女王の名

増黒 豊

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第八章 揺れ火

叛乱の理由

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 マヒロは、黒雷を敵の陣すれすれにまで駆けさせた。敵が慌てて矢を射かけてくるが、騎馬隊が散開していてなおかつ疾駆させているため、当たらない。この馬という最新鋭の兵器に対応する術を、弓を取る一般の兵の殆どは知らない。
 ぱらぱらと矢を放ってくる敵の目鼻が分かるようになったところで、馬を反転させる。
「戻る。散開と、結集」
 マヒロは黒雷を反転させながら、鏡でもって号令させた。騎馬隊が二体に分かれ、それぞれが蛇行し、アラビア数字の8を描くようにして戻ってゆくので、やはりイシの弓隊は狙いを定めることができない。
 マヒロは反転させるとき、イシの弓隊の号令の出所を見ていた。陣にまで戻ると、敵の矢は届かない距離である。
 マヒロは、馬上、長弓を取った。
 矢をつがえる。番えながら、
「歩兵、進め。敵の直前で反転」
 と指示をした。音を鳴らすための銅鏡が、叩かれる。
 それが鳴りやんだとき、硬い破裂音が、この東西に長く南北に狭い戦場に響いた。
 イシの陣の中、その兵の隙間を縫って号令を出していた指揮者の胴を、その矢は正確に刺し貫いた。
 イシの兵からすれば、先程まで生きて自分達を指揮していた者がいきなり吹っ飛ばされ、死体になったわけであるから、その驚きは並のものではない。その胸には、どこから射ったのかも分からぬほど遠くから飛来した、あり得ぬほど長く大きな矢が、鎧を貫通して深々と刺さっている。
「神殺しの矢だ!マヒロが来ている!」
 イシの兵は恐れ、騒いだ。そこに、歩兵が一斉に駆けてくる。慌てて迎撃の姿勢を取るが、やはり反転してゆく。歩兵と入れ替わりに、馬が来る。
「馬だ!逃げろ!」
 誰かが言うと、前列の弓隊は一斉に弓を捨て、後方へと散ってゆく。
 マヒロは再び馬を返しながら、
「これで、手を出したくても出せぬであろう」
 と傍らのコウラに言った。陣に戻ると、ナナシと眼を合わせた。ナナシはただ頷いた。
 この後、全く互いに軍を進めず、睨み合ったまま、日が暮れた。
 陣で火を焚き、簡単な食事を取りながら、
「明日は、攻めるのですか。早く敵を蹴散らしたくてたまりません」
 とコウラが言う。こちらの、攻めに対する欲求が溜まってきているということであり、それは兵においても同じであろう。マヒロは、ナナシに向かい、お前の言う通りになっているな、とだけ言った。ナナシはやはり黙って頷いた。
 オオミが、
「コウラ。明日も、まだめる。敵に存分に、気を揉ませてやるのだ」
 と方針を説明してやった。
 その明日が来た。マヒロは、やはり大きな動きはしない。イシ軍がオオシマ方面への抑えだけを残し、陣をそのまま進めてきたが、マヒロは全軍を同じだけ後退させた。
 イシ軍が距離の縮まらぬことを見、陣を元に戻そうとすると、マヒロはそれを追うようにして急進撃した。イシの兵が騒ぐのが見える。やはりぱらぱらと射かけてくる矢を、黒雷を右に左に走らせ、当たらぬようにした。そして、また反転する。
 陽が最も高くなる頃、イシが軍を発した。軍に上がる気が、今までと違うことをマヒロはその動きから見て取った。
「下がる。弓だ」
 銅鏡が、鳴る。前列に出た弓隊から、矢が放たれる。その雨はイシの歩兵の頭上に降り注いだ。しかし二の矢は来ない。マヒロが弓隊の前に馬を進めると、敵は進軍を止めた。
 やはり睨み合いになる。次に敵が動いたとき、マヒロは騎馬隊のみを出し、自ら先頭となり進撃した。今度は、敵の陣に突入してゆく。
 反対側にまで突き抜けるまでの間のどの兵の顔にも、恐れがあった。騎馬が突き入ってくるのを、むしろ避けるようですらあった。陣を突き抜けたところで反転させ、戻ってゆく。この日も、この後睨み合いが続き、やはり日が暮れた。
 翌朝。イシの陣の後方が、騒がしい気配がする。
「どうやら、来たようだな」
 マヒロは、オオミ、コウラ、ナナシに言った。三名とも、深く頷いた。
「弓の届く位置まで、進め。あるだけの矢を放て」
 鏡が鳴る。天を埋めつくさんばかりの矢が放たれ、イシの前列は大混乱となった。
 矢が尽きると、マヒロは最前列にいた。
「――ゆくぞ」
 攻めてはかわされ、あるいは蜂のように刺されしていたイシの軍の気勢は、衰えている。それに引き換え、攻めたくても許されなかったヤマトの兵のそれぞれの気勢は異常に騰がっている。騎馬を先頭に、鬼のような形相でイシの陣へと突撃してゆく。
 マヒロは矛を右に左に振り回しながら黒雷を疾駆させている。黒雷も、ほんとうの戦いが始まったことを察しているのか、その足は速い。陣を、突き破った。海から、船団が乗り付けており、ウマの軍が戦っているのが見えた。
 騎馬隊が反転する頃、オオミ率いる歩兵もまた、イシ軍の前衛に殺到してきた。
「馬。散開」
 マヒロは、敵陣の後方から再び騎馬隊を突入させ、進みながら扇形に展開させた。その衝撃は陣の中を伝播していき、敵は浮き足だった。
 そこへ海への抑えの三百を打ち破ったウマ軍五百が、突っ込んでくる。前衛を攻めている歩兵と挟み撃ちである。もともと気勢の萎えたイシ軍だから、もはや勝敗は決したも同じである。
 マヒロはなおも馬を進め、前衛にまで出て更に反転させる。矛の先が曲がるほどに敵を刺し、斬った。刃が折れ、柄だけになった矛を捨て、剣を抜いた。
 翼を広げる。
 敵中で戦うウマ軍の指揮官、タチナラと眼が合った。双方、その再会に、にやりと笑い合った。
 タチナラの方に馬を寄せていき、周りに群がる敵の前で翼を閉じ、首を二つ跳ね上げた。
「タチナラ!」
「マヒロ様!」
 昨年の暮れの前に、ウマの地をマヒロが訪れて以来の再会である。タチナラは前衛に向かって、マヒロは後方に向かって行き違った。
 南北は海と山に囲まれた細長い戦場である。ウマ、ヤマトの両軍に東西から挟まれたイシ軍に逃げ場はない。
 マヒロは、かなり数の少なくなってきたイシ軍の中核を見つけていた。
「仕上げだ」
 コウラと二騎、突出してゆく。
 それと気付いた敵が、固まる。
 ぶつかった。敵が、飛び散る。
 集団の中央にいる男と眼を合わせた。合わせたまま、翼を閉じた。
 男の首が、宙を飛ぶ。
 イシ軍の総指揮官が、死んだ。
 混乱するイシ軍の残りを、平らげた。
 ヤマト軍の損害は、騎馬が四騎、歩兵が七十。少ない。戦いの度に矢だの剣だのによる生傷の絶えないマヒロも、今回はかすり傷一つ負っていない。
「ナナシ」
 マヒロは、待機していたナナシに、声をかけた。
「お前のお陰だ」
 八重歯がちらりと覗いた。ナナシは、いや、マナは、気が遠くなるほどに、それが嬉しかった。

「マヒロ様」
 戦場の始末と軍の撤収をマヒロが命じ終わったのを見計らい、タチナラが、駆け寄ってくる。マヒロは、黒雷から降りた。
「タチナラ。遠路、済まなかった」
「なんの。マヒロ様からじきじきに授かった剣を持つこのタチナラ、たとえ地の果てへでも駆け付けますぞ」
 とマヒロから譲り渡された剣の柄を叩いた。
「ウマの宝剣も、よく斬れる」
 マヒロも、柄を叩いた。
 その後、オオミやコウラ、ナナシにタチナラを引き合わせてやった。
「ウマの軍を率いる、タチナラだ」
「マヒロ様に許され、ウマの軍を預かっております。お見知り置きを」
「キヅ候オオミである」
「オオミの子、マヒロ様に従っております、コウラと申します」
 ナナシは、眼を細めて会釈をした。
「こちらの、美しい女子おなごは?」
 マヒロと、ナナシが凍りつく。
「タチナラ。これはナナシといって、大陸から渡ってきた、軍の進退などのやり方を考える役割の者なのだ」
 と無駄のない頭を持つオオミが、ナナシと軍師についての説明を一息にした。
「ナナシ様、女に間違われてしまいましたね」
 コウラが笑った。ナナシは、背筋に冷たいものが流れるのを感じながら、眼を細めた。
「これはまだこの地に来て間もないため、言葉があまり上手くないので、恥ずかしがって口を開かぬのだ」
 マヒロが、解説してやった。
「その装束は、やはり大陸の?」
 と穏やかな田舎からやって来たタチナラは、興味深々である。ナナシは、黙ってかぶりを振った。
「これは、幼き頃の火傷の痕を気にしてのこと」
 マヒロが代わりに答える。
「いや、これは失礼。あまりにも美しい目と、白い肌をしておられるため、てっきり私は、女だと」
 タチナラが笑う。
「そういえば、ナナシ様は、どうしてそんなに綺麗な手をしているのです」
 コウラがおもむろにナナシの手を取った。ナナシが、とっさにその柔らかな白い手を引っ込め、隠す。
「ほんとうに、おなごみたいだ」
 コウラが喜んで、からかう。ナナシは逃げ出そうとしたが、するすると伸びてきたコウラの手に捕まった。暇さえあればマヒロの手解きを受けているコウラである。武の心得など全くないナナシを捕らえるのなど、簡単であった。
 身をよじり、逃げようとするが、逃げられない。
 コウラは、いきなりナナシの身体を放した。緩やかな絹の上衣を着ているため、見た目には分からぬが、ナナシの身体は、間違いなく女のそれであった。当惑したように、マヒロと、ナナシの眼を交互に見る。マヒロは、首を横に振った。
「どうです、まだイシの地の仕置きもあることですし、今宵は皆で一緒に」
 とコウラは何事かを察し、話題を変えた。もとより、戦後処理のため、マヒロはイシの都邑とゆうに入るつもりであったから、承諾した。

 これで、また兵が減る。この戦いでイシの兵、全軍で二千のうち千五百は討った。叛いたとはいえ、彼らもまたヤマトの兵だった者共である。このクナとの境界の地の守りをおろそかにするわけにはゆかぬため、また補充が要る。それを、どう工面するのか。とりあえず、マヒロの軍から二百、オオミの軍から百を出し、生き残り投降したイシの兵五百をその指揮下に組み込んだが、やはり足りぬ。
 この時代の兵には後年ほど強い自我はなく、指揮官の言うまま戦うのが普通であったから、鎮憮した反乱軍の残党の方が数が多くなることについて、問題はない。彼らは、兵となることで、その家が穀類を納めることを軽減され、食事や住まいの保証を受けられれば、それでよいのだ。
 ヤマトの法では、採れた穀類の量に合わせ、それぞれの地域が、その統治下にあるムラから税を吸い上げる。それは中央に報告され、管理される。兵のある家は、兵一人あたり幾らという具合に、ムラへと上げる税が減免される。また、後代の軍制のようにはっきりとした兵農分離の身分階級があるわけではないから、兵はその所属する軍の定めた場所に暮らし、戦いのないときは農耕をしている。
 戦いになっても、
「今回の戦いの目的はこれこれで、どこそこを制圧することが肝要である。そのため何々を心がけ、どうこうすることを求める」
 などというような、外来語で言う戦いの前のブリーフィングも無い。「退け」と言われれば退き、「進め」と言われれば進み、「あれが敵じゃ」と言われれば戦った。それゆえ彼らのほとんどが、自分達が今からどこに向かい、なんのために戦うのか知らぬままということが普通であった。

 足りぬ兵をどうするか、ということについては統治する各地の候から補充を命じなければならず、どの地域から何人出させるかを決める必要があるため、今は最小限の者しか置けない。
 思えば、オオシマを奪い、その地にも兵を置いていた。トオサの地にも、兵を送った。最近ではサザレでの戦いもあり、そこへもやはり兵を補充したし、戦いにより大きな損害を被ったオオミ、カイの兄弟の軍にも兵が補充された。
 このまま兵が足りなくなれば、ヤマトの国家機構は自壊するのではないかと、例えばサナやマヒロは勿論、オオミ、カイなども思っていた。無論、タクもそう思わぬはずはない。
 兵が決定的に足りなくなったとき、今は大人しく従っている諸地域も叛くかもしれない。そしてまた、兵が減る。そうこうしているうちにヤマトは痩せ細り、クナに飲み込まれてしまうというようなことにはならないか。
 ともかく、今夜は、マヒロはタチナラとの再会を喜ぶ。人は貴重である。皆で飯を食い、酒を飲んだ。兵にも戦勝の祝いとして酒が出た。
「あの貝を、また食いたいものだ」
 とマヒロは、ウマの地で食したあの柔らかな弾力を持つ貝の美味いことを、オオミらに力説した。
「また、冬になったら、運ばせましょう」
 とタチナラが笑った。今夜は、イシの海で採れるたこが出た。候もヤマトから派遣された官吏も皆斬られたが、候の館で働く者、都邑の民達にはそのままの生活がある。やはり、誰が上に立とうが、その下にいる者にはあまり関わりのないことなのであるのかもしれない。
「それにしても」
 マヒロは、ナナシに問う。
「なぜ、イシは叛いたのだ」
 わからない、とナナシは首を傾げた。
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