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後編 A bouquet of flowers for dearest you

待ち人、来たる

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『葵、すまん! 今日は仕事が立て込んでて、紫葉に会う事すらできなかった……明日は必ず行くように仕向けるからな!』


 そんなメールが届いたのは、お昼を過ぎた頃だった。
 別に僕から頼んでいる訳でもないのに、律儀にそんなメールを寄越してくるお節介な人に、思わず苦笑が零れる。


「まったく……。紫葉さんがコレ見たら、卒倒するんじゃないかな」


 そんなことを呟きながら、一先ず将虎さんには少しばかり灸を据える様な言葉を添える。けれど、最後に無理はしないでね、と締めくくり、返事を送った。
 
 そうしてふぅ、と一つ息を吐いた後。それじゃあもうひと頑張りするか、と、僕は持参したお弁当を片付けた。

 今日は十二月二十四日、世はクリスマス・イブだ。確実に普段以上に忙しくなるだろう一日を思い、僕はよしと気を引き締める。

「さ、もうひと頑張りするかぁ」

 そんなことを、僕は一人、呟いた。




 時刻は現在午後三時。ちらりとガラス越しに外を見遣れば、ちらほらと道ゆく人たちは皆、足早に歩道を歩いていた。きっと、まだ日の光があるとはいえ、外の空気はキンと冷え切っているのだろう。

 あと一、二時間もすれば、外はすっかり暗くなる。そうすれば、寒さはもっと厳しくなるだろう。だから、今のうちにと花を買いにくるお客さんは多かった。

 花屋にとって、クリスマスとイブはかなりの稼ぎ時だ。なにせ皆、家族や恋人へ贈るためだったり、はたまたパーティーの催し物の為だったりにと、普段より多くの人が花を求めて来店する。忙しくならないはずがない。

 小さな店だから、普段であれば一人で捌ける仕事でも、やっぱりここ数日は誰かの手が欲しくなるのが正直な話。それでも弱音は言っていられないから、何とか一人でラッシュを乗り切った。


 そうして客足が減り、一息ついた頃。ふと壁の時計に目をやると、針はそろそろ二十時を指そうとしていた。


「うわ、もうこんな時間か」


 全然気付かなかった、そう呟き視線をずらせば、外はすっかり真っ暗で、道行く人も疎らだ。加えてそんな人たちも、皆足早に自宅を目指している様子が見てとれた。

 それもそうだよなと思い、自分も閉店準備に取り掛からないと、と足を外に向ける。まずは看板を下げて、シャッターを下ろさないと。少し早い気もするが、けれどそもそも、こんな時間に花を買いに来る人ももういないだろうし……そんなことを考えながら、ああでもと思う。

 今日はまだ、紫葉さんが来てないから、電気はギリギリまで点けておかないと。

 ――――なんてことを無意識に考えて、次いでハッとする。


「いや……そうだ、今日は来ないんだった」


 今日は色々慌ただしかった事もあって、昼に届いていた一通のメールの存在を忘れていた。そうだった、今日は将虎さん、紫葉さんに頼み事はしてないんだった。


「……そうだよ。紫葉さんには、今日、ここに来る理由がないじゃん」


 そう零しながら、ぎゅう、と不意に痛みを訴えた胸の辺りを握りしめ、苦笑を漏らす。まったく、自分で呟いた言葉に傷付くなんて、ひどく無様じゃないか。


「……参ったなぁ。分かってたつもりだったのに」


 視線を落とし、独り言ちる。ここ最近は、毎日のように彼が店に来てくれていたものだから、忘れていた。
 
 そうだ。紫葉さんは何も、自分の用事で此処に来ていた訳じゃない。先輩からの頼み事の為、仕事を早く切り上げて来ていただけだ。だからそれがない今日は、彼にしてみれば、此処に来る理由も意味もない。

 そんな今更な事を思い出し、途端、胸の奥がどうしようもないぐらい虚しさで包まれる。


「……やっぱり、将虎さんの頼みだから来てくれてただけ、かぁ」


 瞬間、ぽろりと口から零れ落ちた言葉にハッとして、咄嗟に首を振る。

 いやいや、何を女々しい事言ってるんだ僕は。分かりきっていた筈のくせに、どうにもそんな感情が頭を過ぎるものだから、自分で自分が嫌になる。

 そのまま、首が捥げそうなくらい思いきり頭を振って、邪念を吹き飛ばす。きっと、今この場に誰かがいたのなら、僕の滑稽な動きを見て笑っただろう。けれど、そんなものを気にする余裕が今の僕にはなかった。

 そうして漸く落ち着きを取り戻した後、もう一度ちらりと時計を見やる。先程から五分と経っていないようだったけれど、閉店時間を過ぎてしまった。だというのに、閉店作業はさっきから何も進んでいない。

 その事実に、僕は気を引き締め直そうと、一度自分の頬をパチンと軽く叩いた。


「……よしっ!」


 情けない時間はこれでおしまい。明日も明後日も、これから年始に向けて忙しい日は続くのだ。だから今日はさっさとお店を閉めて、明日の準備に取り掛かろう。

 そう意気込み、自分を窘めるよう、何度か己の頬をぺちぺちと叩く。最初、思いの外力を込め過ぎていたのか、少しばかりヒリヒリと痛む気もするが……逆にそれで良かったと思い直す。


「それじゃあ、閉店作業しようかな」


 そう一人呟いた、そんな時。きぃ、と店のドアが静かに開いた音がした。

 まだクローズを知らせる札を立てていなかったから、まだやっていると思って入って来てしまったのだろう。


「っあ、すみません、今日はもう閉店で――――」


 そう言いかけて、けれど次の瞬間、僕は言葉を飲み込んだ。

 ドアの前に佇んでいたのは、一人の男性だった。前髪を後ろに撫でつけ整えられた黒髪と、光の加減で藤色にも見える、不思議で綺麗な瞳。身に付けたスーツは糊が効いていて、仕事終わりだというのにくたびれた様子はない。

 その人を、僕が見間違える筈もない。


「――――紫葉、さん?」


 そこにいたのは、紛れもなく紫葉宗一さんその人だった。先程まで焦がれていた彼が、今目の前にいる。その事実に、僕は途端目を丸くした。



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