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第十章 燠き火
実りの巫女
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コウラは、イヨと共にいた。戦いの間、側におれぬわけだから、戦いが無くなるとコウラもイヨも嬉しい。この頃になると、コウラはタクの行動を見張ったりすることも特になく、ただイヨと一緒に過ごしていた。
戦いの夏も終わり、秋には穀物の実りがあり、そろそろ冬を迎えようとしている。ヤマトの国力は、クナの併合により、安定の兆しがある。クナの諸地域からヤマトの諸地域へ積極的に移住を勧め、人が足りぬことによる生産性の低下を補った。イヅモの地もほぼ完全に無事なまま手に入れたわけだから、その潤いは、やがてヤマトの全てに分け与えられるはずである。
イヨは、実りの巫女、と呼ばれていた。別に正式な役職や役割を指すのではなく、たとえばサナが陽の巫女と言われたり、マヒロが神殺しと言われたり、タクが蛇と言われたりするようなものである。
イヨは、とても美しく育っている。まだ体つきは幼いが、すらりとした体型を持つタクとマオカの血をよく受け継ぎ、神聖な女王となるに相応しい長身と涼やかな目元を持つようになっていた。イヨが祈ると、地面が長く乾いていたとしても必ず稲妻が起こり、雨が降る。イヨが笑うと、穀物もそれに合わせて穂を揺らす。そのようなことを、民は皆信じているようであった。
これは、イヨに実際にそのような力があったわけではなく、民が統治機構に対し、従う理由を欲していることの表れではなかろうか。この、理由もなく――歴史的な意味として――突如として出現した巨大な統治機構を、民もまたどう扱ってやればよいのかもう一つ飲み込めず、まるで赤子を抱くように、あるいは卵を運ぶようにして扱っているらしい。だから、民が民として従うために、権力は神聖視されることがよくある。世界史的に見ても、宗教や人智を越えた力を背景に権力が立ち、そして滅ぼされということは日常茶飯事だし、この時代からさらに降った時代までの日本あるいはヤマトの王は、神と通じたり戦ったり交渉したりすることがその最も大きな役目であった。ちなみに、権力が高貴なのは神聖であるからである、という素朴な定義に基づいたこの時代の権力は、たとえば民に、神の怒りを鎮められなかった、などという理由で簡単に王が追われたり、殺されたりする危うさをも含んでいることも、付け加えねばならない。
その点、天皇制が敷かれてから後は、天皇は神そのもの、あるいは神の直流の子孫であると定義付けられた。公家や帝が歴史から忘れ去られたようになった時代もあったし、帝の奪い合いもあった。それでも、神そのものあるいはその直流の子孫が神聖でなくなったことはなく、それが神聖でなくなることは、遥か後代の太平洋戦争後まで無い。
結局、その後は、西洋的な、民が民を統べるという感覚と古代から受け継いだ「大いなる何かの傘の下にいる」感覚とが共存するふしぎな国家観を我々は持つようになり、それはすなわち、我々が他国家や他民族に比べ、やや自らの国家観や自らが参画する民族意識が薄いのでは、と論じられることに繋がっていると考える。
ともかく、神聖な女王となることがこの先もしかしたらあるかもしれぬというイヨへの期待が、彼女を実りの巫女にした。
その実りの巫女が、コウラに見守られ、晩秋の風と遊びながら、裸足で落ち葉を踏んでいる。
「コウラ、コウラ、早よ来い」
「ヒメミコ、そんなに急がなくとも、団栗は逃げませぬ」
ドングリは、縄文時代などは特によく食されたが、この時代においても欠かせない食料である。団栗という木があるわけではなく、ナラやシイなどの実の総称である。イヨが籠に拾い集めている団栗は、細長いもの、丸いもの、小振りなもの、大きなものと様々な形をしていた。ドングリは、実であり種子ではない。硬い皮の中身はタンニンなどを多く含み渋味が強いが、それらは水溶性の成分のため、殻を割り、中身を笊や篭に入れ、流水に数日さらしておけば渋味は抜ける。
それを、潰して練り、団子のようにして蒸したり、焼いたりして食べる。イヨはその味が好きだった。楽しそうに笑いながら、落ち葉をかき分けてはドングリを拾い、ほら!といちいちコウラに見せ、篭に放り込んでゆく。
実りの巫女は、一杯になり、重くなった篭を持ち上げ、コウラに満足そうに見せた。
「たくさん、採れましたね」
コウラも笑って、篭を受け取ってやった。この時期、女は森に出て、このようにして団栗を拾う。殻を砕かなければそのまま貯蔵できるので、冬の間の貴重な食料となる。
戦いがなければ、コウラはこのようにしてイヨのお付きとして、平穏な日々を過ごすことができる。もちろん、今も一日おきにヤマトへ通い、マヒロの実質上の副官としての役目と己の武の研鑽は続けている。しかし、いかに武を磨こうと、戦いのない限りは、イヨに何かあった際の備えくらいにしかならぬ。
「わたしが、きっと一番多く拾ったはずじゃ」
イヨは白い歯を見せて笑った。もう、言葉使いは大人のものになっているが、こういうところは、まだ多分に子供である。
「そうでしょうとも」
コウラは重い篭からイヨが集めたものが転がり落ちぬよう気を付けながら、同意してやった。
オオトの楼閣の前には、女たちが集めてきた篭が大量に並べられていた。それを、こんにちでも有名な高床式の倉庫に、役目を与えられた者が順にしまってゆく。以前にこの物語で触れた、ずっと何に使うのか分かっておらず、ごく最近になって篭の底に取り付けられていたことが分かった木の枠は、このようなときに、篭の底が湿気により腐ったりせぬよう用いられたのであろうか。
敷地の中に引き込まれた清浄な流れで手を洗うと、ヤマトのそれより少し小降りな楼閣に戻った。この楼閣の最上階に今いるのは、タクではなくイヨである。
コウラは、そこまでイヨと手を繋いでゆく。階を登るときは、コウラが先にゆき、上ってくるイヨに手を貸した。
手を繋ぐ、という行為は、近代のみならず、太古からある風習である。手を繋ぐ、身体を寄せ合うなどの皮膚刺激を伴うスキンシップを行うと、オキシトシンという幸福感をもたらすホルモンが分泌される。オキシトシンは性交渉のとき最も多く分泌される。そうすることで、我々は性交渉を快いものと捉え、遺伝子を後代に伝える行為に積極的になるのだ。
皮膚刺激による分泌は、何も人と人である必要はなく、動物とのふれ合いによっても分泌される。人類は、生物としてのごく自然なはたらきとして、手を繋ぎ、抱擁をし、口づけをし、性行為をする。ちなみに、これらの行為は人類のみならず、高度な類人猿や、ある程度の知能を持った哺乳類にも見られる。
たとえば犬が仲間同士で身体を舐め合ったりするのもそうであるし、ゾウの母子のスキンシップなどは、たびたびテレビなどでも取り上げられ、微笑ましくそれを眺めることも多いだろう。オランウータンなども手を繋ぐことをするし、最も高度な類人猿と言われるボノボに至っては、オスとメスが出会うと、挨拶としてのスキンシップとして性行為をすることもある。それらは、やはりこのふれ合いホルモンと通称されるオキシトシンと無関係ではあるまい。
イヨは通常、部屋の前でコウラと別れるとき、オキシトシンの分泌をもっと求める。手を離したがらないのである。
「明日は、ヤマトに行くのであろう」
「はい」
「明日も、ここにおれ」
「そういうわけには、いきません」
これが、通常のやり取りであった。コウラは毎度、彼のヒメミコを優しく宥め、自室に戻るのである。
戦いが多く続いたため、とても貴重なことのような気がしているが、むしろこちらが日常であることを思い、コウラは一人、苦笑した。
そういえば、クナの地にやる吏の選定をして以来、タクはめっきり影が薄い。クナを降したことを大陸へ報告をする準備を、ナシメなどは行っている。すでに触れた通り、秋以降は船は出せぬ。次の春になれば、すぐさま船団を発することができるよう、今から財物の手配や船、人員の選定などを準備しておくのだ。タクは、どうやらそれも手伝わぬらしい。ごく僅かな者が、たまに楼閣の二階の部屋を訪れているようだが、何をしているのか、ナシメも知らぬらしい。たまに、ふらりと出て行っては数日戻らぬこともある。コウラが、たまたまタクが戻ったところに居合わせたとき、試しに、
「どちらへ行っておられたのです」
と何気なく聞いてみると、
「なに。ちょっと領地の冬の支度を確かめてきただけだ」
と無難な答えが返ってくるのみである。父として、タクはイヨをとても大事に思っているのだけは本当らしく、今のところコウラにとっては、それだけ分かればよい、と思うしかない。
そういえば、イヨが実りの巫女、と言われるようになったのも、タクの宣伝によるものではなかったか。
戦いの夏も終わり、秋には穀物の実りがあり、そろそろ冬を迎えようとしている。ヤマトの国力は、クナの併合により、安定の兆しがある。クナの諸地域からヤマトの諸地域へ積極的に移住を勧め、人が足りぬことによる生産性の低下を補った。イヅモの地もほぼ完全に無事なまま手に入れたわけだから、その潤いは、やがてヤマトの全てに分け与えられるはずである。
イヨは、実りの巫女、と呼ばれていた。別に正式な役職や役割を指すのではなく、たとえばサナが陽の巫女と言われたり、マヒロが神殺しと言われたり、タクが蛇と言われたりするようなものである。
イヨは、とても美しく育っている。まだ体つきは幼いが、すらりとした体型を持つタクとマオカの血をよく受け継ぎ、神聖な女王となるに相応しい長身と涼やかな目元を持つようになっていた。イヨが祈ると、地面が長く乾いていたとしても必ず稲妻が起こり、雨が降る。イヨが笑うと、穀物もそれに合わせて穂を揺らす。そのようなことを、民は皆信じているようであった。
これは、イヨに実際にそのような力があったわけではなく、民が統治機構に対し、従う理由を欲していることの表れではなかろうか。この、理由もなく――歴史的な意味として――突如として出現した巨大な統治機構を、民もまたどう扱ってやればよいのかもう一つ飲み込めず、まるで赤子を抱くように、あるいは卵を運ぶようにして扱っているらしい。だから、民が民として従うために、権力は神聖視されることがよくある。世界史的に見ても、宗教や人智を越えた力を背景に権力が立ち、そして滅ぼされということは日常茶飯事だし、この時代からさらに降った時代までの日本あるいはヤマトの王は、神と通じたり戦ったり交渉したりすることがその最も大きな役目であった。ちなみに、権力が高貴なのは神聖であるからである、という素朴な定義に基づいたこの時代の権力は、たとえば民に、神の怒りを鎮められなかった、などという理由で簡単に王が追われたり、殺されたりする危うさをも含んでいることも、付け加えねばならない。
その点、天皇制が敷かれてから後は、天皇は神そのもの、あるいは神の直流の子孫であると定義付けられた。公家や帝が歴史から忘れ去られたようになった時代もあったし、帝の奪い合いもあった。それでも、神そのものあるいはその直流の子孫が神聖でなくなったことはなく、それが神聖でなくなることは、遥か後代の太平洋戦争後まで無い。
結局、その後は、西洋的な、民が民を統べるという感覚と古代から受け継いだ「大いなる何かの傘の下にいる」感覚とが共存するふしぎな国家観を我々は持つようになり、それはすなわち、我々が他国家や他民族に比べ、やや自らの国家観や自らが参画する民族意識が薄いのでは、と論じられることに繋がっていると考える。
ともかく、神聖な女王となることがこの先もしかしたらあるかもしれぬというイヨへの期待が、彼女を実りの巫女にした。
その実りの巫女が、コウラに見守られ、晩秋の風と遊びながら、裸足で落ち葉を踏んでいる。
「コウラ、コウラ、早よ来い」
「ヒメミコ、そんなに急がなくとも、団栗は逃げませぬ」
ドングリは、縄文時代などは特によく食されたが、この時代においても欠かせない食料である。団栗という木があるわけではなく、ナラやシイなどの実の総称である。イヨが籠に拾い集めている団栗は、細長いもの、丸いもの、小振りなもの、大きなものと様々な形をしていた。ドングリは、実であり種子ではない。硬い皮の中身はタンニンなどを多く含み渋味が強いが、それらは水溶性の成分のため、殻を割り、中身を笊や篭に入れ、流水に数日さらしておけば渋味は抜ける。
それを、潰して練り、団子のようにして蒸したり、焼いたりして食べる。イヨはその味が好きだった。楽しそうに笑いながら、落ち葉をかき分けてはドングリを拾い、ほら!といちいちコウラに見せ、篭に放り込んでゆく。
実りの巫女は、一杯になり、重くなった篭を持ち上げ、コウラに満足そうに見せた。
「たくさん、採れましたね」
コウラも笑って、篭を受け取ってやった。この時期、女は森に出て、このようにして団栗を拾う。殻を砕かなければそのまま貯蔵できるので、冬の間の貴重な食料となる。
戦いがなければ、コウラはこのようにしてイヨのお付きとして、平穏な日々を過ごすことができる。もちろん、今も一日おきにヤマトへ通い、マヒロの実質上の副官としての役目と己の武の研鑽は続けている。しかし、いかに武を磨こうと、戦いのない限りは、イヨに何かあった際の備えくらいにしかならぬ。
「わたしが、きっと一番多く拾ったはずじゃ」
イヨは白い歯を見せて笑った。もう、言葉使いは大人のものになっているが、こういうところは、まだ多分に子供である。
「そうでしょうとも」
コウラは重い篭からイヨが集めたものが転がり落ちぬよう気を付けながら、同意してやった。
オオトの楼閣の前には、女たちが集めてきた篭が大量に並べられていた。それを、こんにちでも有名な高床式の倉庫に、役目を与えられた者が順にしまってゆく。以前にこの物語で触れた、ずっと何に使うのか分かっておらず、ごく最近になって篭の底に取り付けられていたことが分かった木の枠は、このようなときに、篭の底が湿気により腐ったりせぬよう用いられたのであろうか。
敷地の中に引き込まれた清浄な流れで手を洗うと、ヤマトのそれより少し小降りな楼閣に戻った。この楼閣の最上階に今いるのは、タクではなくイヨである。
コウラは、そこまでイヨと手を繋いでゆく。階を登るときは、コウラが先にゆき、上ってくるイヨに手を貸した。
手を繋ぐ、という行為は、近代のみならず、太古からある風習である。手を繋ぐ、身体を寄せ合うなどの皮膚刺激を伴うスキンシップを行うと、オキシトシンという幸福感をもたらすホルモンが分泌される。オキシトシンは性交渉のとき最も多く分泌される。そうすることで、我々は性交渉を快いものと捉え、遺伝子を後代に伝える行為に積極的になるのだ。
皮膚刺激による分泌は、何も人と人である必要はなく、動物とのふれ合いによっても分泌される。人類は、生物としてのごく自然なはたらきとして、手を繋ぎ、抱擁をし、口づけをし、性行為をする。ちなみに、これらの行為は人類のみならず、高度な類人猿や、ある程度の知能を持った哺乳類にも見られる。
たとえば犬が仲間同士で身体を舐め合ったりするのもそうであるし、ゾウの母子のスキンシップなどは、たびたびテレビなどでも取り上げられ、微笑ましくそれを眺めることも多いだろう。オランウータンなども手を繋ぐことをするし、最も高度な類人猿と言われるボノボに至っては、オスとメスが出会うと、挨拶としてのスキンシップとして性行為をすることもある。それらは、やはりこのふれ合いホルモンと通称されるオキシトシンと無関係ではあるまい。
イヨは通常、部屋の前でコウラと別れるとき、オキシトシンの分泌をもっと求める。手を離したがらないのである。
「明日は、ヤマトに行くのであろう」
「はい」
「明日も、ここにおれ」
「そういうわけには、いきません」
これが、通常のやり取りであった。コウラは毎度、彼のヒメミコを優しく宥め、自室に戻るのである。
戦いが多く続いたため、とても貴重なことのような気がしているが、むしろこちらが日常であることを思い、コウラは一人、苦笑した。
そういえば、クナの地にやる吏の選定をして以来、タクはめっきり影が薄い。クナを降したことを大陸へ報告をする準備を、ナシメなどは行っている。すでに触れた通り、秋以降は船は出せぬ。次の春になれば、すぐさま船団を発することができるよう、今から財物の手配や船、人員の選定などを準備しておくのだ。タクは、どうやらそれも手伝わぬらしい。ごく僅かな者が、たまに楼閣の二階の部屋を訪れているようだが、何をしているのか、ナシメも知らぬらしい。たまに、ふらりと出て行っては数日戻らぬこともある。コウラが、たまたまタクが戻ったところに居合わせたとき、試しに、
「どちらへ行っておられたのです」
と何気なく聞いてみると、
「なに。ちょっと領地の冬の支度を確かめてきただけだ」
と無難な答えが返ってくるのみである。父として、タクはイヨをとても大事に思っているのだけは本当らしく、今のところコウラにとっては、それだけ分かればよい、と思うしかない。
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この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
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