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第三章 付け火
蝕
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少し、筆を遊ばせる。
前項で、筆者は、史書に記される卑弥呼と、サナが生物としては別個体であったという我ながら驚くべき創作上の設定を持ち出したわけだが、この設定においては、サナの三代前の卑弥呼とサナの間の時代についての大陸の人々の倭に対する認識が薄く、三代前の卑弥呼がサナの時代にもまだ存命であったと認識されていたということになる。
歴史が「そうである」と断定する以上、後代の我々にとってはそれのみが絶対定理であり、その定理の挙げ足を筆者は取ったことになる。
筆者は歴史そのものの体現者ではないため、そこは「創作」の範囲として読者諸兄の暖かな目に甘えるまま書き進めてゆきたい。
「そうである」と断定する以上、定理が成立する面白味と言えば、超常現象についても筆者は同じものを感じる。
例えばサナは、人ならざる者の意思を感じることができたが、それが普段から誰しもが感じるようなものであれば、それは自然現象である。
しかし、なかなかにそのような体験をする者がおらぬために、人がそのような定理から外れた事象を面白がり、あるいは有り難がる余地が生まれると考える。そして、「ヒメミコは精霊の声を聞きなさる」と断定することで、その珍しい現象は、初めてこの世に成立する。
実際、現代において超常現象を信じるかどうかのアンケートを取れば、絶対に無いと言い切る人よりも、あるかもしれない、という意見も含め、ある、という人の方が多いのではなかろうか。
歴史においても同じであり、戦いに勝った国が編んだ歴史には、必ず征服された国は悪として描かれるが、必ずしも敗者は悪ではないということは周知の事実、いや、定理である。
しかし、それは歴史に向かってゆく姿勢が非常に平明な現代的歴史感であるからこそでき得ることであり、少し前、たとえば戦前くらいまでは石田三成と言えば豊臣政権随一の嫌な奴であったし、新撰組も講談などで人気の題材ではあれど、「敵ながら天晴れ」という描かれ方が一般的であった。
ほんとうのところは、後年を生きる我々にも、当の彼ら自身にも、分からない。
ところで、天文学者の計算によると、卑弥呼が死んだ歳かその前年かに、続けて二度、皆既日食があったらしい。
しかし我が国において、文献の記録と計算により、間違いなく特定できる最古の日食は、推古天皇の治世、六二八年四月十日であったらしい。それ以前となると、文献に乏しく、かつ計算しようにも地球の自転の誤差などもあり、「あったらしい」ということしか分からぬ。
ということは、実際にはその年ではなく、もう少し前の年のことであったのかもしれない。
それが、この年である。
サナは、幾つになったのであろうか。
以前サナの容貌について触れたときは、気のせいかもしれぬと思ったが、彼女は、もしかしたら、ほんとうに歳を取らないのかもしれぬ。
ユウリなど、サナが即位した頃には、「殆ど老人のように見えることがある」程度であったものが、一つ括りにして長く垂らした髪は全て黄色っぽい白髪になっており、顔の皺も鑿でもって彫ったように深くなっている。孫もおり、もう少しすればやがてヤマトの中枢を担う者として働くことであろう。
マヒロも、その容貌にやや童臭を残していたが、今では黒々とした顎髭は伸び、目尻の線にも力が付き、完全に自立した男性のそれになっている。
この世の者全てが等しく時を過ごし、その姿を緩やかに、あるいは急激に変化させており、先日生まれたばかりと思ったタクとマオカの子イヨも、
「そなたは幾つになったのじゃ」
とサナの膝の上で問われると、
「みっちゅ」
と、たどたどしいながら答えられるようになっていた。それなのに、どういうわけか、サナだけが時から忘れ去られたかのようにして、女王になった日から全く歳を取らない。
それもまた、人々や周りの者が、サナが特別な存在であると信じる根拠になっているらしかった。
当のサナは相変わらず、団栗のような眼をきょろきょろさせ、闊達に笑い、飯を食うときはお団子頭に挿した黒檀の箸でもって、がつがつと食う。
その仕草を見たマオカが、
「姉様は、娘の頃とお変わりなされませんこと」
と珍しく笑った。
同席するタクも、
「ほんとうに、お変わりなされぬ」
と同意した。
「なんの——」
飯を飲み下して、
「——わたしとて、いずれ老いて死ぬわい」
とにべもなく言った。
「ヒメミコが、老いて亡くなられるなど」
タクが不吉な話題を否定しようとしたが、
「さもなくば、若いうちに死ぬか、じゃ」
とサナは笑い飛ばした。
サナの隣で同じ飯を食うマヒロは、何も言わない。
サナが死ぬ日など、あるのであろうか。もちろん、サナも生物である以上、その宿命から逃れることはできぬであろう。
しかしマヒロは、この全く歳を取らぬヒメミコが、己らと同じく、今こうしている瞬間も死に向かって着実に歩いているとは、どうしても思えなかった。
サナは、マヒロが自分に送る愛しい視線には気付かず、川魚の骨をぷっと吹き出した。
「大陸では、このように申します」
リュウキが、末席から大陸の死生観について語りだした。
その講義が一通り終わると、ちょうど飯を食い終わったサナは、麻布でもって黒檀の箸をぐいと拭い、お団子頭に挿し直し、
「死んだことも無い者が、よう言うわい」
と笑うので、大陸式の有り難い死生観も形無しであった。
このように一同が介しているのは、他ならぬオオシマ奪還——といっても、かの島がヤマトのものであったことはないのだが——作戦がいよいよ始まらんとしており、オオトの城塞に主要な人員が集結しているためであった。
「リュウキ、タク。知恵を使え。特にタクは」
サナが立ち上がり、マオカの隣で食後の満腹感で鈍くなった目を擦っているイヨを抱き上げ、
「お前の娘のためにも、この戦、負けるわけにはいかぬのだから」
と言った。
「みっちゅ」
イヨは、この若い伯母が何を言っているのか理解は出来ないらしく、とりあえず人差し指、中指、薬指でもって、こんにちの我々がするのと同じサインを、ぎこちなく示した。
晩餐が終わると、マオカとイヨは、従者と護衛の軍に連れられ、ヤマトの地の普段サナが暮らす、新たに建てられた三重の楼閣に向かった。
発つ前に、マオカは、
「留守とイヨを頼む」
とサナに短く命じられ、無言で頷いた。
正直、マオカはもう、この得体の知れない姉が怖くて仕様がなくなっていた。見もしないことを言い当て、語りもしないことを察するのは、神や精霊の仕業ではなく、それだけマオカとタクの夫妻のことを疑い、注視しているからだと思っていた。
マヒロなどは、表向きはそうでもないよう努めているらしいが、時として露骨な疑いと敵意の眼を向けてくる。
その眼が、
——ただヤマトのため尽くせ。もし、おれのヒメミコに対して妙なことを考えれば、考えた時点で殺す。
と語っていることは、マオカがサナのように神や精霊の声が聞こえるわけでなくとも分かる。
サナには、やはり子がない。マヒロと婚儀でもすればよいものを、それもせぬ。
今でも、サナとマヒロの間にはしばしば男女の関係があるようだが、天はいっこうにサナに子をもたらさない。
このまま子ができなければ、イヨにこのヤマトをくれてやるわい、と言い切っている。簒奪者、とタクとマオカに対し猜疑の眼を向けながら、よくもそのように割り切れたものである。
その心の運びが分からぬから、余計にマオカはサナを恐れていた。
そういえば、サナはタクに対し、よく皮肉を言う。それが何故なのか、マオカは分からない。
サナが十五歳になる年のあの夜、サナとタクの間に何があったのかは知らない。だから、サナの中に今も小さく燃えている怒りの火はマオカには見えないのである。ただその皮肉を、マオカはタクに対する警戒心と敵意の表れ、と捉えていた。
それこそが、タクとマオカが王権の簒奪者であると自認していることにはならないだろうか。
マオカにはサナの眼に燃える怒りの火は見えぬが、夫であるタクが、ときに男性としてサナを見ていることは感じており、そちらの方の火は、女性だけによく見えるようで、その意味でもサナを恐れた。
北の海への道も拓き、遼東を経由せぬ海路も順調に動いていたが、やはりヤマトとしては、目の前のオオシマがクナの手に落ちたままでは、どうしても具合が悪い。東の諸国に対するに、陸路を持ってしか行けず、不便である。
不便であるだけならまだしも、まだ東には、どこにも属さぬクニグニが独自の連合をしている地域もあり、それらの鎮撫のためにも、やはりオオシマの浮かぶ海が必要である。
北の道から仕入れた馬を以て、小規模な騎馬隊の編成もできた。
夜が明けると、タクの建造した楼閣からは、ずらりと並んだ船団と、規律正しく整列する一万からなる精強な兵を見ることができた。
軍事の頂点であるユウリは、主力軍不在の際に、支配下の諸国がよからぬ企みをせぬよう、ヤマトに残って眼を光らせている。
したがって、この作戦の実戦部隊の総指揮は、マヒロである。
マヒロは、新たな相棒となった黒雷に跨り、自慢の長弓を、たかだかと掲げた。腰には、二本の剣。一本はオオトを滅ぼしたあの日、オオトのヒメミコの側近のオウラが佩いていたものである。
側に控える従者が持つのは、やはり愛用の大矛。ユウリのそれと違い、柄の部分も肉の詰まったもので、斬る、突くは勿論、叩くだけでも大変な威力を発揮する。
マヒロが掲げる槐の板を張り合わせ作られた弓が、若葉の季節の日差しを跳ね返して光った。
その姿勢のまま、
「あれに遥か見えるオオシマは、過年、クナの野望のもと焼かれた。今より我らは、かの島からクナの者を追い出し、絶やし、このヤマトの海を、ヤマトのものとする」
と兵に向け呼ばわった。
「いざ——」
矢を番え、オオシマの方へ向け放つ。
矢は、熊蜂が飛ぶような音を立てて飛び、まさか届くわけはないが、オオシマにまで届いたのではないかと思う勢いで、空の青に溶けて消えた。
消える途中に飛んでいた鳶が、急に力を失い、天空から海に向けまっ逆さまに落ちた。羽が飛び散ったことから、マヒロの矢が中ったらしいことを兵は察した。
兵の間でどよめきが起こり、それは歓声に変わった。
ヤマトの船団はこの短い水道を一気に渡ろうとしたが、やはりオオシマにあるクナ軍は、近い土地で蠢くヤマトの動きを手に取るように察知しており、船が近づくと火矢などで迎撃をした。
先頭を走る船の列が火矢にかけられ炎上し、乗っていた兵のうち無事な者は、盧をこぐ者だけを残し、さっさと海に飛び込む。
後ろを進む船は、先頭の船の半分ほどの高さしかない。燃えている先頭の船の影に隠れるようにして、波を掻き分けている。先頭の船の列は初めから捨てるつもりで、それを盾にしているのだ。
敵の矢が止んだのを見計らい、先頭の船の列で櫓を漕いでいた者らも、ことごとく海に飛び込む。
あとから続く背の低い船がそこで一気に船脚を速め、船尾から垂らされた長い綱で海に飛び込んだ者を回収し、そのまま曳いて岸を目指した。
四千ほどのクナ兵が広大な島に分宿しているわけだが、北と南の戦略的要地に半分ずつがいる状態だった。
兵力ではヤマトが圧倒的に有利だが、クナ兵の強さは尋常ではない。
結局、ヤマトがこの戦いに勝つわけであるが、その勝ち方は、まさしく、サナらしいとしか言い様のないものである。
要約すると、ヤマトが勝つに至るのは、兵の強さ、数は勿論のことであるが、直接の勝因は、日蝕にある。
そのことについて、述べる。
前項で、筆者は、史書に記される卑弥呼と、サナが生物としては別個体であったという我ながら驚くべき創作上の設定を持ち出したわけだが、この設定においては、サナの三代前の卑弥呼とサナの間の時代についての大陸の人々の倭に対する認識が薄く、三代前の卑弥呼がサナの時代にもまだ存命であったと認識されていたということになる。
歴史が「そうである」と断定する以上、後代の我々にとってはそれのみが絶対定理であり、その定理の挙げ足を筆者は取ったことになる。
筆者は歴史そのものの体現者ではないため、そこは「創作」の範囲として読者諸兄の暖かな目に甘えるまま書き進めてゆきたい。
「そうである」と断定する以上、定理が成立する面白味と言えば、超常現象についても筆者は同じものを感じる。
例えばサナは、人ならざる者の意思を感じることができたが、それが普段から誰しもが感じるようなものであれば、それは自然現象である。
しかし、なかなかにそのような体験をする者がおらぬために、人がそのような定理から外れた事象を面白がり、あるいは有り難がる余地が生まれると考える。そして、「ヒメミコは精霊の声を聞きなさる」と断定することで、その珍しい現象は、初めてこの世に成立する。
実際、現代において超常現象を信じるかどうかのアンケートを取れば、絶対に無いと言い切る人よりも、あるかもしれない、という意見も含め、ある、という人の方が多いのではなかろうか。
歴史においても同じであり、戦いに勝った国が編んだ歴史には、必ず征服された国は悪として描かれるが、必ずしも敗者は悪ではないということは周知の事実、いや、定理である。
しかし、それは歴史に向かってゆく姿勢が非常に平明な現代的歴史感であるからこそでき得ることであり、少し前、たとえば戦前くらいまでは石田三成と言えば豊臣政権随一の嫌な奴であったし、新撰組も講談などで人気の題材ではあれど、「敵ながら天晴れ」という描かれ方が一般的であった。
ほんとうのところは、後年を生きる我々にも、当の彼ら自身にも、分からない。
ところで、天文学者の計算によると、卑弥呼が死んだ歳かその前年かに、続けて二度、皆既日食があったらしい。
しかし我が国において、文献の記録と計算により、間違いなく特定できる最古の日食は、推古天皇の治世、六二八年四月十日であったらしい。それ以前となると、文献に乏しく、かつ計算しようにも地球の自転の誤差などもあり、「あったらしい」ということしか分からぬ。
ということは、実際にはその年ではなく、もう少し前の年のことであったのかもしれない。
それが、この年である。
サナは、幾つになったのであろうか。
以前サナの容貌について触れたときは、気のせいかもしれぬと思ったが、彼女は、もしかしたら、ほんとうに歳を取らないのかもしれぬ。
ユウリなど、サナが即位した頃には、「殆ど老人のように見えることがある」程度であったものが、一つ括りにして長く垂らした髪は全て黄色っぽい白髪になっており、顔の皺も鑿でもって彫ったように深くなっている。孫もおり、もう少しすればやがてヤマトの中枢を担う者として働くことであろう。
マヒロも、その容貌にやや童臭を残していたが、今では黒々とした顎髭は伸び、目尻の線にも力が付き、完全に自立した男性のそれになっている。
この世の者全てが等しく時を過ごし、その姿を緩やかに、あるいは急激に変化させており、先日生まれたばかりと思ったタクとマオカの子イヨも、
「そなたは幾つになったのじゃ」
とサナの膝の上で問われると、
「みっちゅ」
と、たどたどしいながら答えられるようになっていた。それなのに、どういうわけか、サナだけが時から忘れ去られたかのようにして、女王になった日から全く歳を取らない。
それもまた、人々や周りの者が、サナが特別な存在であると信じる根拠になっているらしかった。
当のサナは相変わらず、団栗のような眼をきょろきょろさせ、闊達に笑い、飯を食うときはお団子頭に挿した黒檀の箸でもって、がつがつと食う。
その仕草を見たマオカが、
「姉様は、娘の頃とお変わりなされませんこと」
と珍しく笑った。
同席するタクも、
「ほんとうに、お変わりなされぬ」
と同意した。
「なんの——」
飯を飲み下して、
「——わたしとて、いずれ老いて死ぬわい」
とにべもなく言った。
「ヒメミコが、老いて亡くなられるなど」
タクが不吉な話題を否定しようとしたが、
「さもなくば、若いうちに死ぬか、じゃ」
とサナは笑い飛ばした。
サナの隣で同じ飯を食うマヒロは、何も言わない。
サナが死ぬ日など、あるのであろうか。もちろん、サナも生物である以上、その宿命から逃れることはできぬであろう。
しかしマヒロは、この全く歳を取らぬヒメミコが、己らと同じく、今こうしている瞬間も死に向かって着実に歩いているとは、どうしても思えなかった。
サナは、マヒロが自分に送る愛しい視線には気付かず、川魚の骨をぷっと吹き出した。
「大陸では、このように申します」
リュウキが、末席から大陸の死生観について語りだした。
その講義が一通り終わると、ちょうど飯を食い終わったサナは、麻布でもって黒檀の箸をぐいと拭い、お団子頭に挿し直し、
「死んだことも無い者が、よう言うわい」
と笑うので、大陸式の有り難い死生観も形無しであった。
このように一同が介しているのは、他ならぬオオシマ奪還——といっても、かの島がヤマトのものであったことはないのだが——作戦がいよいよ始まらんとしており、オオトの城塞に主要な人員が集結しているためであった。
「リュウキ、タク。知恵を使え。特にタクは」
サナが立ち上がり、マオカの隣で食後の満腹感で鈍くなった目を擦っているイヨを抱き上げ、
「お前の娘のためにも、この戦、負けるわけにはいかぬのだから」
と言った。
「みっちゅ」
イヨは、この若い伯母が何を言っているのか理解は出来ないらしく、とりあえず人差し指、中指、薬指でもって、こんにちの我々がするのと同じサインを、ぎこちなく示した。
晩餐が終わると、マオカとイヨは、従者と護衛の軍に連れられ、ヤマトの地の普段サナが暮らす、新たに建てられた三重の楼閣に向かった。
発つ前に、マオカは、
「留守とイヨを頼む」
とサナに短く命じられ、無言で頷いた。
正直、マオカはもう、この得体の知れない姉が怖くて仕様がなくなっていた。見もしないことを言い当て、語りもしないことを察するのは、神や精霊の仕業ではなく、それだけマオカとタクの夫妻のことを疑い、注視しているからだと思っていた。
マヒロなどは、表向きはそうでもないよう努めているらしいが、時として露骨な疑いと敵意の眼を向けてくる。
その眼が、
——ただヤマトのため尽くせ。もし、おれのヒメミコに対して妙なことを考えれば、考えた時点で殺す。
と語っていることは、マオカがサナのように神や精霊の声が聞こえるわけでなくとも分かる。
サナには、やはり子がない。マヒロと婚儀でもすればよいものを、それもせぬ。
今でも、サナとマヒロの間にはしばしば男女の関係があるようだが、天はいっこうにサナに子をもたらさない。
このまま子ができなければ、イヨにこのヤマトをくれてやるわい、と言い切っている。簒奪者、とタクとマオカに対し猜疑の眼を向けながら、よくもそのように割り切れたものである。
その心の運びが分からぬから、余計にマオカはサナを恐れていた。
そういえば、サナはタクに対し、よく皮肉を言う。それが何故なのか、マオカは分からない。
サナが十五歳になる年のあの夜、サナとタクの間に何があったのかは知らない。だから、サナの中に今も小さく燃えている怒りの火はマオカには見えないのである。ただその皮肉を、マオカはタクに対する警戒心と敵意の表れ、と捉えていた。
それこそが、タクとマオカが王権の簒奪者であると自認していることにはならないだろうか。
マオカにはサナの眼に燃える怒りの火は見えぬが、夫であるタクが、ときに男性としてサナを見ていることは感じており、そちらの方の火は、女性だけによく見えるようで、その意味でもサナを恐れた。
北の海への道も拓き、遼東を経由せぬ海路も順調に動いていたが、やはりヤマトとしては、目の前のオオシマがクナの手に落ちたままでは、どうしても具合が悪い。東の諸国に対するに、陸路を持ってしか行けず、不便である。
不便であるだけならまだしも、まだ東には、どこにも属さぬクニグニが独自の連合をしている地域もあり、それらの鎮撫のためにも、やはりオオシマの浮かぶ海が必要である。
北の道から仕入れた馬を以て、小規模な騎馬隊の編成もできた。
夜が明けると、タクの建造した楼閣からは、ずらりと並んだ船団と、規律正しく整列する一万からなる精強な兵を見ることができた。
軍事の頂点であるユウリは、主力軍不在の際に、支配下の諸国がよからぬ企みをせぬよう、ヤマトに残って眼を光らせている。
したがって、この作戦の実戦部隊の総指揮は、マヒロである。
マヒロは、新たな相棒となった黒雷に跨り、自慢の長弓を、たかだかと掲げた。腰には、二本の剣。一本はオオトを滅ぼしたあの日、オオトのヒメミコの側近のオウラが佩いていたものである。
側に控える従者が持つのは、やはり愛用の大矛。ユウリのそれと違い、柄の部分も肉の詰まったもので、斬る、突くは勿論、叩くだけでも大変な威力を発揮する。
マヒロが掲げる槐の板を張り合わせ作られた弓が、若葉の季節の日差しを跳ね返して光った。
その姿勢のまま、
「あれに遥か見えるオオシマは、過年、クナの野望のもと焼かれた。今より我らは、かの島からクナの者を追い出し、絶やし、このヤマトの海を、ヤマトのものとする」
と兵に向け呼ばわった。
「いざ——」
矢を番え、オオシマの方へ向け放つ。
矢は、熊蜂が飛ぶような音を立てて飛び、まさか届くわけはないが、オオシマにまで届いたのではないかと思う勢いで、空の青に溶けて消えた。
消える途中に飛んでいた鳶が、急に力を失い、天空から海に向けまっ逆さまに落ちた。羽が飛び散ったことから、マヒロの矢が中ったらしいことを兵は察した。
兵の間でどよめきが起こり、それは歓声に変わった。
ヤマトの船団はこの短い水道を一気に渡ろうとしたが、やはりオオシマにあるクナ軍は、近い土地で蠢くヤマトの動きを手に取るように察知しており、船が近づくと火矢などで迎撃をした。
先頭を走る船の列が火矢にかけられ炎上し、乗っていた兵のうち無事な者は、盧をこぐ者だけを残し、さっさと海に飛び込む。
後ろを進む船は、先頭の船の半分ほどの高さしかない。燃えている先頭の船の影に隠れるようにして、波を掻き分けている。先頭の船の列は初めから捨てるつもりで、それを盾にしているのだ。
敵の矢が止んだのを見計らい、先頭の船の列で櫓を漕いでいた者らも、ことごとく海に飛び込む。
あとから続く背の低い船がそこで一気に船脚を速め、船尾から垂らされた長い綱で海に飛び込んだ者を回収し、そのまま曳いて岸を目指した。
四千ほどのクナ兵が広大な島に分宿しているわけだが、北と南の戦略的要地に半分ずつがいる状態だった。
兵力ではヤマトが圧倒的に有利だが、クナ兵の強さは尋常ではない。
結局、ヤマトがこの戦いに勝つわけであるが、その勝ち方は、まさしく、サナらしいとしか言い様のないものである。
要約すると、ヤマトが勝つに至るのは、兵の強さ、数は勿論のことであるが、直接の勝因は、日蝕にある。
そのことについて、述べる。
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【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て
せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。
カクヨムから、一部転載
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