女王の名

増黒 豊

文字の大きさ
上 下
33 / 85
第六章 戻り火

押し掛け女房

しおりを挟む
 ヤマトに戻ったヤマトと入れ替わって、制圧地域の保持のための人員が出発した。さらにこれから、傘下の諸地域から少しずつ兵と民を集め、段階的に送り出してゆく。

 マヒロはその処理の打ち合わせのため、タクのもとにいた。ユウリの死を噛み締めて味わうゆとりもない。タクの隣にはマオカが棒切れに目鼻を付けただけのような佇まいで座っている。
 イヨは、コウラとの久しぶりの再開を喜んでいるようで、あのね、あのね、とコウラの不在の間の出来事を、あれこれ話している。
 一通りの打ち合わせが済んだ。
「タク。今宵は、泊まってゆく」
「マヒロが泊まってゆくとは、珍しい。酒など持ってこさせよう。コウラ、済まぬが、くりやまで言い付けてきてくれるか」
「はい」
「わたしも」
 コウラとイヨは連れ立って退室した。
「クナの、ヒコミコのがおったわ」
「ほう」
「討ち漏らしたが」
 この頃になると、マヒロとタクは上下の差なく話すようになっていた。
「足の傷も、そのとき?」
「息子という者がいて、射られた」
「珍しいこともあるものだ」
「もう少しで、コウラが討たれるところであった」
「そうか」
 マオカが、マヒロの顔色をしきりに伺っている。
「何か」
 その顔がいきなり自分の方を向いたので、マオカは慌てて、
「何も」
 と消え入りそうな声で言い、俯いた。
「そのが言うには」
 マヒロは、視線をタクに戻した。
「ユウリの死も、更にはリュウキの死も、全てクナの仕組んだことであるらしい」
 タクの視線は、動かない。脇に眼をやったままである。
「だとすれば、相当に手のこんだことであるな」
「リュウキに、ハクラビを引き合わせたのは、お前だったな」
 タクは、マヒロに視線を返した。
「そうであったかな。だとすれば、リュウキには済まないことをした」
「そうだな」
「ヒメミコ」
 とマヒロはマオカに水を向けた。マオカが露骨に身を縮めるのが分かった。
「お子は、幾つになられた」
「八つになります、マヒロ」
「そうですか」
 そこへ当のイヨと、コウラが戻ってきた。
「酒と、食事の支度をするよう言い付けてきました」
「ありがとう。だが、おれはやはり、ヤマトに戻ることにした」
「泊まっていかれるのでは?」
「いや、もう用事は済んだ」
「つまんない」
 イヨがむくれて見せた。
「ヒメミコ。また、今度ご一緒しましょう」
 マヒロはその膨れっ面に優しく語りかけると、剣を取って立ち上がった。
「では」
 タクが声をかける。
「では。蛇よ」
 マヒロはタクをサナが付けたあだ名で呼んだ。

 自らの軍を従え、ヤマトに戻ったマヒロは、サナの居室に入った。
 すでに夜も更けており、サナはしとねに横たわっていた。
「戻りました」
 マヒロはその脇に座り込んだ。
「よく戻った」
「起きていましたか」
「今、起きた」
 マヒロの腕が、いきなりサナの身体に巻き付いた。
「なんじゃ。帰って早々」
「タクに、会って来ました」
 身体を近づけたのは、これから話すことを万が一にも人に聞かれぬようにするためであった。
「ユウリの死も、リュウキの死も、タクが深く関わっていると思います」
「そうか」
「そして、オオトのヒメミコも」
「そうか」
「タクは、クナの者なのでしょうか」
「違う」
 サナは、言い切った。
「あれは、何者でもない。ただ己であろうとする者じゃ」
「国の行く末に、関わることです」
「お前が、わたしを好いてくれ、このヤマトのために命を投げ出してくれるように、あれは己が己たらんとすることに、命を投げ出しておるのだ」
 サナの柔らかな吐息が、耳にかかった。マヒロの指が、触れている。
「それを——」
 と言い、サナは言葉を少し切った。マヒロの与える喜悦に、僅かに身をよじった。
「——それをも用いられずして、何の女王か」
「どうも、ヒメミコの見ているこの世は、おれとは違うらしい」
 サナの指が、マヒロのももの傷に触れた。
「要らぬことをさせぬよう、注意はしなければならん。しかし、何も明らかなことのないまま、あやつを遠ざけたりすることはせぬ」
「もし、何かあれば」
「斬るのだろう、あれを」
「はい」
 あとは、話すこともなく、身体を重ねた。
 ことが済むと、明日が明けたら。と言い、マヒロは静かに去った。
 夜が明けると、オオシマから付き従ってマヒロの世話を買って出ているハツミが、部屋に躍り込んできた。いちど、婚姻を願われ、マヒロは拒絶している。その後もずっと、マヒロの望む望まぬには関わらず、身の回りの世話をしている。
「マヒロ様、また傷を。ろくに手当てもせず、膿んでしまったらどうするのです」
 と負ってから数日経った傷に、甲斐甲斐しく薬草などを塗り付けだした。
「よせ。自分でやる」
「いいえ、この際言わせていただきますが、もう少しご自身の身体を気遣われてはどうです」
「おれの身など」
「マヒロ様に何かあれば、ヤマトの国も、マヒロ様の好きなヒメミコも、みんな困るでしょうに」
 薬草を塗り終わり、布をあてると、そこをぱしりと叩いた。現代の我々からすればやや古い語彙かもしれぬが、押し掛け女房とは彼女のことであろう。
 
 余談であるが当時、婚姻の形態は後代ほど定まっておらず、サナのほかの妹達のように他国に嫁に出される政略的な婚姻もあるにはあったが、民の間では妻が婚姻後も実家に住み続け、夫が妻を訪ねるという「通い婚」が一般的であった。一夫一婦制もなかった時代なので、複数の妻を持つ者には都合がよい。
 また、王や地位、財のある者などは、後代と同じように自らの暮らす館に妻を招き、住まわせた。
 これよりも更に古い、例えば縄文時代や弥生の初期から中期などは、身分の貴賎を問わず、通い婚しかなかった。そもそも婚姻などという新しい風習を彼らは持たず、ごく小さなコミュニティの中で暮らし、結ばれ、子を為していたから、自らが暮らす集落が一つの家のようで、その中で気の合う者同士やその都度利害の合う者は自由に結ばれた。だから重婚が当たり前であったし、男が女を訪ね、ことに及ぶという以上でも以下でもなかった。
 家という概念が発達したのは、恐らく稲作や灌漑による農業の発達と無関係ではあるまい。それを人が行ううち、それまで一つの群れとして狩猟、採集を行っていた者の中から、「持つ者」と「持たざる者」が現れてきた。更にそれは天地の創造物やその加工品に対する「価値」を生じさせ、「価値」あるものを多く持つ者がより優位となり、「立場」と「身分」が生まれた。
 そうすると、採集物や収穫物を皆で分け合うようなコミュニティにはもう戻れぬ。そこで彼らは、それを分け合える最大範囲としての境界を、「自らの暮らす建物」すなわち「家」とした。原則としてそこには血を分けた者しか住まず、家の中で最も力のある者が公平に富を家の中で分配した。
 それが具体的にいつのことなのか、はっきりはしない。しかし地域差はあれど、稲作の伝播から間もなくしてその副産物として上記のような現象が起きた。そのうちに、家はムラに、ムラはクニになった。社会が複雑になればなるほど、社会の保持、あるいは集団の利益のため、それまでとは全く別の形で男女は結びつくようになる。婚姻や輿入れ、あるいは政略的な意味での女のやり取りである。
 例えば、ある遺跡では、元々その地域では採れぬ貝の細工で造られた首飾りをした女性の骨が出、それが後年で言うところの「輿入れ」を示すのではないかと言うし、ある女性の骨の中に含まれる、十歳頃までに摂取した水の質による金属成分の比率を調べたところ、明らかに遺体の発掘された地域とは異なる地域で生まれ、育ったことを示すものがしばしばあるという。地域によって多少の誤差はあるにせよ、時代が降れば降るほど、その例は多くなる。
 だが、押し掛け女房、はどうであろうか。発掘により示されたそれらの事象は、一体どのような経緯で彼女らがその地で暮らすことになったのかまでは示してはくれぬ。
 筆者のあやふやなうんちく話はさておき、このハツミは、そういう意味では生まれた土地とは異なる地で生涯を終えようとしている女性の一人であったことは間違いない。
 いや、彼女は実際、生まれたオオシマから海向かい、山向こうのこの地で生涯を終えることになる。

 しばらく戦も止み、マヒロは国内の業務に専念することができた。収穫の量を把握し、穀物の種類ごとに、蓄えるものと分けるものとを決める。国が管轄する作物は、米、粟、ひえ、麦などである。この時代は、野菜を栽培することはまだ行わない。野草などを各々が勝手に採集し、勝手に食べる。また、穀物以外の獣、魚などの動物に関しても、一部の家畜を除き、同じである。
 後代の中国その他の国家のように何でもかんでも官。というわけではないにせよ、忙しいものは忙しい。疲れると、決まってハツミが肩などを揉みにくる。
 肩、腰以外の場所に触れようとすると、その度、
 ——これ。
 と叱った。
「戦をしていれば、疲れもせぬし傷も痛まぬ。しかし、これはこたえる」
 肩を揉まれながら、マヒロがぼやく。
「お役目でございましょう。さ、お仕事に戻られませ」
「ああ、そうする。今日はもう休め」
「マヒロ様、ご無理をなさいませぬよう」
 妻のような口ぶりであるな、と言おうと思ったが、やめた。
「では、明日が明けたら」
 押し掛け女房は言い、部屋をあとにした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

空母鳳炎奮戦記

ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。 というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜

雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。 そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。 これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。 主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美 ※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。 ※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。 ※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。

東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー

長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。 『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。 ※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

連合艦隊司令長官、井上成美

ypaaaaaaa
歴史・時代
2・26事件に端を発する国内の動乱や、日中両国の緊張状態の最中にある1937年1月16日、内々に海軍大臣就任が決定していた米内光政中将が高血圧で倒れた。命には別状がなかったものの、少しの間の病養が必要となった。これを受け、米内は信頼のおける部下として山本五十六を自分の代替として海軍大臣に推薦。そして空席になった連合艦隊司令長官には…。 毎度毎度こんなことがあったらいいな読んで、楽しんで頂いたら幸いです!

処理中です...