夜に咲く花

増黒 豊

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第八章 戦乱のはじまり

それぞれの戦いへ

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 結局、甲陽鎮撫隊はその後解散ということになり、もとの新撰組に戻った。自然、
「これから、どうする」
 という会議を開いた。この場にいるのは、京以来の古参の者。組長であった者のほか、監察の島田などもいる。発言するのは、近藤、原田、永倉の三人が主で、久二郎、斎藤、土方は、何も言わない。この三人の腹は決まっており、今更会議などを持つ必要はなかったからだ。
「俺はな、諸君」
 近藤が口を拓いた。
「もう、よいのではないか、と思っているのだ」
 土方を、ちらりと見た。土方は、真っ直ぐに、玉野屋という料亭の一枚板の机の木目に目を落としている。
「これからは、それぞれが、それぞれの戦いをする時だ。慶喜公はなお恭順しておられるが、幕府は、もう無い。これ以上戦う理由が無いと言う者も、我々の中にいるだろう。それを、俺は、止めはせぬつもりだ」
「それは、俺も同感だ」
 土方が、口を挟んだ。
「言っておくが、俺は腰が曲がったって、薩摩や長州、土佐の奴らに、頭なんか下げねぇ。戦って戦って戦って、死ぬまで、いや、死んでも戦うつもりだ。そして、奴らを打ちのめし、勝つ」
 土方は、いちど話し始めると止まらぬ。それは、昔から変わらない。
「だがな、俺も、それをお前達に強制しようとは最早思わん。法度は、京にいた頃の話だ。きっと、今は、それぞれが、自分の足で立ち、自分の頭で考えることが、求められる時代になったんだと思う。ここにいる俺たちなら、分かるだろう。山南の言葉を、思い出せ」
 山南は、死ぬ前に、それぞれと、少しずつ語り合っていた。ごく短い時間だが、彼が伝えたかったことを、誰もが理解していた。相手によってどういう言い方をしたかそれぞれ違うようだが、言ったことは、同じだった。無駄なく、相手が理解し易い形に言い換える。なんとも、山南らしいではないか。
 久二郎は、山南が、
「お前達の全てが、一人一人が、新撰組なのだ。決して、己を裏切るな。守るべきものを、見誤るな。意地を、貫け。そうすることが、自らの守るべきもののためにならぬなら、意地など捨ててしまえ。為すべきことが分からず迷うことがあれば、仲間の、そして己の声を聴け」
 と言ったのを思い出した。そして、山南は、
「誠の旗を、心に立てろ。それが、お前達を、導くのだ」
 とも言った。あれから、その言葉を忘れたことなどない。そして、言われずとも、その通りにこれからしていくつもりであった。
「俺は、会津へゆくよ」
 土方が、ぽつりと言った。
「会津は、腐っても会津だ。その力は、大きい。そこで、官軍何するものぞという気概のある諸藩を糾合し、力を集め、奴らを打ち破る」
「そう、上手くいくものですかね」
 永倉が、首を傾げた。
「いく、いかぬ、ではない。やるのだ」
「しかし」
「新八。だから、俺はゆく、と言っているのだ。お前に、共に来いと強いるつもりは、ないと」
 一度そこで言葉を切り、
「いいか」
 と目をぎらりと光らせた。鬼の副長と恐れられたそれとは、違う輝きであった。
「俺は、例え、一人であっても、ゆく。以上だ」
 土方は、立ち上がった。コートの裾がちょっと翻るのが、皆の目をなんとなく引いた。続いて、斎藤。
「斎藤、来るのか」
 斎藤は、無言で頷いた。
「死ぬかも知れぬぞ」
「男子たるもの、路傍の溝に自らの死体がうち捨てられたとしても、それを喜ぶべきなのです」
 斎藤らしい返答だった。頼山陽の詩の一節を引いたのだろうか。久二郎も、続いて立ち上がった。
「綾瀬」
 いいのか、というような眼で、土方は久二郎を見た。
「ここで、やめてしまうには、私は人を斬り過ぎました。どうしても、私は、やめるわけにはいかぬようです」
 と、ちょっと困ったように笑った。あとは、監察の島田も。京にいた頃からの同志は、山野、蟻通ありどおしなど、殆どが立ち上がった。
「なんだ、結局、こうか」
 土方は、呆れたように、それでいて嬉しそうに、苦笑した。立ち上がらなかった者は、近藤を含めて三名。
「新八、左之助、どうする」
 二人は、苦しそうに眼を閉じ、そしてそれをかっと見開いた。
「我々は、ここで失礼します」
「そうか」
 土方は、素っ気無い。ここで、この古い同士に抜けられては困る。しかし、それを止めるつもりは無い。古い同士だからこそ、彼らの戦うべき道を進めばよい。そう思っていた。
「会津に行く、というのが、解せません。江戸に残り、入ってくる官軍を防ぎ止める方が良いのではないですか」
「その江戸が、俺たちを歓迎していない」
「そんなことはnaい」
「いや、ある。勝海舟など、あれは表向きは当たりがよいが、内心、さっさと出て行け、と唾を吐いていやがるぜ」
「違う」
「新八」
「議論をするつもりはないと言ったはずだ。だから、行けよ」
 永倉は、言葉を失った。このような所で袂を分かつとは、当人も思っていなかったであろう。
「土方さん」
 原田が、言った。
「止めてくれよ。一緒に来いって、言ってくれよ」
「いや、止めぬ。行け。お前達の戦いは、会津には無い」 
 原田も、言葉を失い、俯いた。
「お達者で」
 永倉は、涙目になるのをこらえながら、言った。
「ああ。できれば、死ぬな。そしてできれば、また会おう」
 土方が背を向けて言った。永倉と原田は、近藤に、そして一同に深々と一礼をすると、去っていった。
「近藤さん、行くぞ」
 土方は、促した。
「待て、歳。俺も、ゆくのか」
 笑っていた。
「当たり前だろう。あんたが居なけりゃ、誰が頭になるんだよ」
「お前が、いるじゃないか」
「よしてくれ。俺は、あんたの傍らで悪巧みをするのが、せいぜいさ」
「まあ、いい。それで、どうする」
「まず、隊士を増やす。だいぶ減った。これを、また、少なくとも二百まで増やす必要がある。そして、銃器の調練だ。折角の銃も砲も、使えぬのでは意味がない」
「江戸から出るのだな」
「今のまま会津に行っても、仕方あるまい。乗り込むなら、堂々と」
「会津までの道中、それに適した場所は」
 久二郎は、二人のこのようなやり取りを、はじめて見た。たぶん、京にいた頃から、いや、もっと前、たとえば、多摩川べりで遊んでいたとき。そんな頃から、二人は、このようにして話し、何かを決めていたのだろう。
 まるで、子供のようだった。それが、なんとなくおかしくて、久二郎も斎藤も笑った。
「島田」
 監察の島田が、持っていた近隣地域の地図を広げる。
「五兵衛新田」
 という地名を、島田が指差した。
「いいだろう。そこで隊士を募り、そして、江戸を発する」
「そのあとは」
「下総だ。官軍の目をくらましながら調練をするのにもよいし、なおかつ、会津へ向かうのにも近い」
「決まりだな、歳」
「異存はないな、皆」
 皆、頷いた。
「新しいことを始めるってなァ、気分がいいもんじゃねェか」
「副長、ご機嫌ですね」
 久二郎が、微笑わらった。
「馬鹿。俺は、もともとこうだ」

 五兵衛新田で、新たに隊士を募った。負け続けでも新撰組の雷名は鳴り響いていたらしく、見る間に隊士は二百を超えた。それを、土方は、久二郎、斎藤、島田の三隊に分け、調練をさせることにした。
 まずは、進軍。それを兼ねて、江戸を出、下総へ。
「綾瀬組長」
 若い、弾むような声が、久二郎の背中にかかった。
「市村君、だったか」
「覚えて頂き、光栄です」
 鳥羽伏見の前に兄と加わったという、市村鉄之助。歳はまだ十五と若い。
「君のような若い者も、共に来るのか」
「はい」
 と屈託なく笑った。
「兄がいたと言ったな」
「はい」
 と、今度は、少ししょんぼりして言った。
「兄は、隊を離れました」
「なに、兄弟で、離れ離れか」
「申し訳ありません」
 市村は、頭を下げた。彼が言うには、兄はあの後大坂で、このまま新撰組にいても死ぬだけだ。と隊を脱することを決意した。しかし、鉄之助は、それに応じなかった。

「鉄之助。共に、ゆこう」
「困ったな、兄上」
「何故、共にゆかぬのだ」
「だって、まだ見もしていないじゃないですか」
「何を」
「たぶん、兄上には、わからない」
 兄は、そのまま隊を離れた。それが、この兄弟にとって、今生の別れになった。市村が、まだ見もしていない、と言ったもの。
 あるいは、誠。
 あるいは、意地。
 あるいは、それを抱き、進み、戦い、生きる男の姿。
 その男どもと方を並べて駆けてゆく、己の姿。
 そのようなものを、彼は見たがったのかもしれない。
 歳の若い市村のような男が、先も知れぬ暗夜を裂く一矢とならんと漕ぎ出す新撰組に憧れのようなものを抱いているというのは、悲劇ではない。
 彼自身が考え、決めたことだから。
 それが、彼の誠であったのかもしれない。

「兄のぶんまで、働きます。どこまでも、お供しますよ」
 と無邪気に笑う口元から、真っ白い歯が覗いた。それを、久二郎は眩しいと感じた。
「市村」
 わざと厳しい表情を作り、言った。
「行軍の調練を兼ねている。みだりに、人に話しかけるな」
「あ、申し訳ありません」
 慌てて列に戻ろうとする市村の背が、何か惜しいもののように感じて、久二郎はもう一度声をかけた。
「市村」
「はい」
 と今度は、市村は決まり通りに直立した。
「励めよ」
「はい!」

 慶応四年四月二日、新撰組は、下総の地、流山というところに着陣した。
 しかし、そこに留まり、全員で腰を落ち着けたのは、僅かに一日。
 翌日、四月三日、新撰組局長近藤勇が、官軍に捕縛される。
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