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第四章
003 シルヴァリーとチャイム③
しおりを挟む鐘の調子は以前変わらず。どうにも厄介な仕組みをしている。シルヴァリーがここに来て実に半年の時が流れていた。組織側では一日の時が流れている。時間のずれでシルヴァリーの感覚は鈍っていた。とはいえまだ大丈夫だろう。この空間では時間は待ってくれる。
「そろそろお昼にいたしません? 菓子というものを作ってみましたの」
「ほう。キームがそんな器用なことをできるとは思えませんが」
「何か言いまして?」
「いえ、独り言です」
珍しく、彼女の方から自分のために何かを作ろうと頑張ってくれていたらしい。
ところで、半年以上この世界で暮らしているわけだが、空腹などというものが無いことに気づいたのはずっと前のことだった。原因はやはり、時の制御がそうさせているのだろう。肉体的な衰えや、成長というものがここでは意味を成さないようである。最も、既に大人になっているので困ることは無いのだけれど。
故に睡魔も無ければ、睡眠や食事をとる必要も無かったりする。恐らくこの世界に侵入してしまった時からこの肉体の時間は止まっているのか、もしくは巻き戻しによってその状態を維持されているのか。それでも気持ちの面ではベッドに横になりたかったりするわけで。その流れで、シルヴァリーはキームの助力を得て、『家の無い家』を作ってしまった。
用は、『壁も屋根も無いが、中身たる家具だけをこの世界に呼び出した』というところである。
砂漠地帯なのでさすがに床の代わりとなる板くらいは敷いているが。
眠るときはソファの上でキームが毛布を掛けて眠り、シルヴァリーは床の上で毛布に抱かれながら眠るのが通例となっていた。シルヴァリーの自室にはベッドが一つしかなく、横に慣れればベッドも要らないか、と自己解決させて。図らずも一般家庭のような暮らしに染まっている気がする。
「こんな感じでどうかしら」
ブランケットに包まれたアップルパイが背の高いテーブルに載せられた。甘酸っぱいリンゴの香りがする。木のスプーンで外の皮を割ると、果実の香りを包んだ湯気が立ち上った。手ごろな大きさですくい取り、口に運ぶ。
「驚きました。意外とこの手の料理は得意なのですね」
ちょっと照れくさそうに笑い、上品に口元を抑えるキーム。
「実は初めてなんです、これ。作り方はあなたの料理本に書いてあるアップルパイと同じなのですけれど、全く同じだとつまらないですし。隠し味に異界から紛れ込んだ巨大芋虫の血と、一つ目コウモリの眼球のエキスと、甘いリンゴを混ぜると芳醇な香りを放つなんて初めて知りまして。おいしいなら良かったですわ」
「少し席を外します」
隠し味なら最後のだけにしておいて欲しかった。そもそもリンゴは隠し味ではないけれど。
と、文句を言おうと思っていた今日。しかし文句を言う気が失せてしまった。その理由を一人考えていると、この日が、初めてキームが笑ってくれた日なのだと。毛布の中で眠っているキームを見て気づいた。
また笑ってほしいと、ほんの少し思っていたりする。
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