女王の名

増黒 豊

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第十一章 噴き火

噴き火

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 クナの神の山が、火を吹いた。その報が、ヤマトにもたらされた。ちょうど、冬の終わりを感じさせる頃である。噴火は、これまでに体験したことのないほどの規模であるらしく、山の近くには火山弾が降り注ぎ、空は灰で覆われ、昼でも夜のように暗いという。
「なんじゃと」
 サナは、すぐさま人を集めた。あらたにヤマトに加わって間もないとはいえ、クナもまたヤマトである。灰により空が閉ざされ、地に積もれば、作物などにも大きな影響が出る。ただちに、対策を講じねばならない。
 タクを通して、報は次々ともたらされてくる。クナは、かなり混乱しているようであった。
 第一報は、上の通り。第二報は、断続的に二日、三日続けて火を噴いており、その灰が、驚くべき早さでとめどもなく積もっているというもの。さらにその次の報では、火はややおさまったが、灰が全くやまぬ。民は家に閉じこもり、激しい降灰により外に出ようにも出れぬ、という。
 タクが、それらの報告をまとめていた。
都邑とゆうも、すねまで灰が積もる勢いだと言います」
「このように激しく火を噴くことが、今までにあったのか」
「以前に火を噴いたときは、薄く灰が積もった程度で、それくらいならばクナにおいてはよくあることだそうです」
 歴史的に、この山は噴火を繰り返してきた。火山の中ではかなり活発な方であり、最も大きな噴火ではおよそ八万年~九万年前くらいのもので、地層を調べれば、今でいう山口県のあたりや、朝鮮半島でも灰が積もった形跡が確認できるという。大規模な火砕流を伴う噴火は少ないが、有史以降も灰や噴石により田畑が壊滅的な被害を受けることがしばしばあり、今でも国土交通省により重要な火山として厳重に監視されている。
「灰は、どれほどの範囲で降っている」
 タクが、灰の被害を受けている、あるいはそう思われる地域の名を挙げていった。
「かなり、広いな」
 特に、火の神の山を見上げるようにして位置し、クナの先のヒコミコの父が滅ぼした「ヒ」の国の都邑をそのまま発展させたクナの都邑がひどい。このままでは、灰に埋もれてしまいかねない。
「これは、マツラなどに都邑をうつさせた方がよいかもしれませんな」
 タクが、自らの薄い唇を撫でながら、言った。マヒロとナナシは、ただ黙って聞いている。クナからこちらまで報がもたらされるのに、海路でクナの快速船とオオシマを経由する瀬戸内海の航路を用い、どれだけ船を飛ばしても、数日はかかる。そしてヤマトからの指示をもたらす船が戻るのに、また数日。その間に、被害は更に広がるだろう。
 そこへ、更なる報がもたらされた。
「民が、勝手に北へと移動を始めているそうです」
 民は、この度の火の神の怒りが尋常でないことを知っていた。彼らは長くこの火の神と付き合ってきた経験から、今回の噴火は先のヒコミコの怒りのためで、それが続く限り灰は積もる、と考えているらしい。先のヒコミコがもし怒っているとするならば、ヤマトが滅びでもせぬ限りその怒りを鎮める方法はなく、このままでは、何もかもが灰の下に埋もれてしまうということになる。
 そうなる前に、民は中央の指示を待たず、移動し始めた。行動としては懸命といってよい。通信の発達の著しい現代においても、少しの判断の遅れが命取りになることがあり、天災の際は、自治体の避難指示が出ているか否かに関わらず、あぶない、と直感したら安全を保つ行動を取るべきである。無論、パニックを起こして軽率に避難をすることもまた危険であり、よく状況を確認してから行動すべきであるが。
 また、何度かこの物語でも触れてきたが、この時代においての民にとっては、自らの上にある統治機構が何者であるかなど、特に気にすべき話題ではなかった。彼らからすればクナであろうがヤマトであろうが、名が違うだけで、日々作物を育て、それをしょうに献上し、再分配されたものをもって食い、生きるのみであることに変わりはない。だから、現代のように、自治体の判断に従って行動を決定するような気質を持たぬため、これは、ただごとでない。と思えば、勝手に移動を始めるのだ。

 統治者の意思が、国家の意思になるのは、いつのことなのであろうか。「帝」「皇帝」という存在は、そういった太古の概念を持つおおらかな民と、先進的な統治を目指す国家との歪みが生んだ存在であると言えるかもしれない。たとえば、身近な中国史を例に取ると、初めて「皇帝」という存在となった始皇帝は、この大地に前例のない存在である自らの意思とその存在そのものを、いかにして国家に浸透させるかということに苦心したらしい。しかし、民にはついに浸透しきらず、むしろ生身の始皇帝一人が秦帝国そのものであるなら、それを殺してしまえば自らが皇帝ではないか、という素朴な論理と、現代でも当たり前に用いられる、「取って代わる」という語と概念を産み出し、民に自らが皇帝であることを示すため諸地域を巡る長い道中で、何故かは分からぬが死んだ。そのあと巻き起こった楚漢戦争のことについてはここではあえて触れるまい。
 その後の世代、後の王朝の皇帝達は、始皇帝の成功と失敗を教訓とし、儒教などの儀礼を用い、皇帝を飾り立てることで、皇帝とはこの世で一番偉い人なのだ、と知らしめることに成功した。
 日本においては、それまで柔らかくこの地に存在していた原始的な神道と絡めて帝は神の末裔であるとし、神聖化した。われわれの祖先は、そういうものか。とそれを受け入れ、ごく近年までそれが続いていた。そういえば、天皇も名を持たぬ。天皇は、死してはじめて名をおくられる。たとえば、天智天皇、推古天皇、桓武天皇、など歴史の授業で習う有名な天皇の名を挙げればきりがないが、それらはほとんど全て、天皇の死後、あるいは後代になって付けられた名で、四十代目くらいの天皇である天武天皇までは、天皇は普通に名を持っていた──天武天皇のいみながオオアマであることはゆうめいであろう──と考えられている。
 天皇あるいは統治者へ名を贈る、すなわち死する前は、やはり単に、「治天下大王アメノシタシロシメスオオキミ」や、「スメラミコト」、「天子」、「今上」と呼ばれた。普通名詞のようでいて、一人しかいない絶対の存在であるからということで固有名詞化されたそれらの語を用いて呼称されているので、サナとは少し違う。
 とてもおおらかな我々の祖先は、それをよく受け入れた。権力に対し、反発ではなく、同化することを好んだ我々の祖先の心を、神道との結びつけは大きく掴んだことになる。それはすなわち、我が国における神というものが西洋におけるそれのように始原的かつ絶対的なものとして永遠に存在するのではなく、度々この物語に表れるように、気付けばそばにいる身近な存在であったことも大きな要因であると言わねばなるまい。
 後の世になり、この国が誕生したストーリーを描いた古事記や日本書紀などが編まれ、開示されたとき──民にそれが浸透してゆくのには更に長い年月を要するが──には、きっと鮮やかな驚きがあったに違いない。各地に散らばり、風土記などに著されるようにそれぞれ別々の由来と系譜を持っていた神々が一挙に繋ぎ合わせられ、国産みのエピソードに始まり、それが「我々」になってゆくまでの歴史が描かれているわけで、純朴な祖先達は、
「そうか。そんなことがあったのか」
 と素直に驚き、その親しみやすい神話を受け入れたに違いない。西洋や他地域の神と違い、日本の神は、やはりとても身近で、リアルである。それはやはり、統治者が労苦なく神との結び付きを図った際、必要に応じて神に人格を持たせねばならなかったと見ることもできるわけで、したがってその人格はどれもひどく人間じみていて、ときには馬鹿馬鹿しいほどに知恵の回らぬ神もいれば、後先考えずに思い付いたらすぐ行動に移し、後で取り返しのつかぬことになって当惑する神もいる。それらのスパイスは、編んだ者あるいは統治権力の、当時の我々の祖先への配慮であるのではないかと筆者は考える。
 また、古事記や日本書紀は、各地に伝わる神にまつわるエピソードや、その行動の記録の口伝をまとめた傾向もあるから、既に人々の間ではそのように神が人間らしく行動していたのかもしれない。

 神の話は余談であったが、火の神はとにかく怒っていた。どうしても、状況が伝わってくるまでに時差があるために、今現在、クナの地がどのようになっているのか、分からない。もしかすると、その都邑はとっくに空になっているのかもしれない。その人員の受け入れ先について手助けをしてやらねば、混乱が大きくなってしまう。
 サナは一通りの報告に基づいた判断により、クナの民と機構を、それよりやや北の、海に面したマツラという地に遷すことを指示しはしたが、現場で既に移動が始まっている以上、どうなるかは分からない。
 二人きりになった際、
「これをきっかけに、クナで妙な動きが起こらねばよいのですが」
 と、ナナシがマヒロにぽつりと言った。
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