、グリグリ~……っと』
……!?
『痛っぁ――!』
――突然、鋭い痛みが全身を貫いた! 体が反射的に強張ろうとするんだけど、手ごたえが無くって、まるで肉体が無いみたいで! 痛みのあまり叫ぼうにも、口からは隙間風が吹き込むような音が出るばかり! 私、今一体どうなってるの!?
「やぁ、起きた起きた! おーい、見てたかみんな。魔法を使い慣れたやつがここらをいじられるとな、魔力回路が神経と繋がってて、麻酔があってもめっっっちゃくちゃに痛いんだ。後で確認するから、ちゃんと記録しておけよー」
これまた突然に、聞き覚えのある声。いや、突然では無いのかな? 意識してなかっただけで、もっと前から聞こえてた……のかな? とにかく、声に気づいたのは今で良いんだよ。
息が詰まる感じは残るけれど、段々と頭が回りだして、漆黒の世界にぼんやりと、紫色の小さな丸い光が二つ、隣り合って浮かび上がるのが見える。これも声と同じように、何となく覚えがある感じ。
しばらく光を眺めていると、紫の光の外側、まだ黒かった部分が段々と白くなってくる。単に明るいからとかじゃなくて、空間自体が白く塗ってある感じ。これもなんだか馴染みがある。
聞き覚えのある声と、見覚えのある光に、馴染み深い空間に。間違いない、この声は……
「せんせぇ……、これどういう状況ですかぁ……」
おなかに力を入れ、なんとか呻くように言葉を紡ぐ。そうすると、これが体の芯の何かに響いたみたい。視界が一気にくっきりして、見慣れた顔が浮き上がる。
紫色のかわいいおめめに、ハリのある褐色の肌。髪の毛の一本一本は絹糸のように綺麗なのに、手入れされず取っ散らかって、とっても残念。線がしっかりした神経質そうな美人なのに、興味のないことには徹底的に無神経な女性。
間違いない、フレデリカ先生だ。
「バッカおめぇ、どういう状況って聞きたいのは私のほうなんだよ! 朝っぱらから学生共が騒ぎやがってよ! 呼ばれるままにここに来てみれば、ハラのワタが出たバカとご対面! ほんっと、むかっ腹が立ってよ!」
ひぇ、なんか逆鱗に触れたっぽい!? とりあえず謝るから許して! あ、やめて、目の前で執刀用のナイフを逆手持ちで握りしめるのをやめて! そのままワナワナとふるえないで! 謝るから! 先生! 落ち着いて!
「んむ……いや、分かってるならいいんだ」
わぁ、急に落ち着かないでよ、びっくりするでしょ。
「いや、すまない。私もけが人相手に大人げなかった。申し訳ない……とにかく、この場に至っては私もプロだ!メアリーちゃんのこの傷、きぃっちりと……」
そこまで言ったところで、突然黙って一呼吸。喉の動きを見る限り、どうやらツバが詰まったらしい。この若作りのお婆ちゃん、もう少し体を労わればいいのに。
「私が! 完璧に! 治してあげるからな!」
はぁ……何事もなかったかのような見事なキメ顔で。それはよろしいのですが、先生、一つお尋ねしたいことが。
「一体、なんでこんなに人が集まってるんですか?」
どうも寝台に寝かされているらしい私と、今まで処置をしてくれていたらしい先生。この二人を取り巻くように、よく知った白い顔が並んでいる。みな、普段先生のもとで授業を受けている学生たちで、馬鹿そうなやつ、頭の良さそうな奴、真面目そうなやつ、スケベそうなやつ、そういう人たちが、一様に紙と鉛筆を持ってこちらを見ている。
「なんでって、だって今授業中だもん」
へ、授業? なんの?
「だから、これが授業なんだって。メアリーちゃんが今朝運ばれてきて対応に追われてたから、予定は総崩れ。でも、これはこれでちょうどいいから」
ちょうどいい? ちょうどいいとは?
「だーかーらー! 今、メアリーちゃんを手術しながら、授業をやってるの! 大丈夫かよ、大分頭の回転が鈍いぞ。頭に血が回ってないのか? 輸血パックは……まだ入ってるな。うん、血は足りてる。じゃあ単に馬鹿なんだな」
そっか……私、馬鹿だったんだね……。まあ、とにかく、今言われたことで状況は分かった。どうやら私は大けがを負った状態で朝からここに運ばれてきて、先生はその対応に追われていたらしい。で、このままだと普段の授業が出来ないから、急遽予定を変更して、私の手術をしながら授業することにしたと。なるほど納得、合理的。あんしん、あんしん……って、うん?
「先生、今、私のどこを触ってます?」
「んー……、今内臓をお腹に戻して縫い合わせるところ。で、次はその馬鹿になった右手」
「……お腹の前はどこを?」
「お腹の前? 首と胸を治したかな。で、それで意識が戻った」
え、胸? 今胸って言いました? そういえば、胸のあたりがさっきから涼しいような……。これってもしかして……。
「……今って、丸出し?」
「何が?」
「いや、だから、その……」
て、私の口からそんなこと言えるわけないでしょうが、恥ずかしい! え、てことはここに集まってる人皆に私の丸出しのアレを見られてたわけ!? いやだー、もう寮に帰りたい……。
「大丈夫ですよ、先輩。ずっと血だらけの中身を見てるんです。今さらガワを見たところで何も感じません」
声をかけてくれたのは、私の気持ちを察したらしい、背の高い真面目そうな男子学生。うー、これはこれで恥ずかしい。あっちのほうが年上とはいえ、後輩に慰められるなんて。今日は私の14年の人生の中で、一番恥ずかしい日かも……。
「うし、お腹終わり! 次は右腕! 次からはメアリーちゃんも見ときなさいよ」
あ、何事もなかったように進めるんですね。いや、でも私が一番欲しかった反応はこれかもしれない。よーし、皆見なかったことにしてくれてるみたいだし、私も気にしないことにしよう。数人明らかにスケベな顔がしている奴がいるけれど、あれは後で蹴り飛ばしてやればいいや。今は無視だ、無視。
フレデリカ先生の言う通り、自分の右腕のほうに目をやってみようとして気づく。そういえば、首は動かないんじゃなかったっけ? いや、でも治してくれたって言ってたよね?
下手に質問するとまた罵倒されそうだと思い、右腕を見ようと黙って首に力を入れてみる。すると、簡単に頭が右を向いて拍子抜け。どうやら、首は完全に治ってるみたい。白い天井や先生の顔と入れ替わりに視界に映るのは、寝台に横付けにした木造の台と、その上に置かれた私の右腕。先生方が洗ってくれたのか、右腕はいくらかの切り傷がある以外には綺麗だけど、力を入れてみても全く動かない。
「どうだ、感覚はあるか?」
先生が私の右腕に爪をしばらく押し付けて、離す。爪の跡がしっかり残っているあたり、それなりに腫れてるみたいだけど、痛みとか、圧迫感とか、そういうのは全くない。
「何の感覚もありません、先生」
「そーか、そーか! よーし、完全にダメになってるな! 私の本領発揮だな!」
めっちゃ嬉しそうじゃんこの人、私怪我してんのに。いや、私も文句言える立場じゃないけどさ。
湧きあがった釈然としない思いをかみ殺しているうちに、先生が術式の準備を整えていく。学生から茶色い小箱を受け取り、私の腕の隣に置いて、小箱の中から数十本の銀の針と亜麻の糸束を取り出す。針は2cmほどの短い物、これを束からほどいた亜麻糸に一本ずつ通し、全ての針を通すと、今度は糸の糸束側を先生の左手の五本の指に、複雑な図形を描きながら絡ませていく。
「よし、できたぞ」
やがてその糸の形に満足したらしい先生は、右手で糸の先っぽの針を掴んで、私に向き直った。
「うーし、それじゃ、針を腕に刺していくからなー。痛くなったら言えよー」
わかりましたぁ……って、先生! 痛い、さっそく痛いです、先生!
「え、そんな……。そこは麻酔が効いてるから、痛くないはずだ」
だから痛いっつってんでしょうが!
「そっかぁ……。良かったじゃないか、生きてる証拠だよ」
それこういう状況で使う言葉じゃなーい!
「うるさいなぁ……、生きてるだけありがたいと思えよな」
ずるい、それを言われたら何も言えない!
そんな問答をしているうちも先生は手を止めることなく、あっという間に右腕に全ての針を刺してしまう。確か、この針の刺さった場所一つ一つが、体の勘所なのだ。
「よし、準備完了! みんな、これから起こることをしっかり見ておけよ!」
先生はそう言うと、自身の左手を見つめながら、口をモゴモゴと動かしだした。
「……来る!」
先生がそう言うのとどちらが早かったか……右腕と亜麻糸に変化が訪れた。亜麻糸がゆらゆらと揺蕩いだし、右腕の針が刺さった場所から、じんわりと、何か熱い物が円状に広がっていく。針から始まった数十の熱の円はやがて合流し、右腕全体を覆っていく。その状態がしばらく続いた後、今度は右手の指が、私の意思とは関係なく、ピクピクと痙攣を始める。傷跡が脈動し、肉が隆起し、うごめき、傷跡をふさいでいく。
「川の真ん中に大きな石を置いてやると、流れが止まるだろ? でもそれは流れが止まっただけで、水がなくなったわけじゃない。ある程度原型が残っていれば、もう一度流れる道を作ってやれば、後は自然に流れていく。私たちは治そうとする必要はない。ただ、障害になるものを取り除いてやれば、後は体が、あるべき形を覚えている」
そう解説しながらも、先生は左手の指を激しく動かし続けている。ちょうど、人形師が人形を糸で操っている時のようだ。
しばらくその動きを続けた後、先生の左手がピタリと止まった。同時に、私の右手の痙攣も止まる。
「よし、もういいだろう! メアリーちゃんや、ちょっと右腕に力を入れてみろ!」
はーい。それじゃあ右手に力を入れて……と意識するまでもなく、拍子抜けするほど簡単に右手の指が曲がり、げんこつの形を作る。そのまま今度はこぶしを開いて指を伸ばし、また指を曲げてげんこつ。この動きの繰り返しに、一切の滞りはない。
「どうだ、調子は?」
「流石です、先生。ばっちりです」
湧きあがるままに、感嘆の言葉を述べる。
「よしよし、右腕もオーケーだな、後は……確か左足がおかしかったか……。面倒だな」
そう呟いてから、先生はくるりと学生たちのほうに向きなおった。
「よーし、お前ら! 授業は終わりだ! 解散!」
え、終わり? まだ私治ってないんでしょ? この先生の言葉には学生たちも「えー!」と迫真の抗議の声。そうですよ先生、最後までやってくださいよ、お願いですから。
「えー、じゃない。もう終わり! 左足も右腕と何も変わらないから、ちゃんと理屈が分かってれば同じこと、わざわざ見せる必要なし! ほら、ここは私の部屋だ、用のない者は出ていけー!」
そう言うと先生は、手をほうきのような形にして、シッシッと学生たちを部屋の奥の引き戸から追い出してしまった。ちょっと、それは横暴が過ぎるんじゃないの?
「お前たちがどう思うかなんて知らないよ。こっちも疲れてんだから」
あ、そーだった。そうだよね。先生にも本来の用事があるのに、朝から世話してくれてたんだよね。まずはそこにお礼を言うべきだったよね。
「ありがとうございます、先生」
「なぜ礼を言う? ただの仕事だ。金の分働いてるだけなんだから、お礼を言われる筋合いはない」
くぅ~、面倒くさい奴!
「いいもん、勝手に感謝しとくもん」
私はそう言って、寝台に大げさに、まだ動かない左足以外の三肢を投げ出してやった。
「ん~……。愛弟子にそう言われると、悪い気はしないな」
あ、デレた、かわいい。デレついでに、そろそろ私の左足治してくれません?
「あぁん? 自分でやれよ、道具はあるんだから。後さ、左足が動かなくても上体を起こすくらいは出来るだろ。堂々と大の字で寝やがって。人と話す態度か? それが」
先生はそう言うと、私の右手に道具を押し付けた。そして私の足の側の向こうに置かれた丸形椅子に向かって歩き、どっかりと座って、そのままうなだれてしまった。どうも、相当に疲れているらしい。ごめんね、本当に迷惑だったみたいだね。
言われた通り自分の左足を自分で治そうと、上体を起こし、先生がさっきやったように準備をしていく。そうやっているうちに、突然、先生が顔を上げた。
「で、だ。なんでこんなことになったんだ?」
そう言う先生の顔には、先ほどまでのけだるい様子は全くなかった。やんちゃした幼い子供に母親が向き合うように、けわしくも優しい顔で私の目を見ていた。それは、まだ世界を知らない子供が無条件に自分の身を預けられる、揺るぎない教育者の目だった。
なんだろう……へんな感じ。
たった今目覚めたらしい私の目に映るのは、奥行きも分からないくらいの、完全な真っ暗闇。
見渡そうにも……首は動かないし、そもそも体の感覚がない。
『あっるぇ~、困ったなぁ。そろそろ目覚めてもおかしくないんだけどなぁ、メアリーちゃん?』
あ、もしかしてアレかな。これが、死後の世界ってやつなのかな。
でも、明らかに天国って感じじゃないよね。
なら、もしかして地獄!?
そんなぁ、ひどいよ神様。だって私、地獄に行くような心当たりなんてない……ことはないけど、良いこともたくさんしてきたもん。
そりゃ清廉潔白とはいかなかったけど、ちょっとぐらいは許してくれてもいいじゃん。それが神の愛ってもんじゃないの?
『ちょっとおなかの中いじくってやろうか。たしか、ここら辺に敏感なところがあったような……』
うわ、なに!? 急にお腹の深いところになにか入ってきたよ!
ムカデが這い回ってるみたい!
チクチクする!
気持ち悪い!
『あー! あったあった、これだ! そ~れ、グリグリ~……っと』
……!?
『痛っぁ――!』
――突然、鋭い痛みが全身を貫いた! 体が反射的に強張ろうとするんだけど、手ごたえが無くって、まるで肉体が無いみたいで! 痛みのあまり叫ぼうにも、口からは隙間風が吹き込むような音が出るばかり! 私、今一体どうなってるの!?
「やぁ、起きた起きた! おーい、見てたかみんな。魔法を使い慣れたやつがここらをいじられるとな、魔力回路が神経と繋がってて、麻酔があってもめっっっちゃくちゃに痛いんだ。後で確認するから、ちゃんと記録しておけよー」
これまた突然に、聞き覚えのある声。いや、突然では無いのかな? 意識してなかっただけで、もっと前から聞こえてた……のかな? とにかく、声に気づいたのは今で良いんだよ。
息が詰まる感じは残るけれど、段々と頭が回りだして、漆黒の世界にぼんやりと、紫色の小さな丸い光が二つ、隣り合って浮かび上がるのが見える。これも声と同じように、何となく覚えがある感じ。
しばらく光を眺めていると、紫の光の外側、まだ黒かった部分が段々と白くなってくる。単に明るいからとかじゃなくて、空間自体が白く塗ってある感じ。これもなんだか馴染みがある。
聞き覚えのある声と、見覚えのある光に、馴染み深い空間に。間違いない、この声は……
「せんせぇ……、これどういう状況ですかぁ……」
おなかに力を入れ、なんとか呻くように言葉を紡ぐ。そうすると、これが体の芯の何かに響いたみたい。視界が一気にくっきりして、見慣れた顔が浮き上がる。
紫色のかわいいおめめに、ハリのある褐色の肌。髪の毛の一本一本は絹糸のように綺麗なのに、手入れされず取っ散らかって、とっても残念。線がしっかりした神経質そうな美人なのに、興味のないことには徹底的に無神経な女性。
間違いない、フレデリカ先生だ。
「バッカおめぇ、どういう状況って聞きたいのは私のほうなんだよ! 朝っぱらから学生共が騒ぎやがってよ! 呼ばれるままにここに来てみれば、ハラのワタが出たバカとご対面! ほんっと、むかっ腹が立ってよ!」
ひぇ、なんか逆鱗に触れたっぽい!? とりあえず謝るから許して! あ、やめて、目の前で執刀用のナイフを逆手持ちで握りしめるのをやめて! そのままワナワナとふるえないで! 謝るから! 先生! 落ち着いて!
「んむ……いや、分かってるならいいんだ」
わぁ、急に落ち着かないでよ、びっくりするでしょ。
「いや、すまない。私もけが人相手に大人げなかった。申し訳ない……とにかく、この場に至っては私もプロだ!メアリーちゃんのこの傷、きぃっちりと……」
そこまで言ったところで、突然黙って一呼吸。喉の動きを見る限り、どうやらツバが詰まったらしい。この若作りのお婆ちゃん、もう少し体を労わればいいのに。
「私が! 完璧に! 治してあげるからな!」
はぁ……何事もなかったかのような見事なキメ顔で。それはよろしいのですが、先生、一つお尋ねしたいことが。
「一体、なんでこんなに人が集まってるんですか?」
どうも寝台に寝かされているらしい私と、今まで処置をしてくれていたらしい先生。この二人を取り巻くように、よく知った白い顔が並んでいる。みな、普段先生のもとで授業を受けている学生たちで、馬鹿そうなやつ、頭の良さそうな奴、真面目そうなやつ、スケベそうなやつ、そういう人たちが、一様に紙と鉛筆を持ってこちらを見ている。
「なんでって、だって今授業中だもん」
へ、授業? なんの?
「だから、これが授業なんだって。メアリーちゃんが今朝運ばれてきて対応に追われてたから、予定は総崩れ。でも、これはこれでちょうどいいから」
ちょうどいい? ちょうどいいとは?
「だーかーらー! 今、メアリーちゃんを手術しながら、授業をやってるの! 大丈夫かよ、大分頭の回転が鈍いぞ。頭に血が回ってないのか? 輸血パックは……まだ入ってるな。うん、血は足りてる。じゃあ単に馬鹿なんだな」
そっか……私、馬鹿だったんだね……。まあ、とにかく、今言われたことで状況は分かった。どうやら私は大けがを負った状態で朝からここに運ばれてきて、先生はその対応に追われていたらしい。で、このままだと普段の授業が出来ないから、急遽予定を変更して、私の手術をしながら授業することにしたと。なるほど納得、合理的。あんしん、あんしん……って、うん?
「先生、今、私のどこを触ってます?」
「んー……、今内臓をお腹に戻して縫い合わせるところ。で、次はその馬鹿になった右手」
「……お腹の前はどこを?」
「お腹の前? 首と胸を治したかな。で、それで意識が戻った」
え、胸? 今胸って言いました? そういえば、胸のあたりがさっきから涼しいような……。これってもしかして……。
「……今って、丸出し?」
「何が?」
「いや、だから、その……」
て、私の口からそんなこと言えるわけないでしょうが、恥ずかしい! え、てことはここに集まってる人皆に私の丸出しのアレを見られてたわけ!? いやだー、もう寮に帰りたい……。
「大丈夫ですよ、先輩。ずっと血だらけの中身を見てるんです。今さらガワを見たところで何も感じません」
声をかけてくれたのは、私の気持ちを察したらしい、背の高い真面目そうな男子学生。うー、これはこれで恥ずかしい。あっちのほうが年上とはいえ、後輩に慰められるなんて。今日は私の14年の人生の中で、一番恥ずかしい日かも……。
「うし、お腹終わり! 次は右腕! 次からはメアリーちゃんも見ときなさいよ」
あ、何事もなかったように進めるんですね。いや、でも私が一番欲しかった反応はこれかもしれない。よーし、皆見なかったことにしてくれてるみたいだし、私も気にしないことにしよう。数人明らかにスケベな顔がしている奴がいるけれど、あれは後で蹴り飛ばしてやればいいや。今は無視だ、無視。
フレデリカ先生の言う通り、自分の右腕のほうに目をやってみようとして気づく。そういえば、首は動かないんじゃなかったっけ? いや、でも治してくれたって言ってたよね?
下手に質問するとまた罵倒されそうだと思い、右腕を見ようと黙って首に力を入れてみる。すると、簡単に頭が右を向いて拍子抜け。どうやら、首は完全に治ってるみたい。白い天井や先生の顔と入れ替わりに視界に映るのは、寝台に横付けにした木造の台と、その上に置かれた私の右腕。先生方が洗ってくれたのか、右腕はいくらかの切り傷がある以外には綺麗だけど、力を入れてみても全く動かない。
「どうだ、感覚はあるか?」
先生が私の右腕に爪をしばらく押し付けて、離す。爪の跡がしっかり残っているあたり、それなりに腫れてるみたいだけど、痛みとか、圧迫感とか、そういうのは全くない。
「何の感覚もありません、先生」
「そーか、そーか! よーし、完全にダメになってるな! 私の本領発揮だな!」
めっちゃ嬉しそうじゃんこの人、私怪我してんのに。いや、私も文句言える立場じゃないけどさ。
湧きあがった釈然としない思いをかみ殺しているうちに、先生が術式の準備を整えていく。学生から茶色い小箱を受け取り、私の腕の隣に置いて、小箱の中から数十本の銀の針と亜麻の糸束を取り出す。針は2cmほどの短い物、これを束からほどいた亜麻糸に一本ずつ通し、全ての針を通すと、今度は糸の糸束側を先生の左手の五本の指に、複雑な図形を描きながら絡ませていく。
「よし、できたぞ」
やがてその糸の形に満足したらしい先生は、右手で糸の先っぽの針を掴んで、私に向き直った。
「うーし、それじゃ、針を腕に刺していくからなー。痛くなったら言えよー」
わかりましたぁ……って、先生! 痛い、さっそく痛いです、先生!
「え、そんな……。そこは麻酔が効いてるから、痛くないはずだ」
だから痛いっつってんでしょうが!
「そっかぁ……。良かったじゃないか、生きてる証拠だよ」
それこういう状況で使う言葉じゃなーい!
「うるさいなぁ……、生きてるだけありがたいと思えよな」
ずるい、それを言われたら何も言えない!
そんな問答をしているうちも先生は手を止めることなく、あっという間に右腕に全ての針を刺してしまう。確か、この針の刺さった場所一つ一つが、体の勘所なのだ。
「よし、準備完了! みんな、これから起こることをしっかり見ておけよ!」
先生はそう言うと、自身の左手を見つめながら、口をモゴモゴと動かしだした。
「……来る!」
先生がそう言うのとどちらが早かったか……右腕と亜麻糸に変化が訪れた。亜麻糸がゆらゆらと揺蕩いだし、右腕の針が刺さった場所から、じんわりと、何か熱い物が円状に広がっていく。針から始まった数十の熱の円はやがて合流し、右腕全体を覆っていく。その状態がしばらく続いた後、今度は右手の指が、私の意思とは関係なく、ピクピクと痙攣を始める。傷跡が脈動し、肉が隆起し、うごめき、傷跡をふさいでいく。
「川の真ん中に大きな石を置いてやると、流れが止まるだろ? でもそれは流れが止まっただけで、水がなくなったわけじゃない。ある程度原型が残っていれば、もう一度流れる道を作ってやれば、後は自然に流れていく。私たちは治そうとする必要はない。ただ、障害になるものを取り除いてやれば、後は体が、あるべき形を覚えている」
そう解説しながらも、先生は左手の指を激しく動かし続けている。ちょうど、人形師が人形を糸で操っている時のようだ。
しばらくその動きを続けた後、先生の左手がピタリと止まった。同時に、私の右手の痙攣も止まる。
「よし、もういいだろう! メアリーちゃんや、ちょっと右腕に力を入れてみろ!」
はーい。それじゃあ右手に力を入れて……と意識するまでもなく、拍子抜けするほど簡単に右手の指が曲がり、げんこつの形を作る。そのまま今度はこぶしを開いて指を伸ばし、また指を曲げてげんこつ。この動きの繰り返しに、一切の滞りはない。
「どうだ、調子は?」
「流石です、先生。ばっちりです」
湧きあがるままに、感嘆の言葉を述べる。
「よしよし、右腕もオーケーだな、後は……確か左足がおかしかったか……。面倒だな」
そう呟いてから、先生はくるりと学生たちのほうに向きなおった。
「よーし、お前ら! 授業は終わりだ! 解散!」
え、終わり? まだ私治ってないんでしょ? この先生の言葉には学生たちも「えー!」と迫真の抗議の声。そうですよ先生、最後までやってくださいよ、お願いですから。
「えー、じゃない。もう終わり! 左足も右腕と何も変わらないから、ちゃんと理屈が分かってれば同じこと、わざわざ見せる必要なし! ほら、ここは私の部屋だ、用のない者は出ていけー!」
そう言うと先生は、手をほうきのような形にして、シッシッと学生たちを部屋の奥の引き戸から追い出してしまった。ちょっと、それは横暴が過ぎるんじゃないの?
「お前たちがどう思うかなんて知らないよ。こっちも疲れてんだから」
あ、そーだった。そうだよね。先生にも本来の用事があるのに、朝から世話してくれてたんだよね。まずはそこにお礼を言うべきだったよね。
「ありがとうございます、先生」
「なぜ礼を言う? ただの仕事だ。金の分働いてるだけなんだから、お礼を言われる筋合いはない」
くぅ~、面倒くさい奴!
「いいもん、勝手に感謝しとくもん」
私はそう言って、寝台に大げさに、まだ動かない左足以外の三肢を投げ出してやった。
「ん~……。愛弟子にそう言われると、悪い気はしないな」
あ、デレた、かわいい。デレついでに、そろそろ私の左足治してくれません?
「あぁん? 自分でやれよ、道具はあるんだから。後さ、左足が動かなくても上体を起こすくらいは出来るだろ。堂々と大の字で寝やがって。人と話す態度か? それが」
先生はそう言うと、私の右手に道具を押し付けた。そして私の足の側の向こうに置かれた丸形椅子に向かって歩き、どっかりと座って、そのままうなだれてしまった。どうも、相当に疲れているらしい。ごめんね、本当に迷惑だったみたいだね。
言われた通り自分の左足を自分で治そうと、上体を起こし、先生がさっきやったように準備をしていく。そうやっているうちに、突然、先生が顔を上げた。
「で、だ。なんでこんなことになったんだ?」
そう言う先生の顔には、先ほどまでのけだるい様子は全くなかった。やんちゃした幼い子供に母親が向き合うように、けわしくも優しい顔で私の目を見ていた。それは、まだ世界を知らない子供が無条件に自分の身を預けられる、揺るぎない教育者の目だった。
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