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波、泡となりて①
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根屋の果ての隠れ岩、うちよせる波は砕け
やがて玻璃の珠のごとき泡となる―――
一、
師走の南風が荒れる晩冬のはじめ。
めずらしく業務が手隙になり、上天妃での講義が休みであった己煥は、手習いを強請る息子の面倒を見ながら手持ち無沙汰な時間を埋めていた。探せばほかにやるべきこともあるのだろうが、心にかかることがあるとやはり落ち着かず、己の読書に精を出す気にもなれない。ちょうど近所に住む朝明の息子が母親―――つまり離縁した朝明の元妻である―――を伴って屋敷を訪れていたため、離れで茶に興じる妻たちにかわりってしばらくのあいだ世話をすることになった。
気まぐれに選んだ子路の問いを示し、諳んじずとも前より上手く唐読できれば菓子代をやるといえば、思徳良と基燿はふたりとも勢いよく声を張る。
「切切偲偲怡怡如也、可謂・・・・・・士矣」
「朋、友、切切、偲偲……兄、弟、怡怡……?」
幼いわりに利発な基燿ではあるが、やはり四書などをなぞらせてみると思徳良のほうが年上らしく滑らかに音を発する。読み終えた基燿の口はわかりやすくへの字を作っていた。
「ま、まえよりは、上手く読めていたでしょう?父上?」
「ああ、上等だ」
「ほんとうに?うそは言わないでください!」
褒めるとかえってますます頬を膨らませる。まだ五つなのだし、そういう年頃なのだろうが困ったもので、己に似て細く吊った目元はさらに角を立てていた。
「嘘じゃないよ、燿小。僕はそろそろ追いこされてしまうかもしれないね」
「う、うそつきだ徳良兄まで…すでにお城で働いているくせに!」
元服前にもかかわらず思徳良がすでに花当として城に出仕していることを知っている基燿は、生まれの後先は仕方がないことだとわかってはいても、どうにも面白くなかった。しかし、饅頭を買いにいこうと思徳良になだめられると、口惜しさと菓子欲しさが胸のなかでせめぎあう。
「ねえ己煥様、父上のご容態はいかがでしょうか?」
この調子だと菓子を買いに出かけるのはもう少し先になりそうだと踏んだ思徳良は、横で悶々としている基燿に悟られぬようにこっそりと己煥へ尋ねた。
「あぁ、床に伏してはいるものの、気はしっかりしているそうだ」
日頃は朗らかでおっとりしている思徳良だが、さすがに父親が危篤であるらしいと聞かされていては不安を感じずにはおれなかったのだろう。
「さようですか?安心いたしました!母上からは、いくばくももたないと聞きおよんでおりましたので……」
大層な言われようである。
雨が降り続く夜分遅く、朝明が抱える使用人の阿加房が差し迫った様子で己煥の屋敷の戸を叩いたのは三日前であり、それは朝明と聡伴とともに会読という名の夕餉の集いを催した晩のことであった。
知らせを受けたあと、家の使用人に平等所の夜廻り番を呼びつけるよう言付け、灯りを携えて阿加房のあとを追い、唐栄からほど近い四町のはずれに辿り着くと、着物を朱く染めて事切れたかのごとく微動だにしない朝明が横たわっていた。その脇には雨と血にすっかり着物を浸した聡伴がへたり込み、地面には雨脚が弱まったせいで流れきれなかった血が溜まっている。
慌てて着物の袖口で顔の鼻から下を覆うが、あたりに漂う嗅ぎなれない臭いが、吸い込んだ息とともに口の中に充満して咽てしまう。
―――鉄の味だ。
ふたりが差していたであろう傘はところどころ紙が破れ、血溜まりから少し離れた路肩にそれぞれ転がっていた。
「じ、・・・・・・己煥様!」
この惨憺たる状況を目にした己煥は、潮が引くように頭から爪先までもを駆け巡る血のすべてが冷やされ、力が抜けそうになる足腰を必死で地に縛りつけた。
「斬られた……のか?」
腑の底からせり上がるものをどうにか抑えながら問うと、顔を青くした聡伴は小さく頷いた。
「最初に刀を向けられたのは私で・・・・・・」
視界が悪い夜雨のなか、水を蹴ってこちらへ駆けてくる音にうしろを振り返ったときには、すでに刀の切っ先は聡伴の喉元に向かっていた。間一髪のところを襟首を掴まれて路肩に放り投げられたが、聡伴を投げた朝明本人は襲い掛かってきた相手に素手で応戦した結果、今に至る。
「旦那様にはもう少し武芸を嗜んでいただかねばなりませんね」
先の偉人が唱えた士が嗜むべき十二の芸とやらに、乗馬は数えられているものの武道はあえて含まれていない。なんといっても、今のこの国に武官の職は設けられていないのだ。
―――祭事に用いる武具の手入れを担う役人を、武官と呼ぶのなら話は別だが。
この国で武術が衰えて七十年以上経つ。
かつて王府に仕える官吏は文と武を兼ね務め、高官ともなると五百以上の弓や銃を有していた。しかし、常に千以上の数を備え置き、ときには三千以上を率いたこの国の軍は、朝明らが生まれる数十年以上前の侵攻を以ってあっけなく解体されている。文官である士族は刀を担いで歩き回ることなどなく、平等所が目を光らせている城下やこの四町に至っては棒ですら佩いで歩くことすら憚られる。
士族のなかにも清や薩州に渡り武術を学ぶ者や王族の警護を担う者たちは少なからず存在するが、武官の職がない以上、流行りの嗜みとは言い難い。
「官吏が強くならないといけないような治安のほうが問題なんですよぉ・・・・・・」
流した血のわりに傷が浅いようであると容態を確かめた阿加房から教えられると、自ずと聡伴の減らず口もいつもの調子に戻ってくる。
「唐栄や四町に下りる夜はたいてい郭所を寝床にしていらっしゃいますから、下手なことをされないよういつも様子をうかがいに参るんですがね、するとこれですよ」
「……君、夜歩きをする主人のうしろを毎度毎度追っているのか?」
「さすがに四六時中見守るのは無理がございますが。まあ、できるだけ」
阿加房は体格の良いその背に軽々と朝明を背負い上げ、伝手のある四町の医者へこれから診せに行くのだと言った。
「朝明様は過去に宜しからざることでもお抱えで?」
「それは旦那様の聞こえのために黙秘させていただきます」
このあと、夜分から叩き起こされた才ある医者の手厚い治療により一命を取り留めた朝明は、すっかり床の住人と化しているのであった―――。
「―――うえ、父上、ねぇ、父上!」
「・・・・・・おや、基燿。菓子を買ってくる気になったかい?」
いつのまにか機嫌を直したらしい基燿がさっそく思徳良と饅頭を買いに行くと言い出したので、駄賃をやり使用人をつけて外へ送る。出かけ際、思徳良はもう一度、朝明の容態を問うた。
「己煥様、父上は、またお元気になられて思徳良のところへ遊びにいらしてくれますよね?」
「ああ。あと数日もすれば、いつも通りお前にたくさん土産を持ってくるに違いないよ」
「そうだよ、徳良兄。わたしの唐読が上手くなるより早く、床から起き上がってくるにちがいないんだから……」
思徳良はいつもより少しばかり五指に力を込めて基燿の手を引き、歩みに合わせて大袈裟に振ってやった。
「だったら、父上が元気になるまでにたくさん練習して上手になって、吃驚させてみようか」
「おもしろいこというね、徳良兄。もちろん徳良兄が教えてくれるんだろう?」
たったの数日しかないんだから、と基燿は思徳良を見上げて悪戯な顔で笑った。
「はは、まかせてよ、燿小。饅頭を食べる暇があるといいけど」
己の頭一つぶんほど下にある基燿の顔を、わざと腰を屈めるようにして覗き込む。
「食べながら読めばいいだろう!」
「行儀が悪いしそんなことでは上達しないよ、燿小」
「うるさいな」
思徳良の手を引っ張り小走りになりながら先を急かす基燿にやや遅れて、思徳良は少し歩幅を広げながらもゆっくりと足を動かす。思徳良の手を引っ張り小走りになりながら先を急かす基燿にやや遅れて、思徳良は少し歩幅を広げながらもゆっくりと足を動かす。鮮やかに染められた振袖を風にはためかせながら駆けていく可憐な様は、かつての己と朝明の若衆の頃を、己煥に思い出させた。
「どちらも意地と存分があって楽しみだ。そう思わないかね、己煥殿」
ふたりが使用人とともに街へ入っていくのを見届けた己煥が屋敷のなかへ戻ろうとしたそのとき、長い白髭を蓄えた御仁に声を掛けられる。そのうしろには、ひとり、付き人と思わしき二才が控えていた。
「いらっしゃったっていたのなら、もっと早くお声かけいただければ良かったものの……」
「父と子の穏やかな時間の邪魔するのはさすがに憚られてね」
「それは……お心遣いに感謝いたします」
来客は朝明の上役―――越来親方であった。政務をともにすることもなく屋敷もまったく離れているが、城の催事や朝明を通した付き合いのなか、そう多くはないが何度か顔を合わせている。三平等からこの唐栄まで下ってきたということは、よほどの暇を持て余しているのか、それとも―――あの話か。
「まさか、六人目とはねぇ」
「お待たせしてしまい大変申し訳ございませんが、魏徳賢 朝明は生きております」
ふたりを客間に通し、着座して礼と詫びを述べると、さっそく朝明の話題となる。
「左様、まだ死んではおらんようだね」
無論、死なれては困るよ、と豊満な髭束をふるわせて笑った。
「なんせこの時期だよ。一時臥せっていられるだけでもこちらはかなり困っていてね」
そうそう、と思い出したように続けるその様に、己煥はなんとなく肩のあたりに気怠さを感じはじめ、思わず少しばかり眉間の幅を狭めてしまう。折角の休日に政の取り合いをするのは大層面倒である。
「頼みごとがあるんだよ」
「何用でございましょうか?」
「なぁに、そんな堅くならずに。大逸れた話じゃあないから」
わざわざ城の高官が訪ねてくるなど、並みの士の屋敷であればそれだけで大事だ。
薄っすらと億劫だという態が顔に出ている己煥を面白がるように続ける。
「ちょっと今晩、御遣いを頼まれてくれないかな」
やがて玻璃の珠のごとき泡となる―――
一、
師走の南風が荒れる晩冬のはじめ。
めずらしく業務が手隙になり、上天妃での講義が休みであった己煥は、手習いを強請る息子の面倒を見ながら手持ち無沙汰な時間を埋めていた。探せばほかにやるべきこともあるのだろうが、心にかかることがあるとやはり落ち着かず、己の読書に精を出す気にもなれない。ちょうど近所に住む朝明の息子が母親―――つまり離縁した朝明の元妻である―――を伴って屋敷を訪れていたため、離れで茶に興じる妻たちにかわりってしばらくのあいだ世話をすることになった。
気まぐれに選んだ子路の問いを示し、諳んじずとも前より上手く唐読できれば菓子代をやるといえば、思徳良と基燿はふたりとも勢いよく声を張る。
「切切偲偲怡怡如也、可謂・・・・・・士矣」
「朋、友、切切、偲偲……兄、弟、怡怡……?」
幼いわりに利発な基燿ではあるが、やはり四書などをなぞらせてみると思徳良のほうが年上らしく滑らかに音を発する。読み終えた基燿の口はわかりやすくへの字を作っていた。
「ま、まえよりは、上手く読めていたでしょう?父上?」
「ああ、上等だ」
「ほんとうに?うそは言わないでください!」
褒めるとかえってますます頬を膨らませる。まだ五つなのだし、そういう年頃なのだろうが困ったもので、己に似て細く吊った目元はさらに角を立てていた。
「嘘じゃないよ、燿小。僕はそろそろ追いこされてしまうかもしれないね」
「う、うそつきだ徳良兄まで…すでにお城で働いているくせに!」
元服前にもかかわらず思徳良がすでに花当として城に出仕していることを知っている基燿は、生まれの後先は仕方がないことだとわかってはいても、どうにも面白くなかった。しかし、饅頭を買いにいこうと思徳良になだめられると、口惜しさと菓子欲しさが胸のなかでせめぎあう。
「ねえ己煥様、父上のご容態はいかがでしょうか?」
この調子だと菓子を買いに出かけるのはもう少し先になりそうだと踏んだ思徳良は、横で悶々としている基燿に悟られぬようにこっそりと己煥へ尋ねた。
「あぁ、床に伏してはいるものの、気はしっかりしているそうだ」
日頃は朗らかでおっとりしている思徳良だが、さすがに父親が危篤であるらしいと聞かされていては不安を感じずにはおれなかったのだろう。
「さようですか?安心いたしました!母上からは、いくばくももたないと聞きおよんでおりましたので……」
大層な言われようである。
雨が降り続く夜分遅く、朝明が抱える使用人の阿加房が差し迫った様子で己煥の屋敷の戸を叩いたのは三日前であり、それは朝明と聡伴とともに会読という名の夕餉の集いを催した晩のことであった。
知らせを受けたあと、家の使用人に平等所の夜廻り番を呼びつけるよう言付け、灯りを携えて阿加房のあとを追い、唐栄からほど近い四町のはずれに辿り着くと、着物を朱く染めて事切れたかのごとく微動だにしない朝明が横たわっていた。その脇には雨と血にすっかり着物を浸した聡伴がへたり込み、地面には雨脚が弱まったせいで流れきれなかった血が溜まっている。
慌てて着物の袖口で顔の鼻から下を覆うが、あたりに漂う嗅ぎなれない臭いが、吸い込んだ息とともに口の中に充満して咽てしまう。
―――鉄の味だ。
ふたりが差していたであろう傘はところどころ紙が破れ、血溜まりから少し離れた路肩にそれぞれ転がっていた。
「じ、・・・・・・己煥様!」
この惨憺たる状況を目にした己煥は、潮が引くように頭から爪先までもを駆け巡る血のすべてが冷やされ、力が抜けそうになる足腰を必死で地に縛りつけた。
「斬られた……のか?」
腑の底からせり上がるものをどうにか抑えながら問うと、顔を青くした聡伴は小さく頷いた。
「最初に刀を向けられたのは私で・・・・・・」
視界が悪い夜雨のなか、水を蹴ってこちらへ駆けてくる音にうしろを振り返ったときには、すでに刀の切っ先は聡伴の喉元に向かっていた。間一髪のところを襟首を掴まれて路肩に放り投げられたが、聡伴を投げた朝明本人は襲い掛かってきた相手に素手で応戦した結果、今に至る。
「旦那様にはもう少し武芸を嗜んでいただかねばなりませんね」
先の偉人が唱えた士が嗜むべき十二の芸とやらに、乗馬は数えられているものの武道はあえて含まれていない。なんといっても、今のこの国に武官の職は設けられていないのだ。
―――祭事に用いる武具の手入れを担う役人を、武官と呼ぶのなら話は別だが。
この国で武術が衰えて七十年以上経つ。
かつて王府に仕える官吏は文と武を兼ね務め、高官ともなると五百以上の弓や銃を有していた。しかし、常に千以上の数を備え置き、ときには三千以上を率いたこの国の軍は、朝明らが生まれる数十年以上前の侵攻を以ってあっけなく解体されている。文官である士族は刀を担いで歩き回ることなどなく、平等所が目を光らせている城下やこの四町に至っては棒ですら佩いで歩くことすら憚られる。
士族のなかにも清や薩州に渡り武術を学ぶ者や王族の警護を担う者たちは少なからず存在するが、武官の職がない以上、流行りの嗜みとは言い難い。
「官吏が強くならないといけないような治安のほうが問題なんですよぉ・・・・・・」
流した血のわりに傷が浅いようであると容態を確かめた阿加房から教えられると、自ずと聡伴の減らず口もいつもの調子に戻ってくる。
「唐栄や四町に下りる夜はたいてい郭所を寝床にしていらっしゃいますから、下手なことをされないよういつも様子をうかがいに参るんですがね、するとこれですよ」
「……君、夜歩きをする主人のうしろを毎度毎度追っているのか?」
「さすがに四六時中見守るのは無理がございますが。まあ、できるだけ」
阿加房は体格の良いその背に軽々と朝明を背負い上げ、伝手のある四町の医者へこれから診せに行くのだと言った。
「朝明様は過去に宜しからざることでもお抱えで?」
「それは旦那様の聞こえのために黙秘させていただきます」
このあと、夜分から叩き起こされた才ある医者の手厚い治療により一命を取り留めた朝明は、すっかり床の住人と化しているのであった―――。
「―――うえ、父上、ねぇ、父上!」
「・・・・・・おや、基燿。菓子を買ってくる気になったかい?」
いつのまにか機嫌を直したらしい基燿がさっそく思徳良と饅頭を買いに行くと言い出したので、駄賃をやり使用人をつけて外へ送る。出かけ際、思徳良はもう一度、朝明の容態を問うた。
「己煥様、父上は、またお元気になられて思徳良のところへ遊びにいらしてくれますよね?」
「ああ。あと数日もすれば、いつも通りお前にたくさん土産を持ってくるに違いないよ」
「そうだよ、徳良兄。わたしの唐読が上手くなるより早く、床から起き上がってくるにちがいないんだから……」
思徳良はいつもより少しばかり五指に力を込めて基燿の手を引き、歩みに合わせて大袈裟に振ってやった。
「だったら、父上が元気になるまでにたくさん練習して上手になって、吃驚させてみようか」
「おもしろいこというね、徳良兄。もちろん徳良兄が教えてくれるんだろう?」
たったの数日しかないんだから、と基燿は思徳良を見上げて悪戯な顔で笑った。
「はは、まかせてよ、燿小。饅頭を食べる暇があるといいけど」
己の頭一つぶんほど下にある基燿の顔を、わざと腰を屈めるようにして覗き込む。
「食べながら読めばいいだろう!」
「行儀が悪いしそんなことでは上達しないよ、燿小」
「うるさいな」
思徳良の手を引っ張り小走りになりながら先を急かす基燿にやや遅れて、思徳良は少し歩幅を広げながらもゆっくりと足を動かす。思徳良の手を引っ張り小走りになりながら先を急かす基燿にやや遅れて、思徳良は少し歩幅を広げながらもゆっくりと足を動かす。鮮やかに染められた振袖を風にはためかせながら駆けていく可憐な様は、かつての己と朝明の若衆の頃を、己煥に思い出させた。
「どちらも意地と存分があって楽しみだ。そう思わないかね、己煥殿」
ふたりが使用人とともに街へ入っていくのを見届けた己煥が屋敷のなかへ戻ろうとしたそのとき、長い白髭を蓄えた御仁に声を掛けられる。そのうしろには、ひとり、付き人と思わしき二才が控えていた。
「いらっしゃったっていたのなら、もっと早くお声かけいただければ良かったものの……」
「父と子の穏やかな時間の邪魔するのはさすがに憚られてね」
「それは……お心遣いに感謝いたします」
来客は朝明の上役―――越来親方であった。政務をともにすることもなく屋敷もまったく離れているが、城の催事や朝明を通した付き合いのなか、そう多くはないが何度か顔を合わせている。三平等からこの唐栄まで下ってきたということは、よほどの暇を持て余しているのか、それとも―――あの話か。
「まさか、六人目とはねぇ」
「お待たせしてしまい大変申し訳ございませんが、魏徳賢 朝明は生きております」
ふたりを客間に通し、着座して礼と詫びを述べると、さっそく朝明の話題となる。
「左様、まだ死んではおらんようだね」
無論、死なれては困るよ、と豊満な髭束をふるわせて笑った。
「なんせこの時期だよ。一時臥せっていられるだけでもこちらはかなり困っていてね」
そうそう、と思い出したように続けるその様に、己煥はなんとなく肩のあたりに気怠さを感じはじめ、思わず少しばかり眉間の幅を狭めてしまう。折角の休日に政の取り合いをするのは大層面倒である。
「頼みごとがあるんだよ」
「何用でございましょうか?」
「なぁに、そんな堅くならずに。大逸れた話じゃあないから」
わざわざ城の高官が訪ねてくるなど、並みの士の屋敷であればそれだけで大事だ。
薄っすらと億劫だという態が顔に出ている己煥を面白がるように続ける。
「ちょっと今晩、御遣いを頼まれてくれないかな」
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