夜に咲く花

増黒 豊

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第一章 京

文久三年

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 用いられるあらゆる手段を使用し、千を探したが、やはり見つからぬままである。そうこうしているうちに、文久三年の年が明けてしまった。
 あらゆる手段、と言っても、やはり変わらず、夜の花街をぶらぶらし、格子越しに手を伸ばす女や、道行く女の顔を覗きこんでみたりする程度である。
 彼らは、こんにちで京都と言えば誰もが思い浮かべる、紅殻格子べんがらごうしの軒並みを通り過ぎながら、叩きつけるような北風に身を縮ませ、この日も上七軒を歩いていた。

 紅殻格子は、見た目も華やかであるが、装飾のみがその役割ではなく、防腐処理である。
 その格子は一般的に、ごく隙間の細かいものが想起されるが、その家の生業や、地域によって格子の隙間や縦木と横木の幅などは異なる。
 このところ、事業の一環として美観地区などにおいて再生されているが、昔からの紅殻格子を残している家は、めっきり少なくなった。
 京の人々が「北野さん」もしくは「天神さん」と呼んで親しむ北野天満宮の西に細長く伸びる上七軒の歴史は古く、室町時代に北野天満宮の再建の際の資材を用い、「七軒」の茶店を建てたのがはじまりとされる。江戸期には茶屋株を買って営業をしているとは言え、幕府公認の花街ではない。
 しかし、それでも大刀一本と粗末な装束のみでうろつく久二郎や彰介などのような者がものを訪ねると、もともと他国者を受け入れることが不得意な京の人は、露骨に眉をしかめたりした。
 京の冬は、あまりにも寒い。降水量は、それほど多くはない。盆地がゆえの乾燥と、晴れた夜の放射冷却は、こんにちでも文明の利器たる暖房などをつけていてもなお身を縮まらせる。
 我々の感じるのと同じ、頬を切り裂くような冷たい空気に、久二郎の白い息がぽつりと流れた。
「帰ろうか」
「ああ」
 道場主である大政老人の体調も、この寒さにやられたのか、優れぬらしい。早く何とか千を見つけ、この先のことを考えなければならぬ。

 冬の間、二人は同じようにして過ごした。世情はなお乱れ、将軍が朝廷に対して攘夷を断行せずにいる理由の申し開きに来たりもしている。
 少し前まで、朝廷などは権威の象徴、あるいは飾りで、政治に口を出すことなどまずあり得なかった。
 徳川家康以来の江戸幕府においては、
「公家は、政治のことなどに興味を持たず、踊りや音楽、歌(和歌)などに励めばよい」
 という禁中並公家諸法度なる法がある。すなわち、天皇を含め、公家が幕府に対して意見を求めるとか、政治活動をするなどということは法律違反であった。それが一文も書き換えられることなく、久二郎の時代までずっと残っているわけであるが、先にも触れた通り、幕府の政治に意見を差し挟む時点で罪に問われ、また、そもそも法のあるなしに関わらず、幕府の政治に疑問を持つ人もおらず、いてもごく少数であった少し前の頃とは異なり、最近はそれが普通に行われる。
 このときの天皇は、異国に対して非常に大きな恐怖心を持っていた。そのため、早く幕府に攘夷を実行せよ、と迫り、幕府は期限を設けてはそれを伸ばし伸ばしにしており、それがまた余計に幕府の権威を貶めている。
 攘夷を実行する、とは、具体的には、異国をうちはらう、つまり武力を用いることをもその意味に含む。
 黒船以来、その文明の発達と武力を知った幕府中枢の者どもは、下手な抵抗を見せ、この来訪者を敵にしてしまうのはどう考えても得策ではないし、そもそも無理であると考えた。なにしろ、黒船来航の二十年から三十年程度前から、既に米国や英国では鉄道が走っているくらいの国力の差があるのである。
 このときの我が国の人々が抱いた感覚は、突如やってきた宇宙からの飛行物体がいきなり我らが地球を自らのものにすると言い出し、各国軍自慢の戦闘機もミサイルも全く歯が立たず、未知のレーザー砲一つでアメリカ空軍のハリアーもロシア空軍のミグも全て消し飛んでしまうというようなパニック映画の登場人物に似ていることであろう。パニック映画では、それらの現象に対し、必ず人類が団結し、その叡知と勇気と犠牲の限りを尽くして侵略者を撃退するわけであるが、現実の我が国はそうではなかった。彼らの多くは、侵略者が持つ飛行船の速力も、それが備えるレーザー砲の威力も、ほんとうには知らない。
 なかには、知りながらも、それを腰間の一剣で何とかしようとする者もいたりした。どう防ぐか、どう守るかで意見が割れ、そのうち、そもそも戦うべきではないのではないか、むしろ、積極的に外国と交流を持ち、その文物を取り入れる方が良いのではないかと唱える者が現れたりし、それらが互いに激しい対立を生み、ときに殺し合いになったりもした。
 ちなみに、アメリカ、イギリスなどがしきりに日本に目をつけ、開国を迫ったのは、実は侵略のためではなく、当時重要な海産資源であった捕鯨のための中継基地とする目的が強かったという。
 この当時の船で主力となる大航海に耐えうるものと言えば、鉄道と同じ蒸気機関による外輪船である。蒸気機関には、石炭が必要で、それを無限に積むわけにはゆかぬ。それゆえ、中継基地が必要であった。
 はじめ、日本に対して、他の未発達な国に対するのと同じように武力をちらつかせながら、一方的とも取れる条約を結び、すんなりと事は成ると思っていた諸外国は、異人と見ればあちこちで刀を振り回し、せっかく作った公使館を焼くなど、思いのほかその国民の反発が激しいことに驚いた。
 条約の不履行や、異人殺しなどがある度に、異国は、政府である幕府をなじり、多額の賠償などを要求する。それに困り果てる幕府をもはや頼むべからずと、更に国内は混迷の極みを尽くす。
 重ねて言うが、このわずか数年後には、明治維新である。この転換の早さは、世界から置き忘れられたようになっていた我が国がその目覚めを激しく強制された、とも取れる。
 その旋回の中にいる者にとっては、なおさら渦の回転は早く感じることであろう。
 筆者が高校生くらいになるまで、携帯電話など持つものは多くなく、メールもおいそれと一般の人が用いるようなものではなかった。それが、今やインターネット無しでは生きてゆけぬ者まで出ている。
 筆者もまた、ファミコンの貧しいドット絵の中で繰り広げられる世界にどっぷり浸かった世代であり、次世代ゲーム機と称する硬いポリゴン絵のゲームが出現したときはたまげたものであったが、今やそのテレビゲームも現実以上に美しい世界をネット、あるいはVRなる科学技術の産物によって繰り広げるような始末である。
 時代の旋回は、早い。だが、まだ何とか多くの人は付いてこれている。
 しかし、読者諸兄諸姉は、今から五年後、国内で激しい内乱があり、日本政府が無くなり、全く別の価値観と理念を持った国の中で生きる自分を具体的に想像することができるであろうか。
 普通に考えて、あり得ぬことである。あり得ぬことが、実際に起きた時代であった。
 それゆえ、大小の転換点が、異様に多い。この文久三年もまた、久二郎らにとって大きな転換点となる。
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