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珠玉の友④

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四、

「えぇっと……林宗信リンソウシン―――名我山ながやま筑登之ちくどぅん殿、何か良い薬をお持ちではないですか?たとえば酔い止めのような、気付けのようなものでも」

 福州から出帆した翌日、宗信に声をかけてきたのは梅氏バイうじ永波間はざま筑登之ちくどぅん親雲上ぺーちん聡伴ソウハン―――今は里之子さとぬし親雲上ぺーちんへ出世している―――であった。同じ船に乗っているとはいえ、宗信のような買い物役と行動をともにしていた従人と、事務や秘書方として動いていた筆者である聡伴ではほとんど関わり合いを持つことなく帰帆に至っていた。

「なぜ私に?」
「名我山殿は北京において内々でいろいろとお買い求めになられていたと聞き及び……通事つうじの紅己煥様が体調を崩されておりまして」

 紅己煥―――宗信と同じ唐栄の士族だ。もっとも、同じといえども、宗信の場合は林氏の養子で、いっぽうあちらは家格に恵まれ幼少より学と才に秀でた生粋の良人であるが。

「恐れながら、内々とはいえこちらも事情がございます。おいそれと分け与えるわけにはいきません」
「おいくらで?」

 まったく、銀子を出せばなんでも手に入ると思っているのか。これだから四町の人間は。
 身体を崩した紅己煥は気の毒だが、船に乗る以上は体への負荷というのは誰しも同じことであり、耐えるほかないだろう。

「いくらであっても差し控えさせていただきたく存じます」
「いやぁ、そこをなんとか……あの、帰帆したあとでも異国経由で流れてくる薬とか、代りにお渡しいたしますよ?」
「やみくもに買い付けたのではなく薬を飲ませたい者のために選びに選んだものですので」

 そのへんのありきたりな薬に替えられては意味がない。

「左様でございますか……それは致し方ありません」

 手間を取らせましたね、と聡伴は残念そうに眉を下げて一礼し、去っていった。

 このあとのことである。
 宗信が船室に持ち込んだ行李こうりが荒らされ、なぜか船底の積荷のなかに紛れ込んだ大切な「仙肉」は、すっかり残り一切れとなってしまっていた。


 あれから半年。

 文字通り切るに切れず、仕方なくまな板から小箱へ戻した一片の肉。
 塩に漬けることもなく放っておいたにもかかわらず、「仙肉」は相も変わらず美しい光沢をおび、食指を動かすような芳香を漂わせている。

 宗信は蓋をした小箱を抱え、火をくべていないかまどにもたれかかり腰を下ろして両足を放り出した。
 帰帆したばかりの夏は「仙肉」以外に持ち帰った薬で母と妹の体調も落ち着いていたが、ちょうどそれらが底を尽きる頃に冬がやってきてしまった。脆い体が寒さと冷えに耐え切れるわけがなく、この二月ふたつきばかり、宗信は仕事の合間を見ては二人の世話をするためにこの実家を訪れていた。
 随分な繁多はんたに疲れた頭を少しでも休ませようと目を閉じたが、昨晩、兄が狂ったように刀を振り回していた姿が頭によみがえり、落ち着かない。

武樽ンダルー?」

 床から起き上がってきた母親が宗信に気づき、板間の上から声がかかる。
 土間の台所にだらしなく体を投げ出している己の格好に気づき、慌てて体を起こす。隠すように箱を己のかかとのうしろに置き、立ち上がって着物の裾についた埃を払った。

「母上……お加減は?」
「気にすることはないよ。それより、アンタのほうが不摂生なんじゃないのかい?」

 母親―――実母は、隈をたたえた宗信の顔を覗き込み怪訝な顔をする。もしかすると、昨晩、兄に詰められていた様子も聞かれていたのかもしれない。

「そんなことありません。仕事が……少々忙しいだけで」
「嘘言うんじゃないよ」

 宗信のあからさまな言い訳に、母は呆れ顔で溜息をつく。

「武樽、アンタの気持ちは嬉しいよ」

 仕事以外の人付き合いが薄い宗信の童名わらびなを呼ぶのは今や母と妹だけで、不意に、とくに母親にそう呼ばれると、なぜか情も嘘も隠しがたくなる。

「わざわざ、こんなにもたくさんの薬を、海の向こうからもって帰ってきてくれた」

 板間の端に腰かけた母が、宗信を見上げる。
 五十を過ぎた母の背中は、とても小さく丸く見えた。

「けれども、アンタはアタシらのことより、もっと自分を大切にしなさいな」

 かつては黒々と艶やかに結い上げられていた豊かな髪は、今では薄墨のように色が抜けて乾ききり、頭のうしろで低く素味そみまとめられている。

「せっかく林氏の子になったのだから」

 宗信は土間に立ったまま、じっと俯いて母の言うことを聞いていた。


 布団に戻ろうとする母の腕を支えて立たせて寝床へ連れていったあと、土間へ戻り竈のそばに放っておいた小箱を拾い上げる。
 蓋を取ると、さんざん見飽きた美しい肉切れがこちらを見つめていた。

 薬を買い付けてきたのは、決して兄に言いつけられたからではない。
 己の股肉を割いて与えることができれば、どんなに良かっただろうか。

「梅永繁……」

 彼が盗みを働くような人間であるとは聞いたことがないが、如何せん、時宜じぎが良すぎるのだ。

 本来、あの箱に入っていた四切れすべてが手元になくたって良かったのだ。欲張りすぎた罰なのかもしれないが、せめて母と妹のぶんだけはこの手に取り戻したかった。

「もう、口に入れてしまったのだろうか?」

 もし、梅永繁が肉を盗ったのなら、一枚目はすぐさま紅己煥に食わせただろう。そして彼があの肉を三切れも口に入れるような欲深い者でなければ……

「あとの二切れは」

 己の股肉を割けば母や妹は悲しむだろうが、それにを手に入れることはできる。

 肉を入れている小箱のなかから、水が跳ねるような音が、聞こえた気がした。

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