夜に咲く花

増黒 豊

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第四章 洛陽動乱

業火の跡の落涙

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 その砲声は、御所からのものではなかった。伏見から北上する長州兵と、街道を守備する大垣兵との間で交戦があったのを、新撰組や会津の者は聴いたのだ。九条河原からは、比較的近くである。会津は御所の方へ半分兵を出していたから、九条河原を棄て、すぐ、御所へ向かう。新撰組もそれに従った。
 その頃御所では既に、嵯峨にある天龍寺から発した長州兵が押し掛けており、薩摩、会津などと戦っている。目を血走らせ、勢いに乗った長州兵は御所の守備をする軍を押しに押し、力ずくでも朝廷に嘆願をしようとする勢いであった。
 激戦の場となったのは、蛤御門から堺町御門の辺りである。いまでも、蛤御門の梁には、当時の弾痕がそのまま残っている。筆者の実家もこのすぐ近くの場所であるから、砲声、銃声が降り重なるようになる前に、慌てて洛外にまで逃げたという口述が伝わっている。
 しかし、小勢による勢いは続かず、新撰組が到着した時は既に嵯峨方面からの軍の指揮者である来島又兵衛が戦死し、長州が退却した後であった。
 長州が放ったのであろうか、一条通りのあたりから火が出ている。どういうわけか、夏から秋口にかけての京は、北山の方から南に向け、風が吹くことが多い。この日も、そうであった。兵や、逃げずに残っている火消しなどが消火にあたるが、風にあおられ、火は南へ南へと広がってゆく。
 新撰組は、長州の残存兵が退却するであろう先の山崎にまで向かった。たいへんな移動距離である。それがゆえ、到着したのは、首魁の一人、真木和泉なるものが天王山の山頂の小屋にたてこもって大量の火薬に火をかけ、威勢良く爆死した後になってからであった。
 結局、大した働きもないまま、戦いは終わった。残ったのは、無惨な死骸と、燃えている京の街だけである。
 火は三日間燃え続け、かなり南の、東寺のあたりまで広がったという。どんど焼き、などと言われるこの大火は、京においては応仁の乱以来の惨劇である。
 何百年もの間、静かな王都としてゆったりと時を過ごしていた街が、わずか三日で灰になったのである。無論、全てが焼けたわけではないし、焼け残ったり火が回ってこなかった地域もあるが、碁盤の目のほぼ一ブロックごとに割り当てられた町の、八百以上が焼けたという。

「長州は、去った」
 土方は、隊士を集め、近藤の隣で、それだけを言った。
 長州は去り、天子も無事であったが、街は焼けた。自分達は、いったい何を守ろうとしたのか、と久二郎は思った。
 あとで、長州の名のある活動家が多く死んだこと、昨年に続き今回の騒ぎであるため正式に朝敵と認定をし、征伐することになるかもしれぬことなどを聞いたが、いまいちしっくり来ない。
 壬生界隈は幸いにも焼けなかったが、まだ、焦げ臭いいやな臭いが、京の空を覆い尽くしている。
 その苛立ちは、誰の胸にもある。苛立っていると、平素気にしないことが気になったり、あれこれと悪い事柄を関連付けて見てしまうようになるものである。もし、読者諸兄諸姉の中で思い当たる節がある人がいるならば、直ちに休養と十分な睡眠を摂ることをお勧めする。そのような思考状態からは、何も生まれない。

 それが原因かは分からぬが、新撰組においても、一月ひとつきもせぬうちに、小さな事件があった。
 永倉を筆頭とし、斎藤、原田などの新撰組の中核にある者のほか、監察の島田魁、その他の者が会津、それも松平容保まつだいらかたもり宛に、近藤の行い、振る舞いに対する非行五ヶ条なるものを提出した。要するに、近藤は威張り、増長するばかりで隊を私しているというのである。
 久二郎は、親しい斎藤からではなく、永倉から嘆願書に賛同するよう誘いを受けたが、全くそのようなことは感じない、として久二郎も彰介も断った。
「何故、感じぬ。局長は、はじめ、あんな風ではなかった。いつも我らと共にあり、いつも傲らず、誠の道を歩いていたのだ。しかし、新撰組が大きくなるほど、そうではなくなったのだ」
「しかし、仮にそうだとするならば、私はずっと、局長がそのようになるのを助けてきたことになります。永倉さんも、そうではないですか」
「分かっている。分かっているからこそ、正すのだ」
「何故、隊の中ではなく、会津を通すのです」
「そうでなければ、副長が握り潰し、それで終わりだ」
「要するに、土方君が悪いと言いたいのか、永倉君」
 話の場に、山南が現れた。永倉は、しまった、という顔をしたが、覚悟を決めた様子で、
「あんたも、加わらぬか。山南さんも我々と同じ意見であるとするならば、こんなに心強いことはない」
 と、山南をも引き込もうとした。
「永倉君らしくもない」
 いつも穏やかな口調の山南が、珍しく強い語気で言った。
「君ほどに筋道を重んじ、非違を許さぬ男が、なぜそんな搦手からめてから攻める。正したいのならば、なぜ正面から向き合おうとせぬ。なぜ、一対一ではなく、仲間を募ろうとする」
「それは」
「君のその行動もまた、局長を遠い雲の上の人にしているということが、分からぬか。離れてしまったのは、君の心ではないのか」
 永倉が、沈黙する。久二郎と彰介は、呆気に取られて二人のやり取りを聞いている。
「他に、どうしようもないのだ、山南さん」
 永倉がやっと口を開き、言ったのは、それだった。
「ならば、これ以上、止めはすまい」
 山南は引き下がった。引き下がられると、かえって食い下がりたくなるものなのか、
「待ってくれ。俺は、悔しいんだ」
 と胸のうちを語りだした。
「池田屋で浪士どもを捕らえ、京は平穏になるかと思った。だが、それがかえって長州の怒りを爆発させることになった。そして、京が焼けてしまった。俺のせいではないと思っても、俺は自分を責めざるを得ない」
「気持ちは、分かる」
「そんな中、池田屋の報酬をもらって喜んでいる奴らや、得意顔になってそれを配っている局長や副長に、我慢がならぬのだ」
「だから、私はこれ以上止めぬ、と言っている。思いの丈をさらけ出し、楽になるといい。私達の新撰組だ。永倉君は、永倉君の思うように、やればいい」
 安らかにも見えるような微笑を残し、山南は立ち去った。

 山南は、先回りをした。既に嘆願書は永倉らによって提出されたが、それを追いかけ、会津へと宛てて、身内の話を持ち込んで騒がせた旨の詫びと、解決したからどうか心配のないようにという書簡をしたため、その後すぐ、近藤、土方にありのままを話した。
「どうか、彼らを責めないでやってほしい」
 と言うのである。土方は、何も言わない。近藤が、おもむろに刀を掴み、すさまじい形相で立ち上がった。
「局長」
「永倉君らは、どこだ」
 斬るのか、と一瞬思った。
「嘆願書を提出してから、それぞれ自室で、静かにしておりますが」
「すぐに、集めろ」
 前川家の広間に、一同が並んでいる。そこへ、近藤が入ってきた。永倉と目を合わせ、続いて他の者を見渡すと、近藤は大刀を放り出し、板敷きの上に手をついた。
「済まぬ。お前たちの気持ちを、汲んでやれなんだ」
 山南も、永倉らも驚いた。久二郎も気になったので、その場を横合いから見ている。
「永倉君の言うことは、半分は間違いで、半分は合っている。私は、何かを忘れていたのかもしれん」
 近藤は、手をついたままの姿勢から動かない。
「これからも、新撰組を担う者として、働いてくれぬか。新撰組局長としては勿論、あの貧乏な試衛館の近藤勇としても、私には君たちが必要なのだ。君たちに、そばにいてほしいのだ」
 と、涙を流さんばかりの勢いである。
「局長。俺こそ、いっときの気のささくれから、新八の言うことと自分の思うことを重ね、こんなことにしちまった。ほんとうなら、皆で、不満や不安を、消し合わなくちゃならなかったんだ。済まねぇ。許してくれ」
 と、まず原田が大声で詫び、床に頭が着くほどに下げ、涙を流した。
「俺も、局長が嫌いになったわけではありません。あの優しい、頼り甲斐のある近藤さんが、どこかに行ってしまったような気がして、寂しかったのです。山南さんの言う通りだ。変わってしまったのは、俺の方だった。早く気付くべきだった。しかし、こうなったからには、どのような罰も受ける。俺の心の弱さのために振り回された、こいつらを、許してやってくれ」
 永倉も自らの行いを省みて、詫びた。
「許すもなにも、お前たちが私を許してくれるなら、私が許さねばならぬことなど、はじめからないのだ。これから、京の人々が街を建て直す手伝いをし、それを守ってゆこう」
 久二郎は、胸が、眼が熱くなるのを堪えきれず、その場を立った。この場は、彼らだけのものにすべきである。
 自分は、ただ彼らのために、剣を振ればよい。心からそう思い定めることができた。

 こうして、新撰組に起きた事件は、落着したかに見えた。
 しかし、終始、何も言わず、むっつりとした顔でそれを眺めている者がいた。彼には、彼なりの純粋すぎる理想と燃えるような正義がある。彼は、その発案者であり、最も優れた実行者でもあった。
 断っておくが、彼もまた、新撰組の「誠」のためだけに、生きる男である。ただ、その手段が、今ここで涙を流している者とはやや異なるだけのことである。
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