女王の名

増黒 豊

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第七章 継ぎ火

貝の味

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 マヒロは、ウマの地に立っている。ヤマトで今、何が起きているのかは知らない。雪の降る中、ウマの都邑とゆうにまでやってきた。ぱらぱらと、申し訳程度に、ウマの軍が出ている。
 マヒロは、自らの軍を散開させ、待機させた。一騎、愛馬黒雷をゆっくりと進ませ、大音声だいおんじょうでもって、ウマの軍に語りかけた。
「我が名はマヒロ。ヤマトが王の意を受け、ウマ候と話をしに来た。今、ウマは、ヤマトに弓引かんとしているという話が誠かどうか、確かめたい。誠であれば、このおれに向かって矢を放ち、戦いを宣言するがよい。我が兵がそなたらを一呑みにし、この地を焼き尽くすであろう」
 マヒロは、ウマの兵を見た。しんとしている。どうやら戦意はないらしい。
「誠でないならば、今すぐおれを通せ。決して、そなたらを害したりはせぬ」
 ウマの軍の中から、やはり一騎進み出てきた。
「ウマが軍を率いる、タチナラと申します。この度、神託により、ヤマトの治めるところを、もともとの姿に還す、と出たため、我らが候は、大いに迷っておられるところでありました。しかし、先の評定で、神の意思をを凌駕するヤマトの勢いを、やはり盛り立てるということに決しております。我ら、必ずヤマトの治める天地のため、力を尽くしましょう」
 マヒロは、馬を歩ませた。ウマの将タチナラの目鼻が、しだいにはっきり見えてくる。思ったよりも、若い。カイと同じくらいの年頃であろうか。
「また、神託には、このようにも出ております。ヤマトより神宿しの者がやって来て、その矢の進むところにある鎧を打ち砕くことができれば、ヤマトはこの天と地の間を治めることとなるであろう、と」
 先程からタチナラの言う神託とは、例の、占いを主にするものが、神聖な火に鹿の骨や亀の甲羅などをくべ、そのひび割れの形によって神の意思を読む、というあれである。
 仮に、その占いをする者が、権力者の意を受けてそう言え、と言われれば、それが政治そのものとなった。この場合は、クナの意思が介入しているのかどうかは分からないが。
 サナは、既に述べたように、要らぬ。としてそれを廃止したが、この、風景が美しく気候のよい温和な土地の人々は、やはり未だにこの昔からの風習を重要視している。マヒロはそれをよく汲み取った。
「よかろう。鎧を持つがいい」
 雪の中に、鎧が立てられた。
「百歩の距離で」
 タチナラが、その距離を指定した。
 マヒロは、黒雷から降り、一歩ずつ声に出し歩いた。
 ――百。
 マヒロはなおも歩みを止めない。
 ――二百。
 ――三百。
 距離を取るごとに、マヒロの声が大きくなっていく。
 ――四百。
 マヒロは、ほとんど叫んでいる。
 ――五百。
 ほとんど、ウマの兵達に声は聞こえない距離になった。雪が、マヒロの声を吸い取っているのも、関係しているかもしれない。その雪は、マヒロの姿も隠した。あんな距離から、立てられた鎧がそもそも見えるのか。雪の一粒が目の前を横切るだけで、鎧は隠れてしまうであろう。
 それでもマヒロは、長弓を構えた。
 天高くかざし、矢をつがえる。
 それをゆっくりと降ろしながら、引く。
 口許に、矢をあてがう。
 マヒロの静かな眼に、一瞬だけ、火が宿った。
 白い息が、三つ漏れた。
 火がぜたよりも更に激しい音が、雪の中にこだました。
 その音が聴こえたとほぼ同時、ウマの者に見守られて立てられた鎧が、砕け散った。マヒロの軍も、ウマの軍も、一斉にわっと声を上げた。
 雪の降る中、五百歩向こうの鎧を射るなど、あり得ぬことである。勿論、雨や雪は飛行する矢にとって、大きな抵抗となる。その抵抗の大きさ、軌道、殆ど見えぬ的の位置。全てをマヒロは読み切り、一矢に全霊を込め、放った。
 息を三度する間に、僅か一瞬、マヒロと鎧を繋ぐ直線上に、奇跡的に雪が落ちて来ず、ぽっかりと道が開けたようになった瞬間があった。見えた。と思うのと、その直線上の一点に矢が到達するよう、上向けに構えた長弓から矢が放たれるのとが、同時であった。
 マヒロからは、放った矢が、すぐに見えなくなった。しかし、放った瞬間、あたった、と思った。
 少し遅れて、遠くで、わっと声が上がった。マヒロは長い弓をその脇に挟み、ゆっくりと戻ってゆく。
「中ったようだな」
 と、戻ってきたマヒロは言った。
「ヤマトに矛を向けるように、という神の意思を捨てた我らが候の考えは、正しかった。ヤマトの武は、神の意思をも上回った」
 タチナラが、一人呟いた。マヒロは、神が指定してきた五倍の距離で矢を当てたわけであるから、それを見た者の驚きは、並のものではない。ウマの兵は、全員、雪の薄く積もった地面に武器を置き、膝をついた。
 その後、都邑の中の候の館に招じ入れられた。候は、ヤマトを構成する一員として、永久に忠を尽くすことを誓った。
「ウマ候よ。お前は、ウマであり、ヤマトなのだ。また、ウマは、そしてヤマトは、お前なのだ。そのことを、決して忘れるな」
 サナの受け売りであるが、諭してやった。その後は、ウマの主だった者が集まり、マヒロをもてなした。反乱を疑われ、詰問のためやって来て、神の意思を捨ててヤマトに仕える意思を示し、疑いをやっと晴らし、更にマヒロを試すようなことを行った者と早速席を同じくして飯を食うというのは、現代的な感覚でいえば、なかなかの緊張感のある場になるはずであるが、この時代の人々はとてもおおらかである。先程までの張り詰めた空気はもうなく、皆、仲良く酒を回し注いだ。マヒロもあちこちから酒を注がれると、八重歯を見せながら受けた。
 武勇の誉れ高いマヒロであるから、軍の指揮者タチナラなどは特に話をしたがった。飯を食い、白く濁った甘い液体を流し込みながら、タチナラは、
「マヒロ様の弓の腕には、感服致しました。まさに、神宿しの女王の矢ですな」
 と言った。
「べつに、そうでもない。よく狙い、それが中っただけのこと」
 マヒロは特に誇るふうでもない。
「聞けば、剣も矛も相当な腕だとか」
 タチナラは、しつこい。
「まあ、そうかな」
 マヒロは困ったように笑うしかない。
「タチナラ。いかにマヒロ様が我らをお許し下さったとはいえ、あまり失礼なことを訊かぬように」
 とウマ候がたしなめた。マヒロは候ではないが、親魏倭王たるサナの一番の臣で、ヤマトの軍事、民治の最高位にいるから、その地位は、中央に許されてその地を治めている候などよりも高い。彼の一声で、ウマ候の首など簡単に飛ばすこともできるわけだから、ウマ候がこれほどまでに下手に出るのも無理はない。和やかな場に、一瞬だけ緊張が走った。
「あまり、武とは、見せびらかしたりするものではない、とおれは思う」
 マヒロはそれだけ言い、酒を飲んだ。この地で採れる殻のでこぼこした大きな貝があり、それを焼いたものが特に美味い。焼くことで滲み出してくる汁を啜り、身を食べ、酒を飲むと、酒の甘さが口に広がり、殻で焦げた汁の香ばしさと混じり、何とも言えない余韻になる。マヒロは武の話などよりも、その貝の方に気を取られていた。
 この貝は、たとえばローマ帝国で養殖されていたり、日本においても室町時代くらいから養殖が行われ、マヒロらの時代よりも更に昔、縄文時代の沿岸部の貝塚からも大量に殻が見つかるなど、人類にとって馴染みの深い貝であるが、ヤマトは内陸国家であるため、マヒロは存在は知ってはいても、口にするのは初めてであった。
「この貝が、お気に召しましたか」
 タチナラも話題を変えた。
「うむ。とても美味い。ヤマトには無い味だ」
「この貝は夏は身が小さく、あまり多く食えるものではありません。冬、海が最も寒いとき、沿岸のムラの者が潜って、十分に育ったこの貝を採ってきては、献上してくれるのです」
「そろそろ、あれができる頃だ」
 ウマ候が、嬉しそうに言った。少しすると、木で作られた桶のようなものに、米がたっぷりと盛られ、そこここに、貝の身が散らばっている。立ち上がる湯気の、あまりの良い匂いにマヒロは眼を細めた。
「これは」
「先程の貝を焼き、米をその汁に浸し、炊いたものです。焼いた身は取っておき、米が炊き上がる直前に入れ、蒸らす。そのとき、わずかに酒も混ぜるのです」
 大きな木桶から、それぞれの高杯たかつきに取り分けられる。まず、マヒロ。次いで、ウマ候。
「これは、祝いの場などで食べるものです。どうぞ」
 促され、マヒロは一口、口に含んだ。
 美味い。
 柔らかく炊き上がった米全体に、貝の旨味が、十分すぎるほど染み渡っている。
 この時代の米は現代の我々が口にするものとやや異なり、色も濃く、固い。それが、貝の身のとろりとした弾力と合わさり、なんとも言えない食感になっている。ただ焼いただけでも十分に美味いが、マヒロは飯を美味く食う工夫を凝らしている、ということから、ウマの地の人々のおだやかな性格を感じたような気がした。
 腹が満たされてなんとも言えない幸福感に包まれ、酒も進み、ふわふわと頭が軽くなっている。
「美しい山と、穏やかな川、豊かな海に囲まれたこの素晴らしい地を、ヤマトは、その力の限り守っていこう」
 と約束してやった。

 ウマの者に見送られ、マヒロは帰国した。船に乗り込むとき、タチナラが追いかけてきた。
「マヒロ様。どうか、これをお納め下さい」
 と自らいている剣を渡した。
「これは、我がウマの地に長く伝わる宝剣。その軍を取り仕切る者が、身に付けるものです」
「よいのか、そのようなものを」
「はい。ウマの地の軍を治めるのは、これよりはマヒロ様。我らを、自分の軍と思い、お使い下さい」
 マヒロも、返礼に自らの剣を渡してやった。いつも右手で使う、オオトのヒメミコを守っていた者が佩いていた粗末な剣ではなく、左手で使う、飾りの施されたものである。
 タチナラとマヒロは、再開を約束し、別れた。
 献上の財物の他に、例の貝を土産に所望し、沢山受け取った。活かしたまま持ち帰れるよう、大きな桶に海水を入れ、その中に放り込んである。サナが喜ぶ顔を思い浮かべながら、よい気分で船に揺られ、オオトの浦に乗り上げた。

 そこで待っていたのは、マオカの死と、サナがタクに対し、その関わりのないことを認めてしまっている、という決定事項である。タクの関与があったにせよ無かったにせよ、タクを葬り去るまたとない機会であったのに、それが自分が上機嫌で貝料理に舌鼓を打っている間に、過ぎ去ってしまっていた。
 マヒロは、確信している。どのような方法を用いるのか分からぬが、タクは、やすやすとその野心を棄てるような男ではない。当分の間はなりを潜めるであろうが、必ず、動き出す、と。
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