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1.お寝坊さん

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『ほーれ、治す前にしっかり見ておけよ、お前たち。生きた人間の内臓ってのは、こうなってるんだ』

 なんだろう……へんな感じ。
 たった今目覚めたらしい私の目に映るのは、奥行きも分からないくらいの、完全な真っ暗闇。

 見渡そうにも……首は動かないし、そもそも体の感覚がない。

『あっるぇ~、困ったなぁ。そろそろ目覚めてもおかしくないんだけどなぁ、メアリーちゃん?』

 あ、もしかしてアレかな。これが、死後の世界ってやつなのかな。
 でも、明らかに天国って感じじゃないよね。
 なら、もしかして地獄!? 

 そんなぁ、ひどいよ神様。だって私、地獄に行くような心当たりなんてない……ことはないけど、良いこともたくさんしてきたもん。
 そりゃ清廉潔白とはいかなかったけど、ちょっとぐらいは許してくれてもいいじゃん。それが神の愛ってもんじゃないの?

『ちょっとおなかの中いじくってやろうか。たしか、ここら辺に敏感なところがあったような……』

 うわ、なに!? 急にお腹の深いところになにか入ってきたよ!
 ムカデが這い回ってるみたい!
 チクチクする! 
 気持ち悪い!

『あー! あったあった、これだ! そ~れ、グリグリ~……っと』

 ……!?

『痛っぁ――!』

 ――突然、鋭い痛みが全身を貫いた! 体が反射的に強張ろうとするんだけど、手ごたえが無くって、まるで肉体が無いみたいで! 痛みのあまり叫ぼうにも、口からは隙間風が吹き込むような音が出るばかり! 私、今一体どうなってるの!?

「やぁ、起きた起きた! おーい、見てたかみんな。魔法を使い慣れたやつがここらをいじられるとな、魔力回路が神経と繋がってて、麻酔があってもめっっっちゃくちゃに痛いんだ。後で確認するから、ちゃんと記録しておけよー」

 これまた突然に、聞き覚えのある声。いや、突然では無いのかな? 意識してなかっただけで、もっと前から聞こえてた……のかな? とにかく、声に気づいたのは今で良いんだよ。

 息が詰まる感じは残るけれど、段々と頭が回りだして、漆黒の世界にぼんやりと、紫色の小さな丸い光が二つ、隣り合って浮かび上がるのが見える。これも声と同じように、何となく覚えがある感じ。

 しばらく光を眺めていると、紫の光の外側、まだ黒かった部分が段々と白くなってくる。単に明るいからとかじゃなくて、空間自体が白く塗ってある感じ。これもなんだか馴染みがある。

 聞き覚えのある声と、見覚えのある光に、馴染み深い空間に。間違いない、この声は……

「せんせぇ……、これどういう状況ですかぁ……」

 おなかに力を入れ、なんとか呻くように言葉を紡ぐ。そうすると、これが体の芯の何かに響いたみたい。視界が一気にくっきりして、見慣れた顔が浮き上がる。

 紫色のかわいいおめめに、ハリのある褐色の肌。髪の毛の一本一本は絹糸のように綺麗なのに、手入れされず取っ散らかって、とっても残念。線がしっかりした神経質そうな美人なのに、興味のないことには徹底的に無神経な女性。
 
 間違いない、フレデリカ先生だ。

「バッカおめぇ、どういう状況って聞きたいのは私のほうなんだよ! 朝っぱらから学生共が騒ぎやがってよ! 呼ばれるままにここに来てみれば、ハラのワタが出たバカとご対面! ほんっと、むかっ腹が立ってよ!」

 ひぇ、なんか逆鱗に触れたっぽい!? とりあえず謝るから許して! あ、やめて、目の前で執刀用のナイフを逆手持ちで握りしめるのをやめて! そのままワナワナとふるえないで! 謝るから! 先生! 落ち着いて!

「んむ……いや、分かってるならいいんだ」

 わぁ、急に落ち着かないでよ、びっくりするでしょ。

「いや、すまない。私もけが人相手に大人げなかった。申し訳ない……とにかく、この場に至っては私もプロだ!メアリーちゃんのこの傷、きぃっちりと……」

 そこまで言ったところで、突然黙って一呼吸。喉の動きを見る限り、どうやらツバが詰まったらしい。この若作りのお婆ちゃん、もう少し体を労わればいいのに。
 
「私が! 完璧に! 治してあげるからな!」
 
 はぁ……何事もなかったかのような見事なキメ顔で。それはよろしいのですが、先生、一つお尋ねしたいことが。

「一体、なんでこんなに人が集まってるんですか?」

 どうも寝台に寝かされているらしい私と、今まで処置をしてくれていたらしい先生。この二人を取り巻くように、よく知った白い顔が並んでいる。みな、普段先生のもとで授業を受けている学生たちで、馬鹿そうなやつ、頭の良さそうな奴、真面目そうなやつ、スケベそうなやつ、そういう人たちが、一様に紙と鉛筆を持ってこちらを見ている。

「なんでって、だって今授業中だもん」

 へ、授業? なんの?

「だから、これが授業なんだって。メアリーちゃんが今朝運ばれてきて対応に追われてたから、予定は総崩れ。でも、これはこれでちょうどいいから」

 ちょうどいい? ちょうどいいとは?

「だーかーらー! 今、メアリーちゃんを手術しながら、授業をやってるの! 大丈夫かよ、大分頭の回転が鈍いぞ。頭に血が回ってないのか? 輸血パックは……まだ入ってるな。うん、血は足りてる。じゃあ単に馬鹿なんだな」

 そっか……私、馬鹿だったんだね……。まあ、とにかく、今言われたことで状況は分かった。どうやら私は大けがを負った状態で朝からここに運ばれてきて、先生はその対応に追われていたらしい。で、このままだと普段の授業が出来ないから、急遽予定を変更して、私の手術をしながら授業することにしたと。なるほど納得、合理的。あんしん、あんしん……って、うん?

「先生、今、私のどこを触ってます?」
「んー……、今内臓をお腹に戻して縫い合わせるところ。で、次はその馬鹿になった右手」
「……お腹の前はどこを?」
「お腹の前? 首と胸を治したかな。で、それで意識が戻った」
 
 え、胸? 今胸って言いました? そういえば、胸のあたりがさっきから涼しいような……。これってもしかして……。

「……今って、丸出し?」
「何が?」
「いや、だから、その……」

 て、私の口からそんなこと言えるわけないでしょうが、恥ずかしい! え、てことはここに集まってる人皆に私の丸出しのを見られてたわけ!? いやだー、もう寮に帰りたい……。

「大丈夫ですよ、先輩。ずっと血だらけの中身を見てるんです。今さらガワを見たところで何も感じません」
 
 声をかけてくれたのは、私の気持ちを察したらしい、背の高い真面目そうな男子学生。うー、これはこれで恥ずかしい。あっちのほうが年上とはいえ、後輩に慰められるなんて。今日は私の14年の人生の中で、一番恥ずかしい日かも……。

「うし、お腹終わり! 次は右腕! 次からはメアリーちゃんも見ときなさいよ」
 
 あ、何事もなかったように進めるんですね。いや、でも私が一番欲しかった反応はこれかもしれない。よーし、皆見なかったことにしてくれてるみたいだし、私も気にしないことにしよう。数人明らかにスケベな顔がしている奴がいるけれど、あれは後で蹴り飛ばしてやればいいや。今は無視だ、無視。
 
 フレデリカ先生の言う通り、自分の右腕のほうに目をやってみようとして気づく。そういえば、首は動かないんじゃなかったっけ? いや、でも治してくれたって言ってたよね? 

 下手に質問するとまた罵倒されそうだと思い、右腕を見ようと黙って首に力を入れてみる。すると、簡単に頭が右を向いて拍子抜け。どうやら、首は完全に治ってるみたい。白い天井や先生の顔と入れ替わりに視界に映るのは、寝台に横付けにした木造の台と、その上に置かれた私の右腕。先生方が洗ってくれたのか、右腕はいくらかの切り傷がある以外には綺麗だけど、力を入れてみても全く動かない。

「どうだ、感覚はあるか?」
 先生が私の右腕に爪をしばらく押し付けて、離す。爪の跡がしっかり残っているあたり、それなりに腫れてるみたいだけど、痛みとか、圧迫感とか、そういうのは全くない。

「何の感覚もありません、先生」
「そーか、そーか! よーし、完全にダメになってるな! 私の本領発揮だな!」

 めっちゃ嬉しそうじゃんこの人、私怪我してんのに。いや、私も文句言える立場じゃないけどさ。

 湧きあがった釈然としない思いをかみ殺しているうちに、先生が術式の準備を整えていく。学生から茶色い小箱を受け取り、私の腕の隣に置いて、小箱の中から数十本の銀の針と亜麻の糸束を取り出す。針は2cmほどの短い物、これを束からほどいた亜麻糸に一本ずつ通し、全ての針を通すと、今度は糸の糸束側を先生の左手の五本の指に、複雑な図形を描きながら絡ませていく。

「よし、できたぞ」
 やがてその糸の形に満足したらしい先生は、右手で糸の先っぽの針を掴んで、私に向き直った。

「うーし、それじゃ、針を腕に刺していくからなー。痛くなったら言えよー」
 わかりましたぁ……って、先生! 痛い、さっそく痛いです、先生!

「え、そんな……。そこは麻酔が効いてるから、痛くないはずだ」
 だから痛いっつってんでしょうが!

「そっかぁ……。良かったじゃないか、生きてる証拠だよ」
 それこういう状況で使う言葉じゃなーい!

「うるさいなぁ……、生きてるだけありがたいと思えよな」
 ずるい、それを言われたら何も言えない!

 そんな問答をしているうちも先生は手を止めることなく、あっという間に右腕に全ての針を刺してしまう。確か、この針の刺さった場所一つ一つが、体の勘所なのだ。

「よし、準備完了! みんな、これから起こることをしっかり見ておけよ!」
 先生はそう言うと、自身の左手を見つめながら、口をモゴモゴと動かしだした。

「……来る!」

 先生がそう言うのとどちらが早かったか……右腕と亜麻糸に変化が訪れた。亜麻糸がゆらゆらと揺蕩いだし、右腕の針が刺さった場所から、じんわりと、何か熱い物が円状に広がっていく。針から始まった数十の熱の円はやがて合流し、右腕全体を覆っていく。その状態がしばらく続いた後、今度は右手の指が、私の意思とは関係なく、ピクピクと痙攣を始める。傷跡が脈動し、肉が隆起し、うごめき、傷跡をふさいでいく。

「川の真ん中に大きな石を置いてやると、流れが止まるだろ? でもそれは流れが止まっただけで、水がなくなったわけじゃない。ある程度原型が残っていれば、もう一度流れる道を作ってやれば、後は自然に流れていく。私たちは治そうとする必要はない。ただ、障害になるものを取り除いてやれば、後は体が、あるべき形を覚えている」
 
 そう解説しながらも、先生は左手の指を激しく動かし続けている。ちょうど、人形師が人形を糸で操っている時のようだ。
 
 しばらくその動きを続けた後、先生の左手がピタリと止まった。同時に、私の右手の痙攣も止まる。

「よし、もういいだろう! メアリーちゃんや、ちょっと右腕に力を入れてみろ!」

 はーい。それじゃあ右手に力を入れて……と意識するまでもなく、拍子抜けするほど簡単に右手の指が曲がり、げんこつの形を作る。そのまま今度はこぶしを開いて指を伸ばし、また指を曲げてげんこつ。この動きの繰り返しに、一切の滞りはない。

「どうだ、調子は?」
「流石です、先生。ばっちりです」

 湧きあがるままに、感嘆の言葉を述べる。

「よしよし、右腕もオーケーだな、後は……確か左足がおかしかったか……。面倒だな」

 そう呟いてから、先生はくるりと学生たちのほうに向きなおった。

「よーし、お前ら! 授業は終わりだ! 解散!」
 
 え、終わり? まだ私治ってないんでしょ? この先生の言葉には学生たちも「えー!」と迫真の抗議の声。そうですよ先生、最後までやってくださいよ、お願いですから。

「えー、じゃない。もう終わり! 左足も右腕と何も変わらないから、ちゃんと理屈が分かってれば同じこと、わざわざ見せる必要なし! ほら、ここは私の部屋だ、用のない者は出ていけー!」

 そう言うと先生は、手をほうきのような形にして、シッシッと学生たちを部屋の奥の引き戸から追い出してしまった。ちょっと、それは横暴が過ぎるんじゃないの?

「お前たちがどう思うかなんて知らないよ。こっちも疲れてんだから」

 あ、そーだった。そうだよね。先生にも本来の用事があるのに、朝から世話してくれてたんだよね。まずはそこにお礼を言うべきだったよね。

「ありがとうございます、先生」
「なぜ礼を言う? ただの仕事だ。金の分働いてるだけなんだから、お礼を言われる筋合いはない」

 くぅ~、面倒くさい奴!

「いいもん、勝手に感謝しとくもん」
 私はそう言って、寝台に大げさに、まだ動かない左足以外の三肢を投げ出してやった。

「ん~……。愛弟子にそう言われると、悪い気はしないな」

 あ、デレた、かわいい。デレついでに、そろそろ私の左足治してくれません? 

「あぁん? 自分でやれよ、道具はあるんだから。後さ、左足が動かなくても上体を起こすくらいは出来るだろ。堂々と大の字で寝やがって。人と話す態度か? それが」

 先生はそう言うと、私の右手に道具を押し付けた。そして私の足の側の向こうに置かれた丸形椅子に向かって歩き、どっかりと座って、そのままうなだれてしまった。どうも、相当に疲れているらしい。ごめんね、本当に迷惑だったみたいだね。

 言われた通り自分の左足を自分で治そうと、上体を起こし、先生がさっきやったように準備をしていく。そうやっているうちに、突然、先生が顔を上げた。

「で、だ。なんでこんなことになったんだ?」

 そう言う先生の顔には、先ほどまでのけだるい様子は全くなかった。やんちゃした幼い子供に母親が向き合うように、けわしくも優しい顔で私の目を見ていた。それは、まだ世界を知らない子供が無条件に自分の身を預けられる、揺るぎない教育者の目だった。
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