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真昼のカーチェイス

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 彼は車後方の荷物扉を閉め、流れるように運転席にまわり込んだ。

 彼が何故焦っているのか、車が出発するまで分からなかった。駐車場の奥低いところを、黒い粒子のうねりがさまよって、力を溜め込もうとしている。邪悪な存在は、渦巻きながら力を大きくしていた。

 発信源に居合わせて取る行動は一つ。できるだけ距離をとることだ。彼は海岸通り、田んぼ道と遠くに車を走らせた。
 ただ、空だけは共通の空間で、地上が開けていようが、騒がしかろうが関係ない。黒い煙は、駐車場の方から木々を超えて立ち昇り、数百メートル離れた位置からも、その姿を拝まざるを得ない程になった。

 防潮林脇の一本道は、遥か前方まで見通せる。その距離は、高波の恐怖に付き合わなければならない時間だ。具現化された恐しさに、ハル君も対抗するけれど、行きの倍くらいの速さを持ってしても、前の車にはとても追いかない。車間を詰めるのがやっとだった。

 この竜巻は平行に移動しない。まるで生き物のように体を曲げ、一番高い所を頭にして一本道に降りて来た。意思を宿したような動きからは、それがマントの下に顔を隠しているよう見えた。もはや、竜巻というよりゴーストに近い。

 海沿いの一本道を走り切れば、内陸部に入れる。内部に入れば安心という保証はないけれど、そう信じ、突き進む以外道はない。前方の車が一本道を直進するのを見送りながら、彼はハンドルを切り、海岸から離れる道を選んだ。
 ゴーストに二者択一を迫る形になった。どちらかを追えば、どちらかは逃がすことになる。
 自然災害の被害は海や山の印象が強い。玲禾は彼が正しい選択をしたと思った。そうした意味で、それは二人一致で出した答えと言えた。結果も、二人が身をもって知ることになる。玲禾には良い方の期待だけで、悪い方の準備はできていなかった。

 ゴーストの顔は、二人のミニバンを向いている。

 ゴーストは、海中を泳ぐ魚のようにスルスルと身を近づける。口の中には暗黒が広がり、目はマントで隠している。生まれてから時間が経ち、よりはっきりとした体になっていた。元の竜巻が石像なら、ゴーストは余分を取り除くと現れる彫刻作品だ。
 接近でその上半身が見えなくなるのに入れ替わって、天井が大きな音を立てた。包装紙を丸めて押し付けたような型が、鉄の屋根に現れた。

 ハル君は車を左右に振って、ゴーストを引きはがしにかかる。玲禾は玲禾なりに何かしようと、後方のガラス越しに、マントの奥へ眼光を向けた。やれるものならやってみろ、と受けて立つ。
 森の中で熊に出会った時、背を向けてはいけない。人間が取る姿勢が、そのまま熊との力関係になるからだ。弱さを認めるのではなく、威嚇することで、強いと錯覚させることができる。ゴースト相手でも同じなのではないか。

 しかし、ハル君が右往左往する運転に慣れているはずがない。車は路肩の草むらに突っ込み、気づいた時には、前方を茂みで塞がれていた。

 ゴーストが一直線に飛んで来る。本能は、ガラスが突き破られ、自身が飲み込まれることを察知した。反射的に目を閉じた。

 玲禾は瞼の裏で、自分がどこにいるのか、生きているのか問うた。そこは黒い闇の奥に、白い光が待っている世界だった。
 次に見た時、ゴーストは襲うどころか、背を向けて遠ざかろうとしていた。
 黒い雲のような体じゅうを、白煙が出たり入ったりで忙しい。一つの身体を舞台に、異質なものが争う内乱のような有様を呈していた。

 黒と白のゴーストが道路の方にのけぞると、奥にもう一体のゴーストが見えた。
 単色で、暗黒の殺気が全身を覆っている。浜辺から玲禾達を追い掛け回していたゴーストそのものだ。

 二体のゴーストは正面からぶつかり合うと、相手を取り込むかのように身を入れ込み合う。お互いが相手を自分色に染めようとしている。相反する色だからこそ、反発が激しかった。

 突然、シャッターのように、激しい光が放たれたかと思うと、暗黒一色のゴーストが車の方に弾き飛ばされた。人の目でつぶさに追えないはずの速さも、玲禾の深い意識は、底知れない闇に染まった顔を認識したようで、その残像が脳裏に焼きついた。

 時が流れると、風に吹かれるみたいにして、黒のゴーストはその姿を消した。一方で、暗黒と純白、異物の間で苦しむゴーストは、傷を負いながらも、近くに残っている。二人を暗黒ゴーストから横取りするという可能性もあるというのに、何故かそうではないと玲禾には信じられた。 

 身を削って目的を果たしたゴーストは、存在がどんどん薄くなっていき、玲禾が瞬きをした合間にいなくなっていた。
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