セラルフィの七日間戦争

炭酸吸い

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第四章

005 シルヴァリーとチャイム⑤

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 シルヴァリーの精神は限界に達していた。『結界』を構築したのだ。ただし、人格の欠落という代償を代わりに支払う懐中時計によって、その意識はまだ消えてはいない。
 亀裂の入った懐中時計。数多の魔術代償を受けてきたその魔導具も、『死と隣接する力』までは受けきれなかった。  
 半壊し、受けきれなかった代償の半分を払ってしまった。 
 結界を構築するということは、神の世界創造の真似ごとと同じ。人間が手を出して良い領域の力では無かったのだと、シルヴァリーは改めて理解した。

「すま、ない。キーム。私のことはいい。先にいけ」
「だめですよ! あなたが死んでしまう!」

 随分と感情を出せるようになったものだ。
 無表情の中、涙を零す彼女の顔を見て、シルヴァリーは必至に声を絞り出す。

「だめなんだ、もう。魔道具を介さずに魔法を使ってしまった。正気では、いられない」

 キームの頬に伝う涙を拭い、最後の会話を永遠に続けるため、意識を手放さないよう、能動的な動きを止めまいとしていた。
 キームは覚悟したような瞳でシルヴァリーを見る。涙を拭う手を取り、強く握った。

「私に出会ったことが全ての原因です。ここに来る瞬間まで、あなたの時間を戻します」
「ダメだ! キームとの記憶まで……消えてしまう」
「それでいいんです。もともとあなた方組織とマヨイビトは相容れない。本来この力はわたくしの寿命を奪う。でも、あの鐘楼が近くにある限り、私は時間に殺されることはない……。もう逃げられないんです。ここからは。鐘楼が直らない限り、あれと一緒に空間を渡れない」

 キームは時間操作のマヨイビト。ただ、代償を受け入れる心臓――再生の臓器は、その力によって寿命を奪われる。彼女の力の特異性はそこにあった。精神ではなく、生命を代償にする力。
 それを防いでいたのは鐘楼だった。つまり、人間以上の力を持ちながら、人間同様の弱点を持つマヨイビトだったのだ。

「あれが転移装置の役割も担っているなら、今からでも直しに」

 気力もない体を起こそうとするシルヴァリーの肩を静かに抑える。

「アロノアと言いましたね。彼はマヨイビトの力を持っています。それも二人分。彼は『マヨイビトを手にかけることで、マヨイビトの力を得られる』と知っている。力の全てを受け継げる契約です。そんな中、彼のいる場所で攻撃を退けながらなど、ほぼ不可能です。あの言動、彼の性格上あなたを仲間と思うことも無いでしょう」
「だったら――」
「私を殺してください」
「そん、な」

 できるわけがない。愛する人を殺すくらいなら、自分が死んだ方がマシだ。
 きっとキームもシルヴァリーの言いたいことは分かっているだろう。それでも淡々と、無表情で説明を続けた。

「私を殺せば時間を操る力を得られます。あなた専用に作られたその魔道具があれば、私のように鐘楼に頼る必要もないでしょう。お願いですから、生きてください」
「いや、だ。キームを、忘れたくない」
「安心してください。時の制約は使用者を殺せば解除されます」
「そんなの意味がない! 記憶が戻っても、キームがいないなんて……耐えられない」

 もはやキームを見る力も、その視力も衰えていた。焦点は合わず、瞳に色は無い。
  虚空を見つめ、涙を零すシルヴァリーの手を取り、優しく、覚悟させるように言った。

「人間そんなにやわな生き物ではありません。時の流れが苦しみを消してくれます」
「消えるわけないだろッ! 消させないぞ、絶対に、キームのことを忘れたりなんか、できない……ッ」

 轟音。アロノアからは見えていないはずの結界に、亀裂を入れられた。あまりにも対応が早すぎた。
  キームの体に魔の術式が伸びる。それは顔にまで及んだ。マヨイビトが固有の魔術を使用するときに現れる症状。

「時間です。彼が来ます」
「頼む……。消えないでくれ。キーム。キームとなら、共に死んだって構わないから」
「そんな悲しいことを言わないでください。一瞬だけ。もしくは永遠かもしれないですが、わたくしのことを忘れてしまっても、私の分まで愛する人が生きていてくれるなら本望です。あなたには多くのことを教わりました。あの青い花も、人を愛する感情も。遠い昔に失くした感情は、どれも新鮮で、かけがえのないものでした」
「よせッ――」
「さようなら」

 額に感じる、冷たい手。一粒の雫を頬に感じ、やがて。意識を失った。
 


    ****


 
 精神を侵すレベルまで魔術を行使し、強引に時を戻されたシルヴァリーはある程度までその精神を。人としての一線を越えない程度の精神を取り戻すことに成功した。
 ――取り戻した。組織としてのシルヴァリーを。

「なっ、ここはどこだ……!? 貴様、その紋章ッ。マヨイビトだな!」

 正座している形で、茫然と見上げて来る女性。その顔には魔の術式が浮かんでおり、異次元管理局が排除すべき災厄だとすぐに理解した。
 見渡すと得体の知れない世界。シルヴァリーの混乱は激しい危険信号を放つ。

「シルヴァリー……」
「なぜ俺の名を知っている! くそ、もうコイツの術中にはまっているのか!?」
「愛しています。いつまでも」
「黙れッ! 災厄をもたらす化物が! ここで死ねッ」

 『補助役』とはいえ組織のメンバー。対象を制圧するだけの力を持っていないわけではなかった。
  ひび割れた懐中時計を突き出し、掌に魔法陣を浮かばせる。

  光の熱線が黒いドレスを貫いた。

 直後、膨大な時の流れが映像となって脳内を巡った。濁流のような荒々しさは、かけがえのない記憶を暴力的に呼び戻す。
  目の前には、心臓を貫かれ、冷たくなった女性。
 死してなお安心したような笑顔だった。

「キー……ム?」

 咆哮。喉が千切れそうなほどに。枯れた空に向かい、いつまでも叫んだ。暴走した力は強大だった。この空間を駆け巡り、侵入したアロノアを異界に弾き飛ばすほどに。
 ――マヨイビトは世界に災厄をもたらす者。生まれながらにして危険。そう宿命づけられた存在。それを排除するのは異次元管理局。一体、どちらが正しいのか。考える余裕など無かった。自分以外のモノは、全てが敵に見えるほどに、取り残されたシルヴァリーの心は侵されていた。

 故に。行動原理は単純なものへと書き換えられる。


「殺す。一人残らず」



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