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東部連合編

冷たい雨

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「久しぶり」二人で会話するには遠い距離のうちに、彼が話しかけた。
「本当?なんだか、そんな感じしないな」
「退院の知らせを聞いてから、ずっとうずうずしてたんだ」
「なんだ聞いてたのね!」祝福の言葉に紛らして、彼に視線を送る。「おめでとう」
「ありがとう。でも、俺は何もしてないんだ。玲禾のおかげ」
「私じゃなくて…ハル君がここで、あのお爺さん先生を見つけたんだよ」
「玲禾がその本を持って来てくれたし、お偉いさんに俺の事を報告してくれたんでしょ」
「お偉いさんって、北別府校長でしょ!まあ、私の貢献も否定しないわ。二人でやってやったの」ここで、意地の張り合いをするのも変だと思った。私が正直になったら、彼も頷いてくれた。

「ようやく、ミズミアでの暮らしが始まるわ」紗江先生が彼の肩を叩いて言った。
「今までのは何だったんですか?」
「病院の中にいちゃ…向こうも、こっちも関係ないじゃない」
「よく言いますよ。変な呪文を散々聞かされたんですから」紗江先生が問いただすと、彼は他の医者の事だと弁明した。

「いよいよ外の世界に行くのよ。大丈夫?」お母さんが仕切り直して言った。他人の子を相手にしている感じはない。
「はいっ。望む所です」
「それは、それで寂しい言い方ね」紗江先生は苦笑いする。
「一緒に我が家に住むんだよ」これは私が言い出すと決めていた。私の口から言いたかった。
「うん、そうこなくっちゃ。秘密基地が待ち遠しかったんだ」
「老木を知ってるのね」我が家の言い方にピンときた。
「うわさに聞いたよ。大きい木が横倒しで、人が住んでるようには見えないらしいね」
「そうそう。でも、基地って言うのは堅苦しいわ。とっても素敵なのよ」軍の会議が昨日行われたばかりで、ハル君の印象もあながち間違いではない。ただ、長居するのだから、快く受け入れて欲しかった。

 地上病院の玄関の暖簾をくぐると、雨とは言えないような雨が降り出していた。降るというより、舞うに近い。目では見えるが、肌に落ちても何も感じない霧のような雨だ。
「あら、嫌な感じ。これから降りそうね」お母さんが淀んだ白い空を見上げて、言った。
「うん、早く行かないと」
「タイミングは良くないけど、魔法界を満喫するのよ」
「ありがとうございます」
「こんなとこに戻って来ないでね」紗江先生は、私の時と同じ惜別の言葉を送ってくれた。

 長話をせずに出発して正解だった。病院の全体を振り返って確認できるくらいの所で、しっかりした雨粒に変わった。空模様のせいで、気温も上がらない。悪くも、天気予報皮紙が当たった。
 激しい降り方ではないが、ずっと歩くには不向きな天候だ。丘からはみ出した緑の下まで小走りした。

「ここを真っ直ぐですか?」ハル君が振り返り、お母さんに聞いた。ミズミアに土地勘がないのだから無理もなかった。
「そうよ。丘に沿って歩いて、二つ目の坂を上がるわ」

 丘の外周からは、針山のように木が飛び出し、自然の傘を作っている。雨宿りには、ちょうど良い。その下を通ると、彼にも空の白を枝葉の緑が隠した影が落ち、神秘的に映った。
 枝葉の屋根が、私達だけの空間を作った。ふたりきりでなく、後ろにお母さんがいるからこそ、現実の地を踏みしめていられた。

 針山の木は一列に生えているわけではない。断続的で、乳児の歯のように所々抜けている。
 切れ目に着くと、ハル君は、私の手を引っ張って、走り出した。絹のような滑らかな肌に、私の右手はぎゅっと固定される。神経は足まで通っていない。ハル君と繋がった手で前に進んだも同然だった。
 ゴーストに襲われる前に砂浜を二人で走ったのが蘇る。彼と目を合わせ、その思い出を共有した。

 枝葉の傘を奥まで渡り切った時、お母さんは、雨雲の下を平気な顔で歩いていた。手には杖があり、先端は空を向いている。
「傘魔法よ」母は遅れて、緑の軒下を潜り抜けた。優雅な表情に悪びれる様子は見えない。
「傘って、肢の部分しかないのに」
「そんな事ないわ。ほらっ、幕が張ってるの」お母さんは、肢の代わりの杖をしまうと、空いた人差し指を天に伸ばし、何かに弾ませた。

 ハル君と見合い、私たちも真似をする。何回か空振りしてから、得体の知れないそれを発見した。
 指や手の平が空中で跳ね返る。よく観察すると、電車の線路と同じで、透明幕の外形線が浮かんでいた。ゼリーのような、トランポリンのような感覚が空中にあった。

 母による傘魔法講座は、大石の防衛魔法より実践的で、緑の屋根の途切れが即本番を意味する。否応無しに呪文を唱えなければならなかった。
 凌げたと思ったら、傘が曲がってるのか、まとめて雨水が落ちてくる。一方で、ハル君は安全上の理由でお母さんと相合い傘をしている。私だけ濡れるし、彼をとられるしで、散々な帰路になった。
 老木に着く頃には、傘魔法を習得したけれど、寒さが身に染みていて本末転倒も良いところだった。
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