夜に咲く花

増黒 豊

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第二章 新たに選ぶ

八月十八日

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 土方の事業は、順調に進んでいる。彼は、巧みに芹沢の行動を、自らの意思で、遠巻きに遠巻きに、そして望む方へ望む方へと決定していった。
 一見すれば、ただ乱暴なだけの性格の芹沢が酒に溺れ自壊していっているようにしか見えない。彼自身、やけを起こして酒乱をもよおすことはあるにせよ、どこそこの店で暴れた、などという事実が実際よりも誇大に伝わってゆくのに戸惑った。
 また、隊士の誰それの女を我が物にしようとして手籠めにした上、その隊士もろとも斬ってしまうなどという暴挙もやってのけた。いや、実際、ほんとうに芹沢がそのようなことをしたのかどうか、分からぬ。だが、どちらにしろ、そういうことがあった、ということが記録されている。
 ここまであからさまになると、さすがに芹沢も身内を疑い出した。近藤一派の中でそのような悪知恵の回りそうな者といえば、まず土方。そして博識で頭の良い、狐のような眼をした山南。
 芹沢を含めた彼の腹心らは、露骨に近藤派と折り合いが悪くなった。それについても、土方は、近藤派の一同を集め、
「芹沢局長の日頃の行いについて、このところあれやこれやと噂されている。局長も、大いに心を痛めておられる。それゆえ、あえて有り体に言うが、彼らが埒もない言い掛かりを付けてきたり、我々を遠ざけようとするような態度に出てくるかもしれぬ。しかし、我らもまた、彼らを嫌い、避けては、壬生浪士組の内輪の揉め事を外に曝すことになる。我らこそが、局長らを助けるのだ」
 と念入りに訓示してある。これで、親切な近藤派の救いの手をも、芹沢は跳ね除けることになる。その先にあるのは、破滅。
 近藤は、その土方の訓示を聞きながら、なんともいえぬ顔をし、腕組みをして座っている。

 ここで、大きな政治事件があった。それまで、朝廷内では天皇の異国嫌いにかこつけて、着実に長州が勢力を伸ばしていた。そして、先に触れたように、将軍が直々に京に足を運んだ上で天皇に対し攘夷の期限を五月十日とする旨の約束までさせるに至っている。これは、相当に大きなことである。将軍が政治向きのことを伝えにわざわざ京に来るなどということは、徳川幕府始まって以来、無かったことである。
 それほどの影響力を、長州は持っていた。そして、よく当時の歴史の考察において火薬庫などと評される、この感情の起伏の激しい活動家の多い藩は、約束通り律儀に五月十日、自領の下関を通過中のアメリカ船を砲撃した。それにより幕府の頼みにならぬことを鳴らし、諸藩の決起を促すつもりであったのかもしれぬが、しかし幕府はおろか、近隣のどの藩も見て見ぬ振りで、すぐに報復攻撃によって手痛い損害を被ることになる。
 進退極まった長州は、同じような過激な思想を持つ諸国からの脱藩者などとも手を組み、世論を長州に、そして彼らの言う誠の攘夷に再び向けるため、天皇が攘夷の祈願をするために大和の神武天皇陵と春日大社に行幸し、そのまま伊勢神宮にも行幸をするというイベントを打ち出した。そこであちこちの攘夷派の過激な勢力が旗を上げ、一気に幕府を覆してしまおうという企みでもあった。
 天皇は、攘夷に関しては非常に強い執着を持っていたが、かといって、素性も知れぬ怪しげな者が朝廷内をうろつき、声高に論議をし、それが自分の意思として勅命という形をもってして乱発されてことを面白くは思わない。
 そのことに目をつけた会津、薩摩の佐幕派の二大藩が、大和行幸の勅命を覆し、かつ、これまで乱発された勅命は自らの意思ではない、という天皇の意思を持ち、武装した千五百人の兵でもって、長州が警備をしていた堺町御門の前に陣取り、長州の者を一人たりとも入れぬ、という意気を見せた。
 壬生浪士組にも、出動の依頼が来た。変事を聞き、芹沢が馬を飛ばして黒谷まで行き、出動命令を半ば無理矢理取り付けてきたのである。ここで良いところを見せれば、隊は再び一つになる。自分へのわけのわからない工作も疑いも無くなる。そう信じた。
 だが、屯営に帰営した芹沢の肩は、うなだれていた。彼が取り付けてきた布陣の位置は、御所の中にある、「御花畑」なる場所であった。
 明らかに、会津は壬生浪士組あるいは芹沢個人、もしくはその両方を軽く見ている。この危急の時に、花畑を守っておれというのは、どういうわけであろう。ちなみにその場所は、禁裏の南に向いた正門の向かいにあり、こんにちでは筆者の実家の犬がみじかい足で楽しそうに遊ぶことを日課としている場所である。
 とにかく、出動するしかない。彼らは鉢金を巻き、鎖帷子を着込み、その上から羽織を着た。
 八木、前川両家の門には、家人が気を利かせたのか、出陣の夜らしく提灯を掲げ、火が入れられてある。それを、近藤、芹沢が先頭にして通り抜け、御所へと向かった。
 御所には、彼らのいる壬生から歩いて二刻もかからぬうちに到着する。今、筆者の足で歩いておよそ四十分くらいであろう。彼らの屯所のあった壬生界隈は、今なお当時の狭い道幅が残されており、振り返れば浅葱色の羽織の若者が今にもこちらに駆けてきそうな趣があるから、京都観光における隠れた名所であることも付け加えておく。
 一行は、堺町御門へ到着した。久二郎は、目が眩む思いであった。ついこの春先まで、妹を探して京の町を脇差しも差さずうろつくあぶれ者であったし、そもそも、ついこの間まで、円慶和尚に書を読ませてもらい、彰介と名乗る前の彰吉と二人、棒を振り回して遊んでいたに過ぎず、彼自身も、姓もなにもない、ただの「清太」だった。それが、今はどうだ。こうして、隊列の前から数えた方が早い位置に武装して並び、門を固める会津の者と繰り広げられる、通せ通さぬの問答の中にいる。
 正直、久二郎は、足元が浮いたような気がしている。一体、自分は、何をしているのか。この速すぎる旋回を見せる時代の中においては、そのような感覚──ある者にとっては感慨と言ってもいいかもしれないが──は、誰の中にもあるものであろう。
 久二郎は、自分でも何をしているのか、よく分からぬ。仲間の談義に混じるうち、だいぶ用語や人物のこと、諸藩の力関係なども知識として分かるようになっているが、しかし、自分がその渦の中のに居るのかが、もうひとつ分からぬ。だから、やるしかない。花畑を守れと言われれば、守るのだ。
 どうやら、現場は混乱しており、壬生浪士組が来ることを責任者は聞いていなかったようである。
 ついに、立ち去れ、と槍を向けてきた。
「芹沢さん。あなたが、出動命令を取り付けて来たと仰るから、ここまで駆け付けてきたはず。しかし、この有り様は、いったいどういうことでしょう。もしかすると、現場に上手く伝わっていないのでは。どうします」
 と、山南が困った顔をしながら、芹沢にすがるように言った。芹沢の中に、自ら取り付けたはずの命令が通っていないことの焦りと、一同の中でも最も時勢に詳しく、交流が広く、信頼の厚い山南が自分を頼っている、という嬉しさが入り交じった。そして、上の山南の物言いには、勿論大いなる皮肉も含まれている。それらが芹沢の脳内で化学反応を起こし、瞬間的な爆発を起こした。
 芹沢は、例の、「尽忠報国」と刻まれた自慢の鉄扇でもって、その現場責任者を殴り倒した。土方は、吹き出しそうになった。山南も、上手いことを言ったものである。
 実際、この一連の仕掛けについて、土方は、山南に直接的に協力を求めたわけではない。しかし、その細い眼でもって混乱する世情を見遥かす、聡明すぎる山南という智者は、土方のがどのようであるものか感付いていたし、なおかつ、今日、それに乗った。
 騒ぎを聞き付けて駆けつけてきた懇意の公用方の者が芹沢と近藤に詫びたため、一行は堺町御門から御所の中へ入った。
 御花畑といっても、別に花が植えられているわけではない。とりあえず、街路に床机を置き、近藤と芹沢が腰掛け、出動隊士が周りに並んだ。
 並んだまま、時が過ぎる。一時、門のあたりが騒がしくなり、ついに来たか、と思ったが、それも暫くすれば止んだ。ことの顛末については、後で触れる。

 夜になる頃には、会津の兵が、禁裏へと向かってゆくのに遭遇した。そこで、近藤は、会津藩主である松平容保まつだいらかたもりとはじめて邂逅する。
 特に声をかけるでもないが、馬上の容保は、壬生浪士組を見た。派手な羽織に誠の字の旗で、彼はそれと分かった。同時に、このような場所に陣取らされていることを不遇にも思った。素行などの面で評判は良くはないが、徳川の危機のとき、何をおいても会津はそれを守らねばならぬという先祖の遺訓を忠実に守るこの名将は、地に手を付け、行列の通過を見送る派手な一同もまた、その志を実行していると感じた。

 壬生浪士組にとっては肩透かしのような一日であったが、後日、容保からじきじきにお達しが来て、近藤、芹沢、土方、新見、山南の五人で会津本陣である金戒光明寺を訪れた。
 そこで、彼らは、容保と直接言葉を交わした。
「先のそちらの忠勤ぶり、誠に見事であった。よって、余から、この名を下す」
 取り次ぎの者が、半紙を広げた。
 そこには、
「新撰組」
 と大書されていた。
 新たに、選ぶもの。撰の字に関しては、撰も選も同義であり、近藤自身の書簡や公文書にも、どちらの名でも登場するから、結局どちらでも良いらしい。
 ただ、「手へん」を用いる撰の字の方が、より能動的な意味合いがあるように感じ、彼らの、あるいは時代そのもののこれからの選択について象徴的に物語っているような気がするから、筆者は撰の方を好んで用いてゆきたい。

 ──べつだん大した働きもなかったあぶれ者どもに表立って褒賞をくれてやるわけにはゆかぬから、せめて名くらいは、という会津候の配慮があったかどうか。
 土方にしてみれば、おもしろくない。
 ──まあいいさ。芹沢と、近藤。二人の局長のうちから、俺は新たに撰ぶのさ。
 洒落っ気をもって、その黒々とした容保直筆の字を見つめていた。
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