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<第五.五章:生きて下山せよ>

我慢する自分はもうおしまい

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 悲鳴が聞こえたということは、つまりちゃんとデビルベアがもう片方の道にいて、その発見を知らせているのだ。ナイツはそう考えていた。しかしモモは少し不安げな表情だったが、理由を聞いている暇はないので急いで走る。

 分かれ道の分岐点に戻ると、サナが手前でへたり込み、その目前で、成人男性の二倍はあろう体格の黒い影が、のらりくらりと立ちはだかっていた。

 これが、デビルベア。ナイツは息を呑むが、その一瞬でモモは動いていた。

「はぁっ!」

 持っていた包丁の切っ先を、大きな黒い塊に突き立てる。しかしその先端はデビルベアの皮膚に辿り着くことはなく、固くて丈夫な剛毛によりガードされてしまっていた。

「ぐるるるあああ!!!」

 急に近づいてきた小さなピンク色の塊を、デビルベアは右前足で軽くはたいた。しかしそれは飽くまでもデビルベア的表現で、モモにとっては超密度の質量で超速に吹っ飛んでくる筋肉の塊にその身を吹っ飛ばされていた。洞窟に木片が鳴った音がして、携帯していた包丁やらの調理器具がちゃらちゃらと落ちた。

「モモ!」

 ナイツも、モモに貰った包丁と鍋蓋を、剣と盾のように構える。そしてサナと距離を取ったところで、「うおぉぉぉぉーーーー!!!」と大声を上げた。その声に向かってデビルベアが体の向きを変える。

(よし、できるだけサナに近づかせないようにするんだ。僕が戦わなければいけないんだ、勇者が車で、戦えるのは僕だけなんだから)

 デビルベアはその大声の主に目線を合わせる。そしてデビルベアはゆっくりと前進した。だがものの数歩で、デビルベアはナイツを間合いの圏内に入れた。それもそのはず、体が大きければ歩幅も大きくなるからだ。

「は、はやっ!」

 間合いに入ってしまったと気づき、反射的に鍋蓋を構える。そんな鍋蓋にデビルベアは右前足の爪を突き立てて薙ぎ払った。空気中の蚊をはたき落とすように、ナイツが壁に吹っ飛ばされた。

 受け身を取ったものの、俊敏には動けなくなるほどのダメージを負ったナイツ。彼は叫んだ、早く来てくれ、助けてくれと。


「ユゥゥゥゥーーーー!」


* * *

 魔王の剣、どんな剣かと思ったが、確かに何やら悍ましい魔力というか匂いというか、そういう邪気が感じられるような代物だった。邪気、というのも何か違う。まるで自分の心の中から、嫌な気分を引っ張り出されているような、そういう感覚があった。だが友を守るためならば、どんなものでも使ってやる。そういう思いを胸に、魔王の剣を携えて俺は走るのを止めなかった。

 否、その走る足の力にさらに力を込める。ナイツの悲痛の叫びが聞こえたからだ。そして、その後に重い衝撃が洞窟に響いたからだ。

「くそが!」

 それからそれほど時間が経たない内に、分かれ道の分岐点に到着した。まず、モモが壁に横たわり倒れていた。しかし少し体を動かそうとしているところを見るに、まだ生きている。そしてナイツ、彼も同じくまだ意識はあった。

 なら、さっきの衝撃は、何だ? ナイツが叫んでから響いた衝撃は。

 まさか、と周囲を見る。どこだ、どこに倒れている? 視線を壁に沿わせるようにして周囲を見るが、しかし、その視線の先には何処にも姿はない。

 壁にはいなかった。しかし、その分岐点の中心に立っていた。慌てていたせいか気づかなかった。

 サナは、仰向けに倒れるデビルベアを正面に見据えて、ファイティングポーズをとっていた。

 サナは、ファイティングポーズをとっていた。

 え、何で?

「ええと、サナ、大丈夫、か?」

 その完璧なフォルムは一切動くことはなく、いや僅かに静かな呼吸による上下運動だけうかがえるが、その微動が目立つほど、今のサナのフォルムは完璧なものだった。まるで歴戦の剣闘士といってもいい。

 彼女は振り向かずに、俺に答えた。

「あぁ、ユウね、うん、大丈夫。でもあいつすぐ起きるかもだから気を付けて、結構剛毛で包丁の刃も入らないから」

「え、あ、うん、わかった。……あれ、もしかして魔王の剣、いらなかった?」

「いえ、逆です」と、苦しそうにしながら、モモが言った。ゆっくりと起き上がり、俺の方へと向かう。ナイツも態勢を立て直すために、同じくゆっくりと移動していた。

「魔王の剣は、己が心に秘める愚かさを、表に引っ張り出す剣なのでございます。魔法使いであるサナ様は、魔法の感受性が高いが故に、我らと違ってその効力を強く受けたため、一番変化が顕著なのだと思われます」

 とモモが解説をしてくれた。愚かさを気づかせる剣、それは確かに恐ろしい。人は誰しも、己の愚かな部分には目をつむりたいもんだ。それを無理やり引っ張り出されたならばかなりキツイ。しかし、何故その結果サナがファイティングポーズ? その答えは直ぐに分かった。

 重苦しく、鬱陶しいようにサナがため息を吐いた。

「ったく、マジさあ、魔法使い魔法使いって。別に私なりたくてなってるわけじゃないし、習い事させられて、流れでやってただけだし。好きじゃないし、周りの大人がやれやれ言うし、良い結果出したと思ったら『先生の授業のお陰』だぁ!? 本当にストレスなんだよね」

 だからよく、こうして陰で物に当たってストレス発散してたっけ。

 起き上がり、再び突進してくるデビルベアに向かって、サナは真っすぐな正拳突きで相対した。そのまま倒れていたのと同じ場所に、吹っ飛ばす。魔法使いなのに。

「どいつもこいつも押し付けやがって! うぜぇんだよ!」

 怒りの叫びが、洞窟を震えさせた。
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