女王の名

増黒 豊

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第十二章 絡め火

侵攻

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「どうする」
 クシムは、セイと話していた。タクから連絡があり、ヤマトが従える地域のうちの幾つかを一度に寝返らせたので、この機に、一挙にヤマトを覆してしまおうと持ちかけてきたことについてである。
「どうするも何も、お心は決まっておいででしょう」
 セイは、もなく言った。
「どうすると思う」
 クシムは、質問の仕方を変え、肘置きにもたれかかるようにして、体を斜めにした。
「あのオオト候タクは、ほんとうに我らを手引きするというのでしょうか」
 セイは、厚い唇を曲げた。
「わからぬ。しかし、あやつは、ユンがこの国を影から動かしていたときからクナのために働いていた」
「ヒコミコは、そうお考えですか」
 クシムは、少しだけ笑った。不思議なもので、あれほど生まれるときに感情を置き忘れてきたようであったこの若い王は、王となってから、やや感情が豊かになっていた。
「今、クナとヤマトは切り離されている。あやつがクナのために働いて、どういった利があるのであろうか」
「利など、ありませんな。クナに取り入り、権力を得ようとしているようにも思えますが、既に奴は、ヤマトの宰相の一人です」
「となると、どうなる」
 クシムは、この言葉の遊びを楽しんでいるようでもあった。セイは、考えた。考えたが、ぼんやりとしか分からない。
「セイよ。私には、おぼろげであるが、奴が見ているものが、分かる気がする」
「それは、なんでしょうか」
「奴がしていることは、ヤマトのためでも、クナのためでもないということだ。そのどちらでもない、全く別のもののために、奴は動いている」
「どういうことでしょう」
「分からぬなら、別によい」
 と、この元親子はタクについての会話をやめた。そのあとは、攻めるならどの地域の軍をいくら出すとか、どの経路を通ってゆくのがよいかなどの話をした。
 クナ本軍と各地から集めた軍で出兵可能なものを全て合わせれば、一万になる。対するヤマトは、下手をすれば総力を結集しても七千ほどしか集まらぬのではないか。それだけ、タクが行ってきた策の数々は、ヤマトをすり減らしていた。遠隔地の援兵が駆けつけて来れぬように巧みに地域を選び、叛かせているようだ。このぶんでは、ヤマトと共に戦うのはウマの地の軍のみとなるかもしれない。北からの軍はイブキの近隣地域を通過しなければならないし、東から船を用いる軍はヒトココの地の船団を組織して先回りさせて海を封鎖してしまえばよい。その他の取るに足らぬ小さな地域も動けぬよう、巧みに場所を選んで叛かせている気配がある。
 全て、タク一人で考え指揮をしていた、誰も知らぬ策である。そのくせ、彼はオオトをヤマトの最終防衛戦とするという規定に忠実に従い、その地の防備をひたすら強化した。
 これはこの時点ではまだクシムやセイの知らぬことではあるが、沿岸を見張る櫓の数は二倍に増やされ、上陸拠点となりそうな場所に複数の角度から火矢を射込めるよう工夫して設置されている。
 周辺海域を日中は常に小型の快速船が哨戒しており、また、西からの攻めに対しては、オオシマの民に自らの島を守るという名目で武装させ、軍のようにして扱っていた。タクの直属の兵のうちの千はマヒロらのところに回したためにその人数は減ったが、これだけの防備を攻め手が突破するのは骨である。
 大陸では古来、要塞攻撃には少なくとも防御側の三倍の兵力を必要とし、それでも落ちぬものは落ちぬ、という。オオトの地そのものがよく計算され尽くした要塞となっていたから、その守備力は尋常なものではない。
 また、万が一、最終防衛戦を突破されたときのため、建造途中であったヤマトへ向かう山の斜面を利用した製鉄のための鑪場たたらばまでも、防御と攻撃に利用すべく矢が撃てる口が設けられたりしており、この長細い煉瓦造りの巨大な建造物のそこここの窓から連弩れんどなどの掃射を行えば、効果は絶大であろう。
 更にヤマトへ向かう軍用路として整備され、夜でも馬の通行に苦労しないようになっている山道は、丸太や岩などをあちこちに積み上げ、罠を張ると共に、簡単に道を封鎖できるようにしていた。
 タクは、これらのことを、全て自らの指揮でごく短期間のうちにやってのけた。山向こうのヤマトからそれを見ていれば、タクは本気でヤマトの守備を目論んでいるのだと胸を撫で下ろす思いであろう。
 肝心のタク自身が裏切ってしまえば、元も子もないが。

 タクは、自らの兵二千五百でそれを運営し、守備をやってのけると言う。北から陸路で攻めてくる場合を想定し、いざ戦いとなったらカイはキヅおよびハラの地か、それよりヤマトに寄った平原に布陣してほしいとマヒロに要請し、マヒロはそれを受け入れた。
 ナナシが見ても、無理のないそれでいて万全な体勢である。ヤマトは北に開けた盆地で、西のオオトを守り、なおかつその盆地の入り口である北側を塞いでしまえば、東と南は深く険しい山が延々と続いているため、侵攻の心配はない。
 そのことを、ナナシは言っているらしい。勿論、マヒロはサナ直下の軍としてヤマトを守る。この布陣の最も重要な点は守りにあるから、マヒロが攻めてゆき、敵将の首を狩りまくるような布陣ではない。あくまで、マヒロは、ヤマト本土に攻め込むことをためらわせる「抑止力」として存在した。

 この度の騒ぎがあった直後、ナナシの前で、マヒロが言ったことがある。
「おれは、おれの武を、何かを奪うことには使いたくない」
「マヒロ様の武は、奪うために使われたことなど、ないのではないですか」
「大義としては、そうだ。欲のためにこの武を振るったことなど一度もない。しかし、おれは、何が目的であれ、実際に土地を、命を、この武で奪ってきた」
 マヒロがそう定義している以上、ナナシがそうではない、と言ったところで、ただの言葉遊びになる。だから、
「では、マヒロ様は、自らの武を、どうなさるのです」
 と聞いてやった。
「おれは、おれが存在することで、戦いが起こらぬようになればよいのではないかと思った。おれと向かい合い、無事では済まぬことぐらい、誰にでも分かる。だから、マヒロがここにいるなら攻めることはできぬ、と思わせるにはどうしたらよいか、と考えている」
 ナナシは、眼を細めた。覆面の下では、口角が愛らしくにっこりと上がっていることであろう。
「簡単なことです」
「なんだ」
「敵に、マヒロ様がここにいる、ということを、堂々と宣言してやればよいのです」
「なるほど、気取られぬように敵を討つ、という長年の戦いの経験が足枷になっていて、それは見えなかった」
 マヒロは素直に同意し、八重歯を見せた。
「それと、もう一つ」
 ナナシは細めた眼を再び開いた。
「このヤマトの地から、動かれぬことです」
「なぜだ」
「マヒロ様が動かれぬ限り、たとえ敵がオオトを破り、攻めてきたとしても、ヤマトをとして滅ぼすことは叶わぬかもしれぬ、と思うことでしょう。敵の目的がヤマトを攻めることにあるなら、マヒロ様がこの地におられるのが、最もその目論見を打ち破る簡単な策になるのです。達成できぬ目的なら、無いも同じ」
 マヒロは、頷いた。頷いてから、ふと、
「敵の目的が、ヤマトを滅ぼす以外のことであったなら、どうする」
 と素朴な疑問を投げ掛けた。
「そのときは、堂々と打って出て、敵の将の首を全てヒメミコの前に並べて差し上げればよろしいのです」
「こわい女だ、お前は」
「ええ、こわい女ですとも」
 ナナシは、また眼を細めた。

 そのマヒロの目的や考えとも、この布陣はぴたりと当てはまる。ただ守る。敵にとってはそのことが、最も戦い辛いはずである。
 もし、オオトでタクが裏切ってクナの軍を引き連れてきても、マヒロは打ち破る自信があった。根拠はない。ナナシなどに言わせれば、そうなったら北のカイと南のマヒロでそれこそ一挙に敵を囲み、殲滅してしまえるから、敵もそのことをよく分かっており、そのような動きはせぬだろう、という具合に論じることであろうが、マヒロは違う。
 勝つ、とだけ思っていた。サナを背にしながら戦うのである。どんな敵にも、負けるはずはなかった。ただ、じっと待つ。最悪の場合には、愛馬黒雷を駆って敵陣を粉砕しながらその将の首を一息に刎ねるのもいいし、タクが裏切るならばその頭を自慢の矢で砕けばよい。戦いになれば、そのとき、いくらでも道はある、とマヒロは柔らかな思考の中にいた。歴史的に見てこういった変幻さを持った将こそが、最も強い。
 戦いが始まってもいないうちからあれこれ考えれば、その策が外れて敵がこちらの想像を越えた動きをしてきたとき、その対処が遅れる。まさか、という思いが、どんな者の思考でも鈍らせる。だが、水のように変幻で形を持たぬ思考を持つ者は、その容れ物の形に合わせてその姿をいつでも変えることができる。だから、今のマヒロは、強いはずである。
 ヤマトは大きな国になっていたから、マヒロはいつも敵より大きい軍を率い、戦ってきた。しかし、彼がまだ若い頃、初めて戦場に出たハラとの戦いはどうであったか。劣勢の中、僅かな者だけで王の館を守り敵を退けたときにあったのは、ただヒメミコを守る、ということだけではなかったか。マヒロは、守ることの強さをとっくに知っているはずである。
 万が一守れなかったときには、敵の手に自らのそれに未だ残るヒメミコの命を奪う手応えを味わわせることになる。それだけは、あってはならない。だから、マヒロは、必ず勝たねばならない。
 そして、必ず勝つ。少なくとも、彼はそう確信している。

 それがいつなのかは、誰にも分からぬ。しかし、そのときは迫っていた。
 ウマの軍が海を避け、はるばる険しい山越えをし、やってきた。その数七百。動員できる最大限の兵を、連れてきたらしい。
「タチナラ」
 マヒロは、この愛すべき指揮者を迎え入れた。
「海を渡って来ようかとも思ったのですが、敵は海の防備に力を入れていると聞きまして。それで、山から来ました」
「まだ、こちらから頼んでもいないのに、済まぬ」
「なんの。このタチナラ、マヒロ様からじきじきに剣を授かったのですぞ。ヤマトの大変なとき、我らが役に立たずして、どうするのです」
 正直、ウマの軍には、要請を行うまで動いてほしくはなかった。まだ、早い。敵がどう出るか分からぬ以上、時が来るまで、ヒトココの地から南を回ってくる船などに目を光らせていてほしかった。
 しかし、マヒロは、戻れとは言わない。遥か後の世で起きた本能寺の変の際にかの徳川家康が滞在していた堺の街から領地である三河に帰るために逃げ込んだという経路を逆向けに辿ってはるばる山越えをしてきたタチナラに気を使ったわけではない。
 ──今、戻れと言っても、ウマの地から兵が消えたことを偵知したヒトココは、既に船を発しているだろう。もう遅いならば、このままこの地に留まってもらった方がよい。
 と思ったからである。そうとは知らず、ヤマトの危機に無邪気に駆け付けたタチナラは、ナナシに再会して顔を真っ赤にしながら頭を掻いている。それに対して眼を細めてやりながら、ナナシは、
 ──タチナラがここに来たということは、敵は来る。海から。そしてそれに呼応して、北から。クナ本軍は、どう出る。
 と考えていた。マヒロがいる限り、やすやすと攻め込んでは来まい。恐らく、にらみ合いと小競り合いの繰り返しになる。どこかで、追い返さねば。
 それには、ヤマトを締め付ける輪のように迫ってくる敵の、痛点を突いてやることだ。

 タチナラのおかげで戦いが始まってしまうと言ってしまえば、彼が可哀想であろう。しかし、こうなってしまったからには、タチナラにも存分に働いてもらい、輪の痛点を突き、諸地域の連合軍を退けるしかあるまい。
 攻め方として最も考えられるのは、海からの総攻撃である。
 北へは誰かの軍を割き、敵が動けぬ程度の兵を差し向ければよいのだ。オオトが破られないよう、ナナシは宰相であるタクがなんと言おうと、危ない気配を感じれば、すぐさまきたに軍を差し向けるつもりであった。
 それにちょうど良い男が、自分を見て照れている。
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