夜に咲く花

増黒 豊

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最終章 夜に咲く花

最後の戦いへ

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 箱館山で敵を撃退したあと。夜更け、土方は、本営へと呼ばれた。その夜、幹部や首脳陣のみ集まり、杯を交わすと言っていたのだが、土方は行かなかった。
 市村を見送ったあと、そのまま、新撰隊と共にいた。箱館山に上ろうとする敵が構築しようとしていた陣を襲い、散々に打ち破っている。
 土方の直接指揮である。隊士は、いつも以上に奮戦した。京にいた頃は、鬼の副長と呼ばれ、隊士達はいつも土方の眼を恐れ、そのぶん、近藤や山南を慕った。新撰組を大きくするためには必要なことで、土方はそのためにならば鬼にも羅刹にもなれた。しかし近藤は死に、主だった幹部も死ぬか離れるかして、土方は、自分の戦いを始めた。その頃からだろうか。隊士の間に交わり酒を酌み交わしたり、気安く声をかけ冗談を言ったりするようになったのは。ほんとうは、優しい男なのだ。京にいた頃も、隊士一人一人の名や流派はもちろん、生まれた国、家族構成、果ては食い物の好き嫌いまで全て記憶していた。鬼の副長が、自分の全てを記憶していると思えば、隊士は大いに恐れる。しかし、今、隊士を鼓舞し、気遣い、庇い、自ら先頭に立ち戦う土方は、母のように慕われていた。そのような指揮官が、たとえば、ある隊士が望郷の念に駆られ、人知れず涙を流しているところへそっと近付き、
「田舎のお袋さんも、この星を見ているさ」
 と言い、酒の椀を差し出し、
「妹の嫁ぎ先は、もう決まった頃かな。きっと、良い縁なんだろう。お前も、頑張らないとな」
 と笑いかけられたりしたら、もう、この上官のために死んでやるしかない、と思うものである。
 古来、士は己を知るもののために死すべしという言葉がある。土方は、指揮官としては、稀有なほどに適していると言っていい。心を曲げず、殺さず、ありのままの自分を見せていれば、隊士はひとりでに勇奮し、心を一つにして戦うものだ。それが、土方歳三という男なのだろう。
「奉行」
 久二郎が、駆け寄ってくる。敵は既に構築中の拠点を放棄し、逃げ去っている。
「いや、ここでは副長だ」
 土方は、にやりと笑った。
「皆、よく戦った。それでこそ、新撰組だ。あとは、綾瀬隊長の指示に従うこと」
 新撰隊の隊長は、久二郎である。それを、自らの出現により、崩したりはしない。直接指揮は執ったが、あくまで、本部から元副長が加勢に来たという形を崩さない。隊士たちも、土方のその心配りをよく理解している。
「傷を受けた者はいるか。小さな傷でも、まず手当てをしろ。敵の武器、弾薬たまぐすりなど、使えるものは、積めるだけ積め。島田、五人選び、南の道に気を配れ。山野、七人で、北の道だ」
 久二郎が弾を再装填し、銃剣を外しながら、的確に指示をする。皆、声を上げ、それぞれの作業に取りかかった。
「おい、綾瀬」
 土方が、あごで指した先を見ると、樽があった。
「酒樽?なぜ、このようなところに」
「どうせ、酒飲みの薩摩の連中だろう」
 久二郎は、もう酒樽から興味を失った。
蟻通ありどおし
 土方は、京以来の同志の一人に声をかけた。
「あの樽も、荷車に積んでおけ」
「はっ。あの酒樽を、積みます」
 蟻通も、京にいた頃は平隊士として目立たぬ存在であったが、直立し、命令を復唱する姿は、立派な軍人である。
 箱館山を降り、帰営し、敵の酒を飲んだ。皆、土や泥で汚れているが、眼の光は強い。談笑の声と、歌と。
 それを、久二郎と土方は、眼を細め、見ている。
「土方君。探したぞ」
 大鳥である。
「なんです、大鳥さん」
「どこに行っていたのだ」
「どこって。戦いさ」
「なに」
「裏の箱館山に、敵が出た。今、叩いて、戻ったところだ」
「そんな情報は、こちらには来ていない」
「その前に、対処した」
「勝手なことをしてもらっては、困る」
 土方の眼の色が、少し変わった。
「奪い返した木古内を勝手に捨て、矢不来に勝手に陣を敷いたあんたが、それを言うかね」
 大鳥は、青筋を立てた。
「とにかく、総裁の居室へ。急ぐのだ」
 土方は、大鳥が嫌いなわけではない。その頭脳も経歴も認めている。しかし、なんとなく、嫌味を言って、やり込めたくなるのだ。そういう子供っぽさを隠そうとはしない。
 土方は、榎本の居室に入った。昔の通り、扉の前で膝をついて名乗りそうになったが、新しい習慣を思い出して、立ったまま扉打ノックをし、土方です、と言ってから、扉を開けた。
「土方君」
 榎本は、憔悴しきった顔をしていた。それを見て、土方は、いよいよ決戦か。と察した。
「ここまで来たが、どうにもいけない。私は、間違っていたのだろうか」
 榎本は両手を組み、そこに顎を置いた。
「なにがいけなかったのだろうか、土方君」
 土方は、この最高指揮官を、憐れに思った。順風のときは大風呂敷を広げ、豪快に笑い、些事に囚われない。しかし、逆風になればどうであろうか。一気に消沈し、気弱になってしまう。近藤も、そういうところがあった。
「総裁がそんな風で、どうするのだ」
 土方は、慈しむような眼で、榎本を見た。
「総裁、か」
 榎本の笑いに、自嘲の響きがある。
「土方君。君に、伝えておかなければならないことがある。今夜、君を待っていたのだが、君は戦いに出ていたというから、こうして、来てもらったのだ」
 榎本は、本題を切り出した。
「伺おう」
「我らは、降る」
「くだる、とは、南の戦線を広げるということか。確かに、箱館山が気になる。今夜退けたとはいえ、あそこから砲撃されれば、街は終わりだからな」
「違うのだ、土方君」
 今度は、榎本の眼に、憐れみが浮かんだ。
「降伏するのだ。我らは」
「降伏だと」
「そうだ。もはや、戦いは決した。これ以上戦っても、意味がない。我らの国は、終わったのだ」
「馬鹿な」
「いや、本気だ。君たちを、死なせたくはないのだ」
 土方は、答えない。
「私は、君たちが、とても好きだ。だから、生きてほしい」
 久二郎が市村に抱いたような、土方が久二郎に抱いたような気持ちを、榎本は、蝦夷の国の者として共に戦った全ての人間に対して、抱いていた。それを、土方は感じた。だから、何も言えなかった。
「俺は、戦う」
 からからになった喉で、それだけを、言った。
「なに」
「これは、あんただけの戦いではない。俺の戦いでもあるのだ」
「勝手は許さん」
「許されようが許されまいが、俺は、戦う」
「土方君」
「俺を罰するか。あんたに、できるかな」
 市村に渡した和泉守兼定の代わりに佩いている、違う刀を抜いた。
 榎本は、ため息をついた。
「君は、妙な男だ」
「あんたもな。今になって、降伏など」
「なぜ、そこまでして戦う。なんのために」
 土方は、白刃を握りしめたまま、即座に答えた。
「示すためさ」
 榎本は、何を、と聞こうとして、やめた。たぶん、自分には理解ができないものを、土方が示そうとしているのが分かったからだ。
「いつ、降るのだ」
「具体的な日取りは、決めていない。しかし、数日のうちだ」
「総裁」
 土方は、刀を納めた。
「あんたも、ここまで来たのだ。やるだけ、やってみろよ」
「ここまで来たのだ。できることは、もうない」
「俺たちが、池田屋に入ったときは、七人だった。敵は、二十人を越えていた」
「土方君。昔の話は、やめたまえ」
「いいや、やめぬ。それでも、俺達は勝った。鳥羽伏見では負けた。甲府でも、宇都宮でも、会津でも、海でも。しかし、松前では勝った。二股口でも勝った。今夜も、勝った」
「何が、言いたい」
「勝つか負けるか、戦いが終わってからでないと、分からぬ」
 榎本は、吹き出した。
「子供のようなことを言う」
「悪いか」
「いいや、嫌いじゃない」
「ここに、俺たちの国を作ると息巻いていたのは、どこのどいつだ」
「違いない」
「捨てるのか、それを」
 榎本は、答えることはできない。
「死ぬかもしれぬ。しかし、それは、その当人の問題だ。誰もが、流されることなく、己の信ずるところに従って、生きることができる。ここは、そういう国ではなかったか」
 土方の軍靴の音が、響いた。
「俺は、ゆく。あんたは、降伏したければするがいい。しかし、あんたは、見なければならない。この国の行く末を。そこに生きる者の行く末を。それを終えてから、降伏することだ。今投げ出せば、あんたも、ここにいる皆も、死ぬのと同じことだ」
 言い残して、土方は退室した。

 その頃、新政府軍は破られたばかりの箱館山の裏手に船をひそかに付け、夜を徹して山越えをしていた。翌十一日の朝には山頂に陣を敷き、砲撃を始めた。さらに同時に四方八方から、四千を越える新政府軍が箱館の街に総攻撃をかけてきた。
 大鳥も自ら大砲を発射し、あちこちの戦線に狂奔した。諦めるな、死んでも守れ、と叫んでいた。大鳥は、榎本の意向に従い、降伏をがえんじていた。しかし、総攻撃を受け、榎本が急遽、抗戦の意向を示したため、大急ぎで出戦した。やはり、大鳥の本音も、同じであったのであろう。少なくとも、負けるまでは、戦うのだ。箱館を、自分達の国を、守るのだ。
 そう、叫んでいた。
 新撰隊は、弁天台場という台場にいた。そこで海から向かって来る船への射撃を行い、かつ台場を死守するのが役目である。
 久二郎は、新撰隊以外の兵の指揮も行い、海に向けては絶え間なく射撃を行わせ、陸からこの台場を奪われぬよう死にもの狂いで戦った。
 そこで、箱館の街の方から、火の手が上がるのを見た。
 弁天台場の空気が、悲壮なものに包まれる。しかし、久二郎は、叫んだ。
「まだだ。決して、諦めるな。街が焼けても、また建てられる。負けるまで、戦うのだ。死んでも、ここを守れ」
 踏まれても、決して折れぬ花。二股口で見た気がするあの花に、久二郎はなろうとしていた。
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