女王の名

増黒 豊

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第一章 宿り火

タク

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 結局、マヒロがその役目に応じて人生で初めての殺人を演じたヤマトとハラの戦いは国内中枢にまで侵入をしたハラがやや有利ながら、双方ともによく戦い引き分けのような形となった。
 両国の王は開戦の場所になった平原まで日時を決め出向き、戦後の処理について談判をした。
 戦いの結果のバランスは、ハラ側は財貨をヤマトに贈り、かつ王の甥をヤマトに住まわせる、ヤマト側は糧食をハラに贈り、かつ第一王女をハラに住まわせるという結果となったことで知れる。
 第一王女と言えばサナの姉にあたるわけであるが、ハラの王子のしょうとして暮らし、この数年の後病死することとなる。
 この一戦から、ヤマトとハラは友好関係が崩れるとまではいかなくとも、微妙な緊張を持つこととなる。

 ヤマトから第一王女がハラへと送り出された翌日、ハラ王の甥がヤマトへとやってきた。王の末弟の子ということで年は若く、サナよりも一つ上であった。ハラ王の甥はヤマト王とその第一夫人、そしてサナが座す正面に座り、あいさつを述べた。
「タクと申します」
 声は涼やかで、大陸式の礼で床に着けた頭を上げると、そこにはなんとも整った顔立ちがあった。
 王がにっこりと微笑んで答礼をしたことでサナは王がこの他国の貴人を一目で気に入ったことを知ったが、同時にどこかからの声も聞いた。
「ヤマトが、揺れる」
 と。

 一目で気に入ったとはいえ、王もはじめこの微妙な間柄のクニの王族をどう扱ってよいのかわからずにいた。タクはヤマトに尽くすことが祖国とヤマトの安寧に繋がると固く信じている様子で、少しも嫌な顔をせずどのような役もこなした。
 そのうち王もタクを重用するようになり、季節が一巡りほどした頃には他国との折衝役の見習いに加えた。他国との折衝役というのは戦の事後処理や交易の交渉のほかに、ヤマトやハラがある地方を大きく治めるオオトという大国への貢ぎ物の手配なども行う。

 このオオトはヤマトの地から西、緩やかなでこぼこを持つ山脈を越えた向こうにあり、河が網の目のように流れる豊かな平地と広大な海とそれに伴う圧倒的な人口を持ち、鉄器の生産も盛んで軍事的、経済的な規模はヤマトなどとは比べ物にならないほどに大きかった。
 ヤマトは豊かで強いとは言え、この島のクニの中では中規模といってよく、オオトのような大きなクニの庇護を受けることが自国を守ることに直結するから、昔、西方の連合軍の侵攻を受けたのち、すすんでオオトの傘下に入った。
 タクは細かな教えもよく飲み込み、そのオオトへの年に一度の貢ぎ物の手配も難なくこなした。
「タクは、逸材だ。できればこのまま一生ハラなどには帰らず、このヤマトの地で家を持ち、子を成し、お前達を支えてもらいたいものだ」
 王はタクの話をするときは終始上機嫌であったが、サナは曖昧に笑うだけだった。
「ヤマトが、揺れる」
 という人ならざる者の囁きが、いつまでも彼女の耳に残っていたからである。

 そのことを、マヒロにだけは話した。といっても直接その出来事を伝えたのではなく、己の不安をのみ伝えた。
 先に触れた通り世話役は一人がずっと付きっきりではなく交代制で、非番の日は別の雑務を行っており、その日マヒロは倉の中の武具の数合わせと点検を行っていたが、赤っぽいヤマトの土をぱたぱたと踏む足音で、サナが駆けてくることを知った。
 改めるため手にしていた剣を戻し、入り口に注目していると、たんとんとリズミカルにきざはしを登る音がした後、サナの小さな顔に付いた丸い二重の眼が覗いた。
「マヒロ、マヒロ、ちょっと来い」
 と眼を瞬かせ、手のひらを前後に振る仕草で言った。
「ヒメミコ。何かおかしな動物でも捕まえましたか」
 サナはよほど急いで駆けて来たのか、息をはあふうと弾ませながら、
「おかしなのはタクじゃ」
 と言う。マヒロはやや声を低くし、
「タクがどうしたのですか」
 と聞いてやった。聞くとタクと館の中ですれ違うとき、サナを見て微笑んだわらったと言うのである。
「わらった、がどうしたのですか」
 当たり前の質問をマヒロがすると、サナは上手く答えられないようであった。とにかく、あいつは私を見て笑いおったのだ、と青ざめて言うので、
「なにか、気になりますか。では、おれもタクを気にしてみましょう」
 マヒロのいつもの落ち着いた声を聴いたサナは少しは安堵したようで、うんうんと素早く頷くと館の方へ駆け戻って行った。
 しばらくしてちょうどタクとマヒロが稲の世話をする奴婢の監督の、その手伝いをする役目の日があったので、マヒロは今まで好ましい年下の者としか見ていなかったタクを観察してみることとした。
 なるほどマヒロより四つ下ながら体躯は堂々としており、歩き方や所作も王候の一族と言うに相応しく、なにより美しい切れ長の眼が印象的である。この美しい男子に微笑みかけられたことでサナの「女」が戸惑ったのではないかとも思えた。
 試みに、「やあ」と声をかけてみると「やあ」と返してくれた。
「おれは、マヒロ」
「知っていますよ。ヒメミコのお世話をしている人でしょう?いつもヒメミコと共においでです」
 タクは、サナのことが好きなのではないかとマヒロは思った。この当時男女の間というのは今よりももっと緩やかで、実るかどうかは別として、相手が王女であってもそれを好むのは個人の勝手とされていたから、マヒロは別にどうとも思わなかった。
 マヒロにとっての問題は、気にしていることであった。マヒロとしてはべつにサナを愛しているわけでもなくタクを疎ましく思っているわけでもなく、役目がらサナが気になると言えばマヒロも気になるのだ。
 それ以降、マヒロは、ごく自然な心の働きでタクの行動を機会があるたびに観察するようになった。

 特に何もないまま、季節はまた一巡りし、サナが十二歳になる年、あきらかな変化があった。
 タクが他国との折衝役と、サナの次の妹であるマオカの世話役との兼務を王に申し出たのである。王はタクの申し出を願ってもないことと受け入れ、許した。
 これよりタクは、折衝役の仕事の無い日は彼が「ヒメミコ」と呼ぶマオカの世話役として務めることになる。といって別におかしな風もなく、サナとはうって変わって無口でおとなしいヒメミコマオカによく仕えているようであった。
 マオカはタクをいたく気に入り、タクといるときだけは無邪気に笑ったり、花を摘んではタクに渡したりしているので王も喜んだ。微笑ましく二人を見守りながらゆくゆくはマオカにタクをめあわせて、くらいは考えたかもしれない。
 王の娘の世話役となれば、何かあったときのために非常に厳しい武術の鍛練が課せられる。もともと歳のわりに体格のよいタクはあらゆる武器を使いこなし、特に矛を扱わせるとマヒロでも負けることがあるほどの腕を見せた。
 矛に見立てた木の棒を尻餅をついた格好のマヒロの首にぴたりと当て破顔したときはさすがのマヒロもこいつ、と思ったが顔には出さず、差しのべられた手を取って立ち上がった。

 また、変化といえば、しきたりに従って、先代の王の、こんにちで言う「命日」に王の一族が揃って都邑とゆうの郊外にある墓に詣でたときのこともある。
 この時代の王族の墓は、これよりやや降った時代の古墳とは異なるが、似ている点もある。
 死者を葬った後に盛り土を施すことは古墳と似ているが、この時代のものはもっと小振りで丸い。学問の世界で後代の古墳と区別し墳丘墓と言う――というより、古墳が墳丘墓の中で区別されている――それであった。
 今で言う神官のような、シャーマンのような役の者がどの王家にもおり、クニの行く末や政治のあれこれを占ったりするのであるが、その者の主導でひとしきりの儀式を終え、序列の順に翼の形に並び地に伏した王族が頭をゆっくりと上げる。
 それぞれが身に付ける装身具がそのとき一斉にカラカラと音を立て、その音を聞きながら見上げる墳丘がいかにも荘厳でサナは好きだった。
 ちなみに盛り土を施すというのは死して後もその土地を占有するという行為の表れらしく、己の土地を持たぬ庶民は、長く掘られた溝の中に葬られることが一般的であった。

 その場で、隣に座すマオカの背後に控えるタクが墓を見上げながら涙しているのを見たとき、サナは目の前が白くなるほどの驚きを覚えた。タクの涙に気づいたマオカが肩に手をかけ、耳元でなにか小声で囁くのには、もっと驚いた。
 なににそれほど驚かねばならないのか、サナにも分からない。しかしサナの背後に控えるマヒロには、サナの背だけで、彼女がひどい衝撃を受けていて、自分でもその理由が分かっていないということが分かった。普段は細かなことなど気にせず、よく笑うサナがこのように理由もなく特定の者に対し嫌悪のような感情を示すことなどなく、したがって、理由は必ずあれど、サナが周りに理論立ててそれを伝えることができないということから、サナがタクに対する何かしらの情報を「聞いた」のだと確信していた。
 なにを聞いたのかは、サナは言わない。すなわち、軽々と言えないようなことを聞いたとは考えられないか。
 王がタクをいたく気に入っていることを思うと、それは悪い情報ではないだろうか。
 それが本当かどうかは分からないが、マヒロはサナの「耳」について、ヤマトの民がそうするように確かなものとして信じていた。
 時間が経てば経つほどに、マヒロはタクを猜疑の目に似たものをもって見るようになっていく。
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