女王の名

増黒 豊

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第十三章 銀の火

終わりの始まり

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 マヒロは、敵の騎馬隊と渡り合っている。しかし、馬に、粘りがない。やはり、疲れてきている。黒雷はまだ走れそうだが、一騎だけになれば、危ない。
 クシムが連れてきただけあって、その騎馬隊の動きは、まさしく最精鋭のそれだった。一騎が横から馬を付けて来て、それを嫌ったヤマトの兵が進路を変えようとすると、その先に別の敵がいるといった具合に、巧みに囲んでくる。
 それで、一騎、また一騎と着実にマヒロの旗下の数を減らしていく。兵同士の渡り合いなら互角であろうが、馬の息が限界に来ているのは、どうしようもない。
 それを、狙っているのか。
 いや、マヒロの黒雷だけ元気に走って、他の馬が走れなくなるまで、追うつもりか。
 討たれた者は十騎になり、二十騎になり、どんどん増えていく。それが半分にまでなれば、一気に押し包んでくるだろう。
 マヒロは矛を振り、敵を倒した。愚直に、倒すしかない。黒雷は味方の馬足に合わせ、全速力ではない。そのため、マヒロの回りにも敵が取り付き、矛が執拗に繰り出されてくるが、悲しいほどに当たらない。むしろ、敵が矛を振れば振るほど、隙が生まれた。その隙を、台風のようなマヒロの矛が襲う。
 遂に、味方が半数近くになった。敵が散開する。このまま包まれれば、危ない。
 マヒロは、決心した。黒雷に脚で意思を伝えた。汲み取った黒雷が、疾駆を始め、囲みを抜けた。
 味方を囲む輪の外に一騎で出て、一騎で将を打ち倒し、破るしかない。それまで、黒雷が持つか。
 マヒロは、囲みを抜けてすぐに反転した。クナの馬の輪が縮み、ヤマトの騎馬隊を包もうとしているところだった。あの中にはコウラがいるから、そうやすやすとは倒れない。
 馬蹄の音が、耳にこびりついたようにして鳴っている。
 反転すると、視線の先に、陽があった。マヒロは、顔をしかめた。
 ——陽が、欠けている?

 コウラは、自らをちらりと見て目配せをしたマヒロを信じた。このまま、囲まれるしかない。マヒロは、外から破るつもりだ。
 馬は限界を越えて走り続けると、死ぬ。既に、何頭かが走るのを停止し、死んでいた。馬が死ぬ前に、いっそ脚を止めてやれ、と思い、コウラは停止を命じた。ヤマトの馬群の速度が、緩んでいく。一気に、敵が包囲の輪を縮めてきた。
 襲いかかってくる敵に、渡り合う。矛を振るいまくった。コウラの矛は柄の部分が中空になっているから、軽く、斬撃に重みはないが、その分、速さで斬ることができる。
 主に、敵の馬を狙った。それでも、味方はあちこちで馬から突き落とされ、止めを刺されている。
 なにやら、薄暗い。はじめは陽を雲が隠したのかと思ったが、空に、雲はない。
 なおも渡り合い、必死の戦いを繰り広げた。
 マヒロが、囲みの外側から内側に向けて突き抜けてきた。鈍く光る矛の光が、弱い。やはり陽がかげっているらしい。そのまま、反対側へと突っ込んでいく。
 また、マヒロが飛び込んで来る。矛の刃が折れるか曲がるかしたのか、武器を剣に持ち換えている。二本の剣で、左右の敵を斬りながら、また反対側へ突っ込んでいく。
 どんどん、暗くなっていく。夕暮れを挟まず、夜になろうとしているようであった。思わず、天を見た。そこでは、コウラがまだ幼い頃、ヤマトの地で見た、あの現象が起きようとしていた。
 陽が、欠けている。何かに吸い取られるように、その光を弱めながら。

 タクも、それを見ていた。見て、眉をひそめた。
 ——私を、拒むつもりか。
 と、心の中でサナに語りかけた。無論、答えなど、あるはずもない。
 セイも、その現象を知っていた。かつてオオシマで、まだ発展途上であったクナ、ヤマトの両国が激突したとき、勝っていたはずの戦いを一挙に覆したのが、この現象であった。ヤマトのヒメミコが、どういうわけかいきなり戦いの場に現れ、陽が欠け、クナの兵が経験のないことに慌て混乱する中、闇を恐れる者がそれを払おうと灯した火めがけ、神殺しの矢が来た。そのあとは、闇の中を、矢の雨が降り注いだ。それを、ヤマトのヒメミコは、「命を喰う蝗のような」と形容した。
 今回も、敵は連弩を用いているらしい。
「闇になる。しかし、決して、火を灯すな」
 セイは、全軍に伝わるよう、命令した。薄暗くなり、灰色になってゆく世界を、
 ——火を灯すな。
 ——火を灯すな。
 という声が包んだ。

 騎馬隊の戦いも一時止み、皆が天を見上げ、欠けてゆく陽を呆然と見ている。あのときのことを知らぬ者も多いのだ、とマヒロは時が過ぎる速さを思った。
 この後、闇になるはずである。それで、敵陣に火が灯らぬものか。火さえあれば、それを目印に、討てる。
 しかし、敵陣には、セイがおり、タクがいる。案の定、火を灯すな。という命令が人の口から口へと伝わり、伝播していった。火がなければ、それはただの闇で、いっとき戦いが中止されるだけではないか。
 戦いの声も、武器を合わせる音も、止んでいる。光が色を奪われれば奪われるほど、静寂は鮮やかに浮かび上がってくる。
 もう、眼をこらしても、すぐ前すら見えない。天に、銀色の火を纏った穴が空いている。嘘のような光景である。
 完全な、闇。完全な、静寂。風すらも、囁かない。その中、遠くで、一つだけ、小さく、馬のいななきが聴こえた。

 マヒロの弓は手元にはない。しかし、彼自身が弓になり、矢になった。蜂が飛ぶような風切音の代わりに、馬蹄を轟かせながら。
 音のした所へ、駆けた。
 闇の中を。
 闇が晴れる前に、そこに辿り着かなくてはならない。
 黒雷も、そのことが分かっているらしい。命そのものを燃やし、駆ける。
 これは、天が与えた、たった一度の機会なのだ。

 馬の足音が、近づいてくる。それも、一騎だけ。
 闇の中で、セイはそれを聞いている。
 歩幅が、大きい。
「マヒロ」
 あの巨大な青毛の馬の姿が、すぐに浮かんだ。
 マヒロは、この闇の中を、どうやってこちらに向かって駆けているのか、全くセイには理解できない。
「なんだ」
 と、姿は見えぬが、すぐ近くでクシムの声がした。
「マヒロが、来ます」
 そんな馬鹿なことが、とクシムは思った。しかし、馬の駆ける音は、確かにこちらに向かっている。振り返ると、銀の火が、再び欠け始めている。
 あの陽が元に戻る前に、必ずマヒロはここに来る。それは、自らの死をも意味しているのではないか。

 黒雷が、遂に駆けるのを止めた。足がゆっくりになっていき、やがて普通の歩行に変わり、停止した。そのまま、足を折り畳む。マヒロは、黒雷から降り、首筋に抱き付いた。
「よく、駆けてくれた」
 と、耳元で囁いた。
「おれは、ゆく」
 もうほとんど命の消えかかっている黒雷を背に、マヒロは歩き出した。天の穴が欠け、銀の光が強くなってきている。地に生える草の陰を、それは鈍く浮かび上がらせていた。
 銀色が強くなる。マヒロの姿も、銀色に浮かんでいる。
 いや、他にも浮かんでいる者がいた。
 その陰影の形だけで、マヒロにはそれが誰なのか分かった。
「セイ」
「マヒロ」
 静かな輝きを持つ光と闇の世界で、二人は向かい合った。
「来たのか」
「お前を、殺しに来た。お前のヒコミコも、ヤマトの蛇も」
「では、私は、お前を殺す」
「やるか」
「やる」
 光が、力強くなってゆく。
「傷を、負っているのか。マヒロ」
 セイが、気遣うように言った。
「当たり前だ」
「いつも、お前は傷にまみれている」
「お前が、そうさせるのだ」
「確かに」
「言葉を楽しむ暇は、ない」
 セイの陰が、剣を鈍く光らせながら抜くのが分かった。
 マヒロは、両の手に提げた剣を、広げた。
 その銀色の影が、光と闇の世界の中に、ゆっくりと沈んでゆく。
 何かの終わりが、今静かに始まろうとしている。
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