夜に咲く花

増黒 豊

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第四章 洛陽動乱

出陣

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 池田屋における新撰組の活躍は、凄まじいものであった。ただの乱暴なあぶれ者の集団くらいにしか思われていなかったものが、これで一挙に名を上げた。しかし、やはり恐れられこそすれ、親しまれはしない。以前述べたように、京の人は元来、東国者が苦手である。その代わり、金払いが良いから、として長州びいきであった。それを滅多やたらと斬ったわけだから、恐れられて当然である。もっとも、長州びいきと言っても、長州はじめとする浪士どもが御所に火をかけようとしていた、という報せは町の者に衝撃を与えた。それを撃退した新撰組こそ、真の尊皇であると喝采を送る者もいるにはいる。
 しかし、実際はどうであろうか。池田屋事件により、諸国の活動家の多くが死んだり、捕らえられたりしている。だが、それで彼らの企みが潰えたわけではない。むしろ、会津憎し、新撰組憎しという気風が高まって、やがてそれは暴発することとなる。
 大概、このような場合、冷静な顔役あるいは実際に身分が上の者がいて、まだ時期ではない、逸るな、として宥め、なんとか全面的な衝突にならぬように努めるものだが、その抑えが、もう効かなくなっている。
 その冷静な思考を持った者は、怯駄きょうだであるとして遠ざけられたり、従える浪士共が言うことを聞かなくなったりして、発言の効力が無くなった。
 だが、その顔役の者どもは、知っていた。衰えたとはいえ、今なお威勢の良い幕府とまともに戦って勝てるわけがないことを。だが、火のついたようになった若い連中を、止めることはできない。池田屋での事件よりもむしろ、それに憤慨し、無理を押し通そうとする若い連中を見て、ああ、これで終わった、と絶望した者もあったろう。
 
 昨年夏、京から長州勢力が追い落とされた罪をそそぐとして、三人の家老率いる長州兵が、京へと上ってきた。その数二千。僅か二千で、何ができるというのか、と普通なら考えるが、我を忘れた、この感情の豊かな者達には分からない。できる、としか思っていないらしい。
 それが、京の南部、筆者が通勤に使う阪急電鉄の車窓からよく見える山崎天王山、龍馬の女のりょうの読みに関する解説で登場した嵯峨天龍寺さがてんりゅうじ、そして伏見の長州屋敷に分かれ、布陣した。
 新撰組にも、会津からその報がもたらされた。
「歳、山南君」
 近藤は、最も信頼する二人の腹心に、策を問うた。
「まずは、早急に準備を済ませ、布陣の場所などについて、会津様のお達しを待ちましょう」
 と、山南がもっともなことを言った。
「それじゃ、池田屋のときや、去年の夏のときと同じになる」
 と土方が覆す。
「会津の奴ら、俺たちがでかい顔をするのを喜ぶまい。だとすれば、また関係のないような場所に部署割りをし、戦いからは遠ざけてくるぜ」
「そんなことは、あるまい」
「近藤さんがそう信じる証は、なんだ。去年の夏のことを、忘れたか。この前の池田屋のとき、あんたや隊士が命をかけて戦ったのを、我が手柄にしようとしたのは、誰だ」
「しかし」
「だが、この前みたいに、勝手をして、荒稼ぎをするわけにはゆかぬ。何しろ、二千だろ。軍学好きの山南君のように言うなら、卵でもって石の壁を砕かんとするが如し、だ」
 山南が、皮肉を言われたと思ったのか、嫌な顔をした。
「歳、そういう言い方は、よせ」
「山南君が、そういう言い方をする、という話をしたまでた」
「土方君。今は、私がどういう話をするか、ではなく、新撰組はどうするのか、という話ではなかったか」
 と、山南も皮肉を返した。土方と二人、眼を合わせ、にやりと笑い合った。
「とにかく、だ。俺は、準備が整ったら、さっさと進発するのがよいと思う」
「それでは、さっき君自身が言っていたことと、あべこべだ」
「あべこべなもんか。石で卵、じゃなかった、卵で石を砕きに行くわけじゃない」
「どこに向かって、進発するというのだ、歳」
「黒谷さ」
 近藤も山南も、あっと息を飲んだ。なるほど、どのみち会津は支度に時間がかかる。組織が大きいため、仕方あるまい。その点、新撰組は、いつも身軽である。さっさと用意を済ませ、まず会津の本陣である黒谷まで駆けつけ、そこで、進発する会津に付いてゆこうというのである。新撰組は、名実ともに会津御預だから、この行為には何の不自然もなく、なおかつ手柄の食いっぱぐれもない。
「土方君、しかし、このような大事のときに、手柄にばかりこだわるのは、いかがなものか」
「何を言う。このようなときに手柄を立ててはじめて、誠の奉公となるのではないか」
「そう言って、手柄にこだわることが、新撰組の名を貶めるのだ」
「てめぇ、もう一遍、言ってみやがれ」
「そうして、すぐにいきり立つ。二言目には、斬る。そのようなままでは、新撰組はいつまで経っても壬生の犬だ」
「歳、山南君、やめろ」
「申し訳ありません」
 土方は、そっぽを向いた。土方は、山南が、新撰組を大きくし、政治的な立場をも得られるようにということを願っていることを知っている。そしてそれは、土方の願いと全く同じである。しかし、その手段について、二人はこうしてしばしば衝突する。だが、二人とも分かっている。新撰組が、どこに向かうべきか。
「手柄どうこうはさておき、歳の言うことは一理ある。会津様の側におれば、そのめいに、いち早く応じることができる」
 これで、決まった。山南も、面白くはないが、理は通った策だから、別に不服はない。このところ、大まかな方針などは山南が常に世の中の動きを見ながら微調整をし、隊士の監督や実際の戦闘に関することは土方、と役割を分けるようになっていた。二人とも同じものを見、同じことを目指しているはずだが、共に同じことをしようとすると、上手くゆかぬ間柄というのもあるらしい。
「では、山南君には、屯所の守備を指揮してもらう」
 と土方が言った。現場での作戦立案は土方の役割だから、山南は何も言わぬ。ただ黙って頷いた。
「歳、山南君は、今回も屯所守備か」
 近藤が山南と土方の心中を気遣い、そう訊いた。
「そうだ」
 とだけ、土方は答えた、
「近藤さん。私は、構いませんよ。屯所の守備も、大切な役目だ。人が少なくなるのをいいことに、脱走者が出ぬとも限らぬし、浪士どもが攻めてくるかもしれない。その守りを任せて頂けて、むしろ嬉しい」
 と山南は微笑した。
「山南君は、手柄にはこだわらぬ人だ。だから、ちょうど良かったではないか。なぁ、近藤さん」
 土方は、まだ悪戯をやめない。
「では、抜かりなく」
 近藤は、これ以上何を言っても同じと思い、そこで切り上げた。山南は屯所中の隊士に、即出動体勢を取るよう触れて回った。土方は、近藤と共に、集合する隊士の前に立つべく、壬生寺の境内へと向かう。
「先に、行ってくれ」
 土方は自室の前で、近藤に言った。身支度をするためらしい。
 近藤は、それを待った。少しして、鉢金に撃剣の胴丸、浅葱の羽織を着た土方が出てきた。
「なんだ、近藤さん。先に行ったンじゃなかったのかよ」
「歳、おめぇ、山南君と、もう少し上手くやれねェのか」
「やってるさ」
「池田屋のときに続き、今回も屯所の守備なんて、あんまりじゃねェか」
 土方は、ちょっと黙った。その後、
「あれは、春から病がちじゃねェか」
 と、ぽつりと言った。確かに、春から山南は体調が優れず、日によっては部屋から出てこなかったり、出てきても顔色が冴えなかったりしている。
「以前、虚労散をくれてやったが、一向に良くならねぇ。ありゃあ、気のもンだ」
 土方の生家では薬も作っており、打ち身、くじきに効くという石田散薬が有名であるが、滋養強壮、精力増強に効くという虚労散というものもあった。それらを土方は取り寄せ、常備している。池田屋のときも、多くの隊士が負傷したため、石田散薬が密かに活躍した。
「歳、おめぇ
「まだまだ、道半ばだ。今はこんなだが、あいつには、もっと新撰組がでかくなったとき、その道を誤らぬようにしてもらわねばならない。こんなとこで、くたばられちゃ、迷惑なンだよ」
 と、そっぽを向いてしまった。近藤は、土方が、ほんとうは山南を気遣い、大切に思っていると知ってはいたが、改めて聞くと安心する思いであった。
「では、ちゃんと、山南君にその通り言ったらどうなんだ」
 土方は、ぷっと吹き出した。
「馬鹿。今さら、そんな真似、できるかよ。俺は分かってるぜ。あいつもまた、俺に突っかかってばかりだが、俺と同じように思っていることを。それでいいじゃねェか」

 壬生寺の門を、くぐった。隊士が集まってくる前に、近藤はそこにいる。土方は、ちょっと脇に離れ、立った。近藤が本堂の前に立っていれば、自然とそこに隊士が集まってくるのだ。それが、新撰組だった。
 一通り、隊士が揃った。近藤は、一同の顔を見渡した。そして、長州が畏れ多くも御所に向けて兵を進め、洛外の三ヶ所に布陣していること。新撰組は、会津の旗の下、それを総力を以て打ち破ること。そのため、今よりまず会津の本陣まで行くことを伝えた。
「陣割りを申し渡す」
 わざと、土方は陣割り、という大層な言葉を使った。さっき、山南と話しているときから、頭の中でその内容を考えていた。
 屯所守備の者の名を、まず言い渡した。当たり前だが、土方は隊士全員の名を記憶している。それだけでなく、流派や得意不得意、妻子の有無や性格に至るまでできるだけ全て把握している。それを基に、屯所の守備に適している者を選び、名を呼んだ。多くは、勘定方のような内勤の者や、監察方の者があてられたが、監察でも例えば島田魁などは体も大きく、剣もそこそこ使えたため実戦部隊にいつも振り分けられる。その辺り、土方は上手く微調整をしていた。そこに、沖田の名もあった。沖田は意外そうな顔をしたが、池田屋以来、沖田もまた体調を崩しがちであったから、それを考えてのことだろうと皆思った。
 続いて、実戦部隊である。このときは、まず副長助勤の名を読み上げていき、彼らが、近藤の前に進み出た。続いて、それぞれの下に、隊士を割り振っていく。それが、現代の軍事用語でいう小隊にあたる。
 ここまでで、やや時間を食った。編成が終わると、すぐに実戦部隊は進発、守備部隊は八木、前川両家に入り、屋内あるいは通りを警備した。

 突如として新撰組の来訪を受けた会津は、面食らった。大挙して押し掛け、お下知を、と迫る近藤の目の光の強さに、萎縮してしまった。
 会津は、伏見方面からの敵に備えるため、九条河原に布陣することになっていたから、そこに新撰組を組み込んでやった。土方の立案がなければ、今ごろ、まだ壬生にいたかもしれない。
「どうやら、長州は、まだ御所に対し、陳情をしているそうだ」
 公用方の者から様子を聞いた土方は、河原に整列する隊士の前、近藤にそう耳打ちした。
「では、すぐには戦いにはならぬか」
「分からない。朝廷が、長州の陳情をお取り上げなさるとは思えぬ。それが破れたとき、攻めてくるだろう」
「そうか、どのような事態にも即応できるよう、頼む」
「分かっているさ」
 その時、空気が揺れた。何だ、とその場にいる者皆、口々に言った。
 また、空気が揺れた。それは、音だった。どん、どん、と低い響きが空を震わせている。
「砲声だ」
 土方は、目を細めながら近藤にそう言った。かなり遠いため、音は散ってしまってよく分からぬが、それは紛れもなく砲声だった。
「方角は」
「たぶん、北」
 とすれば、御所ではないだろうか。
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