女王の名

増黒 豊

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第一章 宿り火

大乱の片鱗

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 はじまりは些細な出来事であった。サナのクニの者が、隣のクニの者を殺してしまった。
 殺人は決して些事ではないということを前提としながら、戦や歴史という規模から見れば一人対一人の間での出来事ということで、ここではあえて量的記述をする。

 春の季節、サナのクニのある男が、隣国の「ハラ」というクニまで器などの工作品の交換に出掛けた際、とある身なりの良い娘を見初め、口説いて自分の物にしようとしたが、上手くいかず、結果、殺すに至ってしまった。時代と場所が変わっても、この手の事件は絶えることがないが、この場合相手が悪かった。隣国の王に仕える有力な家の娘で、ゆくゆく王の息子にめあわせる約束の者であったのだ。

 こういった場合、財物であったり食料であったり、何かしらの賠償をしていわゆる示談のような形を取ることで、無数の小さなクニが山河を埋め尽くすこの島のひとびとは均衡を保とうと努めるのであるが、サナのクニは軍事的、財政的に力のあるクニで、かつサナの父である王は特に些事を面倒がる性格であったため、周囲の者がどのようにすべきか献策しても、隣国を軽んじ、
「まぁ、いいだろう」
 と取り合わなかった。
 
 ちなみに、サナのクニの名は「ヤマト」という。サナ達が「オヤマ」と呼んでいる山の麓にあるのでそう言った。肥沃な土地がもたらす豊かさはそのままクニの力になった。
 春から夏へと時は移るが、それでもヤマトからは何の謝罪もないままであるから、隣国のハラのひとびとの間での怨嗟の声が高くなってきた。
「だいたい、いつも奴らは態度が尊大だ」
「俺も実はそう思っていた」
「奴らはハラを軽んじているに違いない」
 そのような声が人から人へ伝わるにつれ、
「ヤマト、誅すべし」
 というように育っていった。こうなれば不満は世論となり、ハラからヤマトへ不遜をなじる使者を送る羽目になった。
「貴国と我らは、今まで隣国のよしみで共に支え、繁栄を目指して来たはずであり、兄と弟のような間柄であったはずである。しかしながら今回の貴国の対応はどうか。我らが民を損なっても詫びの一つもなく、無かったかのように振る舞うとは、我らを軽んじておられるのではないか」
 と使者が詰問を投げ掛けると、王は
「この度のこと、誠に残念である。しかしながら兄と弟であるならば、貴国もまた兄に対する態度をわきまえられるべきではないか」
 と非常にまずい答えをした。
 使者は話にならぬと立ち上がり、館を去ってしまった。
 王はすかさず、
「あの者を斬れ」
 と側近に命じた。
 王は民をよく治め、身内にも優しい男であったが、後年ほど君主たる者の思考法が確立されておらず、時代がそれを模索している段階であるため、この時点ではヤマト王のみならず、王とは多分に個人であった。
 この場合王がここまでに激烈な行動を取ったのは、たとえば、嫌味に腹を立て、かつ使者の声の高さや目鼻立ちが鼻についたのかもしれないし、仮に使者を斬ったところでハラとの力の差は歴然、はじめから戦になどならぬと踏んでのことであったのかもしれない。
 
 ともかく、側近が使者を追いかけ、一剣のもとに首を飛ばし、その首だけがハラに帰国することとなった。
 驚いたのはハラの王である。使者を送り詰ることで食料でもせしめれば民心は治まると思っていたところ思わぬ強硬さであったため、王はハラの民の怒りを恐れた。
 王の権威を修飾するべき宗教も学問もないので、民心を失った王の辿る道は後の時代のそれよりももっと明らかで、簡潔で、そして露骨である。
 行くも地獄、戻るも地獄のハラの王はやむなく小国とはいえ剽悍ひょうかんで聞こえたハラの選りすぐりの軍をヤマトに向け差し向ける。
 元来、この島のひとびとは温厚であるが、個人差はあるにしてもひとたび戦となればわき目も振らず敵に向かい、死を恐れない。また、大陸の影響もあり英雄を崇めることもわりあい好きで、そういった将に率いられる兵は数が少なくても決して侮れない。

 ハラの将の頂点にいるのはハクトといって、かつてサナが生まれる前にヤマトのクニが遠い西方のクナというクニが率いる連合軍に攻められたとき、近隣の小国の軍をひとまとめにして援軍に馳せ参じ、ヤマトの王とともに西方連合軍を見事に撃退し、ハラ国内は勿論ヤマトの国内でも高い声望を持つ男であった。
 そのハクトが攻めてくる、という噂を聞き付け――あるいはハクト側が故意に流したとも考えられる――、国内の有力者の家の者であっても逃げる者、隠れる者が出たほどにヤマトの国内は多いに慌てた。このためヤマト国内は兵の統率が取れず、迎撃の体制を取るのが遅れた。
 当時は信長以降の兵農分離のような明確な身分区別もなく、有力な家の者がその奴婢や従える下位の家の者を集め、武装させるというのが一般で、準備にひどく手間がかかる。
 そうこうするうちにハラ軍は早々にクニの境に布陣、今にも飛び掛からんばかりの勢いであった。

 ヤマト軍の将の頂点はマヒロの父であるシン。シンはなんとか兵をまとめ上げ、クニの境にまで進軍する。
 シンもまた音に聞こえた勇将で、クニ境の平原にまで到着するやいなや号令一閃、当時この島のひとびとが使役していた馬――われわれが想像する馬よりもかなり小さい――を巧みに操り、馬上で二本の剣を自在に振り回し、自ら敵中に突っ込み大いにハラ軍を後退させ、その将のうちの数人を自ら討った。
 しかしハラ軍を率いるハクトも負けておらず、馬を進めて軍の先頭を駆けると後に続く兵は鬼神が乗り移ったかのようにヤマト軍をなぎ倒し、勢いに乗り、ついに馬ですれ違い様に大矛を一閃させ、シンの首を落としてしまった。

 こうなれば、この島のひとびとは弱い。ヤマト兵は大将を討たれ一目散に中心集落を目指して壊走したものだから、集落の回りを囲む土塁を守備する者もどれが味方でどれが敵かも分からず、ごっちゃになって収容したために日頃サナが遊ぶ川にかかる橋を落として川を堀とすることができず、あろうことか王の館のすぐ近くまでハラ兵の接近を許してしまった。
 時代が降れば降るほど王の館は軍事的な要塞でなければならず、後年の「城」がその最も分かりやすい例であるが、この時代の板葺きあるいは茅のような植物の茎で葺いた簡素な館自体に防衛能力など無いに等しい。そのような場合を想定し置かれているのが、マヒロら王家に仕える家の者どもであった。

 更に細かな描写をおこなう前に、この時代の戦について触れておきたい。
 同時代の大陸では「三国志」で知られる魏、呉、蜀が何万、何十万という大軍を用いた。後年のわが国でも数万同士がぶつかる合戦が見られるが、この時代はもっと人口が少なく、生産力も低く、身分社会の形成も緩やかであったため、数百から数千が普通で、万に至る兵を動員するような戦などほとんど無いと言ってもよかった。
 このとき出戦した兵は、ヤマトが二千、ハラが千四百。時代のことを思うと、規模としてはかなり大きい。

 それらの者共が入り雑じり混乱する中、わずかに数十名という少勢ながら勇敢に敵の前に躍り出たマヒロら王家に仕える家の者達は、秀でた武芸で次々とハラ兵を倒した。そうするうちに敗残のヤマト兵も我を取り戻し、乱戦となった。
 マヒロはまだ年若のため、ヤマト兵が勇戦する場所から五百歩ほど後方の、館の入り口の守備として残された者数人の中にあった。
 前線のヤマト兵は勇戦し敵を倒すこと甚だしいとは言え、一人倒れ二人死に、このままでは全滅は明らかであった。
 そのうち敵兵のうち十人ほどの集団がそれを突破し、マヒロらが守備する王の館に向け突進してきた。
 マヒロらヤマト兵に幸いであったのは、弓を使える者がハラに少なかったことで、なおかつ乱戦になっていたため使える者がいても使えなかったことある。
 館を守る者のうち、マヒロはよく弓が使えたので、駆け向かって来る者のうちの一人に狙いを定め、後年に「短弓」と呼ばれる形の弓を引き絞った。カンと短弓特有の高い音が鳴り、狙った一人は胸を貫かれ仰向けに倒れた。続けざまに次の矢をつがえ、気が満ちると放った。それもまた敵に命中した。更に次の矢をつがえるときには、もう敵の目鼻がはっきりと見える距離になっていた。
 ひとりと、目が合った。
 その目に向けて放った矢が吸い込まれるようになるのを見ながら弓を捨て、革でこしらえた鞘から鉄剣を抜いた。

 当時、製鉄技術はまだまだ発達途上で、地域により農具や武器は銅、鉄と分かれており、ヤマトにおいては製鉄が盛んな大陸に近い西方沿岸地方の他国と戦争をしたときの滷獲品ろかくひんとして得ることが多く、マヒロがいているのもそれであった。
 後代の刀と違い両刃で、厚みはそれほどないが幅が広く、重さは無いが取り回しが良く、斬撃の速さが出た。
 刃渡りはちょうどマヒロの手のひらから肩までと同じ長さである。
 鉄剣が出回る前の主力であった銅剣は、斬るというより叩くと表す方が適切であるが、鉄剣でも下手が振り回すと同じで全く斬れぬものであるが、よく工夫を凝らした者ならば鋭い斬撃を繰り出すことができた。

 それを構えたマヒロが跳躍し、降りたときには一人が大陸伝来の、こんにちでいう丸首の長袖シャツのような形をした鎧「筒袖鎧とうしゅうがい」の肩口を断ち割られ、血飛沫を上げながら倒れた。
 倒れる前に、次の一人の首を一突きし、引き抜きざま左に薙ぎ払い、隣の一人を倒した。空いた右側から突き出される矛をくつで踏みつけ、そのまま矛を足場に飛び上がり、強烈な膝蹴りを鼻面にたたき込み、着地するときにまた一人を斬った。
 さらに奥から躍り出た一人の頭を兜ごと飛ばし、膝蹴りを食らって顔面を鮮血に染めてのたうつ者の首を踏みつけ、文字通り息の根を止めた。
 無我夢中であったから、マヒロは自分が戦っているのかいないのか、そして勝ったのか負けたのか分からなかった。
 しかし目の前にはハラ兵が引き上げていく光景があったため、少なくとも自らの背後にある王の館に彼らが乱入し、サナの生命を脅かすという危険は去ったということだけを、蝉の声を聞きながら理解した。
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