蛇神様は身代わりの下男を娶りたい

小実そしる

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蛇神様の祟り

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 蔡虺村さいきむらには、古くから蛇神様の信仰があった。
 蛇神様は沼地に住まう水の神で、蛇神様の住まう地では、五穀豊穣が約束されるという。
 この御利益により、蔡虺村の田畑の実りは豊かであり、また、蛇神様の使いとされる白蛇は、田畑を荒らす害虫を喰らう益獣でもあった。

「今朝、蛇神様の祠にヒビが入っていたそうよ。大変縁起の悪いことだわ。蛇神様がお怒りになっているに違いないわ」
「まあ、それはいけないわね。このところの日照り続きと、何か関係があるのかしら」

 炊事場から漏れ聞こえる下女達の会話に、茂吉もきちは雑巾がけの手をぴたりと止め、壁越しに耳をそばだてた。

「前に人身御供を捧げてから、もう五十年は経つでしょう。そろそろ、また誰かが選ばれてもおかしくないわ」
「そうね。それにしても、前の子は可哀想だったわ。まだ十二の歳だったというじゃない」
「まあ貴女、滅多なことは言うものじゃないわ。蛇神様へご奉公することは、とても誉高いことなのよ。それに、あの年はひどい飢饉で、村のみんなが飢えに苦しんでいたというじゃない」
「嫌だわ……次のお役目が回ってくるのは、一体いつになるやら」

 そこで話は途切れてしまった。下女達は別の話題に移っていったようだ。
 茂吉は雑巾を桶の縁に掛けると、足早にその場を後にした。

「お嬢様っ、大変です……!」
「まあ、喧しいこと。もう少しお行儀良く出来ないものかしら」

 慌てて駆け込んできた茂吉を、雛菊ひなぎくは冷ややかな眼差しで一瞥した。
 雛菊は、村の大地主である阿武戸あぶと家の一人娘である。
 名前に引けを取らぬ大層美しい娘だが、その気性は父によく似ており、病的なまでの潔癖と自尊心の高さで知られていた。
 従僕である茂吉に対しては、尚のこと当たりが厳しく、何か粗相をしようものなら、容赦なく折檻されたものだ。先日も、簀巻きにされた上から木刀で打ち据えられ、着物の裾から覗くか細い手足には、青痣が点々としていた。
 癒えぬ痛みに怯えながらも、茂吉は懸命に言い募った。

「も、申し訳ございません。今朝方、蛇神様の祠にヒビが入ったと聞き及びまして、急ぎお耳に入れようと……」
「なんですって?」

 雛菊は元来吊り上がり気味の眉を更に跳ね上げ、縮こまる茂吉を睨め付けた。

「それは本当なの? この私を謀ろうと、面白くもない冗談を言っているのではないでしょうね」
「滅相もないことでございます……っ! 先ほど、下女達の立ち話を耳に挟みまして……。なんでも、このところ日照り続きで田畑の実りが悪いのは、蛇神様の祟りなのではないかと……もうすぐ、次の人身御供を捧げるのでは、とも」
「まあ! 何てことなの!」

 雛菊は甲高い悲鳴を上げると、頭を抱えてうずくまった。

「人身御供と言えば、村で一番美しい生娘が選ばれるそうじゃない。次のお役目が回ってくるとすれば、私の他にはあり得ないわっ……ああ、なんてことなの!」

 雛菊は悲嘆に暮れるあまり、恐慌を来したように長い髪を振り乱した。
 その荒れように恐れをなしながらも、茂吉はおずおずと雛菊に声を掛けた。

「お嬢様……」
「うるさいわねっ! 少し黙っていてちょうだい!」

 雛菊は癇癪を起こし、側にあった簪を投げつけた。それは茂吉の眼球目掛けて一直線に飛んできた。

「ひ……っ!」

 咄嗟に目を瞑った茂吉の頬を、ぬらりと硬質で冷たい何かが掠めた。
 直後に、雛菊の悲鳴が耳をつんざいた。

「きゃあっ!」

 茂吉は恐る恐る瞼を開いた。すると、足元には簪が転がっていた。
 その簪には、何か赤黒いものが絡みついている。それは、血だった。茂吉の血ではない。簪に絡んだそれは、ぬらぬらと光沢のある鱗を輝かせていた。

「あ……白蛇、様……?」

 茂吉は呆然として呟いた。
 その呼び声に応えるように、畳で戸愚呂を巻いていた白蛇が、チロチロと舌を出し入れし、鎌首をもたげた。
 白蛇は茂吉を一瞥すると、するすると体をくねらせ、天井裏へと這っていった。

「ああ、なんて恐ろしい……。茂吉! やっぱり貴方は蛇憑きだったのよ! 村のみんなは騙せても、この私を騙せやしないわ! あんなにも悍ましいモノが神の使いだなんて、そんな馬鹿な話があるものですか!」
「お嬢様、お、落ち着いてください。白蛇様は、きっと何かご事情があって……」
「黙りなさい! お前のような忌み子が、私と対等な口を聞くんじゃないわよ!」

 茂吉は雛菊の金切り声に首をすくめた。
 雛菊の言う忌み子とは、茂吉の生まれ持った体質のことだ。茂吉は、幼い頃より異様に蛇に好かれた。
 中でも、神の使いとされる白蛇は、事あるごとに茂吉の前に姿を現しては、彼の窮地を救ってくれた。雛菊は、その白蛇を目の当たりにして、すっかり怯えてしまったようだ。茂吉が何を言っても聞き入れようとしない。

「ああ……なんてことなの。私はもうお終いだわ……っ」

 雛菊はさめざめと泣き崩れた。
 古くから、蔡虺村には蛇神様の信仰があったが、村の一部の者たちは、蛇神様を化け物と忌み嫌っていた。
 雛菊はその筆頭であり、幼い頃から爬虫類の類を毛嫌いしていた。
 その一方で、雛菊の父である阿武戸源蔵あぶとげんぞうは、蛇神様を厚く信仰していた。

「お父様はきっと、蛇神様の祟りだと言って、生贄を捧げるに違いないわ……っ! そして、次の人身御供として私を選ぶのよ……!」

 雛菊はおいおいと泣き続けた。茂吉は居たたまれずに項垂れるほかなかった。
 彼女の言う通り、源蔵は我が娘を喜んで蛇神様に捧げるだろう。このまま日照りが続けば、雛菊は人身御供に選ばれるに違いない。
 酷い扱いをうけているとはいえ、心優しい茂吉は雛菊が不憫でならなかった。

「お嬢様、僕にできることでしたらなんでもいたします。ですから、どうか気をお確かに……」
「うるさいわねっ! お前に何ができるものですか!」

 茂吉の慰めは、雛菊の癇癪に油を注ぐ結果となった。雛菊は髪を振り乱して立ち上がると、泣き腫らした目で茂吉をねめつけた。

「お前のような役立たず……っ! いえ、そうね、いい考えがあるわ」

 何を思ったか。ふっと正気を取り戻した雛菊は、その代わりようもあって異様以外の何者でもなかった。
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