コスモス

近藤タケル

文字の大きさ
上 下
1 / 3

魔道士の弟子

しおりを挟む
 アリアはいつものように大きな白い瓶を持って、自宅の前を流れる小川で水を汲む。その瓶はアリアの胸ほどまである。表面には複雑な模様が記されていて、この村では非常に珍しい意匠である。それだけ大きな瓶にも関わらず、アリアは平然と瓶を持ち上げる。小川に瓶をつけて、清らかな水を満たす。
 いつもと変わらぬ穏やかな朝。村の牧場では牛が草を食み、森では鳥たちが美しい声で歌を歌っている。
 アリアは瓶に水を入れ終わると、細い腕で軽々と持ち上げて家へと戻る。
 そのとき、アリアに声を掛けてくる者がいた。
 「アリアちゃん、おはよう。毎日精が出るねぇ」
 「ジグおじさま、おはようございます」
 アリアは頭の上の瓶をひょいと下ろして、にっこり笑いながら小さく頭を下げた。
 ジグはその様子を見て、呆れたように一息つく。
 「毎朝この光景を見ているがね。冗談じゃないかと毎度思うよ」
 「まぁ、おじさまったら。昨日もその話をしていましたよ」
 二人は小さく笑った。
 「お寝坊のお師匠様は、まだベッドの中かい?」
 「朝の支度が終わるころには、起きていらっしゃると思います」
 「そうか。怒らせてまた魔道を暴発されても困る。前はええと、裏の森が半分ほど黒焦げになったっけな……おぉ、怖い怖い。ミルクはいつもどおり、ここに置いておくよ。良い一日を」
 「どうもありがとう」
 ジグの背中を見送ると、アリアは再び瓶を持ち上げて小さな家の中へ入った。

 朝食後しばらく、コスモスは黙って机の上に束になった書類に目を通していた。椅子の上から小さな足を机に放り出し、興味なさげに書類を見てはその辺りに捨てる、ということを繰り返している。
 「くだらん。若い連中が、お遊びで戦争ごっこの準備とはのう」
 書類を捨てるたびに、コスモスは小さな足を小さく動かした。紫の裾が揺れ、黒い靴がテーブルに当たってカツンと音を立てる。
 音が鳴るたびに、放り投げられた書類はメラメラと炎を上げて落下し、床に落ちるまでには灰になって消えた。
 そこへアリアが部屋に入ってきた。
 「お師様、お片付け終わりました……また灰を散らかしていらっしゃるんですね」
 アリアは苦笑いしながら、傍に立て掛けてあったほうきを慣れた手付きで手に取った。
 コスモスはアリアに一瞥もくれずに、次の手紙を放り投げる。
 「時代はすっかり魔術、魔術、魔術。わしらのような魔道士は、めでたや遺物というわけじゃ」
 「お手軽ですからね。私は全然ダメですけど……」
 「馬鹿を言え、あのような表面的なもの。使うだけ愚かじゃ。もっと……」
 「『もっと本質を見なければならぬ。精霊の声を聴け』でしょう?」
 コスモスは、にこにこと掃き掃除をしているアリアを見て、にやりと笑った。
 「言うのう、アリア」
 「毎日の教えですから」
 「大切なことじゃ」
 「はい、心得ています。さて、掃除終わりましたよ。私はお買い物に行ってきますね」
 アリアがほうきを置いて部屋を出ようとすると、コスモスはゆっくりと椅子から降りた。
 「今日はわしも行こう」
 アリアは目を丸くした。
 「お師様、お出かけをなさるんですか?」
 「術式の道具を買い足しに行く。この前注文しておいた。あのバカ息子、前回はわしの注文とまったく違うものを寄越しおったからな。直々にこの目で確かめねば安心できぬ」
 「それは構いませんけど、またこの前みたいにお店を吹き飛ばしちゃだめですよ?」
 「さてな。あのバカ息子次第じゃ」
 
 二人は小さな家を出て、村の中を進む。
 すれ違う知った顔の村人たちはアリアに気さくにあいさつをし、その横にいる小柄な魔道士を見て目を丸くする者ばかりであった。
 「ええい、どいつもこいつも珍獣を見るような目つきをしおってからに」
 「お師様がお出かけになるの、珍しいですからね」
 二人は談笑しながらしばらく進んで、雑貨屋へと入った。
 「らっしゃい! アリアちゃん、おはよう。おっと、今日は小さなお師匠様も一緒かい。珍しいねぇ」
 入るなり、カウンターの向こうの恰幅のいい女将が威勢よく声を上げる。
 「相変わらずやかましいのう」
 コスモスが眉をひそめる。
 「ははっ、そりゃあんた。めったに人前に姿を見せない大魔道士様が、うちの店に買い物に来てくれたんだからねぇ。しかしこう暑いのに、相変わらずあんたそんなに着込んじゃって。おまけに目まで隠しちゃって。そんなの付けて前が見えてるのか、毎度不思議に思うねぇ」
 「ええい、口の減らぬ小娘じゃ」
 「ちょ、ちょっと二人とも」
 このままではコスモスがまた店ごと吹き飛ばしてしまいそうなので、アリアは慌てて仲裁に入った。
 「はははは。冗談さね。いつもの卵と小麦粉でいいかい?」
 「は、はい」
 代金を支払うと、アリアは大きな小麦粉の袋を軽々とかついだ。
 「相変わらず力持ちだねぇ、アリアちゃん」
 「あ、あははは」
 「小僧どもは息災か?」
 コスモスが尋ねると、女将は笑って答えた。
 「あぁ、元気もなにも、そこらじゅう台風みたいに駆け回ってるさ。おまけにどこで覚えたんだか、入れ替わって悪戯までしてくる始末でねぇ。母親のあたしでも見分けがつかないくらいそっくりになってきたさ。困ったものだよ」
 「心の目で見るのじゃ。視覚などあてにならん」
 「分かった、試してみるよ。またいつでも来なよ」

 町外れの道具屋に向かう二人の後ろから、大きな声で呼び止める者があった。
 『アリアお姉ちゃんだー!』 
 二人が振り向くと、全く同じ顔の子ども二人がにこにこと並んで立っていた。
 「ピコにポコ、おはよう。さっきお母さんのお店に行ってきたのよ」
 アリアも笑顔で返事をする。ピコとポコはにこにこしながらアリアのほうを見ていたが、すぐに隣に立っている小柄な少女に気づいて、不思議そうな顔をした。
 「あーっ、アリアお姉ちゃんの先生だ」
 「引きこもりの先生だー」
 顔を引きつらせたコスモスが靴を鳴らそうとしたので、アリアは慌てて二人の少年に声を掛けた。
 「きょ、今日は私たち、サムのお店に用事があって急いでいるの。だから、また今度遊びましょう?」
 『えーっ、そうなの?』
 不服そうな二人の声は、粘り強くアリアに甘えてきた。
 『ちょっとだけー、またいつもみたいに遊んでよー』
 あきらめない子どもたちに困ってアリアがコスモスをうかがうと、コスモスは何かを思いついたように少し笑って言った。
 「お主ら、最近面白い悪戯をしているようじゃのう。なるほど、見れば見るほどよう似た双子じゃ。ではこうしよう。お主らのどちらがピコで、どちらがポコか。入れ替わって アリアをだますことができたなら、思う存分アリアと遊ぶがよい。代わりに見抜けなんだ場合は……」
 「ば、場合は……?」
 アリアが息を呑む。
 「お主らを煮込んで食ってやる」
 「ちょ、ちょっとお師様……」
 慌てるアリアとは対照的に、ピコとポコはきょとんとしている。
 「さぁ、どうする?」
 双子は顔を見合わせて、コスモスに向かって口々に言い始めた。
 「ふーんだ。絶対分かりっこないよ」
 「母ちゃんだって僕らの見分けがつかないんだから」
 コスモスが呆れたように笑う。
 「分かった分かった。能書きはいいから、はようせい」
 『よーし!』
 二人はそう言うと、辺りを目まぐるしく辺りを駆け回り、飛んだり跳ねたり、近くの茂みに潜ったりして激しく動き回った。
 二人が駆け回っている間に、アリアはメガネを外して静かに目を閉じた。コスモスは、そんなアリアの様子を真剣な眼差しで見ている。
 やがて二人がアリアの前に飛び出してきた。
 『さぁて、どっちがどっちでしょう?』
 練習したのだろうか、並んだ二人はまったく同じポーズでまったく同じ表情をしていた。声色すら区別がつかない。
 「暇な小僧どもめ」
 コスモスは呆れて頭を抱えた。
 アリアは静かに目を開くと、じっと二人を見て優しく微笑んだ。
 「あなたがピコ、そしてあなたがパコね」
 「えーっ」
 「なんで、なんですぐ分かるのーっ?」
 二人は口々に文句を言った。
 「小僧ども、約束じゃ。アリアと遊ぶのは、また次の機会にせい」
 『ちぇーっ!』
 二人は風のように逃げていった。
 「……メガネをしたまま見られるようになれば、合格じゃのう」
 「す、すみません」
 アリアは再びメガネをかけながら、苦笑いした。

 道具屋に入ると、奥から慌てたサムが飛び出してきた。
 「アリア、アリア、見てくれ。ついに僕も魔術が使えるようになったぞ、ほら!」
 サムが右手を店の奥にかざすと、一瞬の閃光の後に店の奥が小さく爆発した。
 爆風が三人の横を吹き抜ける。もうもうとほこりが舞い上がり、振動で破片がぱらぱらと天井から降り注いできた。
 「どうだ、すごいだろう?」
 「あ、あははは……」
 アリアは恐る恐る横にいるコスモスをうかがった。
 「これで僕もミッドガルドに言って、立派な魔術士になるんだ。君も一緒についてこないか? 古臭い魔道なんかより、今の時代はやっぱり魔術だよ!」
 「ちょ、ちょっとサム」
 「王都でたくさん修行して腕を磨いて、僕は東側一の魔術士になるのさ! 君のお師匠様だって、軽々と超えてみせるさ」
 「サムったら!」
 機嫌よく演説をぶっていたサムは、そこでようやく、アリアの横に佇む紫の衣の魔道士に気がついた。魔道の修行などしたことのないサムでも、その小さな体から恐ろしい力と殺気がみなぎっているのを、肌でビリビリと感じた。
 「あ、あわ……」
 コスモスは、地の底から響いてくるような恐ろしい声で言った。
 「なるほどのう、たいした威力じゃ。ロウソクに火を灯すくらいのことはできるじゃろう」
 「ひえぇ……」
 「このバカ息子がーッ!」
 コスモスが勢いよく足を踏み鳴らすと、轟音とともに道具屋は粉々に爆散した。

 家に戻っても、コスモスは不機嫌だった。爆心地にいたコスモスもアリアも、傷一つ負っていない。そんなことを気に留める様子もなく、アリアは肩を落としていた。
 「もう、お師様ったら」
 「また道具を買いそこねた。全く、あのバカ息子には困ったものじゃ」
 「後で一緒に謝りにいきましょうね」
 しばらくぶつぶつと文句を言っているコスモスだったが、やがて黙り込んで何かを考え始めた。
 アリアはその横でじっと師匠をうかがっている。
 ふと、コスモスがアリアを見た。
 「そろそろ次の段階に進んでも良いじゃろう」
 アリアの顔が、ぱっと明るくなる。
 「お稽古をつけてくださるんですか?」
 「うむ。目の修行の続きじゃ。昼食を済ませて、庭でやるとしよう」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

レディース異世界満喫禄

日の丸
ファンタジー
〇城県のレディース輝夜の総長篠原連は18才で死んでしまう。 その死に方があまりな死に方だったので運命神の1人に異世界におくられることに。 その世界で出会う仲間と様々な体験をたのしむ!!

転生したらチートすぎて逆に怖い

至宝里清
ファンタジー
前世は苦労性のお姉ちゃん 愛されることを望んでいた… 神様のミスで刺されて転生! 運命の番と出会って…? 貰った能力は努力次第でスーパーチート! 番と幸せになるために無双します! 溺愛する家族もだいすき! 恋愛です! 無事1章完結しました!

処理中です...