101 / 242
東部連合編
冷たい雨
しおりを挟む
「久しぶり」二人で会話するには遠い距離のうちに、彼が話しかけた。
「本当?なんだか、そんな感じしないな」
「退院の知らせを聞いてから、ずっとうずうずしてたんだ」
「なんだ聞いてたのね!」祝福の言葉に紛らして、彼に視線を送る。「おめでとう」
「ありがとう。でも、俺は何もしてないんだ。玲禾のおかげ」
「私じゃなくて…ハル君がここで、あのお爺さん先生を見つけたんだよ」
「玲禾がその本を持って来てくれたし、お偉いさんに俺の事を報告してくれたんでしょ」
「お偉いさんって、北別府校長でしょ!まあ、私の貢献も否定しないわ。二人でやってやったの」ここで、意地の張り合いをするのも変だと思った。私が正直になったら、彼も頷いてくれた。
「ようやく、ミズミアでの暮らしが始まるわ」紗江先生が彼の肩を叩いて言った。
「今までのは何だったんですか?」
「病院の中にいちゃ…向こうも、こっちも関係ないじゃない」
「よく言いますよ。変な呪文を散々聞かされたんですから」紗江先生が問いただすと、彼は他の医者の事だと弁明した。
「いよいよ外の世界に行くのよ。大丈夫?」お母さんが仕切り直して言った。他人の子を相手にしている感じはない。
「はいっ。望む所です」
「それは、それで寂しい言い方ね」紗江先生は苦笑いする。
「一緒に我が家に住むんだよ」これは私が言い出すと決めていた。私の口から言いたかった。
「うん、そうこなくっちゃ。秘密基地が待ち遠しかったんだ」
「老木を知ってるのね」我が家の言い方にピンときた。
「うわさに聞いたよ。大きい木が横倒しで、人が住んでるようには見えないらしいね」
「そうそう。でも、基地って言うのは堅苦しいわ。とっても素敵なのよ」軍の会議が昨日行われたばかりで、ハル君の印象もあながち間違いではない。ただ、長居するのだから、快く受け入れて欲しかった。
地上病院の玄関の暖簾をくぐると、雨とは言えないような雨が降り出していた。降るというより、舞うに近い。目では見えるが、肌に落ちても何も感じない霧のような雨だ。
「あら、嫌な感じ。これから降りそうね」お母さんが淀んだ白い空を見上げて、言った。
「うん、早く行かないと」
「タイミングは良くないけど、魔法界を満喫するのよ」
「ありがとうございます」
「こんなとこに戻って来ないでね」紗江先生は、私の時と同じ惜別の言葉を送ってくれた。
長話をせずに出発して正解だった。病院の全体を振り返って確認できるくらいの所で、しっかりした雨粒に変わった。空模様のせいで、気温も上がらない。悪くも、天気予報皮紙が当たった。
激しい降り方ではないが、ずっと歩くには不向きな天候だ。丘からはみ出した緑の下まで小走りした。
「ここを真っ直ぐですか?」ハル君が振り返り、お母さんに聞いた。ミズミアに土地勘がないのだから無理もなかった。
「そうよ。丘に沿って歩いて、二つ目の坂を上がるわ」
丘の外周からは、針山のように木が飛び出し、自然の傘を作っている。雨宿りには、ちょうど良い。その下を通ると、彼にも空の白を枝葉の緑が隠した影が落ち、神秘的に映った。
枝葉の屋根が、私達だけの空間を作った。ふたりきりでなく、後ろにお母さんがいるからこそ、現実の地を踏みしめていられた。
針山の木は一列に生えているわけではない。断続的で、乳児の歯のように所々抜けている。
切れ目に着くと、ハル君は、私の手を引っ張って、走り出した。絹のような滑らかな肌に、私の右手はぎゅっと固定される。神経は足まで通っていない。ハル君と繋がった手で前に進んだも同然だった。
ゴーストに襲われる前に砂浜を二人で走ったのが蘇る。彼と目を合わせ、その思い出を共有した。
枝葉の傘を奥まで渡り切った時、お母さんは、雨雲の下を平気な顔で歩いていた。手には杖があり、先端は空を向いている。
「傘魔法よ」母は遅れて、緑の軒下を潜り抜けた。優雅な表情に悪びれる様子は見えない。
「傘って、肢の部分しかないのに」
「そんな事ないわ。ほらっ、幕が張ってるの」お母さんは、肢の代わりの杖をしまうと、空いた人差し指を天に伸ばし、何かに弾ませた。
ハル君と見合い、私たちも真似をする。何回か空振りしてから、得体の知れないそれを発見した。
指や手の平が空中で跳ね返る。よく観察すると、電車の線路と同じで、透明幕の外形線が浮かんでいた。ゼリーのような、トランポリンのような感覚が空中にあった。
母による傘魔法講座は、大石の防衛魔法より実践的で、緑の屋根の途切れが即本番を意味する。否応無しに呪文を唱えなければならなかった。
凌げたと思ったら、傘が曲がってるのか、まとめて雨水が落ちてくる。一方で、ハル君は安全上の理由でお母さんと相合い傘をしている。私だけ濡れるし、彼をとられるしで、散々な帰路になった。
老木に着く頃には、傘魔法を習得したけれど、寒さが身に染みていて本末転倒も良いところだった。
「本当?なんだか、そんな感じしないな」
「退院の知らせを聞いてから、ずっとうずうずしてたんだ」
「なんだ聞いてたのね!」祝福の言葉に紛らして、彼に視線を送る。「おめでとう」
「ありがとう。でも、俺は何もしてないんだ。玲禾のおかげ」
「私じゃなくて…ハル君がここで、あのお爺さん先生を見つけたんだよ」
「玲禾がその本を持って来てくれたし、お偉いさんに俺の事を報告してくれたんでしょ」
「お偉いさんって、北別府校長でしょ!まあ、私の貢献も否定しないわ。二人でやってやったの」ここで、意地の張り合いをするのも変だと思った。私が正直になったら、彼も頷いてくれた。
「ようやく、ミズミアでの暮らしが始まるわ」紗江先生が彼の肩を叩いて言った。
「今までのは何だったんですか?」
「病院の中にいちゃ…向こうも、こっちも関係ないじゃない」
「よく言いますよ。変な呪文を散々聞かされたんですから」紗江先生が問いただすと、彼は他の医者の事だと弁明した。
「いよいよ外の世界に行くのよ。大丈夫?」お母さんが仕切り直して言った。他人の子を相手にしている感じはない。
「はいっ。望む所です」
「それは、それで寂しい言い方ね」紗江先生は苦笑いする。
「一緒に我が家に住むんだよ」これは私が言い出すと決めていた。私の口から言いたかった。
「うん、そうこなくっちゃ。秘密基地が待ち遠しかったんだ」
「老木を知ってるのね」我が家の言い方にピンときた。
「うわさに聞いたよ。大きい木が横倒しで、人が住んでるようには見えないらしいね」
「そうそう。でも、基地って言うのは堅苦しいわ。とっても素敵なのよ」軍の会議が昨日行われたばかりで、ハル君の印象もあながち間違いではない。ただ、長居するのだから、快く受け入れて欲しかった。
地上病院の玄関の暖簾をくぐると、雨とは言えないような雨が降り出していた。降るというより、舞うに近い。目では見えるが、肌に落ちても何も感じない霧のような雨だ。
「あら、嫌な感じ。これから降りそうね」お母さんが淀んだ白い空を見上げて、言った。
「うん、早く行かないと」
「タイミングは良くないけど、魔法界を満喫するのよ」
「ありがとうございます」
「こんなとこに戻って来ないでね」紗江先生は、私の時と同じ惜別の言葉を送ってくれた。
長話をせずに出発して正解だった。病院の全体を振り返って確認できるくらいの所で、しっかりした雨粒に変わった。空模様のせいで、気温も上がらない。悪くも、天気予報皮紙が当たった。
激しい降り方ではないが、ずっと歩くには不向きな天候だ。丘からはみ出した緑の下まで小走りした。
「ここを真っ直ぐですか?」ハル君が振り返り、お母さんに聞いた。ミズミアに土地勘がないのだから無理もなかった。
「そうよ。丘に沿って歩いて、二つ目の坂を上がるわ」
丘の外周からは、針山のように木が飛び出し、自然の傘を作っている。雨宿りには、ちょうど良い。その下を通ると、彼にも空の白を枝葉の緑が隠した影が落ち、神秘的に映った。
枝葉の屋根が、私達だけの空間を作った。ふたりきりでなく、後ろにお母さんがいるからこそ、現実の地を踏みしめていられた。
針山の木は一列に生えているわけではない。断続的で、乳児の歯のように所々抜けている。
切れ目に着くと、ハル君は、私の手を引っ張って、走り出した。絹のような滑らかな肌に、私の右手はぎゅっと固定される。神経は足まで通っていない。ハル君と繋がった手で前に進んだも同然だった。
ゴーストに襲われる前に砂浜を二人で走ったのが蘇る。彼と目を合わせ、その思い出を共有した。
枝葉の傘を奥まで渡り切った時、お母さんは、雨雲の下を平気な顔で歩いていた。手には杖があり、先端は空を向いている。
「傘魔法よ」母は遅れて、緑の軒下を潜り抜けた。優雅な表情に悪びれる様子は見えない。
「傘って、肢の部分しかないのに」
「そんな事ないわ。ほらっ、幕が張ってるの」お母さんは、肢の代わりの杖をしまうと、空いた人差し指を天に伸ばし、何かに弾ませた。
ハル君と見合い、私たちも真似をする。何回か空振りしてから、得体の知れないそれを発見した。
指や手の平が空中で跳ね返る。よく観察すると、電車の線路と同じで、透明幕の外形線が浮かんでいた。ゼリーのような、トランポリンのような感覚が空中にあった。
母による傘魔法講座は、大石の防衛魔法より実践的で、緑の屋根の途切れが即本番を意味する。否応無しに呪文を唱えなければならなかった。
凌げたと思ったら、傘が曲がってるのか、まとめて雨水が落ちてくる。一方で、ハル君は安全上の理由でお母さんと相合い傘をしている。私だけ濡れるし、彼をとられるしで、散々な帰路になった。
老木に着く頃には、傘魔法を習得したけれど、寒さが身に染みていて本末転倒も良いところだった。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?
つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。
平民の我が家でいいのですか?
疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。
義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。
学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。
必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。
勉強嫌いの義妹。
この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。
両親に駄々をこねているようです。
私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。
しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。
なろう、カクヨム、にも公開中。
魔道具作ってたら断罪回避できてたわw
かぜかおる
ファンタジー
転生して魔法があったからそっちを楽しんで生きてます!
って、あれまあ私悪役令嬢だったんですか(笑)
フワッと設定、ざまあなし、落ちなし、軽〜く読んでくださいな。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
欲しいのならば、全部あげましょう
杜野秋人
ファンタジー
「お姉様!わたしに頂戴!」
今日も妹はわたくしの私物を強請って持ち去ります。
「この空色のドレス素敵!ねえわたしに頂戴!」
それは今月末のわたくしの誕生日パーティーのためにお祖父様が仕立てて下さったドレスなのだけど?
「いいじゃないか、妹のお願いくらい聞いてあげなさい」
とお父様。
「誕生日のドレスくらいなんですか。また仕立てればいいでしょう?」
とお義母様。
「ワガママを言って、『妹を虐めている』と噂になって困るのはお嬢様ですよ?」
と専属侍女。
この邸にはわたくしの味方などひとりもおりません。
挙げ句の果てに。
「お姉様!貴女の素敵な婚約者さまが欲しいの!頂戴!」
妹はそう言って、わたくしの婚約者までも奪いさりました。
そうですか。
欲しいのならば、あげましょう。
ですがもう、こちらも遠慮しませんよ?
◆例によって設定ほぼ無しなので固有名詞はほとんど出ません。
「欲しがる」妹に「あげる」だけの単純な話。
恋愛要素がないのでジャンルはファンタジーで。
一発ネタですが後悔はありません。
テンプレ詰め合わせですがよろしければ。
◆全4話+補足。この話は小説家になろうでも公開します。あちらは短編で一気読みできます。
カクヨムでも公開しました。
「あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください」〜 お飾りの妻だなんてまっぴらごめんです!
友坂 悠
恋愛
あなたのことはもう忘れることにします。
探さないでください。
そう置き手紙を残して妻セリーヌは姿を消した。
政略結婚で結ばれた公爵令嬢セリーヌと、公爵であるパトリック。
しかし婚姻の初夜で語られたのは「私は君を愛することができない」という夫パトリックの言葉。
それでも、いつかは穏やかな夫婦になれるとそう信じてきたのに。
よりにもよって妹マリアンネとの浮気現場を目撃してしまったセリーヌは。
泣き崩れ寝て転生前の記憶を夢に見た拍子に自分が生前日本人であったという意識が蘇り。
もう何もかも捨てて家出をする決意をするのです。
全てを捨てて家を出て、まったり自由に生きようと頑張るセリーヌ。
そんな彼女が新しい恋を見つけて幸せになるまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる